ありがとうございますっ!
リレー1周目4人目
一瞬、何をされたのかわからなかった。
ケイが叩かれたと気づいたのは、音がしたからだ。
痛みはなかった。
音と共に、頬に触れる手の温かくも柔らかい感触が伝わってくるのみだった。
ただ、ケイは心を直接殴られたかのような衝撃を受けた。
「自分が危ないからって私たちを餌にして逃げようだなんて! 下賎なレイスの分際が、何をやったかわかっているの!?!」
少女は叩いた手で、そのままケイの胸ぐらを掴んだ。
言葉の意味を反芻する。
確かにケイがあのデーモンをここまで引きつれてきてしまった。
ケイがいなければ、彼女ら二人は無事に逃げ切れていたかもしれない。
つまり、彼女らが死にかける目にあったのはケイのせいとも言える。
それを助けたからといって、礼を言われる筋合いはないだろう。
責められて当然ともいえる。
むしろ、謝らなければいけないのはケイの方かもしれない。
だが。
ケイの胸のうちに渦巻きはじめたのは、憤りだ。
過程はどうあれ、結果は全員が生きていたのだから、叩かれる筋合いは存在しない。
「……俺はべつに、あのまま逃げたってよかったんだからな」
ケイはそういいつつ、自分の胸ぐらへと伸びる銀髪の少女の腕を掴んだ。
「下賎な手で触るな! 放しなさい!」
その瞬間、銀髪の少女の髪が逆立つように浮いた。
髪にまといつくように、周囲を照らす紫色の光が漏れた。
「いづっ!」
バチンという音がする。
少女をつかむケイの手に、静電気の溜まった取っ手を掴んだ時のような痛みが走った。
ケイは思わず手を離した。
同時に、少女も胸ぐらから手を放し、ケイをドンと突き飛ばしていた。
「レイスごときが、私達イーグルに触れていいとでも思っているの!?」
ケイは手に残る痛みによって、急速に頭が冷えるのを感じた。
(何だこれは!?)
ケイは己の目を疑った。見間違いではないだろうか。
少女の周囲に、雷のようなものが発生している。
紫色の帯が、うねうねとパチパチと音を立てながら少女の周りを走っているのだ。
「なによ、イーグルを見るのが初めてみたいな顔して、あなただって、これがどういうものか知っているでしょう」
知らない。
ケイは何も知らない。
知らないが、しかし同時にある種の納得のいく考えが浮かんできた。
レイスは命を刈り取る事の出来る種族だ。
だが、町では蔑まれ、下に見られていた。
自分の格好もそうだし、ミューと呼ばれていた少女も、身なりとしてはあまり上等なものではなかった。
本当に強力な種族であるなら、果たしてこのような蔑みを受けるだろうか。
畏敬の念をもって恐れられるのではないだろうか。
その理由。
つまり。
「なに、さっきから黙りこんで……お仕置きでもされたいの!?」
銀髪少女の手が紫電を帯びた。
次の瞬間、紫色の電光がケイの体の表面を走る。
「うぐあぁっ!」
ケイは全身をビクつかせながら、地面に倒れた。
全身から白い煙が立ち上る。
「ふん、私に逆らうからこうなるのよ」
つまり。
レイスという種族には、天敵がいる。
それは同じ人の形、同じ人の姿をしている。
恐らく、こいつらはレイスが命を吸うよりも早く、あの電撃のような特殊能力でレイスを撃退できるのだ。
あるいは、あの能力のせいで、レイスの能力そのものが通用しない可能性もある。
それを悟ると同時に、今まであった全能感が一瞬で薄れていく。
彼女たちはデーモン相手に逃げるしかなく、ケイはデーモンを打倒しえたという事実は、脳裏には浮かびすらしなかった。
「パパは先に町に行けって言ったっきり戻ってこないし、いきなりレイスが現れてイブリースを連れてくるし、なんなのよ……! もう、もう!」
「ぐっ! あがっ! うぐっ! えがっ! いぐっ!」
少女が憤るたび、バヂッ、バヂっと紫電が奔り、ケイの体がハネた。
ケイは痛みをほとんど感じていない。
