【魔王、人間になる】
一人の男が、薄汚れた棺桶の中から這い出ていた。
「う……ここは」
男は目覚めるや否や辺りを見渡した。しかし周りにあるのは崩れた壁や柱。何が起きているのか把握するのには情報が足りなかった。
「いや、それより……何故俺は『生きている』?」
男、いやかつて『魔王』と呼ばれていた男、アレフは、自身に意識があるという事実に困惑していた。それもそのはず。彼は勇者との決戦の末、負けて死んだはずなのだ。
「一体何が……ん?」
アレフは自身の手を見つめて違和感に気づく。
(手が人間と同じ色だと?)
そんなはずはない。魔人であった魔王の肌は赤色をしていたのだ。だが間違いなく今の色はベージュに近い。
「まさか……」
嫌な予感がして、背中や尻を触る。そこにはあるはずの翼と尻尾がなかった。
しかし頭を触るとかつてほどのツノではないが少しだけ出っ張ったツノはあった。髪で隠れてしまうレベルだったが。
「一体何が起きている……」
アレフはおもむろに自身が眠っていた棺桶に目を向けた。するとそこには文字が書かれていた。
『親愛なる我が友へ。安らかな眠りを。――ディーノ――』
(この棺は、勇者によって作られたものだったのか)
「とにかくここから出るか……」
アレフは出口を探した。そもそもこの部屋は少しも広くなく、空気も薄い。天井から僅かな光は差し込んでいるが周りを見渡しても扉などないことから、恐らく地下に作られたものだと彼は判断した。
天井を見渡すと一つだけ四角形の扉のようなものを発見したので押してみる。
(上から何か重いもので蓋をしているようだな。ふむ……強引ではあるが、無理やり出るか。まさか魔法は使えるよな?)
「闇属性。位階、中。『底無』」
アレフが天井に向かって手をかざすと円柱状に闇が発射され、天井を破壊した。
パラパラと瓦礫が降り注いではいるものの、人一人が通れるほどの穴は開いたので、彼はそこから地上へと抜け出した。
「う……」
地上に出た途端に降り注ぐ太陽の光と熱。思わず目が焼かれてしまうかのような眩しさであった。
(ここはどこだ……)
彼は周りを見渡しても草原しかないために自分がどこにいるかを把握できなかった。
(まず自分の姿を確認するか)
「無属性。位階、下。『反射板』」
アレフが手をかざすとそこから六角形の薄い鏡のようなものが現れる。本来は攻撃の反射に使うものだが、今回は自身の姿の確認に使ったのだ。
「なっ! こ、これが俺だと?」
彼は自分の姿を見て驚愕した。無理もない。顔そのものは変化していないものの、色が違うのだ。まるで人間である。
(いったいなんだというのだ……)
ふと下を見ると、這い出てきた穴の近くには大きな石が転がっていた。どうやらこれが蓋の役割をしていたらしい。その石にも文字が書かれていた。
『魔を極めし王が眠る場所。神歴698年』
(どうやら俺が死んだ年には作られたらしいなこの墓は。それにしても魔を極めし王とは……あいつ俺の事褒めすぎじゃないか)
そんなことを言いつつ悪い気はしていなかったアレフであったが、ここにとどまっているわけにもいかず、歩く事にした。
歩いても草原ばかり。日向ぼっこをするのにはちょうど良いような場所ではあるが、いかんせん今の彼には情報が得られない無意味な場所である。
歩く事数十分。ここにきて初めて他の人物に遭遇する。馬車が前からやってきたのだ。
(ふむ。あれを止めて近くの街を聞き出すか。今の俺は人間のようだからな、警戒はされまい)
「おい、そこの!」
手綱を握っている人に話しかける。
「……なんでしょう」
「すまんが近くの街はどこだ? 道を教えて欲しいのだが」
「それでしたら、ここをまっすぐ行ったところに大木がありますから、それを右に曲がってまっすぐ行けばつきますよ」
「ふむ、なるほど。助かった」
「いえいえ。では私はこれで」
そう言って馬車は過ぎ去って行こうとした。
ふとアレフが馬車の荷台を見つめると、ガタガタと荷台が揺れている。
(何か動物でも入れているのか?)
