【魔王、見破る】
「――それから一年が経った。この町は終わらない夢の中にあるんだ。まるでウロボロスさ」
ボフォイはどこか冷めたような表情で、アレフたちにそう語った。
クレアはさっきまで楽しそうだったのが一転し信じられないといった顔をしている。
「どういう事? 一日を繰り返してるって、アタシ昨日の記憶はちゃんとあるけど、襲撃なんて無かったわよ?」
「いや、あったんだ。貴様が覚えてないだけでな。恐らく魔物襲撃の記憶は、ボフォイ以外誰も覚えていない。いや、正確には夜七時からの記憶と言ったほうがいいか?」
アレフの判断力にボフォイは少し驚きを見せた。クレアはよくわかっていないようだが。
「その通りだ。だからお前たちもどこかで記憶の食い違いが起きたんじゃないのか?」
ボフォイのその言葉で、アレフは点と点が繋がるように気になっていた事を思い出した。
『そうさ、彼が少し前にあの時計台を建ててからこの賑わい。感謝しきれないね』
(あの時、クッキーを食べた時だ。あの男は、確かにそう言った。【少し前】、そんなはずはない。時計台が建てられたのは一年も前だ)
そう、アレフが感じていた違和感こそが、リンガーサに蔓延っている認識のズレである。
そしてそれは、クレアにも同様なものがあった。
『あり、あんたたちなんか泊めてましたっけ?』
(もしかして……あの宿屋のお婆ちゃんが宿泊客を覚えてなかったのって……歳のせいじゃなかったってこと?)
「どうやら思い当たる節がそれぞれにあるようだな。それこそがこの魔法の副作用さ。関与しないはずの記憶にも何故か記憶の混濁が起きる時がある。彼らは昨日の記憶を持っているのに、一日が経っている事に気付いていない」
事態の全容を理解し始めたアレフたちは、戸惑っていた。
「じ、じゃあボフォイさんは一年もの間、襲撃を受け続けてるって事?」
「そうだ」
「なんでよ。だって研究は失敗したんでしょう? なら、もう時を繰り返す必要なんてないじゃない」
クレアのその問いかけに対して、ボフォイは燃え盛る町の方を見やるとポツリと呟いた。
「この魔法は、解除できないんだ」
「えっ、なんで……」
「わからない。そもそも私は時間を繰り返す魔法ではなく、戻す魔法を作ろうとしてたんだ。息子たちが死んだ、あの日にな。だから元々解除方法など要らなかった。だが、実際に発動したのは一日だけ戻る魔法、しかも繰り返す。これは……恐らく時間を戻すという禁忌を犯した私への罰なのだろうな」
辺りは炎のはじける音だけが響いていた。ボフォイの足にしがみついていたレミーは、疲れたのか、いつの間にか座って寝ている。
「何をもっともらしい事を言って、反省しているそぶりを見せているんだ?」
「アレフ?」
アレフはそのままボフォイの目の前まで歩き、ボフォイを上から見下ろす。
「貴様は禁忌を犯した罰などと言ったが、その禁忌とやら、まだ続けているんだろう?」
「えっ?」
ボフォイはその言葉を聞いて、目を見開くと急に笑い始めた。それをアレフは冷めた目で見下ろす。
「凄いなお前。よくそんな事がわかったな」
「ふん。貴様は気づいていなかったようだが、時間が繰り返している事を俺に教えた時、貴様は笑ってたぞ。まるで新しいおもちゃを見つけた時の子供のようにな」
「……誤魔化せんな」
ボフォイはそう言うとと、観念したかのように喋り始めた。
「最初に時間が繰り返しているとわかった時、絶望したよ。けど、それはある意味チャンスでもあると思った」
「チャンス?」
「繰り返すという事は、永遠に研究ができるという事だ。つまり、いつかは研究が完成するかもしれない」
ボフォイは寝ているレミーの方を向きながらそう話す。
「だから私は続けるのだ。息子たちを取り戻す、その日までな」
「で、でも毎日毎日町の人々が殺される状況に耐えられるのっ⁉︎」
「人間は慣れる生き物だ、残酷な程にな。一ヶ月もすれば何も感じなくなったよ。研究の為にはそれこそ人体実験なんてものもしてみたさ」
「人体実験⁉︎ そ、そんなの一級犯罪じゃない!」
魔法による人体実験は、国際法で禁じられている。その犯罪の重さは一級犯罪。一級犯罪は見つかった時点で極刑が決まる。
今ではそうなっている人体実験だが、アレフが現役だった数十年前には戦争に勝つ為に人間側は非公開で人体実験をしていた。
実験に使われていた人々はほとんどが囚人もしくは魔人であり、その為にその事実は公にはなっていない。しかしその時に得られた膨大な魔法データが今日の魔法に活かされている。
「狂気は人を変えるものだ。まぁ子供の君にはわからんか。いや、子どもじゃないんだったな。まぁどちらでも良い。話はわかっただろう、私はこの町から出れないし出ない。そしてお前たちにできる事はない」
「こんなの許される事じゃないわ! 時の改ざんに人体実験! 王国騎士団に報告しないと! ねぇアレフ?」
クレアは同意を求めるようにアレフを見た。だがアレフは熱くなっているクレアとは対照に驚くほど冷静な表情をしていた。
「興味ないな。というより俺たちにはどうすることもできん。いや俺たちだけじゃない、もはやボフォイ以外にはどうにも出来んだろう」
