【魔女と賢者】
クレア達はキリトに到着すると、そのまま“賢者ヤヨイ”が住む家に向かった。
「お邪魔するわ」
そう言ってクレア達が家に入ると中にはヤヨイが椅子に座って何か本を読んでいる。
ヤヨイもクレア達に気づくと薄っすらと笑い、本を閉じた。
「あら、随分早いお帰りですね」
「ええ、まぁね。はい、これ」
そう言ってクレアは机の上に“エルフの涙”が入った瓶を置いた。
それをみてヤヨイは目を見開くと、瓶を手に取りまじまじと見つめ始めた。
「これは、本物のエルフの涙……! すごい、一体どうやって?」
「……別にどうだっていいでしょそんな事。それよりこれで呪いは解けるの?」
「やってみないとわかりません。とりあえずやってみます。時間がかかりますよ。当たり前ですけど1日とかで出来るものではありません」
「良いわ、じゃあお願いね」
「わかりました。疲れたでしょう。少しゆっくりしていってください」
するとヤヨイは立ち上がり、本棚から数冊の本を取り出しながら、部屋にある試験管の液体などを調整し始めた。
「賢者様は何故こんな所に住まわれてるのですか?」
あたりをキョロキョロと見ていたアリスがおもむろに口を開く。ヤヨイは薬品を調合しながら答える。
「……何故とは?」
「いえ、賢者様ほどの功績を残した方ならもっと豪勢な場所に住めるじゃないですか。なのにこんな森の隅に」
「良いところですよここも。自然と一緒に暮らしているという実感が湧きますし、何よりここには……人間がいない」
アリスは首をかしげる。
「町の人を治療しているのもヤヨイ様なんでしょう?」
「ええ。この町には医者がいませんから。彼らには代わりに野菜や果物を貰ったりします。いい人達ですよ」
「やはり賢者様は素晴らしいなぁ。そういえば町の人達は賢者様の事、“先生”って呼んでますよね。もしかしてヤヨイ様が賢者だと知らないのですか?」
ヤヨイは少しの間を置いた後に答えた。
「そうですよ。私は賢者という事を隠して生きています。あなた達も出来れば私の存在は秘密にしておいてください」
「わ、わかりました。けれどなんでです? 王都にいた時も、私は元勇者の仲間達は全員行方不明で死んでいると聞かされていました。しかしあなたはここにいるし、戦士ラゲルは……銀の槍のボスだった」
アリスのその問いに再びヤヨイは間を置いた。そしてしばらくの沈黙の後、口を開いた。
「五年前、魔王を倒して私達は王都に帰還しました。その時、私達には事件が起きました。何があったのかは言えません。ですが、その時の経験から私達は散り散りになり、こうして人目につかぬところで暮らしています」
「事件? 聞いたこともない……」
「知っている人なんて殆どいませんよ、今はね」
「今はって……」
それってどういう意味、とアリスが訊こうとした時おもむろにクレアがそれを遮った。
「ねぇ。私の呪いを解く薬の他に、ひとつ頼みたい物があるんだけど」
「……何でしょう?」
「“人間が魔物になる”呪いもそれで治る?」
「人間が魔物に? それはまた奇怪な呪いですね。それも“龍の鱗”の副産物というわけですか。分かりました、やるだけやってみます」
「ありがとう」
クレアはそう言って窓の外を物憂げな瞳で見つめた。
「――あと、ひとつ質問なんだけど。逆に魔族が人間になる事ってある?」
クレアのその質問でアリスは目を見開いた。まさかその事をこの場で訊くと思っていなかったからだ。
賢者は元勇者のパーティ。その経歴を持つ彼女にそんな事を教えたらアレフを処刑する可能性もありえるからだ。
「聞いたことないですね、そんなもの。あったとしたら恐ろしいです。味方だと思って油断したら刺されてしまうかもしれませんね。まぁでも、それは人間でも同じですけど」
そう言ってヤヨイはくすくすと笑った。
「ねぇもしかしてあんたって――」
「――先生ぇ! 先生はいますかっ!?」
クレアの言葉を遮るように玄関の扉を叩く音が聞こえた。何事かとヤヨイが扉を開ける。
するとそこにはキリトの町の男が汗だくで肩を上下させながら立っていた。
「ど、どうしたんですか。汗だくで」
流石にヤヨイも驚いていた。
「先生っ、聞いてくださいっ。都が、都が!」
「王都がどうしたのです?」
「都が襲撃されてるらしいんでさぁっ! 既に都は火の海だって……!」
「えっ?」
「なんですって!?」
「なんだとっ!?」
男のその言葉でヤヨイだけでなくクレアとアリスも驚愕した。
「この前の襲撃の時とは違って魔物もいっぱいいます! とにかく都が大変らしくてすぐにプロ勇者を派遣してくれって騎士団の人が。それで先生の所にプロ勇者の人が行くのが見えたんで」
男はあたふたと手を振って必死さを表していた。
クレアとアリスは目を見合わせると、無言で頷きあった。
「アタシ達が行くわ。馬車は来てるの?」
「はいっ、外に用意してますっ」
「じゃあ行きましょ、アリス」
「ああ!」
クレアは家から出る間際、ヤヨイの方を振り返ると、
「じゃあ頼むわね、“先生”」
そう含蓄のある言い方をして出て行った。ヤヨイはその背中をただただ見送るのだった。