【壊れた心】
今、この城の王女であるリリィ=ジオサイドの部屋では辺りに血が飛び散り、事切れた侍女が転がっていた。
それをやったのは他でもない兎族のリンカだった。
彼女は今なすすべもなく座り込んでいるリリィ姫に剣を突き立てようとしている。
「さぁ、姫様。お話をしようか」
「リンカ……あなたは……」
「もしかして後悔してる? あの時僕を殺してれば今君はこうなってはいないわけだけど……」
「そんな事は……ありません。私はあなたに心から申し訳ないと思って――きゃあっ!」
リンカはリリィを蹴飛ばした。鍛えてもいないリリィの身体は簡単に吹き飛びベッドの端に叩きつけられる。
「そういうところがさぁ! ムカつくんだよ! 『私は全てをわかってる』とでも言いたげなその顔がさ! もっと怖がれよ! もっと醜くなれよ! 小便漏らして土下座でもしてでも生きようと思え! 諦めて潔いふりをする。そういう表面上の“美しさ”だけを求めてるところが君が王族の血を引いてる事を理解させてくれる要素さ!」
リンカはリリィを踏みつけながらそう吐き捨てる。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
顔が腫れ上がりながらもリリィはただそう謝っていた。
「僕は王族を許しはしない。君と話しててわかったよ。結局君も聖女のようなふりをして、魔族に対しては実に差別的だ。君のような一見優しそうな見た目な奴がいるから世界から差別は無くならないんだ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「僕が汚い王族の血に終止符を打ってやる。さぁほらリリィ姫、死ぬぞ? 死んじゃうんだぞ? 良いのか? 本当に死ぬんだよ?」
リンカはリリィの首筋に剣を当てると少しだけ切った、するとそこからは鮮血が滴る。
リリィはそれを見ると、途端に泣き始めた。
「嫌だ……死にたくない……! 死にたくないです……!」
リリィの惨めなその姿を見てリンカはほくそ笑んだ。
「ははは! それだ! それだよ。僕はそれが見たかったんだ! 強がってた癖に自分が死ぬかもしれないってわからないと駄目なんだね! ほらもっと命乞いをしろ! 心の底から!」
「許してください……なんでもします……殺さないでください、殺さないで……」
「なら靴でも舐めてよ、ほら」
リンカが靴をリリィの口の目の前に持っていくと、リリィは震えながら口から舌を出してそれを舐めようとした。
それに対してリンカはリリィの顔面を蹴り飛ばした。
「ぎゃぁっ」
「ははは、鼻血出てるよ大丈夫? 汚い王族の舌なんかに触れさせるわけないだろバーカ」
「うぅ……」
リリィは笑い続けた後、何かを思いついたのか手を叩いた。
「あ、そうだ。これしてくれたら許すかもしれないなぁ」
「……な、なんでふか……」
「ちょっと待っててね〜。あ、逃げたら殺すから」
リンカはその場から少し離れると部屋にまだ生きていた城の兵士を連れてきた。
「な、何をする気だ貴様……姫を今すぐ解放しろ!」
「良いから良いから」
リンカは兵士を拘束しリリィの元へと連れて行くと無理やり彼の目をリリィの目と合わせた。
すると兵士は一瞬で操り人形のように言葉を発しなくなる。
「チャームの効果は絶大だね」
「な、何をする気なのですか……」
「この兵士にさ、命じてよ。『私を犯せ』って」
「そ、そんなこと出来ません……」
「できる出来ないじゃなくて、やるんだよ? 死にたいの?」
再びリンカはリリィの首に剣を当てる。
「う、うぅ……」
「早くやれ」
「私を……お、犯せ……」
「はっははは! ほ、本当に言っちゃった!」
リリィに命じられた兵士はリリィの元へと歩くと、リリィの服を破き始めた。
「嫌っ……嫌ぁ……」
「最高だ、最高の見世物だよ!」
「――いいえ、最悪ね」
「ぎゃあっ!」
突然、リリィを襲っていた兵士に火の玉が直撃し、その場に倒れる。
「誰っ!?」
思わずリンカが火の玉が飛んできた方を見ると、そこには杖を構えた幼女と女騎士の姿があった。
クレアとアリスである。
「随分と好き勝手やってるみたいね」
「君は……魔女クレア。それに、アリスちゃん」
アリスはリリィの方を見た後、顔をしかめてリンカに向き合う。
「あの時……貴様に同情してとどめを刺さなかったのは失敗だった。私がけじめをとる。ここで貴様は、殺す」
「勝手に同情しといて酷い言い草だなぁアリスちゃん。本当に君に僕が殺せるの?」
「やってみせるさ……! 氷属性位階中、氷柱!」
アリスが魔法を発動させるとリンカの足元が氷で固められた。
「あらら」
「はぁっ!」
