勝負
6
私にビリヤードで勝とうなんて、いい度胸だね。その度胸だけは買ってあげる。
隆人に、ビリヤードで勝負しようと呼び出された。
地元の駅の少し離れた雑居ビルの2階に、古いビリヤード場がある。そこは、私が高校時代に入り浸っていた場所だった。ここに来るのは何年ぶりだろう?むしろ、まだ営業してたんだ。その事に少し驚いた。
店の中に入ると、エプロンをつけたおじいさんがいた。店長……?おじさんだった店長が、おじいさんになっていた。
それほど、10年という時間の月日の長さを感じた。私はなんだか、玉手箱を開けたみたいな気分になった。
「瑠璃……?瑠璃か?久しぶりだなぁ~!」
「店長!お久しぶりです。ここ、全然変わらないですね~」
「まぁな。変わらないだけが取り柄だ。」
カコーンと球を打つ音、球がポケットに入る音、グリーンのマットに、白い球。久しぶりにキューに触れた。
「タカ、お前も久しぶりだな。」
「え?隆人もここ常連?」
「え?ああ、まぁ……。」
何故か隆人は空返事だった。受付を済ませた後、キューを選んでいる隆人に一応言っておいた。
「言っとくけど、実家が近いからって寄らないからね?」
「そう警戒しないでよ。あの時は瑠璃の母さんに頼まれただけ。今日は、真剣勝負。」
それならいいけど……。
隆人にはいつも裏がありそうで、警戒を怠れない。
「ブレイクやりたい?」
そう訊かれて、思わず食い気味で答えた。
「やりたい!」
「どうしよっかな~じゃんけん、ポン!」
「え?あ、ちょっ!」
とっさのじゃんけんに対応できなくて後出しで勝ってしまった。
「じゃ仕方がない。ブレイクショットをどうぞ。」
「どうせ譲ってくれるなら、じゃんけんしなくても良くない?」
「良くない。お互い納得できる方がいいっしょ?」
え?それで納得行くの?
全然感覚が取り戻せないけど、とりあえず1番ボールめがけてショットを打った。すると、打った球は左サイドにずれて、7番ボールをかすっただけで、全然崩せなかった。
「嘘…………。」
「おいおい、最初の自信はどこ行った~?」
ショットの力が弱くなってる……。
10年のブランクの重さをひしひしと感じた。
学生時代は、プロを目指そうかと思うほど、ビリヤードにハマった。色々忘れていたけど、ブリッジを組む手の形だけはまだ覚えていた。
ビリヤードは、初恋の人が教えてくれた。初恋の人は、塾の先生だった。
あの時、恋愛なんかにうつつを抜かしてないで、ちゃんと勉強していたら……今の自分にはもっと別の未来があったかのな?と、たまに思う事もある。
いや、勉強不足を他人のせいにしちゃいけない。大学に行かないって決めたのは私だ。
キューにチョークを塗りながら、隆人がこんな提案をしてきた。
「このゲームで、買った方が何でも言う事聞くってのはどう?」
「それ、賭けにならないよ?」
だって、当然私が勝つし。それでも、隆人はやってみなきゃわからないと言って意気込んでいた。
でも、あまりやったことがないようで、フォームはガタガタ。全然ダメ。
結局、普通に私が勝った。
「じゃあ、何でも言う事聞きますよ。姫。何なりとお申し付け下さい。」
「何がいいかな~?」
「何?何でもいいよ。」
何だか嬉しそう?隆人はMなの?
隆人は何故か嬉しそうな顔をしていた。
「うーん、別に隆人に言う事聞いて欲しい事なんてないよ。」
「え?何でもいいんだよ?バッグ買って~とか、どっか連れて行け~とか、何か上手い物奢れ~とか」
7つも年下の学生さんに、そんな要求できないよ。
「じゃあ…………もう1ゲーム対戦して。」
「そっちか!!」
「また賭けてもいいよ?まぁ、多分次も私が勝つと思うけど。」
今度も、当然私が勝つ。と、思ったら………………
さっきとはまるで様子が違う。フォームも驚くほど綺麗になって、スタンスも違う。隆人の打つ球は、吸い込まれるようにポケットに入って行った。私はろくに打たせてもらえないまま、ゲームは進んだ。
実力は、一目瞭然だった。
「あれ?どうしたの?瑠璃、調子悪い?」
隆人は意地の悪い顔をして声を抑えて笑った。
白々しい!!ムカつく!!何が真剣勝負だよ!
やっぱり、さっきは手を抜いてたんだ……。さっきはわざと負けた?
