【魔王、笑う】
それは遠い遠い昔。月明かり照らすある夜、アレフは人間たちとの戦いで壊滅させたある町を訪れていた。
町は既に焼け焦げ、人の姿はなかった。アレフがここに来た理由は気まぐれというほかない。ただ彼は人間たちとの終わらない争いの中で気分転換に外に散歩に出ただけだった。
「うえええん」
「ん?」
アレフは壊滅している町の瓦礫の中で泣いている少女を見つけた。耳は長く、肌は褐色。ダークエルフの少女だった。
アレフは少女に近寄ると、着ていた服を脱ぎ、それを彼女に被せると、頭を撫でた。すると、彼女は泣き止んだ。
「こんなところにダークエルフの子供がいるとはな。親は死んだか?」
「……さいしょからいない。わたしには、なにもない」
(奴隷か)
少女の胸の中心には奴隷の紋様が刻まれていた。彼女は更に幼い頃に里を襲撃され、攫われて奴隷として使われていたのだ。
それから三年ほどこの町で雑用として地方貴族に飼われていたが、戦争で全て燃え去り、彼女だけ生き残った。
「そうか。貴様も独りか」
「おじちゃんも、ひとり?」
「お、おじっ……俺の事はアレフと呼べ」
「あれふ」
「貴様の名は、なんという?」
「みみなが」
「ふん、人間に付けられた蔑称だろう、それは。本当の名前はないのか」
「……うん」
少女には名前がなかった。彼女を買った貴族の男は、異種族を集めるのが好きなコレクターだったが、少女を買ったすぐ後にもっと大人で美しいダークエルフを手に入れたため、少女への興味が失せてぞんざいに扱っていたのだ。
「ならば俺がつけてやろう」
「あれふが?」
「そうだ。感謝するがいい。この俺が名前をつけるなんて事は恐らく二度とないぞ」
「ふーん」
「ちっ、もっと驚かんか」
「なんであれふは、わたしにそんなことをしてくれるの? わたしなんていきる価値のないダメなエルフなのに」
(人間どもによる洗脳か。どうやら相当価値がないと刷り込まれたようだな)
少女の目はひどく淀んでいた。それは誰も信じることができなくなっていたからだ。
アレフは少女の前にしゃがむと、こう言い放った。
「価値のあるないなどどうでもいい。貴様には暗く淀んだ瞳の奥に、秘めた強き意志を感じる。その力を、俺の為に使え」
「あれふのために?」
「そうだ、貴様の残りの人生は、俺の為に捧げろ」
「わたしは、まだいきてていいの?」
少女の目には再びしずくがたまっていた。
「当たり前だ。せいぜい長生きするんだな」
「……うんっ!」
少女は、笑っていた。誰かとこんな風に話すこと自体が、記憶にある中で生まれて初めてだったのだ。
それは、小鳥が始めてみたものを親と認識するように、少女は初めて自分を差別せず話してくれたアレフを親のように感じていた。
「貴様の名は……」
アレフは不意に夜空を見上げた。今宵は満月であり、月明かりで少女の褐色の肌が扇情的に照らされていた。
「イーシェス。イーシェス=ムーンライトだ」
「いーしぇす、むーんらいと」
「来い、イーシェス。今日から貴様は我が魔王軍の一員だ」
こうして、アレフとイーシェスは出会った。アレフの気まぐれから出会ったこのイーシェスがアレフにとってかけがえのない一人となっていく。
♦︎
(くっ、なんで今更こいつと出会った時のことなど!)