「いや、でもさ!」
アレフがそう言ってもクレアは食い下がる。
「恐らくこの空間、この時間は別次元に空間が切り取られてるようなものだ。そうだろう?」
「その通り。そこで閉じ込められてる四大帝の男も実体がここにあるわけじゃない。午後七時からのこの町の住人はあくまで私の魔法で作り出された幻影だ」
「やはりか……」
(まぁ普通に考えて一年もの間ギルレイドが帰ってこなかったら他の四大帝が黙ってるわけが無いからな)
「ということだクレア。実体のない者にはどうする事もできん。それに普通の人間では翌日に記憶を持ち越せんからな」
「納得出来ないわ!」
「それに、それにだクレア。こいつのやっている事は法律上は悪だが、本当に悪い事か?」
アレフはボフォイに向けていた視線をクレアに戻した。その真っ直ぐな瞳は思わずクレアを後ずさりさせる。
「な、何よ。犯罪なんだからダメに決まってるじゃない」
「孫の悲しむ顔を見たくないから、必死に息子たちを生き返らせようとしている事が悪か? その為に禁忌魔法に手を出す事は悪なのか?」
「そ、それは……」
クレアは何も言い返す事ができなかった。魔法学園で教えられてきた禁忌魔法への激しいバッシングが彼女のその考えの根幹にあるのだが、彼女は今初めてその考えに少し違和感を感じ始めたのだ。
「何が悪か正義だなんて決めるのはいつも人間だ。俺にはボフォイが狂ってる様には見えない。むしろ、狂気を感じる程の息子や孫への愛情とやらを感じるがな」
アレフのその言葉に、ボフォイは少し驚いていた。まさか自分より幼く見えるアレフにそんな心を見透かされるとは思いもよらなかったのだ。
だが、その瞬間ボフォイの中で確信に変わった事があった。
(やはりあの男……魔王)
そう、ギルレイドの反応と馬鹿げた魔法力。何処か疑ってはいたものの、なんとなく信じていなかった。
しかし彼はアレフから漂う長年魔王として君臨したが故の貫禄や洞察力、そして何よりもカリスマを目の前にして、確信したのだ。
(中々、外の世界も面白くなっているみたいだな)
そんな風に思いながらも、ボフォイはクレアの方へと向き直り、決心を固めた。
「……納得出来ない事なんて世の中には幾らでもあるのさお嬢さん。さぁ、そろそろ時間だ。私ももうこれに慣れてしまったな」
そう言うと、ボフォイは不意に懐からナイフを取り出して自らの首に押し当てた。
「あ、あんた何してんの! や、やめ――」
「じゃあまたいつかの今日に会おう」
するとボフォイは押し当てているナイフを、そのまま引いた。彼の首からは鮮血が溢れ出す。クレアはその瞬間言葉にならないような叫び声をあげた。
ボフォイはそんな彼女を見つつどこか笑顔のまま事切れた。
「う、うう。し、死んだの……?」
「自決したようだな。ということは、だ。来たな」
――ごぉん、ごぉん。
時計台からは美しい鐘の音が鳴り響く。そして時計の針は逆回転し始めた。
「何あれ⁉︎ 時計の針が……っつ! 頭が、痛い……!」
(これは……時が戻るのか!)
「ちっ、遮断!」
アレフは魔法を発動させた。そしてクレアにも彼は魔法をかけた。
世界が割れるような不安定な感覚と共に、アレフたちは気を失った。
♦︎
「む……」
(ここは宿屋か。記憶は、あるな。町は破壊されてない。戻ったか)
アレフは周りを見渡し、窓から町を覗くとそう冷静に判断した。
すると部屋の外からドタバタと足音が聞こえたかと思えば、乱暴に扉が開かれた。寝癖で髪型が爆発しているクレアがそこには立っていた。
「あ、アレフ! 町が直ってる!!」
「やれやれ。昨日、説明しただろう」
その後、アレフは混乱しているクレアに懇切丁寧な説明をした。それによってクレアもようやく理解をしたが、納得はしていなかった。
「ボフォイに会いに行きましょ!」
「何を言っても無駄だと思うがな」
アレフのその言葉はある意味で裏切られた。
「何これ、これ以上進めない⁉︎」
「結界か……かなり強力だな」
そう、ボフォイの家の周りには強力な結界が張られていて、二人は入る事ができなかった。
他の町の住人はその周りを歩いているため、アレフたちのみに適用される結界である。
(俺なら破壊する事も出来るが……する意味もないな)
「あー! もうっ、じゃあもういいわよ! アレフ! さっさとこんな町出ましょ!」
「なんなんだ。ころころ感情が変わるやつだな」
クレアの苛立つ感情は、昨日アレフに言われた悪について自分の中で纏まっていないからだった。
それをはっきりさせる為にもボフォイに会いたかったのだがこうなってはもう会えない。クレアはモヤモヤを胸にしまい込んだまま、次の町を目指すのだった。
♦︎
「行ったようだな……」
ボフォイは家の窓からこっそりとアレフたちがきている様子を伺っていた。
彼らが退散するのを見届けると、自室へと戻り研究に没頭する。彼が熱心に見ている本は今までの時に関する本ではなかった。
『魔王討伐におけるレポート――ディーノ=ホープレイ』
埃をかぶった冊子にまとめられたそのレポートを見て、ボフォイは厳しい顔をしていた。