悔しかった。手を抜かれた事に、心底悔しかった。
結局、まさかの逆転負け。
負けた!?隆人に負けた!?あり得ない!!
ショックで呆然とした。
「あんまりやったことないとか嘘だよね?」
「そんな事言ったっけ?」
隆人はもっと嬉しそうな顔をして、私の目の前に寄って来た。
「それじゃあ、言う事聞いてもらおうかな~?」
「何?何なの!?怖っ!不吉!嫌な予感しかしない。」
心して聞いた隆人が言った事が…………あまりに意外だった。
「俺の事、好きになってよ。」
「は?別に普通に好きだけど?」
「いや、もっと。」
もっと?…………もっと?
「……申し訳ございません。追加受注は受け付けておりません。」
「そんなに丁寧に断る!?」
「え、だって…………」
そんな事を話していると、ビリヤード場に1人の女の子がやって来た。雑居ビルには似つかわしくない、綺麗な可愛らしい子だった。
「隆人来てます?」
「ああ、タカなら……」
どうやら、隆人の知り合いのようだった。
「知り合い?」
「ああ、同じ大学の……」
その女の子は隆人の姿を見つけると、隆人に駆け寄って来た。
「隆人、どうして電話に出てくれないの?」
「由奈……どうしてここに?」
「この人は?誰?お姉さん?」
女の子は私を見て言った。そうだよね。そりゃお姉さんに見えるよね。
「姉の瑠璃です。そちらは彼女?」
私がそう自己紹介すると、何故か隆人は焦っていた。
「え?いや、違っ……」
「え?違うの?」
「違うだろ!」
そこに、電話がかかって来た。
携帯の画面を見てみると………………吉高さんだった。
「ちょっと電話してくる!」
私は外に出て、少し気持ちを落ち着かせてから、その電話に出た。
「もしもし?吉高さん?」
「………………。」
何も聞こえない。おかしいな?携帯を耳から外すと、携帯から吉高さんの声が聞こえた。
「もしもし?瑠璃?」
電波が悪かった?もう一度、携帯に耳を当てた。
「………………。」
「吉高さん、聞こえますか?」
おかしい。携帯の調子が悪い?もう一度携帯の画面を見てみた。通話中の画面だった。
「瑠璃?こっちは聞こえるぞ?どうした?」
携帯からは、間違いなく、吉高さんの声がしていた。
何かがおかしい。私は、右耳から左耳に携帯を移して、もう一度電話に出た。
「もしもし?」
「瑠璃、今、大丈夫か?」
「…………はい。」
何となく、何がおかしいのか理解できた。
「瑠璃、病院行ったか?」
確かあの時も、右耳だった。
「…………はい。」
「どうだった?」
私は多分、今、右耳が聞こえないんだ。
「特に、問題はないです。」
問題はない。何の問題もない。
「そうか。それなら良かった。休みの日に悪かったな。」
別に、右耳が聞こえないからって、死ぬわけじゃない。
「…………ごめんなさい。」
「瑠璃?」
「あの、ちょっと、今から急ぐので失礼します。」
そう言って電話を切った。
それから、ビリヤード場に戻り、荷物を持って急いで耳鼻科へ向かった。土曜にやっている、ここから一番近い場所で、診てくれそうな耳鼻科を検索した。
電話で症状を伝えると、予約いっぱいの所をなんとかねじ込んでもらい、その日の午前中の診察にギリギリ間に合った。
「耳の閉塞感や、耳鳴りはありましたか?」
「閉塞感……?少し前に、朝起きた時に水が入った感じと……耳鳴りもありました。」
診断結果は、原因不明の突発性難聴。
一時的なものか継続的なものかはわからない。ストレスや疲労から来る場合もあると医師に言われた。
ストレス?ストレスって何?何をどうすればいいの?
診察が終わり、最寄り駅まで向かって歩いていると、隆人から電話がかかって来た。
「もしもし?」
「………………。」
「え?何?」
あ、そうか……。右耳は聞こえないんだった。携帯を左手に持ち変えて、電話に出た。
「どうして急に帰ったんだよ?」
用事を思い出したと言えば、用事とは何か訊かれる。ボロが出るより、逆に正直に言った方が誤魔化せそうな気がした。
「別に?賭けに負けて、言う事ききたくなくて、逃げただけ。」
「さっきの電話の相手は?誰?吉高?」
だから?だから何?吉高さんで何が悪いの?何だか無性に腹が立った。
「だから何?!隆人、もう二度と電話して来ないで。」
そう言って、電話を切った。