そう思い、少し気になっていた時だった。
「……助けて……!」
か細いが確かに荷台から聞こえてきた。明らかにおかしい。その声も一瞬で消えてしまった。
「おい、待て」
「……なんでしょう」
「貴様、荷台に何を積んでいる。見せろ」
「はい? 何故私が見ず知らずのあなたに荷台を見せなければならないの――なっ⁉︎」
「王の命令に背くな。見せろと言ったら見せるものだ」
アレフは男の反論に聞く耳も持たず荷台の扉を無理やりこじ開けた。
するとそこには縄で口と手足を縛られた女と一人の体格の良い男が入っていた。
「んー! んー!」
口を縛られた女は泣きながらアレフに向かって叫んでいた。
「ふん。人攫いか。相変わらず人間は下らない事をする」
「バレちまったら仕方ねえ。あんたにはここで消えてもらう! おりゃあああ」
体格の良い男と、前で操縦していた男が二人一斉に剣で襲いかかってきた。
(魔法を使うまでもない)
アレフは襲いかかる二人の攻撃を余裕で避けると、一瞬のうちに攻撃を入れ、気絶させた。
「脆いな。さて……」
アレフは荷台に上がると女の縄を解いて解放した。するとすぐに彼女は涙を流して感動したようで、
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
とひたすら感謝の言葉を送っていた。
「感謝などいらぬ。それではな」
「あ、あの! 何かお礼を!」
「いらん……いや待て、なら近くの街まで案内してくれ」
「近くの、はい! それでしたら!」
女は喜んでアレフを案内し始めた。
彼女は長く黒いストレートな髪をしており、おっとりな目をしているが美麗であった。
彼女はちらちらとアレフの方を見ると、何かを言いたそうにしていた。
(なんだこいつ……なぜ俺を見る?)
「なんだ? 言いたいことがあるなら言え」
「えっ、あっ、あの……随分とお強いと思って。何か、有名な方ですか?」
「ふっ」
アレフは思わず笑ってしまった。有名な方なんて聞かれたことが今まで一度もないからだ。魔王は絶対的な悪のカリスマであり、人間といえどそれを知らないものなどいないはずである。
(この女が俺が魔王だと気づいていないのは外見が変わったせいか? それとも……)
「あ、あのぅ……?」
「いや、すまない。なんでもない。俺は旅の者だ。別に有名などではないさ」
「そ、そうなんですか……」
「ああ、それより貴様は何故かような者たちに連れ去られていたのだ?」
「あぅ……そ、それは」
すると女は急に黙り込み、うつむき始めた。アレフはそれを見て聞く質問ではなかったと理解したが、彼女は顔を上げ答え始めた。
「あれは、最近街で女性たちを攫ってどこかで売りさばく商人たちです。今回は私が選ばれて……」
「選ばれて? 選ばれたら従うのか? 何故街の者たちは抵抗しない?」
「彼らが、強いからです。彼らは儲けたお金で用心棒を雇っているんです。だから街の男たちは逆らえなくて……」
アレフはそれを聞くと、人間を心底馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「ふん、わからんな。そんな理不尽を受けても従うのか。それが人間か? それじゃただの家畜だな」
「そっ、そんな……そんな事言ったって! 逆らったら殺されちゃうんですよ⁉︎ 私のお父さんだって……うぅ」
女は泣き始めてしまった。アレフはまたやってしまったと思ったがめんどくさかったので励まさないことにした。
「……父君が殺されたか。そこまで悔しい思いをしたなら貴様らも用心棒を雇えばいいだろう。奴隷になるよりはマシだ」
「そんな、あの『怪力ゴル』より強い用心棒なんてここら辺じゃいません……。それにそのレベルのプロ勇者を雇うお金もないですし」
「怪力? なんだそいつは。強いのか」
「賞金首にもなっている凶悪犯です」
「ほう」
「あ、着きましたよ。ここが私の街です。お腹空いてませんか?」
そう言われアレフは腹に手を当てた。すると腹の音が鳴った。
(そういえば俺はいつから食事を摂ってないのだ?)
「いいのか。では頂こう」
「はい、こっちです」
女に連れられてアレフは彼女の家に入った。中は木の家で、彼女以外に住んでいる人物はいないようだ。
すぐに彼女は料理の支度をすると、テキパキと料理を用意していった。
(人間界の食べ物か。食べた事がなかったな。これは、何かの卵を焼いたものか)
「食べて、良いか?」
「はい、召し上がれ」
「うむ、いただく。はむっ……⁉︎」
口に卵焼きを入れた瞬間、アレフに衝撃走る!
食べた途端彼の頭は圧倒的なその料理の旨さに支配されていた。
(な、なんだ、この世の全ての旨味を凝縮したかのような食べ物は? これが人間界の料理? あり得ん、美味すぎる!)
