【魔王、ハッタリをかます】
古代語。それは神歴よりも前、創歴と呼ばれる時代に使われていたとされる言語。
七百年以上昔の言語であるため、もちろん今の時代で使えるものは言語学者をのぞけばほとんどいない、はずである。
「アレフさん、古代語が読めるのですか?」
(さて、どうするか。誤魔化しきれるか?)
「まぁ少しな。知り合いに言語学者がいたから少しだけ教わったんだ」
「へぇ、そうなんですかぁ。アレフさんは博識なんですねぇ」
リリィ姫は心底感心している様子だったが、リンカは疑いの目をアレフに向けていた。アレフもその視線に気づいていたため、目を合わせなかった。
「実はですね、この石碑は私が生まれるずーっと前からあるみたいなんですけど、何のためにあるかは誰も知らないんです。ただ、王族には言い伝えが残っていて、一年に数回ここに来て祈らなきゃならないんですよ」
「じゃあこの碑文の意味も誰もわからないのか」
「はい、言語学者の方が研究はしてくださってるそうなんですけどねぇ」
「……まあいい、用事が終わったなら戻ろう」
(なんだか歯ごたえのない護衛だったな)
そう思いつつ、帰路につくアレフたちだった。
♦︎
アレフたちが石碑に着く少し前、都では異変が起きていた。
一番最初にその異変を察知したのは北から都へと行く際の関所の兵士だった。彼らはいつも通り関所を通る人々の荷物や身分をあらためていた。
すると、茶色のフードを被った者が数人関所を通ろうとする。
「フードを取って、身分証を出してください」
「……」
だが彼らはそれに応じなかった。不審に思った門兵たちは兵同士で視線を交差させ、警戒態勢に入る。
「もう一度言います。フードを取って身分証を出しなさい」
「嫌だね」
「何っ? ぐがっ!」
先頭のフードの男は門兵の一人を蹴り飛ばした。それによって周りの兵士たちの警戒心が一気に最大まで上がる。
「不審者だ! 攻撃を許可する! 捕らえろ!」
「ひゃははーっ! 行け、ゼリーマンたち!」
先頭の男が指示を出すと、後続のフードを被った人々が途端にフードを取った。
「な、なんだこいつらは……⁉︎」
そこにいたのは、全身が緑色のゼリー状をした化け物たちだった。顔も腕も足もあり、二足歩行をしている彼らはどろどろと歩くたびにゼリーが崩れ、地面に落ちていく。
目らしきところには薄っすらと赤い色の何かが不気味に光っている。
「気味が悪いが所詮は魔物。切り捨てれば問題ない!」
そう言って兵士の一人が剣を構えてゼリーマンに斬りかかる。その攻撃はゼリーマンに見事に命中したが、思っていたように切り捨てる事はできず、剣はゼリーマンの体の途中で勢いを止め静止し、動かなくなった。
「ぬ、ぐぐ……動かん」
兵士はガチャガチャと剣を動かそうとするが、動く事はなく、むしろ剣はどんどんゼリーマンの身体の中へと埋まっていった。
「……ウ……ゲ……ェア」
剣が自身の身体に刺さるのも気にせずに、そのままゼリーマンは兵士へと走り直進していく。
「なっ」
それに気づいた兵士は逃げようと背を向けるが、その行動は既に遅く、彼はゼリーマンに捕まってしまった。
握られたその部分はしゅうぅ、という何かが溶けるような音を発していた。
「う、うああああ!」
兵士はもがこうとするが、ゼリーマンは彼を抱きしめるように全身を覆い始める。それによって兵士はさらに悲鳴をあげた。
その悲鳴は徐々に小さくなっていき、少しすると完全に声は聞こえなくなった。ゼリーマンが抱擁していた腕を開くと、そこには兵士の着ていた服の残骸しかなく、兵士はどこにもいなかった。
「き、消えた……?」
「こ、この魔物! と、溶かしやがった!」
