地球を知らない僕と、アームストロング船長のあしあとを見たがってる地球の姫君~後日譚~
こちらは『人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である~地球を知らない僕とアームストロング船長のあしあとを見たがってる地球の姫君~』の後日譚となります。
あらかじめご了承ください。
今日は朝から姫様がそわそわしていらっしゃいます。
それもそのはず、もうすぐ月からゼクト様御一行が地球に降りてこられるからです。
「ねえ、アイナ。この衣装どうかしら?」
「ええ、よくお似合いですよ」
「そう? ちょっと地味じゃなくて?」
「地味すぎるくらいがちょうどいいのです」
「この髪型も変じゃない?」
「大丈夫、いつもの姫様ですよ」
「後ろも大丈夫? はねてない?」
「大丈夫です。綺麗にまとまっております」
何度「よく似合ってる」「大丈夫」と伝えても、姫様は鏡の前から動こうとしません。
それはもう、愛しい殿方を待つ恋人のよう。
「こうしたほうが……」とか「もうちょっとこっちのほうが……」とか。
何度も何度も手直しをされています。
本当に見ていていじらしい。
「姫様。ゼクト様の姫様に対する愛情は髪型がおかしくても変わりませんよ?」
「あ、愛だなんてそんな……! あの方はそんな目でわたくしを見ておりません。わたくしはただ失礼がないようにと……」
「はいはい」
何度かお会いしているゼクト様のお気持ちは確かなはずですのに、肝心の姫様がこれでは……。
月での出会いから10年。
少しは進展してほしいのですが……。
姫様が鏡の前で「うーうー」うなっていると、係官がやって参りました。
「姫様、ゼクト様御一行の乗ったシャトルが間もなくご到着されます」
その一言でビクッと緊張なさる姫様。
私は冗談めかして言いました。
「さあ姫様。愛しい恋人のご到着ですよ? お迎えに参りましょう」
「ア、アイナ……! あなた何を言って……!」
「あれ? 違うのですか?」
「違います! 私は別にあの方とはそんな関係ではありません!」
「でも以前、地球に降りられた際、お二人でどこかに行ってしまわれましたよね?」
もちろん、SPともども隠れて後をつけさせていただきましたけれども。
「そ、それはあの方がそう望むから……」
「姫様もそう望んでいたのではないですか?」
「もう、アイナ!」
顔を赤く染めながらそっぽを向く姫様が可愛らしくて、ついついギュッと抱き締めてしまいました。
「冗談です、姫様。許してください。でもそんなに緊張してらっしゃると、相手も緊張してしまいますよ?」
その言葉に姫様は機嫌をなおして私の背中にそっと手を回し「そうね」と頷かれました。
シャトルの発着場にはすでにたくさんの人だかりができておりました。
みなさん、月の代表ゼクト様を一目見ようと世界各地から集まっております。
こうして月と地球の友好な関係を築いたのは姫様とゼクト様。
お二人がいなければこうした交流も生まれなかったことでしょう。
そうこうするうちにゼクト様が乗っていらっしゃるシャトルが滑走路に降り立ちました。
私たちはその滑走路の脇に立ってシャトルから降りて来られるゼクト様を待っています。
姫様の緊張する姿が私にもひしひしと伝わってきます。
どうもそわそわと落ち着きがないご様子。
出来ればもう少しお姫様らしく毅然としていただきたいのですが……。
そんな私の思いとは関係なしにシャトルは無事に着陸し、扉が開きました。
中から背の高いスラッとした男性が出て参りました。
「ゼクト様……」
私の隣で姫様が「はぅぅ」と吐息をついています。
私でさえ息をのむほどの美丈夫になられておいででした。
ゼクト様はこちらを一瞥すると、姫様を見て微笑みながら手を振りました。
「はう!」
思わず倒れそうになる姫様を慌てて支えます。
「ほら、姫様しっかり。手を振りかえしてください」
「え、ええ」
ぎこちない動きで手を振りかえすと、ゼクト様は満足そうにうなずき、地球からの声援に応えんとばかりに四方八方に手を振りました。
割れんばかりの声援。そして拍手。
ゼクト様は特に若い女性に人気のご様子でした。
姫様、ライバルは多いですよ?
