全然しない
5
梨理がいなくなって、わかった事が沢山ある。
その中の一つに、隆人の伝言係だった。
『梨理じゃなくてごめんなさい。』
私の言葉に、隆人は困っていた。
「そればっかりは……何て伝えればいいかわからないよ。」
別に、何も伝えてくれなくていいのに……。
どうやら梨理の生前、さらにもっと前から、隆人は伝言係をやっていたらしい。母に言いにくい事を、梨理から聞いて、それとなく母に伝えていた。
終電を乗り逃したという名目で、本当は母の伝言が目的でここに来ていた。やってる事がまるでスパイじゃん。
「まぁ、顔を合わすと余計な事言ったり、電話だと伝わらなかったりあるからさ、第三者がそれとなく伝えた方がいい事もあるんだよ。」
隆人は昔から、私達家族の橋渡しをしてくれていたんだ。
その事に、初めて気がついた。
「気にしないでよ。これは俺の使命みたいなもんだから。」
そう言って隆人はその日、空になった肉じゃがのタッパーを持って帰って行った。
それから数日後、朝から右側が何故かボヤーっと音が鳴るような感じがした。顔を洗った時に耳に水が入ったのかな?まぁ、いいや。そんな事は言ってられない。仕事に行かなきゃ。
今度の派遣先は、前に行った事のある会社。
それは、吉高さんのいる会社だ。
嬉しいのかどうか、複雑な気持ちになった。
あの日から、一度も会っていない。あの後に顔を合わせるのは、少し気まずい気がする。
会社の入っているビルのエントランスに入ると、誰かから声をかけられた。
「瑠璃!」
「え?どこ?」
どこから呼ばれているのか全然わからなかった。
「上!」
上を見上げると、エントランスの中2階のカフェに、コーヒーのカップを持った吉高さんの姿があった。
「ああ、吉高さん。おはようございます。」
すぐに吉高さんは降りて来て言った。
「大丈夫か?顔色悪いぞ?」
「え?あぁ、すみません。今朝から耳が少し変で……ずっと耳に水が入っていて取れないんですよ。」
私は頭を横に何度か振ってみた。
「何度こうしても取れないんですよ。」
「耳鼻科に行け。」
「え?大袈裟ですよ。こんなの放っておけば治ります。」
こんな事で心配かけてる私って……格好悪い。
きっと、普通の大人の女の人ってもっとこう、スマートな……
「瑠璃ーーーーー!!」
スマートな……
「早坂さん、おはようご……」
「また一緒に働けるんだね~!嬉しい~!え!チョ~嬉し~!」
後方から、オフィスに似つかわしくない勢いでやって来たのは、社員の早坂さん。早坂さんはテンションのだだ高い女の人で……
「今回もよろしくお願いします。」
「こちらこそ~!」
そう言って早坂さんは私に抱きついた。
すると、突然耳鳴りがした。
「ん?今度は耳鳴りだ。たまにキーンって聞こえる時ありますよね~」
「何?どうしたの?」
首を横に何度も倒していると、吉高さんが答えてくれた。
「耳に水が入ったんだと。」
それを聞いた早坂さんはまた抱きついてきた。
「いや~ん!やだ~!かわいい~!」
いやいや、かわいいって……早坂さんの方が2つ年下っすよ。
「瑠璃、病院、ちゃんと行けよ。」
「言われなくても行くよね~?吉高なんかの側にいたら、辛気くさい空気が感染るよ?行こ行こ!」
「悪かったな。辛気くさくて。」
10歳近く年上の吉高さんを、辛気くさい扱いできるのは、一通り周りを見渡してもここでは早坂さんだけだろう……。
それから何度か吉高さんをみかけたけど、話かけるチャンスも度胸も無かった。
すると、昼休み………………
お昼ご飯はゼリー飲料で済ませ、イヤホンで音楽を聞いていると、吉高さんがやって来て私の肩を叩いた。
「外、食べに行こう。」
私は慌ててイヤホンを取り、空のゼリーのパウチを振ってみせた。
「あ、お昼、もう済ませました。」
それを見た吉高さんは、無理やり腕を掴んで私を外へ連れ出した。
「じゃあ、少し付き合え。」
「え?ええ?どこに?」
吉高さんは、会社近くの洋食屋さんの列に並んだ。
こうして見ると、昔に戻ったみたいだった。
ここに並んでいると、梨理が合流して……三人でランチをした事もあった。
「だから、その顔やめろって。」
「え?……えっと、あの……」
どう返していいかわからなかった。
「やっぱり見えない所でメンチ切ってるのバレました?」
「そんなの嘘だろ。そんなくだらない嘘が出てくるのは相変わらずだな。」
「そりゃつきますよ。嘘ぐらい。私の事何だと思ってるんですか?」
そんなの、答えを聞かなくてもわかってる。
私は吉高さんにとって私は、義理の妹。
気づいてますよね?わかってますよね?
