滲みる
2
強い風が桜の花びらを運んで、私の身にその花びらを打ち付けた。その無数の花びらは、私の体に張りついて落ちない。やがて、その花びらがついた所から、肌が熱く爛れていくようだった。
桜が滲みる。
痛くなんかない。本当は…………全然、痛くなんかない。
後悔してる。あんな事、言うんじゃなかった。あんな事、言うつもりじゃなかったのに…………
『梨理が死んだのはあんたのせいだ!!』
そう、吉高さんに言ってしまった。
だって……
あれは、梨理が事故に遭う1週間くらい前、梨理は泣きながら帰って来た。
ドアの開く音が聞こえたと思えば、梨理は黙って部屋に入って来た。
珍しい……。そのいつもとは異なる梨理の様子に不安を感じた。
いつもはテンション高々と「ただいま~!」と言って帰って来るのに……。明らかに、いつもとは様子が違っていた。
私の顔を見ると、梨理は慌てて涙を拭いた。
梨理が泣くのはあまりにも珍しい事だった。最後に見た記憶があるのは…………多分小学生の時以来?
これにはさすがの私も、いつものノリで「どうしたの~?」とは聞けない雰囲気だった。
そう思い、何も言えず黙っていた。
少し空いた窓の隙間から冷たい風が吹いていた。しばらく、風になびくカーテンの音だけが聞こえた。
時が止まったように、静かだった。
しばらくすると、少し部屋が冷えて来た。私は窓を閉めて、暖かいカフェオレを入れ始めた。
梨理は、立ち尽くしたまま泣き続けた。
私は、黙って窓から外を眺めて立ち尽くす梨理に、何も言わずカフェオレの入った暖かいマグカップを差し出した。梨理それを黙ったまま、そっと両手で受け取った。
マグカップからはまだ、湯気が出ていた。
桜の季節は意外と寒い。
「今日は冷えるね。」
「花冷えって言うんだよね。」
梨理はそれを聞くと、突然窓を開けた。
え……ちょっと待って?そのまま飛び降りる気じゃないでしょうね?
そんな私の心配を他所に、ベランダに足を放り出して窓辺に座った。
なんだ……。びっくりした。そうだよね。梨理に限って、そんな事あるわけ無いよね。
梨理は両手でマグカップを包み込むと、カフェオレを一口飲んだ。そして、ポツリと言った。
「……あったかい。」
私は梨理の様子に我慢しきれず、梨理に訊いた。
「…………何かあった?」
すると、梨理は下を向いて、小さな声で答えた。
「礼於の事、怒らせちゃった……。」
「なんだ。彼氏と喧嘩か。」
どうせそんな事だろうと思った。梨理が仕事で凹んで帰って来る事なんか一度も無かった。まぁ、彼氏と喧嘩して帰って来る事も一度も無かったけど。
「あ、でも私が悪い。それはわかってるんだけど……わかってはいるんだけど……。」
わかってるんじゃん。
すると梨理は、私に隣に座るように言った。私は梨理のそんな珍しい姿に、言われるまま隣に座った。
そこは、今日みたいに床が冷たかった。
すると、梨理は私が肩にかけていたイヤホンの片方を、自分に貸すように催促してきた。仕方なく、片方を外して渡すと、梨理は自分の耳にイヤホンを着けた。
まったく、甘え上手なクセに彼氏と喧嘩って……何やらかしたワケ?
「こうゆうの、姉妹じゃなくて、恋人とやりたいんですけど?」
「あははははは!残念!」
それでも、梨理は笑っていた。
「こうしてると、二人だけの惑星にいるみたいじゃない?」
「気持ち悪っ……。」
「だって、隼人がね、僕だけの惑星に住みたいって言ってたの。でも、こうして片方ずつ、同じ音楽を聞いてると、二人だけの惑星みたいだな~って思ったの。」
私はため息をついた。
なんとなく、喧嘩の理由がわかった。
結局、その「隼人が……」って言う所が喧嘩の理由なんじゃないの?