ただ体に走る電撃によって、関節を無理やり捻じ曲げられるような感覚があるだけだ。
しかし、他人の手によって無理やり身動きさせられなくなるという感覚はケイの全能感は薄れさせ、精神状態が悪化していく。
何も出来ないという無能感、自分はこいつより下なのだという劣等感を植えつけられていく。
「お姉ちゃん、もう、やめたげようよ……!」
「……ふぅ……そ、そうね」
金髪のふわふわなツインテールの方の声で、銀髪は電撃を放つのをやめた。
ケイはその隙に、地面に手をついて起き上がろうとした。
しかし、そんなケイを少女はつま先で蹴り飛ばした。
ケイは仰向けに蹴り転がされる。
ケイの頭を踏みつけるような位置で仁王立ちになる。
少女はケイを見下ろして、ケイは少女のパンツを見上げる。
少女のパンツは、わずかながら濡れていた。
この少女は、これだけ傲岸不遜な態度をとっていたが、あのデーモンに襲われた時点で失禁していたのだ。
少女はそこを見られているとは気づかず、傲然を言い放った。
「ついてきなさいレイス。このへんのイブリースには『鷲の雷槌』が効かないようだから、特別に付いてくることを許してあげるわ」
「……」
ケイはその言い草に純粋な怒りを覚えた。
見捨ててもいい所を助けて、それでこの仕打ち、この言い草。
自分は何も出来なかったくせに、なぜこいつの指図で動かなければならないのか。
冗談じゃない、とケイは思う。
「お前なんかと一緒にいられるか」
「はぁ!?」
ケイがそう口にした瞬間、紫電が走った。
「あがぁ!」
「レイスが! イーグルに! 口答えを! するんじゃない!」
少女は見下ろす側、ケイは見上げる側だった。
この雷をやめてもらわない限り、ケイは地面に立つことすら許されないのだ。
だからこそ、ケイは彼女らについてゆきたくはなかった。
人としての扱いがされないのをわかっていて、犬のように尻尾を振るつもりはなかった。
ウゴオォォォアァァァァァ!
遠くから野太い雄叫びのような声が聞こえた。
「ひっ!」
少女がその声で、身をすくませる。
そして、すぐ脇に倒れているデーモンの死体を見て、怯えたように身を抱いた。
「お姉ちゃん……」
金髪の方が、不安そうな声を上げる。
「大丈夫、大丈夫よモニカ、きっと助かるから、お姉ちゃんに任せて」
任せて、という声は頼りなく、誰が聞いても大丈夫なようには聞こえなかった。
銀髪の少女は、自分に言い聞かせるように「大丈夫だから」と、モニカと呼ばれた少女に何度も言った。
その光景を見ながら。
ケイは先ほど見た、少女のパンツを思い出していた。失禁によって濡れた布地を。
自分に大丈夫と言い聞かせるこの銀髪の少女は、現状が恐ろしくてたまらないに違いないとケイは察した。
そこで、ケイはほんの少しだけ、考え直した。
確かに、叩かれたのは少しショッキングではあったが、最初に見捨てないで助けようと思ったのはケイだ。
命の危機に際した人物が錯乱し、わけの分からない行動をとるなんて、よくある事である。
ここで怒りに任せて意地を張るより、二人がもっと落ち着くまで見送ってやるのが、大人の対応なのではないだろうか。
ケイはなんとなくそう考え、口を開いた。
「わかったよ、付いて行ってやるよ。けど、あんまり期待するなよ、さっきのもマグレだからな」
「わ、わかるのが遅いのよ!」
そう言う銀髪の少女の顔は、少し安堵が覗いていた。
△▼△▼△▼△
門は硬く閉ざされていた。
ケイはその理由はわからなかったが、察しはついた。
あんな悪魔みたいなのが町中に入り込んだら、大惨事になるからだ。だから、夜は門を閉じる。
子供にでもわかる理論である。
「開けなさい! エルモアのシャルロット・イーグル・アーダーフォレットがここを開けろと言ってるのよ!」
銀髪の少女はそう叫びつつ門を叩いた。巨大な門に対して少女の拳は小さかったが、その声は街中に響き渡るのではと思えるほど大きかった。
