届くはずのないことばたち
午後九時。
剣道の道場からの帰り道。
特に急ぐ理由もないから、のんびりと自転車をこぐ。
学校の部活でも剣道をしているから、忙しくて道場になかなか行けなかった。
そこで、久しぶりにある社会人の先輩に会った。
相変わらず声が格好良くて、剣道が上手で、岡山弁を話してた。
考え事をしながら角を曲がったとき、にわかに吹いた風がふわりとした金木犀の香りを運んだ。
そういえば、先輩と初めて話した日も金木犀の香りがしてたっけ。
なんの話をしたかはよく覚えていないけど、なぜかドキドキしたことだけは覚えてる。
あの時に比べると、先輩はさらに素敵になっていたように思う。
「彼女でもできたのかな」
二十代のサラリーマンなんだから彼女がいたって何もおかしくない。
むしろあんなに素敵な人を女の人が放って置くわけがない。
問いかけは自己完結して、秋の夜空に消えてゆく。
私は所詮、彼の剣道をしている姿しか知らないのだ。
彼だって、私の剣道をしている姿しか知らない。
私たちのこの隙間はたぶん、埋まることはないと思う。
きっと、私が小さく先輩を思っている隙に、綺麗な大人の女性が先輩を攫っていく。
ふとこのまま咲くことのない恋と、生まれることのない言葉たち–––––––––。
「好きなんだ、たぶん」
自然とこぼれた独り言が、夜の静寂に霧散した。