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緊急最終報告! 恋愛は実在した!!

「う……ウソだ……」


 もうすぐ夏休みに入ろうかという、7月のある日。暮れかけた放課後の文芸部で、二年生・軽尾透子かるお・とうこは恐怖におののいていた。


「本当に……本当にいるなんて……!」


 顔色は青ざめ、額からは脂汗が流れる。全身に鳥肌が立ち、手足がガクガクと震える。

 逃げろ、と、心の奥の自分が強く訴えかけている。


「うわあああ!! 宇宙人だああああああ!!!!!!」


 喉の奥から搾り出すように叫ぶやいなや、透子は脱兎のごとく駆けて教室を飛び出した。

 玄関を目指し一目散に疾走する。途中、階段で足を滑らせて空中を三回転半したり、その勢いで校長の銅像に激突したり、あげく首がぽっきりと折れてしまったりもしたが(校長像の)、後ろを振り返ったり、痛みを感じている余裕はなかった。

 なにしろ宇宙人である。第三種接近遭遇である。エイリアン・アブダクションである。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」


 生存本能の命ずるまま、透子は全力で家までの道のりをひた走った。本来電車でふた駅の距離にあるはずの自宅まで、この時は徒歩(走ってはいるが)23秒でたどりついてしまったのだから、人間の潜在能力とは不思議なものである。

 あわててドアを開け、二階の自室まで階段を七段飛ばしに駆け上がる。ようやく一息ついたのはカバンを置き、制服を脱ぎ捨ててベッドにくるまった頃であった。


「いたんだ……本当に宇宙人はいたんだ……私は……誘拐されてしまうのだ!!」


 その晩は生きた心地がしなかった。大好物のハンバーグを無意識のうちに2個多く食べた上、少し熱めの42℃のお湯にきっちり肩までつかり、あまつさえ通常より1時間も多く眠ってしまうほどに、透子は混乱し、憔悴しきっていた。



「……それ、むしろいつもよりリラックスしてるだろ。バカかお前」

「何を言うか!! 私は本当に死ぬか殺されるかの目に逢ったがゆえ!! 君はそうやっていつもメガネばかりかけてるから事の重大さを理解しないことを理解すべき」

「落ち着いて日本語をちゃんとしゃべれよ。メガネ関係ないし」

「宇宙人が出たんだって、文芸部の部室に!!」


 翌日の放課後。透子はトイレへ向かおうとする親友の大槻香奈おおつき・かなに昨日の顛末を語ろうと腕をつかまえたが、嫌がられた。そこでさらに力を込めたところ、彼女から非常に強い平手打ちを食らった。5分後、戻ってきた香奈に陳謝した後、頬の痛みをこらえつつ改めて語ったのが以下のような話である。


「昨日私が文芸部で、部誌の編集をしながら昼寝してて……」

「1時間多く寝た上に昼寝までしていたとは、幸せなやつだな。しかもお前確か部長だったな。それで」

「気づいたらみんな帰ってて、私一人残されてたんだよ。本当に薄情な連中だようちの部員たちは。人類が他者を傷つけても何の処罰も受けず、さらに一抹の罪悪感をも覚えないように進化した暁にはまっさきに私は殺るよあいつらを」

「仮にそうなったら、部長のくせに編集作業の途中で昼寝するような人間から真っ先に殺られるだろうがな。秒で」

「まあそれはいいんだけどさ、もう疲れたから帰ろうと思って、机の上を片付けてたわけ。そしたら誰かが部室をノックして……」

「はあ」

「『す、すみません。軽尾透子さんいらっしゃいますか』って、ちょっと震えた声で言うわけ。そしたら男子でさ。怪しいじゃん?」

「どうして? 入部希望者の可能性もあるんじゃないの」

「いま文芸部女子しかいないし、入部希望なんて春からずっと来たことないもん」

「それもそうか。お前ら文芸部とは名ばかりのオカルト研究会だもん。より正確に言うなら秘密結社。お前らが前回出した部誌の特集が『ネス湖でノストラダムスの目撃情報多発!!』と『最新トレンド黒魔術 ヤングに人気の呪いベスト20』で、ちゃんと生徒会に呼び出されて、ちゃんとお説教受けて、ちゃんと部費削られてたの全校生徒が知ってるし」