ケイは、その声でまたデーモンがきたら、と不安になると同時に、この大声で門が開いてくれたなら、と願った。
またあの悪魔と戦うのはゴメンである。
少女の名前はシャルロット・イーグル・アンダーフォレットというらしい。
勇ましい名前だとケイは思う。
「もう……なんで誰も答えないのよ……」
そんな勇ましいシャルロットの奮闘むなしく、門は硬く閉ざされたままだった。
(関わり合いになりたくないんだろうな)
ケイはレイスとしての感覚で、門の上にある詰め所のような場所に人の気配があることを察知していた。
シャルロットの声に反応して物見の小窓からチラチラと人の影が覗いているのも、夜目の効くケイの目にハッキリと映っていた。
無視しているのだ。
門の下にいるのは子供が三人。しかもそのうち一人は身分の高い人物だと叫んでいるのに、門を開けるつもりは無いらしい。
ほんのすこし開けて、すぐに閉じれば問題無いだろうに、薄情な連中だな、とケイは思った。
と、その時、門の上から見かねたように声が掛かった。
年若い兵士の声である。
「例えイーグルの方でも、この時間に門は開けられません!」
「なんでよ!」
「規則です!」
「そんなの関係ない! 開けなさい! 私はエルモアのシャルロット・イーグル・アーダーフォレットよ! イーグルなのよ! ほら、この紋章を見なさい!」
シャルロットはそう言って、外套の紋章を、紫電によって明るく浮かび上がらせた。
「イーグルの方でも、規則は守ってもらわなければなりません!」
「っ! あなた! 名前を言いなさい! パパに言いつけてやるんだから!」
「……」
小窓の奥から「ほらな、だから声なんて掛けなきゃ」よかったんだ、という声が聞こえてきた。
日本人としてまともな教育を受けていたケイも何か言おうかと思ったが、やめておいた。
身分の低いレイスが口を挟んだところで、ロクな事にはならないだろうから。
「壁沿いに右にいけば、破魔大樹があります! 今晩はそこでお休みを!」
兵士はそう言い捨てると、それ以後の会話を拒絶するようにパタンと木窓を閉じた。
「あっ、ちょっと、待ちなさい!」
シャルロットは木窓に向かって手を伸ばして、泣きそうな顔になっていた。
「待ちなさいよ……」
絶望と失望に彩られた瞳。
しかし、その目はすぐに強気なものへと戻った。
「モニカ、ここを歩いていけば、やすらぎの木があるんだって、頑張れるわね」
「お姉ちゃん……」
モニカは申し訳なさそうな顔で、ふわふわの金髪をゆっくりと振った。
ツインテールの先っぽがふるふると震えた。
「モニカ、もう、歩けないよ」
「わがままいわないの。あと少しだから、ね、頑張ろう?」
「……痛いんだもん……」
「痛いの? どれ、お姉ちゃんにちょっと見せ……て?」
モニカの足を見たシャルロットの顔色が変わった。
モニカの足はボロボロだった。
裸足で歩きなれてはいないのだろう。
足の裏の皮はめくれ、赤い血がダラダラと流れている。
傷口は汚れているし、このままほうっておけば破傷風になりかねない。
これでは歩けない。シャルロットはそう悟った。しかし、このままここにいるわけにはいかない。移動しなければいつかあの悪魔が来る事をシャルロットは知っていた。
かといって、シャルロットが妹をおぶさって歩くことは無理だ。なにせ、シャルロットの足もまた、ボロボロなのだから。
けれど、シャルロットは妹の前で弱音を吐くつもりはなかった。
「……」
どうしよう、シャルロットは困った顔で周囲を見回し。
ある一点でふと、止まった。
そこにいたのは、ケイであった。
「……レイス……モニカはまだ力が……だから、触れられたら……いや、でも……」
数瞬の逡巡に末。
シャルロットは意を決したように言い放った。
「レイス。特別に、あなたにモニカをおぶることを許可してあげるわ」