私は嘘つきで、狡猾で、卑怯で、何もできない、無能な人間だって事。
だから私は、あなたを諦められないんですよ?
気づくと、いつの間にか耳鳴りは止んでいた。
列が少しづつ進んで、ようやくお店の前の椅子に座れた。私がイヤホンを片付けようとすると、吉高さんが珍しく訊いてきた。
「音楽、いつも何聞いてるんだ?」
「…………色々です。」
「色々って……まぁ、最近の曲は全然わからんから、曲目聞いてもわからんと思うが……。」
私は、片方のイヤホンを吉高さんに渡した。
「聞いてみます?」
すると、吉高さんは意外にもそのイヤホンを受け取った。受け取って、イヤホンを耳につけた。
私は自分もイヤホンをつけて、再生を押した。
「あれ?」
押したのに、反応しなかった。音量を上げた。
「でかい!でかい!音でかすぎ!鼓膜ぶっ壊すつもりか?」
「え!?」
吉高さんは驚いてイヤホンを外した。
「あ、あれ?こっちは聞こえない。すみません!イヤホン壊れてるみたいで。」
「………………。」
何故か、吉高さんは黙って急に立ち上がった。
「病院に行くぞ!」
「今からですか!?今、どこもお昼休みでやってないですよ?」
すると、店員さんが案内をしてくれた。
「次の方どうぞ~!」
「あ、吉高さん、順番来ましたよ!」
私は先にお店に入って行った。
「飯なんか食ってる場合か!?」
「食べてる場合です。私、コブサラダとミニオムライスが食べたいです。」
私がそう言うと、吉高さんはため息をついて、重い足取りでお店に入って来た。
このお店の古い内装も久しぶりだった。壁紙が少し剥がれてる所も変わってない。懐かしい。ここは小さな店だけど、味は抜群だった。
「Aランチ。」
「私は、ミニオムライスとサラダBセットを。」
それぞれ注文をして、料理が来るのを待った。
「あの、この前は……ごめんなさい。」
「え?ああ、あれは………………本当の事だから……。別に、瑠璃が気にする事じゃない。」
「気にしますよ。だって、私が吉高さんに言われても仕方がない言葉ですから。」
私が言った『梨理が死んだのはあんたのせいだ。』それは、私にも当てはまる。
吉高さんは持ちあげようとしていたお水のグラスを、そのまま置いて言った。
「瑠璃のせいじゃない。誰のせいでもない。」
「それを、どうやって証明したらいいんでしょうか?」
「それは…………何を誰に証明しようとしてるんだ?」
私がしばらく黙っていると、ちょうどそこに料理が運ばれて来た。
「お待たせしました~!Aランチと、ミニオムライスサラダセットです。こちら、鉄板がお熱くなっております。お気をつけてお召し上がりください。」
私は吉高さんにナイフとフォークを手渡して言った。
「多分…………自分のせいじゃない事を、誰のせいでもない事を、自分自身に?とかじゃないですか?」
吉高さんの注文したハンバーグのジュージュー焼ける音がしていた。それが少しづつ、小さくなっていくのがわかった。
「これ以上この話はやめましょう。せっかくの料理が冷めます。」
私は大きな口でオムライスを食べ始めた。味なんか、少しもわからなかった。
あの時の、あの美味しかったランチ。
あの懐かしい味が………………全然しなかった。