残った兵士たちが状況を理解し、次々と恐怖していく。
「……さてさて、覚悟はいいかな? 君たち」
フードを被った男はそう言うと、口元を歪めた。
こうして関所が壊滅状態であることが知らされたのは後になってからだった。
♦︎
数時間前に関所でそんな事があった事は都にいた誰もが知らなかった。もちろん、ゴリゴリのマッチョであるゴレアムと一緒にいたロキにそんな事は知る由もない。
「おい! 君は本当に迷彩のリンカを探す気があるのか⁉︎」
ロキは机を叩きゴレアムに向かって指をさしながらそう言った。当のゴレアムはソファーに座り、横にいる女性にお酒を注いでもらっていた。
そう彼らは今、綺麗な女性たちがお酒を注いでくれる店に来ていた。
「がははは。そう固いこと言うなよロキ。お前だって綺麗な姉ちゃんに囲まれて喜んでたじゃねえか」
「う、うるさい。僕はあまり女性と接してこなかったから耐性が無いんだ」
「じゃあなおさらここで耐性つけといた方がいいんじゃねぇかぁ? なっ?」
「ひゃん! もぉ、ゴレアムさんいきなりお尻叩かないでくださいよぉ」
ゴレアムは楽しそうに鼻の下を伸ばして隣の女性の尻を撫で回していた。
そんな状況に嫌気がさしたロキは席を立ち、空気を吸いに外に出た。ロキがいる場所は都の入り口付近である。
「やはり外の空気は良いな。ふん、ゴレアムの奴は全く探す気がない。このままではあの男には辿り着け……ん?」
なんの気に無しに外に出たロキであったが、異変に気付く。店を出た先の道に、男物の服が落ちていたのだ。しかも一式である。
(これは……どういう事だ? 一式揃った服がこんなところに落ちてるなんて。いやそれならまだいい。これは……まるで脱いだのではなく、そのまま消えたかのような……)
「っ⁉︎ 誰だ!」
瞬間、ロキは背後から異様な気配を感じ、帯刀していた剣を引き抜いた。
だがそこにいたのは彼が今まで見たことのないような得体の知れない緑の怪物であった。
「な、なんだこいつは……」
(魔物、か? でもこんなゼリー状の魔物なんて見たことないぞ……スライム系の仲間か? 何故街の中に魔物が)
「ウ……ゲ……ェ」
ゼリーマンは何か言葉らしきものを発しながらロキに迫っていった。
「ち……来るなら容赦はしない! はぁ!」
「ァア……」
ロキの攻撃は流石というべきか、関所にいた兵士とは違い、ゼリーマンの右腕を正確に切り落とした。
ぼたっという音と共に、腕は地面に落ち、そしてその瞬間落ちた腕はどろどろに溶けた。
「大したことない……なんだ? 再生している?」
ロキが切り落として無くなったはずの腕からは新しい腕が生えてきていた。
そして驚くべきことに、ゼリーマンの背後からは別のゼリーマンが数体ロキ側に歩いて来るのが見えた。
その光景を見て、ロキは初めて汗を一滴ひたいから流した。
「これってもしかして……襲撃?」
♦︎
ロキの襲撃という読みは当たっていた。都ではかつてないほどの不穏な空気が漂い始めていたのだ。
襲撃というにはあまりにゆっくりと、神隠しのように一人一人が街から消えていった。
だがいくらゆっくりといえど人が消え続けていれば流石に人は気づく。街は徐々にざわめき、そしてざわめきは悲鳴へと変わっていった。
そんな街の様子を貴族たちが住まう貴族院のある近くの高台から見下ろしているフードを被った男がいた。
「やーっと気づき始めやがったか、愚鈍な民は。くくく、まぁもう遅えがな」
彼は不敵に笑っていた。そして彼は立ち上がる。彼の目線の先にあるのは煌びやかな建物が立ち並ぶ貴族院である。
「さぁて。貴族様たちはどんな悲鳴を聴かせてくれるのか……楽しみだな」
遂に貴族院にもゼリーマンの魔の手が迫っていた。