ゼクト様はタラップを降り、まっすぐ姫様のもとへとやって参りました。
「やあ、ナーシャ。久しぶり」
「ゼクト様」
倒れそうになる姫様を支えつつ、軽くハグを交わす二人。
「この度はお招きいただきありがとうございます、姫」
「お越しいただき、光栄です」
形式的なあいさつを済ませ、場所を移すことになりました。
さあ、ここからです姫様。
地球の代表、月の代表としての交流。
ここからが肝心なのですから。
割れんばかりの声援の中、姫様はゼクト様を連れて滑走路を後にしました。
※
「無理無理無理無理!」
ひとまずゼクト様御一行をお屋敷のゲストルームにお通しし休息をとっていただいている間、私と姫様は控室で今後の展開について話し合っていました。
「無理ではないでしょう? 以前は自然に会話をしていたではないですか」
「以前とはまったく違うのです! うまく言えないのですが……ゼクト様を前にすると、頭の中が真っ白になってしまうのです」
それは恋というものですよ、姫様。
ですが当のご本人はお認めにならないご様子。
今回もゼクト様のご要望通り、二人きりで地球の自然をめぐる観光ツアーを計画していたのですが、姫様のほうが尻込みをしておられました。
「大丈夫です。ゼクト様がきっとリードしてくださいますよ」
「いいえ、それはダメ。今回はこちらが招いている立場なのですから。こちらがリードしなければ」
「会話に困るというのであれば、地球を案内しながら近況を報告してみるというのは?」
「……近況? なんて?」
「いつもあなたのことを考えておりますとかなんとか」
ボンッと姫様の顔から火が出るのがわかりました。
「ア、ア、アイナ!? あなた何をおっしゃっているの!?」
「隠しても無駄ですよ。好きなのでしょう?」
「だからと言って、いきなりそんなこと言えるわけないじゃない!」
「あ。否定はしないんですね」
「アイナ~!」
危うく首を絞められるところで、係員が姫様を呼びに参りました。
「失礼します。ナーシャ様、そろそろお時間でございます」
「はい、今参ります」
スッとお姫様モードになるナーシャ様。
これが姫様のすごいところです。
十代の頃から多くの要人相手に一歩も引けを取らなかったのは、この毅然とした態度がいつも崩れないからです。
ただ、ゼクト様を前にするとこのお姫様モードも乙女モードへと変わるのが難点といえば難点なのですが。
ゲストルームへと入ると、ゼクト様は嬉しそうに姫様を出迎えました。
「ナーシャ、待ってたよ!」
「ゼクト様、お待たせして申し訳ございません」
「今日はすごく楽しみにしてたんだ!」
「う……。わ、わたくしもです……」
ナーシャ様のお姫様モードが早くも崩れかかっています。
さすがはゼクト様。
姫様が倒れないか心配です。
「今日ももちろんナーシャが案内してくれるんだよね?」
「……」
「ナーシャ?」
「え、あ、は、はい! もちろんです! プランはばっちり練りました!」
肝心の姫様の方がばっちりではないですが。
「すごく楽しみだよ」
「はい、きっと楽しんでいただけると思います」
姫様が不安そうにこちらを一瞥した後、
「では行ってまいります」
とゼクト様を連れてゲストルームを出て行かれました。
姫様、大丈夫です。
陰ながら私もついていきますから。
どうしようもない時はお助けにあがります。
姫様が出て行かれたあと、屋敷中のSPとともに私もあとをついて行きました。
※
一言で言えば、姫様の地球観光プランは完璧でした。
主に月にはない自然をめぐる旅。
旅、といっても、それほど遠くへは行けないので近場をぐるりとまわるだけなのですが、それでも月コロニー出身のゼクト様は目を輝かせながらすべてを見回していました。
「すごい! 花ってこんなにたくさん咲くんだ!」
「水! 水が流れてる! 川? 自然に水が流れて来るの!?」
「うわあ、すごいすごい! 地面に足跡ができてる!」
一つ一つに感動しながらゼクト様は子どものように大はしゃぎ。
姫様はそんなゼクト様を微笑ましい表情で眺めておいででした。
よかった、そんなに気に病む必要はなかったかもしれません。
