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幸せ

作者: 佐倉さくら

 『グロス塗りたて』と貼り紙でもしておいた方が良さそうなぷるんとした唇をほんの少し開き、スターバックスのエスプレッソを一口だけ注ぎ込む。少しビターな味わいのエスプレッソは苦味より先に、亜依の予想を超える温度の熱を伝えた。


「あっつ! 」


 次の瞬間亜依は転んで俯せになっていた。普段履かない赤いヒールが片方消え、クリスマスソングは亜依の言葉などなかったもののように掻き消した。そうでなくともクリスマスイヴ。通常の倍以上のざわめきに包まれる京都駅の地下で誰も気に留めるはずがない。

 バイト代を貯めて買った白いコートには茶色い染みができていたが、気にしないことにした。今すぐ家に帰って洗濯したかったが、そうもいかない。通りの少し端の方に寄ってバイト用に持ってきたスニーカーに履きかえる。白いコートの脱ぐとクラシカルな赤いワンピースだったが、これも気にしないことにした。その方が幾分か幸せだ。

 控え室ですれ違う人々は好都合なことに皆が忙しそうで誰も亜依の方に目を向けなかった。亜依は洗面台でコートを洗った。少し茶色い気がしたが、クリーニングに出そうと決めてハンガーにかけておいた。


 サンタクロースの存在を信じなくなったのはいつからだろうか。赤と白の衣装に身を包みながら考える。知らない方が幸せなことは沢山ある。サンタクロースがいると知っていたわけではないのに、子供のころどうして存在を確信していたのだろうか?


 頭を切り替え、愛想のよいサンタクロースに身も心も変装した亜依は、サンタ特有の帽子をかぶって会場へ向かった。

 持ち場のクリスマスイベント『サンタさんへのおてがみをかこうコーナー』の受付はいつも通り暇だった。イベントとは言え、クリスマスのオーナメントのかたちをした紙に、お願いを書いてツリー型のポストに投入するという簡単な参加イベントだ。主な仕事内容は笑顔と道案内と紙の補充。あと用紙が落ちていないかの見回り程度である。あくびが出ないように堪えながらパイプイスに座っていた。


 ピリリ……


 地下街のムードなどお構いなしに流れるラストクリスマスをききながらカップルの数をカウントしていると内線が鳴った。

「はい、『サンタさんへのおてがみをかこうコーナー』の受付担当でございます。」

「広瀬さん? 」

「はっ、はい? 」

 相手の声はきいたこともない上、名前どころか顔もわからないが、お偉いさんだということだけは理解出来た。


「あの……今日18時までやったと思うんですが、22時まで延長お願いできませんか? 」

 その後入る予定だった女性が体調不良になったらしい。二つ返事で構わないという旨を伝えると、男性にしては高いキンキン声のお偉いさんは驚いたようだったが、丁寧に礼を述べて内線を切った。約五千円の儲けだと頭の中で換算すると、用紙のチェックのために立ち上がろうとした。

「サンタさん? 」

 振り返ると、ピンクのワンピースを着た4歳くらいの女の子が片手に稲田薬局と書かれた風船を持っていた。亜依が座りなおすと、女の子は早足に受付の前へやってきて笑顔を向けた。今まで外にいたのか、鼻が真っ赤になっているのを見て亜依も自然と笑顔になった。


「サンタさん何してるの? 」

「お仕事だよ」

「どんなお仕事? 」

「みんなのお願いを叶えるためのお仕事だよ。ほら、あそこで書いたお手紙をポストに入れているか見てるんだよ。サンタ集会で叶えるがどうか、サンタさん集まって考えるんだよ」

 夢を壊さないように簡単な業務内容を説明すると女の子は「そうなんだ」と目を輝かせて続けた。

「悪い子だったら叶えてくれないんだよね? でもね、みーちゃん毎日良い事してるから大丈夫だよ」

 みーちゃんはそう言うと、トコトコと走っていった。そして時計の秒針が2回転した頃に戻ってきた。

「サンタさん! あのね、みーちゃんお願いかいたよ! だからね、絶対届けてね! 」

 みーちゃんの笑顔をみているとなんだかこたつの中にいるかのようにほっこりとした。


「見てもいい? 」

 暇つぶしにきいてみると、みーちゃんは大きく頷いた。どうせおもちゃの人形や最新のゲームが欲しいとか書かれているのだろうと思った。しかし読みにくい字ではあったが、そこにはただ『せかいじゅうのみんながしあわせになりますように』と書かれていた。


「みーちゃん? 」

「なぁに? 」

 そう言ったみーちゃんは、この願いが叶うと信じて疑わない、ビー玉のように透き通った目で私を見つめた。


 知らない方が幸せなこともある。亜依は、『せかいじゅうのみんな』が幸せになる世界は、金持ちだがら幸せというわけではなく、彼氏がいるから幸せというわけではないという難しい環境の上に成り立つ、サンタさんに頼んでも難しいものだということに関しては何も言わないでおくことにして違う質問をした。

「みーちゃんは幸せ? 」

 みーちゃんは、「うん」と大きく頷き、続けた。

「でも、みんなが幸せだったら、絶対もっと幸せになれるよ! 」


「みらいー、みらいー」


 よく通る男性の低い声がきこえた。どこか焦ったような声だった。みーちゃんは「パパだ! 」というと叫んで駆け出した。

「じゃあサンタさんお願いね」と言ってみーちゃんがパパの方へ駆け寄った。みーちゃんを見つけるとみーちゃんのパパはいきなりみーちゃんを怒鳴りつけた。


「お前のせいで母さんが……母さんが死んだんだぞ! 」


 二人はその後、警備員に連れて行かれたので亜依はただ、パニック状態のまま座りほうけていた。みーちゃんのパパはただ何度もお前のせいだとなじるので、みーちゃんはただ泣き喚いていた。地下街に流れる赤鼻のトナカイはやけに楽しそうに対抗していたが、みーちゃんの耳には届くはずもなかった。


 シフトが終わって聞いた話と次の日の朝刊によると、どうやらイルミネーションに感動したみーちゃんがいきなり車から飛びだして、それを追った母親が交通事故にあって、亡くなったのだという。

 次の日も同じイベント受付だった。楽しそうな笑い声やクリスマスソングが、地下街を包んでいた。みーちゃんのお願いの書かれた手紙はまだポストにいれていなかった。亜依は思い立ち、立ち上がると、用紙が置かれている場所へ向かった。そして『私を含む世界中の人々は不幸になっても構わないです。みーちゃんを幸せにしてあげてください』と書いた。そして少し泣きそうになったが、ツリー型のポストに手を合わせた。


「けれどそれは、あなたにとって幸せなことなんじゃないの?」と心の声が言った。が気にしないことにした。その方が幾分か幸せだ。

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