ミュー
リレー二周目二人目 ピチ&メルさんです!
ああ、ようやく彼と一つになれる。
夢にまで見た彼の腕に抱かれ。
甘く口づけまで交わしてもらって。
――死にたくない。死にたくないなぁ。
せっかく、イオンが戻ってきて。
これから一緒に別の場所に行って。
イオンには私が何の仕事をしているのか話してはいないけど、新しい場所へと行けばこの仕事からも足を洗って。
レイスの私達じゃ、真っ当なお仕事なんて望めないけど、いざとなれば街の外で小さな畑でも作って、私が畑のお世話をして、イオンには森へ狩りにでも行ってもらって。
――死にたくないなぁ、死にたくないよ。
いつかイオンの子供を抱いて、三人で一緒に寝て。
もっと色々見てみたかった。
この世界は私達レイスにとって、とても残酷だけど。
私はイオンと一緒なら、とても綺麗に見えたと思うんだ。
二人でどこまでも一緒に、この果てしない世界を見てみたかったんだ。
――死にたくない。死にたくないなぁ。もっと生きていたいよ。
イオンと一緒に、毎日笑って生きていたいよ。
そうだ、そこにアクシオンも加えてやってもいいかな。
せっかく二人でいる時に邪魔してばかりのあいつだけど、寂しがりやだしな。
それにイオンにとっても大切な友達だし。
――生きたい。生きたい。生きたいよ!
神様なんてものが本当にいるのなら、どうかお願いします。死にたくない。もっと彼の側で生きたいんです。お願いします。お願いします。お願い、どうかッ――!
叶う筈もない願いだ。
分かっていた。
だからせめて――。
私はもう死んでしまうけれど。
せめて彼に私という存在があったことを。
ミューという名のちっぽけなレイスの女の子が確かに生きていた証を。
彼の中に残しておきたかった。
残り火のような僅かな自分の命が、彼を癒しわずかでも力となって。
願わくば、少しでも彼がこの残酷な世界で生きて行ける力となりますように――。
△▼△▼△▼△
――レイスの王の力を、見せてやる。
口に残る、彼女との最初で最後の血の味のする口づけ。
ケイは拳を握り締めると、蛇目の男――メルディンを睨み付ける。
殺す。絶対に殺す。
日本人であった頃も、この異世界へと来てからも、これ程の殺意を覚えたことは無かった。
ケイの固く握りしめた拳は、手の平の皮を破り血が滴り落ちていた。
――いやぁね、イオンったら。私のこと忘れちゃったの?
異世界に放り出され、不安で、ひもじくて、助けが欲しくて、多少の打算はあったにしろ、助けを求めれば容赦なく蹴り飛ばされて――。
そんな時、彼女に出会った。
――ナンパ? あはは、レイス同士でナンパしてどうすんのよ。
彼女が子供とは思えぬ程、妖艶な微笑みを浮かべて話しかけてくれた時――ケイがどれだけ安心感を覚え、心が救われたことか。
――ええ~、冗談やめてよ。本気? ほんとにこのミュー様のことを忘れた? ミューさま! でしょ?
右手の人差指をピンと伸ばし、少し子供っぽく頬を膨らませて自分の名前に『さま』付けを強制しようとする彼女。その茶目っ気たっぷりの笑顔が眩しくて――。
――あーあ、イオンが死んだら私が吸い尽くしてやろうと思って、少し楽しみだったのになぁ。
ちょっと怖いことも言っていたけれど、それでも寄る辺のない自分には彼女しか頼る人物がいなくて――。
――あのイオンが、このミュー様に食べものをねだるなんて! あはっ、アクシオンに自慢しよ。
ほんのわずかな時間でころころと変わっていくその表情は、とても魅力的で――。
だが、もう彼女の表情が変わることは無い。
あの愛らしい声で話しかけてくれない。
あの魅力的な微笑みを向けてくれない。
――そうか。
ケイは理解する。
ケイの意識の奥底に眠ったはずのイオンの記憶。本来の身体の持ち主であるイオンの魂が、彼女の死を嘆き悲しみ、そしてその思いをケイに訴え続けているのだ。
背中から腹部にかけて貫いた窓枠の残骸によって出来た傷痕。
そこから流れ出してしまったミューの血液と、ケイによって吸い取られた彼女の命の最後の灯。
元々白かった顔色をさらに青白いものにして、彼女は二度と目覚めることのない眠りについてしまった。
――じゃ、このミュー様がちょちょっと穫って来てあげるから。……感謝しなさいよ。
――すぐ戻るわ!