「そう、だから怖くてさ。でも『軽尾透子さんにお会いしたいんですが』って言うから、『私が……そうですけど』って一応答えたら、『あのっ』つって」

「うん」

「『これ!』って、封筒を渡してきたわけ」

「封筒?」

「『よ、読んでください!!』って」

「そ……それ、もしかして」

「今日持ってきたんだけど、これ」


 透子はカバンから取り出したのは、白くきれいに折りたたまれた封筒であった。少し厚みがあり、表にはきれいな字で「軽尾透子様」と書かれてあった。金色のシールで留められてあり、封は切られていないようだった。


「どう思う? まだ開けてないんだけど」

「……え、いや、どう思うも何も」

「これ、あれじゃん。見るからに」

「まあ……そうだよな」

「怪文書じゃん」

「……は?」

「実態はオカルト研究会である我が文芸部の、それも部長の私にわざわざ寄こしてくる封筒なんて、中身は怪文書に決まってるだろう!!」

「いや、おい、ちょっと」

「『オ前ラのやってイる事はすべテワカっている 再来週部室ニ隕石が5兆個降ってキてオ前らハ破滅するのダ 覚悟してオけ』とかいう文面が新聞の切り抜きで書かれていなければ理屈に合わない!!」

「あのさ……」

「だからさ、その男子は絶対うちらに敵意を持った勢力からの刺客だって、ピーンと来たわけよ。こんな奴に文芸部をつぶされてなるものかと、こいつの目にもの見せてやることが部長である私の使命じゃないかと。それで……あれ? なんかおかしいこと言ってる?」

「そうだったら普通に考えて、手渡しはしないと思うぞ」

「え? あ、確かに」

「あと5兆個降ってきたら書いたやつも含めて地球丸ごと滅んでるわ!!」

「言われてみればそうか。じゃあなんだろう? この手紙。いま開けてみようか」

「だ、ダメ! 絶対ダメ」

「え、なんで?」

「そういうのはみんながいるところでおもしろ半分に開けちゃダメなんだよわかるだろ!!」

「ええ……?」

「お前、本当に理解してないのかよ? その手紙って完全にあれだから! 言わないけども! 恥ずかしいから言わないけれどもどう考えてもあれでしかないから!!」


 透子はきょとんとした顔に、「この人何言ってるんだろう」と語る瞳を乗せて香奈を見た。香奈は、透子に重さの乗った頭突きをおみまいしたい衝動を抑えるため、多大な精神力を要した。リラックス効果のあるハーブティーをガロンで飲むか、血液に直接注射してもらいたい気分だった。


「お前以外の全人類がその手紙の正体に気づいてるよ……はあ、その少年がかわいそうでならないな。どういったきっかけでこんなバカにその……ナニしてしまったかはわからないが」


 香奈はため息を吐き、机につっぷした。


「もうそのくだりはいいから、宇宙人と出逢ったとこまで飛ばしてくれ。聞いててしんどい」

「いやいや、こっからが大事なとこなのよ。それで私はその男子を思い切りにらみつけてやったのよ。この卑怯な野郎がー!! って想いを込めて」

「やめてくれって……」

「そしたら『ご、ごめんなさい、ぼ、ぼく、一年五組の山口栄太郎やまぐち・えいたろうって言います。すみませんでした、突然こんなことして』とかって、もじもじしながら言うわけ。私はついにゲロったなと思って」

「これ以上聞いてたら私がゲロりそうだからもう耳ふさぐわ。オエー!(間に合わなかった)」

「それで私、ガツンと言ってやったのよ。『別にいいけどさ、手紙じゃないと気持ちを伝えられないなんてダサいよ。言いたいことがあるならちゃんと自分の言葉で伝えな』って」

「……おい、マジか!! 線と線が見事に交差したな、まるですれ違いコントのように」

「そいつ、『う……』とか言って、うろたえちゃってさ。痛いところ付かれたって感じで、顔真っ赤にしちゃって泣きそうになってさ。手なんか震えちゃってんの。それ見て私はたたみかけた。『自分の口ではっきり言うか、二度と私の前に姿を見せないか、どっちかにして!』ってね!!」