「ナーシャ! 地球ってほんと素晴らしいよ! 空気はおいしいし、太陽はあたたかいし、空は青くて綺麗だし」
「月も素敵ですわ。地球にはないものばかり。今度はゼクト様がわたくしを月に案内する番ですからね」
「うん、わかってる」
お二人はそのまま海が見える海岸へと足をお運びになりました。
「ナーシャ!? なにこれ!?」
「これが海ですわ」
「海!? これが海なの!?」
走りながら海に駆け寄るゼクト様。
けれども打ち寄せる波に驚いて行ったり来たりを繰り返しておられました。
「なにこれ!? なにこれ!? 水が押したり引いたりしてる!」
「これは波と呼ばれるものです。あまり近寄らないでくださいまし。近づきすぎると水の中にひきずり込まれてしまいますわ」
「ほんとに!?」
ゼクト様は「ひゃあ」と肩をすくめて姫様の元に駆け寄りました。
そのお姿に姫様がクスクスと笑っておられます。
いたずら心が出てしまわれましたね、姫様。
ゼクト様はそれでも他にも目もくれずジッと海を眺めておられました。
そのかたわらに姫様がそっと近づいて行きます。
打ち寄せる波を眺めながら寄り添う二人。
はあ、まるで美しい絵画を見ているようです。
気が付けばSPの方たちも、浜辺にたたずむお二人のお姿をカメラに納めておいででした。
「ねえナーシャ」
海を眺めながら物思いにふけるようにつぶやくゼクト様。
ここぞとばかりに耳をそばだてます。
「は、はい……?」
「実はね、今日は君に伝えたいことがあったんだ」
「……な、なんでございましょう?」
いつもと雰囲気の違う声色に緊張した面持ちで返事をする姫様。
何? 何? 何をおっしゃるの?
物陰に隠れながら唾を飲みこみます。
ゼクト様はゆっくりと姫様に視線を向けて、静かな口調でおっしゃいました。
「今だから言えるんだけどさ。僕、毎日毎晩、地球を眺めながら君のことを想ってたんだ」
「……ゼクト様」
「君は今何してるんだろうとか。どこにいるんだろうとか。地球を眺めながらいつも君の姿を探してた」
「そ、それはわたくしも同じです。毎晩、月を眺めながらゼクト様のことを考えておりました」
「本当?」
「……はい、本当です」
「嬉しいよ、ナーシャ」
「ゼクト様……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「ナーシャ……僕は君のことがすごくすごく…………」
瞬間、ザザァ、と大きな波の音がゼクト様の声をかき消しました。
波ーーーーー!!!!!
おい、波ーーーーーー!!!!
何!?
なんておっしゃいましたの!?
ゼクト様は姫様になんておっしゃいましたの!?
直後に崩れ落ちる姫様。
そしてそんな姫様を支えるゼクト様。
姫様の目には大粒の涙が見えました。
私には聞き取れませんでしたけど、これはもしかして、もしかする急展開!?
案の定、お二人は見つめ合ったまま動こうとしません。
そしてゼクト様の腕に抱かれた姫様がそっと目をつむりました。
そんな姫様にゼクト様がゆっくりと顔を近づけて……。
「撤収~~~!!!!!」
思わず大きな声で叫んでしまいました。
これ以上は私含め、SPの方たちにはお見せできません!
この場にいる全員に「撤収」の合図をかけさせていただきました。
当然のことながら姫様とゼクト様が驚いてこちらを振り向いております。
「ア、アイナッ!?」
慌てたようにパッと離れるお二人。
あらあら。
そのままでもようございましたのに。
「い、いつからいたのッ!?」
「ずっとです。前回も前々回も前々々回も陰から隠れて見てました」
「ちょっと待って!? 初耳なんだけど!?」
「それは言ってませんでしたから」
「アイナーーー!!!!」
姫様の叫びが浜辺に響き渡りました。
その隣では苦笑しているゼクト様。
うんうん、ゼクト様にはもしかしたらすべてお見通しだったのかもしれませんね。
私はぺこりとお辞儀をしてすぐにこの場から退散させていただきました。
どうやらもう私が隠れて見守る必要はないようです。
だって、姫様のことが心配でいつも見守っておりましたけれど、今ではその姫様のお手をゼクト様がしっかりと握っておいでだったのですから。
お読みいただきありがとうございました!
二人に幸あれ。