ケイはその言い草に眉をひそめた。
「それが人にモノを頼むときの態度かよ」
次の瞬間、シャルロットの右手が紫電を帯びた。
その光はケイへと伸びる事はなかったが、ケイをたじろがせるのに十分な光量であった。
これが、彼女が人にモノを強制するときの態度だ。
しかし、ケイとて話は聞いていた。
ここから東に行けば、破魔大樹だか、やすらぎの木だかいう木があるらしい。
名前や文脈から察するに、恐らくデーモンの寄って来ない、セーブポイント的な存在だろうとケイは推測する。
そこまでたどり着くには、自分ひとりの方がいい。
安全な場所まで見届けようとは思ったものの、この居丈高な態度のシャルロットに手を貸す気にはあまりなれない。
ケイは正義の味方ではないのだ。
文句と悪態しかつかない相手を積極的に助けたいとは思えない。
ただ一言、欲しいのだ。
プリーズが。
シャルロットも、それに気づいていた。
しかし、シャルロットはそんな事を言うつもりはなかった。
イーグルにとってレイスは下等な生き物であり、言うことを聞くのが当たり前だからだ。頭を下げる道理が存在しないのだ。
レイスがいちいち口答えをする現状に、苛立ちすら覚えていた。
「……」
「……」
ケイとシャルロットは、無言で睨み合った。
そんなケイの心情を悟ったのか。
頭を下げたのは、モニカだった。
幼いとは思えないほど洗練された仕草で、金髪の少女は深々と頭を下げた。
「あの、レイスのお兄ちゃん、お願いします」
「モニカ!? 下賎なレイスなんかに頭を下げちゃだめよ!?」
シャルロットは慌ててモニカの頭を掴み、顔を上げさせる。
「でもお姉ちゃん、お父さん、いつも言ってたよ、人にものを頼む時は、お願いしますだって」
「あれはイーグル同士の話よ。レイスはいっつも打算で動く小狡い奴らだから、頭なんて下げても馬鹿を見るだけよ」
「でも、レイスのお兄ちゃん、助けてくれたよ? 一生懸命、助けてくれたよ? なんでそんな事言うの?」
「……あのねモニカ」
シャルロットは納得が行っていなかった。
そして、どう妹を言い含めようか、真剣に考え始めていた。
対して、ケイはモニカの態度を見て、考えを改めた。
考えてみれば、この小生意気な銀髪の姉はまだしも、金髪の妹の方は最初から素直だった。
助けてくれとケイに手を伸ばしたのも彼女だし、シャルロットに電撃を受けた時もやめてくれと頼んでくれた。
そう思ってみると、この金髪の少女が天使にしか見えなくなってきた。
「わかったよ。おぶってやるよ」
「えっ!?」
ケイはモニカの前に移動し、背を向けてしゃがんだ。
シャルロットに一瞬だけ目を向けると、忌々しそうな顔でケイを睨んでいた。
(助けるのはこいつじゃない)
ケイはその視線を意図的に無視した。
モニカはおずおずといった感じでケイの肩に手を載せて、その背にのっかった。
ケイの背中に、少女特有の柔らかな感触と、熱いぐらいの体温が伝わってくる。
「言っとくけど、モニカを吸い殺したりしたら、絶対に許さないんだからね。パパに言いつけて八つ裂きにしてもらうんだから」
シャルロットの声を無視しつつ、ケイは立ち上がった。
あまり運動もしていないらしい体ではあるが、少女一人を運ぶぐらい、わけがない。
二人の少女と違い、ケイの体の足の裏は頑丈だった。
「ごめんね。レイスのお兄ちゃん。ありがとう」
「どういたしまして」
ありがとう。
そんな一言で、ケイの精神状態は大きく向上した。
モニカの体はどんどん軽くなり、ケイの体からは力があふれ出てくる。
もう、何も怖くない。
「……じゃあ、行くわよ」
「……ああ」
ケイとシャルロット。
二人は短くそう言葉を交わして、壁を伝って歩き始めた。
執筆者:理不尽な孫の手
一言「私の戦闘力は13万です」
http://mypage.syosetu.com/288399/
 