「それで?」

「でね、拳をぎゅっと握って、目をすごい強くつむって、何かを決意したって雰囲気出して……こう言ったの。『好きです! 付き合いたいんです!!』って」

「キャーッ!!!!!!」


 香奈は両手で口を抑え、黄色い声をあげた。


「で、お前はなんて返したんだ!?」

「『う、宇宙人が出たー!!!!!!!!!』」


 メムョ……。

 0.2秒。香奈の強烈な右が、透子の顔面にめり込むまでのスピードである。

 ニュートンの運動方程式に則り、透子は後方へ跳ねた。


「いたいよ~、何すんのさ~」

「お前、お前本当に言ったのかお前それ!」

「言うよそりゃー」

「正気か、軽尾透子!!」

「だってさー、怪文書渡したかと思ったら今度は堂々と異性に好きとか付き合いたいとか言っちゃうなんて、まともな人間の思考回路とは思えないじゃーん。ってことは宇宙人って確信せざるを得ないわけじゃーん」

「いや、お前だわ!! 宇宙人!!」


 香奈はさらに、怒りに任せて回し蹴りを繰り出した。首はもちろんのこと、手足もねじ切れたことは言うまでもない(偶然近くにあった前理事長像の。なぜ教室にあるのだ?)。


「ひいいっ! 私は被害者だよお!」

「ふざけるな!!」

「あの場面に遭遇したら誰だってそう判断するって~(涙)」

「ごたくはいい! さっさと正体を現せ! お前どこ星よ!?」


 倒れている透子の首元を掴んで持ち上げ、香奈は激しくすごんだ。すると透子の口から白いもやのような気体が吐き出され、その気体は教室の天井付近を三回転して再び透子へと帰った(帰りは耳からだった)。その様子を見届けた香奈は、襟から手を離し、透子を解放したのだった。


「ああ~、今亡くなったひいおじいちゃんが川の向こうにはっきり見えたよ。『来ちゃいかん! 来たら殺すぞ!』って言われた」

「仕方ないだろ。とにかくこうなった以上、その少年のところに行って決着をつけるしかないな」

「ええっ!? 嫌だよ私、宇宙人怖い」

「オカルト研究会部長だろうが!」

「知りたいのと怖いのは別なんだよお、警察だって殺人鬼は怖いでしょ」

「あのなあ。少しはその……山口くんとやらの気持ちも察してやれよ。どういう気の迷いか知らんが、お前みたいな21世紀のスキッツォイド・マンを好きだと言ってくれた上に、付き合いたいとまでおっしゃってくださったんだぞ? 最敬礼して全財産を差し出すくらいのことができんのかね」

「いや、私、恋愛については懐疑派だから」

「はい!?」

「恋愛感情という物に対して懐疑的、もしくは否定的な立場をとらせていただいておりますので」

「何言ってんのお前」

「うわ、香奈ってば恋愛信じてるの? 恋愛なんてもんこの世にないですよ」

「あるわ!! ないわけないだろ!!!」

「いやいやいやいや、ないね。じゃあ証明してください。言っとくけど写真や映像は有効な証拠として認められないからね。いくらでも加工なり捏造なりできるんだから」

「むしろ写真や映像で証明するほうが難しいだろ……」

「なんだよー、ビリーバーかおめえ。オカルト用語で言うところの超常現象を信じる立場の者かおめえはよー、この恋愛ビリーバーがよー」

「証拠はあるだろ」

「どこに」

「お前」

「は?」

「そして私」

「はい??」

「つまり、私たちという存在そのものが、両親の恋愛感情によって発生した産物だろって言ってんの!!」

「あ…………」

「山口くんがお前に打ち明けた感情も、かつてお前や私の父親が、お前や私の母親に対して抱いていたのと同じものだってことだよ。そんな尊いものをお前はなあ、踏みにじったんだぞ! バカがゆえに!!」


 透子はあっけにとられた。それは何か、とてつもない宇宙の真理を見出したかのごとき表情だった。しかし自らに生じたその感情を否定するかのように、ぶんぶんと首を振った。


「……いや、違うね」

「何が違うんだよ」

「恋愛の結果私たちが生まれたなんてこと、誰も証明できない」

「……ええ?」

「そりゃ確かに私たちが生まれたからには、それなりの行為があったことは確かだろうよ。それは認めよう。しかしそこに愛だの恋だのが介在していたかどうかは誰にもわからない。だって心の中の問題なんだから。もしかしたら、お互いには欲望しかなかったのかもしれない。そうでしょ?」