「辻風」
時は戻り現代。アレフとイーシェスが放った剣術は互角のものかと思われたが、アレフの一瞬の筋肉の強張りが、隙を生みアレフが一太刀受ける結果となっていた。
「ちっ」
(この俺が躊躇だと? ありえんことだ)
アレフは少し距離を取ると斬られた太ももを触り、深い傷でないことを確認した。
イーシェスはそんなアレフを見ると口角を吊り上げて笑い出す。
「やはり元魔王と言えど、この娘の身体は傷つけられないのかい?」
「貴様、イーシェに傀儡の種を植えたやつだな。どこにいるかわかれば消し炭にしてやるんだがな」
「おお怖い。だけどこれはこの女が自分から植えたんだぜ? あんたを蘇らせるためにな」
「何?」
「この女は、あんたが死んでから生きる意味を失って禁忌魔法に手を出し始めたんだよ。その過程で銀の槍が蘇生魔法などを研究している事を知り、手を組んだ。その時に契約の証としてこの傀儡の種を植えたのさ。どうだい、健気な話だろう?」
その話を聞くと、アレフは少し俯いてポツリと呟いた。
「ふん、馬鹿な女だ」
「流石元魔王。冷徹だね。ま、確かに私からしても馬鹿だと思いますけどね」
「――だが、どこの誰とも知れぬ貴様に、イーシェスを馬鹿にされるのは、腹がたつ」
「うおっ!?」
アレフは再び、斬りかかる。それをイーシェスはなんとか防いでいた。
「どうした。イーシェスの剣は、こんなものではないぞ」
♦︎
「はっ、はっ」
ある日、魔王城の庭でイーシェスは剣の鍛錬をしていた。通りかかったアレフはそれを見ると彼女に近づく。
「イーシェス。励んでいるな」
「アレフ!」
イーシェスはアレフの存在に気づくと、すぐさま彼の懐に飛び込んで抱きついた。
「おい、何してんだお前は」
「だってこうしたいんだもん」
「全く……お前がここに来て一年か。早いものだな」
「ねえアレフ、手合わせしてよ」
「ふん、久々だな。いいだろう」
こうしてアレフとイーシェスは度々手合わせをしていた。当たり前だが結果はアレフの圧勝。イーシェスは息も絶え絶えに地面に伏していた。
「はあはあ。やっぱりアレフは強いね」
「当たり前だ、魔王だからな」
それがいつものセリフだった。
イーシェスは息を整えると、起き上がり何か思案顔になった後、アレフに喋りかけた。
「決めた。アレフ私ね、ずっとこの奴隷の紋様を戒めにしてたの」
イーシェスは胸の中心を指差しながらそう言った。
「戒め?」
「うん。誰も信用できないっていう戒め。けどね、アレフと過ごして一年。もうこんなのいらないってわかったの。私にはアレフがいるもん。あなただけを信頼して、あなただけに仕えるんだから」
「いらないっつってもそれ消せないぞ」
「わかってる。けど上書きならできるでしょ?」
「わかってるのか? それは俺に完全に服従するってことだぞ。紋様の力は絶大だ」
「何言ってるの。アレフが言ったんでしょ。私はもう、全てあなたのために生きるの」
(いやあれ半分冗談だったんだけどな)
アレフは今更そんなことを言えるはずもなく、イーシェスの望むまま、契約の儀を行った。
「少し痛いだろうが我慢しろよ」
「うっ!」
アレフは自分の親指を噛みそこから血を垂らすとそれでイーシェスの奴隷の紋様が書かれているところに古代文字を書き始めた。
一文字一文字丁寧にゆっくりと書くと、下にあった奴隷の紋様は浮き出て、アレフが書いた新しい文字に組み変わっていく。
こうして一時間かけてアレフは契約の儀を終えた。
「終わったぞ」
「よ、良かった。なんて、書いてあるの?」
「お前の名前だよ。イーシェス=ムーンライトって古代文字で書いた」
「そっかぁ。これで、私は身も心もアレフの物になれたんだね」
「いい働き期待してるぞ」
「もうっ、そういうことじゃないのに」
♦︎
(そうだ、イーシェの胸元には俺が魔力を込めて書いた文字があるはず。そいつに俺の魔力をぶつけて共鳴させれば或いは……)
「偉そうな事を言ってた割にはやはりこの娘を傷つけることはできないみたいだなぁ?」
アレフが本気を出せない事をイーシェスは見抜いていた。そのためイーシェスはアレフの隙をつき少しずつダメージを増やしていった。
「くくくく、ではこの娘の最大級魔法であんたを消し去ってやるよ」
(来た……! 此処しかない。あいつが俺にとどめをさすために強力な魔法を使うとき。その時に俺も極大魔法を使ってあいつの胸の文字と共鳴させる。これしかない。だが失敗すればイーシェは……死ぬ!)