昔から梨理は幼なじみの隼人の事が忘れられない。隼人には何度も振られているのに、結局いつも隼人の事を気にしている。
今の彼氏と婚約してからは、アイドルの追っかけみたいなものだと割り切ってたつもりみたいだけど……端から見れば、普通にただの浮気。無自覚はさらにタチが悪い。
「じゃあ、何?ここは二人しかいない惑星?それは吉高とじゃなくて、隼人とがいいわけ?」
この期に及んでまだ隼人?私が彼氏でも呆れるよ。
「そうじゃないよ!そうじゃないけど……」
私の予想は、全くのハズレ。という訳ではなかった。
「思わず…………隼人の事、一生忘れられないと思うって…………言っちゃったの。」
「はぁ!?…………バカじゃないの?」
そんなの、吉高さんが怒るのも無理もない。
「でも、だって、礼於だってわかってくれてると思ってた。だから……」
「あのさ、本物のアイドルならまだしも、隼人は一般人なんだよ?吉高さんの気持ちを考えたら、そんなの言っちゃいけない事だってわかるでしょ!?」
隼人が俳優や声優、タレント、そうゆう職業で、ファンとしての好意ならまだマシだった。でも、隼人はごく普通の一般人だ。
「…………。」
それ以上、梨理は何も言えずに黙ってしまった。あの梨理が黙るなんて……今までにないくらい、相当ヘコんでいる様子だった。
梨理が暗いのは何だかうっとおしい。
適当にフォローしておこう。
「まぁ、でも…………隼人の事、小学生の頃から好きだったのは知ってるし……。」
「…………。」
全然フォローにならなかった。私、こうゆう時、下手くそなんだよね。
私の下手なフォローに、梨理は黙っていた。
「別に……ちゃんと話をしたら、吉高さんだって、きっとわかってくれるんじゃない?」
私は嘘つきだ。こんなにも心に無い事が、軽々しく言葉にできる。
梨理はまた涙ぐみながら、鼻をすんすん鳴らしていた。私がティッシュ箱を渡すと、梨理は箱から二枚のティッシュをだして、鼻をかんだ。
「…………ありがとうね。」
梨理の涙声に、胸が少し傷んだ。
「別に?これくらい……。」
「そうじゃなくて、あ、これ保湿ティッシュだ。柔らかい。」
そうじゃなくて?
「こうゆう時、頼りになるのはやっぱり瑠璃だよね。お母さんには少し相談しづらいし。」
それは……母には相談できないと思う。だって、梨理が婚約したと聞いたら、母はとてつもなく浮かれた。私にも結婚しろと言うほど、梨理の婚約を喜んでいた。
母はいつだって、梨理の方が大切だ。
梨理じゃなくて、私が死ねば良かった。
はっきりそう言われた事は無いけれど、そう思った人は少なからずいたはず。
姉は仕事ができて婚約者もいる。妹の私は学歴も無くて結局フリーター、もちろん現在フリー。彼氏いない歴も10年近く。
そんな事を考えながら、自分の部屋を出て、公園へ行った。
公園には、満開の桜が数本あった。
私はブランコに乗りながら、散りゆく桜を眺めた。
わかってる。わかってるよ。梨理が死んだのは吉高さんのせいじゃない。
私は思いきりブランコを漕いだ。腕を伸ばして顎をあげて、桜の舞う夜空を仰いだ。
じゃあ、誰のせい?
強いて言うなら……………………
それは多分、私だ。
姉は赤信号を渡ろうとして、車に引かれた。その時、誰かの姿を追いかけていた。
それが、恋人の吉高 礼於。
に、似た別人。
目撃者の話によると、姉の梨理は男の人を追っていた。その時間、吉高さんは会社にいた。だから、梨理が追っていたのは、全くの別人だった。
多分、事故ではなく…………梨理は自殺だった。
そんな事は思いたくなかったけど、そう思える事が沢山あった。
仕事を辞め、一緒に行く約束だった不動産に、1人で行って手続きを済ませ、自分の最低限の荷物を実家に送り、翌月の家賃まで振り込んでいた。
少なからず、梨理はここを出るつもりでいた。
本当は…………全部私のせいだ。
桜が、目に沁みる。