「なんなんだよお前……聞きづらいけど両親仲悪いのかよ。だったら話変わってくるわ」

「いや別に。先週もふたりで旅行行ってたくらいの仲良しだよ」

「じゃあどうしてそういう発想に至るんだ……」

「そもそもさ、恋愛って気持ち悪いと思わない?」

「どこがだよ」

「だってさ、ほら見てよ。あの人たち」


 そう言って透子は、教室の窓から外を指さした。階下に見える河原の道には、たくさんのカップルたちが行き交っていた。彼らは皆、浴衣や甚兵衛を身に着け、下駄や草履を履き、手にはうちわを携えていた。女性たちは髪を結い、薄い化粧を施していた。


「ああ……あれか。今日確か、花火大会の日だっけ」

「なんていうかさ……こう言っちゃ悪いけど、バカみたいじゃない? あの人たち」

「え?」

「私、この世に存在するカップルって全員バカだと思ってるんだよね」

「相変わらずとんでもない危険思想をお持ちだなお前は」

「見てよ、あんなにひっついて、手なんか握り合って……いい歳した大人のくせに、一人で歩けないのかよって。あんな恥ずかしいことを臆面もなく人前でぶちかますだなんて、私は彼らの神経を疑ってしまうね」


 透子は眉間に皺を寄せ、汚らわしいものを見るような目で彼らを睨んでいた。


「変だよ、人間同士がベタベタくっつき合うなんて。満員電車の何が嫌って、人と人の距離が近いことでしょ? 身体のにおいが伝わってきたり、夏なんかは汗に濡れた肌と肌が触れ合ったりして……あー! 想像しただけで気持ち悪い。なのにどうして恋愛関係になると、むしろくっつくことを求めだすわけ? おかしいよね、そんなの」


 彼女は真剣そのものの表情で、両手をつかって力説する。


「しかも、あの人たち、あまつさえキスとかしちゃったりするんだよ? キスって口づけだよ? 口と口くっつけるんだよ? 汚いよ? 臭いよ? 雑菌すごいよ? 他人が口つけたものを間接的に飲んだり食べるだけでも相当キツいのに、直接だからね? うわー、想像しただけで口の中が気持ち悪い! オエー!!」


 透子は口内の不快感を払拭するため、とっさに香奈の持っていたミルクティーを奪い取り、ゴクゴクと飲み干した。


「ぷはーっ、はー、はー……あっ!! ごめん、飲んじゃった。おいしいねこのミルクティー」


 香奈はミルクティーをいさぎよくあきらめた。


「で、なのにさ、世の中では恋愛ってすごく良いものとして持ち上げられてるじゃん? 歌だってドラマだって、恋愛ものばっかりだし。しかし、一度恋愛感情に陥ってしまった人間は、手つなぎやキッスなどの変態行為に走るようになる……これが何を意味するか?」


 空になったミルクティーのパックをゴミ箱に投げ捨て、透子は宣言した。


「つまり恋愛とは、地球外生命体が人類をたぶらかし侵略するための手段なのである!!」

「はあ……」

「好きとか愛してるとか言った言葉でロマンチックな気持ちにさせて理性の働きを鈍らせ、正常な判断ができない状態に落とし込む! 恋愛感情とは、侵略者による毒電波なのだ!!」

「あっそ」

「その証拠に、私、あいつから告白された時、図らずも胸がキューンとうずいてしまったもの」

「まともな反応してんじゃねえかよ」

「あれは、脳の回路をショートさせる電波を送り込まれたに違いないよ。しかし私は負けない! なぜなら私はオカルトを勉強しているから! こういう事態に対処しうる知識を持っているから! 精神電波にやられてしまったバカどもと私は違うんだ!!」

「私もお前にバカだと思われたいよ。なにより正常なことの証になるんだからな……」


 香奈はあきれ顔で、カバンを持って席から立ち上がった。


「どこ行くの」

「決まってるだろ、その山口くんのところだよ。たぶんまだ学校にいるだろうし。これ以上お前と話してたら発狂しそうだ」

「やめときなよ! 鼻から脳みそ吸い取られるって!!」

「いい加減にしろ。ほらお前も行くんだよ」

「どうして」

「断るにしろ何にしろ、きちんと自分の言葉で伝えろ。それが誠意ってもんだ、お前自分で言っただろうが。お前だけ行かすとどうなるかわからないから私も付いて行く。さっさと来いバカ」