アレフは究極の選択を迫られていた。イーシェスの魔法を打ち破り、そして彼女を消しとばさないように胸の古代文字と魔力をリンクさせる。そんな芸当は普通できない。
だがアレフは実行する事を決意した。
「植物属性。位階極! 光合聖剣」
イーシェスの周りの大地から、様々な植物が生え、それが絡み合い形を成して一つの巨大な剣へと変わった。
太陽からの光を吸収し、植物は光輝き出す。
「さぁ、死ね。愛すべきこの娘の剣に貫かれて」
(俺は……)
――わたしはまだ、いきてていいの?
アレフの脳裏に蘇るのは幼き頃のイーシェスの言葉。全てに絶望していた少女を、彼は救った。
(だが俺も、お前に救われていたんだ。イーシェ)
「漆黒なる闇夜の世界。深淵より来りしは絶対なる一撃……!」
「古代魔法!? 撃つつもりか? いやあんたにはできない。この娘ごと殺すなんて事はできない!」
「そう……思うか?」
「や、やってみろ。この娘は、死ぬぞ?」
「……魔大葬!」
「う、うちやがった!」
アレフの放った超圧縮された闇は向かってくる光り輝く聖剣をボロボロと崩していった。
「く、くそっ。強すぎる」
闇のエネルギーは遂に聖剣を覆い尽くし、破壊した。
「う、うわあああ!」
そしてそのままイーシェスに衝突するかと思われたがそうはならなかった。アレフが闇を制御し、なんとそれを自身の体に吸収させ始めたのだ。
それは言ってしまえば自殺行為である。一度属性を付加し放った魔法を自らに吸収させるという事は、猛毒が入った水を飲むようなものだ。その堪え難い苦痛に耐え、アレフは自らの魔法を吸収した。途端アレフの体からは血が吹き出す。
「な、なんてやつだ」
イーシェスも驚きを隠せず動揺していた。
極大魔法を放った反動で動けないイーシェスの隙をつきアレフはそのままイーシェスの元へと走り、そして右の拳を彼女の胸元へとそっと当てた。
「く、くそっ」
「起きろ! イーシェス=ムーンライト!」
アレフのその呼びかけとともに彼の右拳の魔力とイーシェスの胸元の古代文字が共鳴をし光り始めた。
すると傀儡の種に移っていた支配権が再びアレフの元へと帰り、イーシェスに巣食っていた邪悪な種は消滅していった。
「ちっ、今回は失敗か。覚えておけアレフ、私はゼロ。あんたを逃しはしない」
「知らんなお前なんて、消えろ」
イーシェスの中から別人格が完全に消えると、彼女は体の支えを失い、前のめりで倒れた。アレフはそれを抱き支えた。
少ししてイーシェスの目が開く。彼女はアレフを見ると涙を流した。
「心の奥から、ずっと見てた」
「ふん、全く。手間のかかるやつだ」
「アレフが生きてた。私は、私は……ぐすっ!」
「やれやれ。泣くな、もう子供じゃないだろう」
アレフの胸でイーシェスは涙を濡らす。アレフはそれをまるで父親のように暖かな目で見守っていた。
イーシェスは落ち着いたのか、アレフの胸から顔を離すと、少し笑顔でこう言った。
「ふふ、やっぱりアレフは強いね」
アレフは少しきょとんとした顔をすると、そのあと彼も少しだけ笑った。
「当たり前だ、魔王だからな」