アリスはそのまま踏み込み、リンカに斬りかかる。するとリンカは凍った足を力ずくで地面から剥がしそのまま足で回し蹴りをしてアリスの剣を弾いた。
「なにっ!?」
「君のお陰で僕の足が強くなったよ。なんてね、はは」
「私の氷を物理的に剥がすなんて……なんて力だ」
クレアは彼女たちが戦っているその隙にリリィを連れ出して自分のそばに置いた。
「大丈夫ですか? リリィ姫」
普段からは考えられないような丁寧な言葉で対応するクレア。
リリィは震え涙を流しながらも答えた。
「は、はい……」
「では私の後ろにいてください。必ず守ります。火属性位階中、レッドスピア」
クレアはアリスと戦っているリンカに狙いを定めて炎の槍を発射した。
「見えてるよっ」
リンカは凍った足で槍を上に蹴飛ばす。その時の発熱で蹴った足の氷は溶けた。
「あれ、溶けちゃった」
「よそ見するとは余裕だなっ!」
「うわっと」
アリスの剣をギリギリで避けるリンカ。
「危ない危ない」
「氷属性位階上、アイスマン!」
アリスの目の前に2メートルほどの二足歩行の人型の氷が現れた。それは巨大な腕を振るい、リンカに向かって攻撃をする。
リンカはそれを横に避けるが、そこをアリスは狙っていた。アイスマンの後ろの死角から急に現れたアリスは横に避けて方向を転換できないリンカめがけて剣を振るう。
「ぐっ」
リンカはギリギリで自らの剣を使いその攻撃を防いだ。
「火属性、位階上。大文字!」
その隙を狙ってクレアは魔法を放つ。放たれた球体の炎はもはや避けることが不可能であるリンカに直撃すると“大”の字に燃え広がった。
「うあああぁ! か、回復属性位階中! 巡再生!」
リンカは後退しつつ回復魔法を使って皮膚の超速再生をさせて火を鎮火した。
「はぁはぁはぁっ……あー死ぬかと思った。ははは……」
死にかけていたというのになおも笑うリンカ。流石にその常軌を逸した行動にアリスはおののいていた。
「解せないわね。今のは死んでもおかしくなかったわ。なのに何故あんたはそんなに笑っていられるの?」
「僕がおかしい? オカシイ? ははは、それはないな。僕がおかしいのか? 家族を殺された仇を取る僕が?」
リンカは真顔でクレアを見つめてそう言った。
「……リリィ姫に直接関わりはないでしょう」
「君もムカつくなぁ……何も知らない癖に。家族を全員殺された気持ちが君にわかるの? それを命令した憎き相手は自分達だけのうのうと家族全員生きているっていうのに、我慢しろと?」
リンカの問いにクレアは動揺する様子はなく、淡々と答える。
「そんなの私にはわからないわ。ただその為に無関係な人達を大勢巻き込んだあなた達は間違ってる」
「分かり合えないね」
「そうよ、だから私達は戦うの」
「戯言を……!」
そして再び彼女たちは戦闘を再開させた。
戦闘が長引くにつれ、二対一の状況がどんどん影響を及ぼしリンカが明らかに追い詰められていった。
そして終わりの時がやってきた。
「これまでだ」
アリスが倒れているリンカに剣を向けそう言った。
「……どうやら、そうみたいだね」
「最後に何か言う事はあるか」
リンカは汗をかきながらアリスを見上げると、不敵に笑った。
「なら、僕は君達にひとつ問いたい。王族を襲いにきた悪い奴らを正義の味方の君達が倒してはいお終い。これが本当に正しいとそう思ってるのか?」
「何が言いたい」
「結局君達は臭い物に蓋をしているだけだ。何も見えていない。世界が歪んでいる事に気付いていない」
アリスはその言葉に少し眉をしかめた。
「私は……確かに私は何も知らない。5年前の大規模魔族討伐のことを……けど、けれど私は前に進むと決めた。今はただ、私の守りたいものを守るだけだ」
「……立派な事だね。立派な偽善者だ。なら早く僕の心臓を刺して姫を守るといい。それで終わりだ」
リンカはよろよろと立ち上がると、自身の胸を指差してそう言った。
「ああ……言われなくてもそのつもりだ。今回は同情などしない」
アリスは深く息を吸うと、決意を固めるように顔を引き締めた。
そして剣を構え、
「せめて安らかに眠れ……!」
リンカの心臓を貫いた。
「ごぼっ……」
リンカは吐血しながらも、リリィを見つめていた。
その視線に気づいていたリリィは青ざめた顔でただただ、
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
そう謝っていた。
「ごほっ……さ、最期まで自分勝手……だなぁ……大嫌いだ」
リンカはそれだけ呟くと、その場に倒れて動かなくなった。
「リンカ………」
リリィの消え入るようなその声が血だらけの部屋に響き渡った。