 香奈に首の後ろを思い切り掴まれ、透子は引きずられるように教室を出た。


「あああああまだ死にたくないよおおおおお」


 目指すは一年五組の教室である。床に転がった前理事長像の首も、心なしか微笑んでいるように見えたが、よく見たらそんなことはなかった(銅像の表情が変わるわけないだろう、小説でもあるまいし)。



「……いたいた、あいつ! あいつだよ!!」


 一年五組の教室、中央辺りの席にひとりの男子生徒が座っているのが見えた。どうやらあれが"宇宙人"であるようだった。


「見るからに真面目でおとなしそうだな……こんな奴に惚れさえしなければ真っ当な人生を順風満帆に歩めただろうに」

「どう? そのメガネを通して見たらわかるでしょ? 奴がエイリアンだってこと」

「この5,000円のメガネにそんな特殊効果あるわけないだろ……まあいい。とにかく私がまず行って話をつけてくる。お前絶対ここから逃げるなよ」

「逃げられないよ、こんな荒縄でグルグル巻きにされてるんだから!」

「ああ、そういえばそうだった」


 教室に来る途中、用務員室からロープを借りて透子の身体にしっかりと縛っておいたのを、香奈はつい忘れてしまっていた。手綱は香奈の手に握られている。


「今どき猿回しの猿でもこんな仕打ちはないよ! ひどい! 動物虐待だ!!」

「人間でない自覚はあるんだな……いいか、じっとしてろよ」


 香奈が教室のドアを開ける。思いつめたようにうつむいていた少年が、その音に反応して顔を上げた。

 入ってきた香奈と、ドアの外でじっとこちらをにらみつける透子、両者の姿を確認すると、少年は思わず立ち上がった。


「や、やあ。君が山口くんだね」

「は、は、はい! 山口です」

「私は大槻と言って、その……そこにいる軽尾透子の友人というか、まあ役割としては主治医と思っていただいて差し支えないんだが」

「は、はい」

「昨日は大変だったね。透子から聞いたよ、手紙を渡して……告白までしてくれたそうじゃないか」

「す、す、す、すみませんっ、突然あんなことして」

「いやあ、いいんだよ。きちんと気持ちを伝えてくれて、あいつにもいい薬になっただろうさ」

「香奈、気をつけて! そいつが好きとか愛してるとか言ってきたら耳をふさいで耐えるんだよ!! 告白攻撃後に一瞬のスキができるからそのタイミングで弱点を!!」

「うるさいな!! 黙ってないとミンチにしてこねるぞ!! そして特製デミグラスソースで煮込んでディナーにするぞ!! 家族で囲んで楽しむぞ!!

 ……ああ、失敬。あいつは発作が出てるだけだから気にしないでくれ。それで君は、どういったきっかけで……知ったんだ? 透子を」

「あの、透子さんをですか?」

「ああ」

「ぼ、僕、実はオカルト関係が好きで、文芸部の部誌を毎回読んでて……それで、透子さんのことを知ったんです。面白い記事を書く人だなあって」

「マジか……どんな作品でも発表すればいつかふさわしい誰かに届くって本当なんだな」

「『激白! ピラミッドは私が建造した!!』とか、『消費税増税は卑弥呼の陰謀だった!!』とか、素晴らしかったです」

「おい、聞いたか透子」

「前号の『総力特集! 「人間かと思いきやスーツにびっちり唐揚げが詰まっていた」でおなじみ、唐揚げ本部長の目撃情報が多発中!!』なんて、あまりの感銘に涙が出そうになりました」

「な、なんだよー! 今度は嬉しがらせる攻撃か! 相手をニヤつかせる電磁波による攻撃かこのー!!」

「お前、唐揚げ本部長信じる前にまず恋愛を信じろよ……」

「『驚愕! 108種類もの頭痛を持つ男!!』も僕としては……」

「あ、ああ、もう大丈夫。君がオカルト愛好家なのはよくわかった」

「は、はい、すみません! つい熱くなってしまって……それで、こんな記事を書く軽尾透子さんってどんな方なんだろうと思ったんです。そうしたら偶然、透子さんがあなたといるところをお見かけして」

