②
憂鬱な気持ちを抱えたまま、会社に向かう月曜日。
鞄のポケットの中にはスマホ。
──着信、十数件。
メッセージも吹き込まれてたし、ショートメールも入ってた。
メッセージは聞かずに消した。
メールは予め表示されてしまう部分だけ見て、仕事の話ではないことを確認してから消した。
……なんだか上手くいかない。
これで煩わしい事が終わると思ってたのに。なんでこんな煩わしい事になっているんだろう。
課長の左手薬指には、銀色のリング。
「これはカモフラージュなんだ、色々面倒だからね」なんて言っていたけど、信じちゃいない。
調べればわかることだが、必要ない。それが真実だったところで、この先など考えられないのだから。
あの夜は互いに人肌が恋しかったのだろう。それで構わないと思う。
事実など、それで充分だ。
「!」
仕事が終わると課長が待っていて、私はたじろいだ。
「お疲れ様」
「お疲れ様……です」
今週は忙しい筈だから大丈夫だと思っていた。
そして週を跨いでしまえばきっと、どうでもよくなると。
──目立つのは得策じゃない。
ただでさえ、仕事が正しく流れたことをよく思ってない馬鹿がいるのだ。
課長もそれを気にしているのか、居酒屋やレストランではなく、会社近くの喫茶店に入った。
個人経営の店で、社内でも退職などの個人的な相談の際割と使用する。一席一席が程よくあいており、木材のパーテーションで仕切られている。会社が多い場所柄故だろう。
ここなら私がサビ残を請け負っていた事実からも、軽い注意と思われるくらいで不思議に思う人間はいない。
課長のそつのなさに何故か若干の苛つきを覚えながらも、促されるまま後に従う。
「金曜日……どうしてついてきた? 嫌なら断れば良かったじゃないか」
ブレンドをふたつ頼むと、前置きなしで彼はそう言った。口調は静かなまま。
「さぁ……自分でもよくわかりません」
それが正直な答えだ。
「酔っていたのか」と聞かれないのは、然して飲んでいなかったからだろう。
生憎、顔には出ないがすぐ酔う、みたいな器用な体質でもない。
あの夜課長と私は、なんとなく波長が合った。
苦手だと思っていた『本社のエリート』臭のする課長だが、スーツの上を脱いでネクタイを外すとただの年上男性に見えた。
「ネクタイは仕事の時しかしないから」
字面だけみるとなんだか素敵な口説き文句のようだが……実際のところはそこに『口説こう』みたいな色はなく、ただ寛ぎたいだけの様子だった。
失礼な言い方をするならば、ただの疲れたサラリーマン。当然ときめきなどはない。
……そこにガードが緩くなったのは事実だ。
ときめきは感じなかったが、なんとなく安心感があった。
波長が合った。
そうとしか言いようがない。
話も盛り上がらなかった、というか然したる話もしていない。
ぽつり、ぽつりと互いにどうでも良いような事を言って、少し笑う。そんな感じだった。
「沈黙が気にならなかったから、かも……しれません」
理由をつけるなら、そんなところだろうか。
暫く黙って、ゆっくりとブレンドを飲み干した後で課長は、金曜日と同じ台詞を言った。
「……ウチで話さないか」
『嫌なら忘れて』と金曜日は続いたけれど今回は続かず、かわりに有無を言わさない圧が感じられた。
──ガタン、ゴトン
いつもの様に電車は走っている。
妙に冷めた気持ちでその音を聞いていた。
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