「ど、どうですか?」
「う、美味すぎる……」
「ほんと? やったぁ!」
アレフはあっという間に料理を平らげてしまった。しかも一品一品に衝撃的な美味さを感じながらである。
「な、なんなんだ? 貴様、まさか料理を極めし者なのか?」
「えっ? ふ、普通の料理しか出来ないけど」
「馬鹿な……これが普通だと? だとしたら俺が今まで食ってきたものはなんだったというのだ」
アレフはわなわなと震え、感動していた。
「よくわからないけど美味しかったなら良かった」
「ああ、貴様は俺の専属の料理人にしたいくらいだ。そうだ、名前はなんという?」
「私は、サーナと言います。あなたは?」
「俺は、アレフだ――うん?」
二人が話していると外から女性の悲鳴が聞こえた。窓から様子を見てみると、屈強な男が女を連れ去ろうとしている。
「あ、あの人たち、また!」
「ふん、どうやら懲りてないようだな」
「助けなきゃ!」
サーナが走って家から出ようとするところを、アレフは手を掴んで止めた。
「貴様が行ってどうする? 捕まるだけだろう。貴様が捕まった時も周りは助けてくれなかったのだろう?」
「けど! 私は助けを求めてる人が目の前にいるのに黙って見てることなんてできない! 離してください! アレフさんは隠れて!」
そう言うと、サーナは走って外へ出ていってしまった。その後ろ姿を見て、アレフは微笑を浮かべた。
「待ちなさい! 彼女を離すのです!」
サーナは肩へ女を担ぎ馬車へ連れ込もうとしている男の前に立ちはだかった。その屈強な男こそ用心棒の怪力ゴルである。
「ああん? お前、見たことあるぞ? さっき捕まえた女じゃねえか? なんでここに……」
「ふん、あいつらしくじったのか。後で罰を与えねばな」
太った体型の男は、商人のリーダー、バラダス。彼はまだ先ほどの仲間たちがアレフにやられた事を知らない。
「バラダスさん、こいつもまた連れて行きますか」
「そうしろ、ゴル。少しは楽しんでも良いぞ。壊れない程度でな」
「へーい。へへへ、お嬢ちゃんこっちおいでー」
「ひっ! う、うぅ……」
ずんずんとサーナに近づいていくゴル。
周りには街の大人たちがいるものの、誰も彼女を助けようとはしない。
「じゃ、動かれても面倒だし気失っててねー。寝てる間に身体は使わせてもらうけど。ゲヘヘ」
そう言って、ゴルは手刀をサーナにたたき込もうとした。
「いやっ」
サーナは咄嗟に目を瞑る。ばしっという音が響いた後、彼女はおもむろに目を開け、違和感に気づく。
(どこも、痛くない?)
そう思って回りを見渡すと、彼女に届くはずの手刀は、一人の男の片手によって止められていた。
「あ、アレフさん⁉︎」
そう、その男とはアレフそのものだった。手刀を受け止めた時の風圧でアレフの銀色の髪がなびく。
「なんだぁ? てめえ」
「生憎、下等な貴様に名乗る名は持ち合わせていない」
「ふざけやがって!」
ゴルは肩に担いでいた女を下ろすと、空いた片方の手でアレフめがけて思い切りパンチした。
当然、アレフはそれを軽く受け止める。ここでようやく、ゴルは、
(な、なんだ。びくともしねえ。この怪力の俺が? どうなってやがる)
そう思い、冷や汗が流れ始めた。
それに対し、余裕の表情を浮かべるアレフは、不敵に笑うとゴルを挑発した。
「貴様、怪力ではなかったのか? これが怪力か? こんなもの、指一本で抑えられるぞ。ほら、四本、三本、二本……」
アレフは奴の拳を抑えている手の指を一つずつ減らしていった。
「ふざけやがってえええ!」
「一本……! ふふ、ほらどうした? 怪力とやらを見せてくれよ」
「ぬぐぐぐぐぐ!」
「つまらん、飽きた」
「うぉっ⁉︎」
アレフは人差し指でゴルの事を押すと、彼は膝をついて倒れた。そして倒れた彼のひたいめがけてデコピンを放つ。
「ぐがぁ!」
すると、ゴルは数メートルは吹っ飛び、白目をむいて倒れてしまった。
「弱すぎて話にならんな。次は、貴様が相手をしてくれるのか?」
「あ、ああ……あ」
アレフはバラダスの方を見てそう言うと、彼は何をするまでもなく泡を吹いて倒れてしまった。
「ふん、他愛ない。おい、終わったぞっておい! 何を抱きついている!」
感極まったのか、サーナはアレフに抱きついていた。アレフは困惑している。
「アレフさんは神様⁉︎ ねぇ、ふふ!」
「なんだこの人間……」
アレフは少し呆れていたが、
(だがこの女の勇気ある行動。ディーノ、人間にも少しは大した奴がいるようだな。ふん、少しは楽しめそうだ)
密かにそう思ったのであった。