「私と?」

「ええ、それで……楽しそうにおしゃべりする姿を見て、なんて明るくて素敵な人なんだろうと、その……思ってしまって」

「なるほどね……」


 香奈は腕組みをしてうなずくと、手綱をぐいっと引っ張って透子を引き寄せた。


「いたた! や、やい宇宙人! お前がどこ星の者かは知らないが、香奈に変なことしたら私のよだれを放水ポンプでおみまいするからなー!!」

「おい、透子。ここからは二人でじっくり話し合え」

「なんでよお、同席してよお」

「少しは真剣に自分自身を見つめ直すんだな。言っとくが、この山口くんに変なことしたら私のよだれを高圧放水銃でおみまいするからな」

「ちょっ、ちょっと香奈!」


 香奈は、(上半身が縛られているため、香奈の制服を噛む形で)すがりつく透子を振り払い立ち去った。


「あ、あの……!!」


 二人きりの状況になり、山口はうろたえているようだった。


「ちくしょー、お前さえいなければ……」


 透子は歯をギリギリと噛みしめ、山口を鋭い眼光でにらみつけた。山口はその迫力にひるんだ。


「山口くん、負けるな! 私は君の味方だ! 直接触れる以外だったらどんな手を使ってもいいから、透子の野郎を落としてしまうんだ!!」

「うわあああ、やめろおお、誰が恋愛なんかするもんかああ!!!」


 透子はじたばたともがき、地団太を踏んであがいた。


「と、透子さん……僕は……僕は……!!」

「さあ行け、山口栄太郎! 君は透子の歪み切った精神を浄化してやれる最大の理解者なんだ!!」


 はっぱをかける香奈。意を決したように震える山口。白目を剥き、この世に存在しない言語で奇声をあげる透子。それはまさに地獄絵図であった。


「恋愛なんてバカのやることだ!! 恋愛なんて、恋愛なんて……」


 すると透子の瞳から、大粒の涙がポロポロと流れ落ちた。


「恋愛なんてしたら、大人になってしまうじゃないかあああ!!! 私を大人にしないでくれええええ!!!」

「と、透子……お前」

「彼氏作って青春なんてしちゃったら、まともな女になってしまうじゃないかあああ!!! そうなったらあと私に何が残るって言うんだよおおおおおお!!! もう香奈にツッコんでもらえなくなっちゃうよおおおおおおお」

「透子……」


 泣き叫ぶ透子の姿に、誰もが言葉を失った。

 香奈が、静かに戻ってきた。


「もう……わかったよ。お前にまともな人間の生き方を強要した私が間違っていたのかもしれない」


 透子の縄をほどくと、香奈は山口の方へ向き直った。透子はまだ泣きじゃくっていた。


「山口くん、君の気持ちはありがたいんだが、透子にはまだ早すぎたようなんだ。まず、お友達から初めてもらえるかな。きっと、君と透子ならウマが合うはず」

「はい……あ、あの」

「じゃあ、お騒がせしたね。私たちは帰るから」

「ちょっ、ちょっと待ってください。僕……す、好きなんです」

「あ、ああ、すぐにあきらめきれないのはわかるが、今日のところは……」

「お、大槻さん!! あなたが好きなんです!!」

「はっ!?」


 香奈は突然のことに、三オクターブ高い声を張り上げた。


「ちょっ、ちょちょちょ、君、何言い出してくれちゃってやがりますですか!? あ、あれか!? 透子がダメだったからせめて私でと!? 女なら誰でもいいとそういうわけか、最低だな貴様!! 下半身を原動力として生きやがって!!」

「ち、違います!! 僕が好きなのは元から大槻さん、あなた一人です!!」


 香奈も透子も、ムンクの『叫び』を10倍面白くした表情で固まった。


「もしかして、渡した封筒……読んでいらっしゃらないですか?」

「あ…………」


 二人は無言のまま、いそいそと封筒を開いた。

 中には二枚の手紙が入っていた。そのうち一枚には、こう書かれてあった。


『軽尾透子様

 突然のお手紙失礼いたします。いつもあなたの書く記事を拝読しております。

 つきましては、折り入って頼みがあるのです。僕の一生のお願いです。

 同封した手紙を、あなたといつも一緒にいらっしゃる、メガネをかけた方に渡してはもらえないでしょうか。

 もし叶えてくだされば、先日僕が目撃した未確認生物・「ハイドロプレーニングおじさん」についての情報をすべて提供いたします。どうか、何卒よろしくお願いいたします。

                             一年五組 山口栄太郎』


 そしてもう一枚は、以下のような文面であった。


『メガネの君へ

 突然こんなお便りを出してしまい、驚かれたかと思います。

 しかし僕は、この胸の内にある想いをもう抑えきれないのです。

 軽尾透子さんの隣にいるあなたの姿をお見かけするたび、僕の心は高まります。

 キラキラと、夏の日差しを反射するメガネの光。透子さんの異常な言動に対してあなたが見せる、見事な対応力。口では透子さんを否定しながらも、実は大好きであることが伝わってくるような、明るく楽しげな表情。僕にとって、そのどれもがたまらなく魅力的です。

 あなたのことを考えていると、僕は昼も夜も眠れません。おかげで近頃では幻覚さえ見えてきています。あなたとお付き合いし、愛を交わすことができたらどんなに幸せでしょう。きっと生きたネッシーを捕獲するぐらいの歴史的幸運だと思います。

 もし、僕の想いを受け入れてくださるなら、どうか一年五組の山口栄太郎のところまで来てください。僕はいつまでもあなたを待っています。』


 読み進めるほどに、香奈の全身はガクガクと震え、頬は真っ赤に紅潮していった。


「大槻さん、僕はあなたが好きです!! 僕と付き合ってください!!」

「いやーーーー!!!」


 立っていられなくなった香奈は、両手で顔を抑え、床にしゃがみこんだ。


「い、いき、いきなりそんなこと言われても、こ、心の準備とか全然できてないし、第一き、君とは今日知り合ったばかりだし、つき、付き合うとか、そんなの、無理無理、絶対無理!!」

「お、お願いします!! どうか僕と!!」

「やめてっ!! もうやめてっ!!!」


 いやいやをするように首を振る香奈。その姿を、透子は唖然としながら見ていた。


「か、香奈が、あの香奈がこんなになってしまうなんて……恐るべき宇宙人の告白攻撃……!!」

「透子さん、僕は宇宙人でもなんでもありません! ただのオカルト好きの男子高校生です!」

「えっ!? そうだったの!?」

「当たり前じゃないですか!」

「ってことは……香奈のこの、嫌がってるようで実はまんざらでもない、嬉しいのと恥ずかしいのと困ってるのがないまぜになってるこの感じは……」


 透子の目が、カッと見開かれた。


「これが恋愛か!! 恋愛は実在していたのか!!」

「お前ら……」


 香奈がゆらりと立ち上がった。


「お前ら……お前らみんな、宇宙人だああああああ!!!!!!」


 ……喉の奥から搾り出すように叫ぶやいなや、香奈は脱兎のごとく駆けて教室を飛び出していった。



 それから一ヶ月。

 夏休み明けの文芸部では、部誌の最新号が今まさに完成しようとしていた。

 今回の巻頭特集である『緊急最終報告! 恋愛は実在した!!』は、透子にとって渾身の一作であった。


「いやあ、山口くん。君のおかげでとってもいい記事が書けたよ。どう? あれから香奈とはうまくやってる?」

「はい……その、おかげさまで」

「そうかそうか、そりゃーよかったよ。ガッハッハ」


 山口はその後、特別に認められて文芸部に入部したのだった。

 香奈はあまり山口のことを話そうとしない。しかし、あれ以来心なしか彼女の態度が柔らかくなったような、そんな気が透子はしていた。


「あの、あとやっておきますから」

「そうかい? 悪いねえ。じゃあ、私たちは先にあがらせてもらうよ。香奈によろしくね、ガッハッハ」


 透子と他の部員たちは、ご満悦で部室を後にした。

 日はすっかり暮れていた。既に学校には、山口以外誰も残っていないようだった。

 ひとり残った部室で、山口は無表情のまま静かにたたずんでいた。

 山口の身体が、中心から真っ二つに割れた。

 その中から、とても地球の人間とは思えない、異形の宇宙人がゆっくりと姿を現した。

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