――おまたせー。はい、召し上がれ。
――何よ、イオン。この期に及んでまだ食べないつもり? いい加減にしないとほんとに死ぬわよ。
満面の笑顔で丸々と太った生きたネズミを押し付けられて、途方に暮れるケイを見て心配そうに顔を覗き込んでくれたミュー。
腕の中で息を引き取った――異世界で初めてケイに人の温もりを与えてくれた小さな少女。
イオンだけではない。彼女の存在は、ケイにとっても大きなものになりつつあったのだ。
例え、この異世界に来てほんのわずかな時間を一緒に過ごしただけの関係であったとしても。
しかし、その気持ちに気がつくのがあまりにも遅すぎて――。
気が付いた時には、全て手遅れで――。
ミューの綺麗な身体を地面に横たえるのも本当は嫌で、だがそれでもあのメルディンとかいう糞野郎をぶっ飛ばしてやるにはそうするしかないわけで――。
「ああん? レイスの王だぁ? くくく、あーっははははは! おいおいおい、たかだかちっぽけなレイスの小娘の命吸い取ったくれぃで、王様とか何言っちゃってんの?」
「ちっぽけなレイス……か」
ケイはゆっくりと目の前に右手を持ち上げる。彼女の軽くなってしまった身体の、命の重さを知る右手をジッと見つめる。
「――お前の言うとおりだよ。彼女はちっぽけな存在だった。路地裏を走り回って、ネズミを獲って――ああ、そうだよ。力が在る連中からしてみれば、ミューはその日を生きるのが精一杯の虫けらにも等しいんだろうよ! だがな――っ!」
にやけた笑みを浮かべるメルディンを睨み付け――。
「俺にとっては恩人なんだよ! ちっぽけな存在だなんて決して言わせない! 言わせてたまるか!」
ただ一人、寄る辺もなく途方に暮れていたケイに、この異世界で最初に手を差し伸べてくれたミュー。それがイオンというこの身体本来の持ち主へのものであったとしても、ケイは涙を零したくなるくらいに嬉しかった。
「殺す。お前は絶対に俺の手で殺す!」
「ふん、惚れてでもいたのか? あのメスガキに……言っておくが、こういう街で暮らしているレイスの女が生きていくには……」
「黙れ!」
メルディンの向上を遮る。
それ以上、口にはさせない! 彼女を汚す言葉を出させない!
「イーグルの住む街でレイスの女が生きるってのはな、花売りしかねぇんだよ!」
「黙れと言ったぁああああ!!!」
絶叫と共に、ケイの足元が爆発するような轟音を立てた。
一直線に弾かれたようにメルディンへと跳ぶ。
「馬鹿の一つ覚えがよぉ! そう、何度も同じ手にやられると思うなよ! おらあああ!!」
メルディンは暴風のような唸りを上げて迫るケイの拳を左腕でブロックしつつ、カウンターで右拳をケイの左頬にぶち込む。先程とは逆に、ケイの身体は簡単に吹き飛び背後の建物の壁に叩き付けられた。そのまま壁に背を持たれかけさせ、ズルズルと崩れ落ちるかのように地面へと座り込む。
「おいおいおい? もう終わりかぁ? レイスの王様がどうとか言ってなかったかあ?」
うな垂れて座り込むケイに嘲笑を浴びせ、止めを刺すべくメルディンは一歩を踏み出そうとしたが――。
「……いってぇなぁ……ほんっとにいてぇよ……」
ケイの呟きが聞こえ、足を止める。
「ああ……ほんとにいてぇよなぁ……ミュー。痛かっただろうなぁ……ほんと、ごめんな……」
「おいおいおい、マジかよ? 今のは結構手応えあったんだぜぇ? なのに何で……」
メルディンが驚きで目を見張る。
彼の目に映る、ケイの生命力の輝き。一片も失われていない圧倒的な輝き。
「何で、てめぇはダメージを受けてない? ああん?」
蹲ったままの姿勢のケイを見下ろす。ケイはまだ動かない。
今、メルディンがケイに攻撃すれば、ケイを為す術なく一方的に蹂躙できただろう。だが、メルディンは動けなかった。
メルディンの煌々と赤く輝くその蛇のような目が、ケイを見つめていた。
――違う。明らかに今までのケイではない。
戦闘経験が豊富ゆえに、メルディンは相手の力量をほぼ正確に読み取ることが出来た。
ケイはレイスとして、確かに上等な部類の戦闘力を持っていた。メルディンの相棒であった禿頭の男と比較しても、その力は遥かに上回っていた筈である。ただしそれは潜在能力に限っての話だ。
確かに、レイスとしてのケイの潜在能力は高かった。メルディンが思わぬ拾い物だと思ってしまったほどに。
しかし、先程までの彼には圧倒的なまでに戦闘経験が圧倒的に不足していた。能力においてはケイに比べて遥かに劣ってはいたが、こと戦いにおいてはメルディンが殺してやったミューという名の少女の方が、手強く感じたくらいだ。
だが――。
今、致命的な隙を見せている筈のケイに、メルディンは動くことが出来なかった。
彼の勘が最大級の警戒を促していた。こんな事は彼にとって初めての経験だった。
イーグル相手であっても、ここまでヤバいという感覚を受けたことは一度も無い。師団長クラスのイーグルとも何度も戦った経験もある。そしてことごとく自身の糧へとしてきた。
そのレイスの中でも類まれなる戦いの才能を持つメルディンの身体が、知識が、経験が、目の前で無様に蹲っているレイスの少年から脅威を感じ取っていた。
身体能力の、戦闘能力の底が見えない。つい先刻まで見えていた彼の能力の底が、メルディンの目を持ってしても読めなくなっていた。
たった一匹――薄汚れたレイスのメスガキの命を吸い取っただけで、人はこれほど劇的なまでに変わるものなのだろうか――。
「ああ、もう……てめぇは一体、なんなんだ? ああ?」
「――イオン。この身体の本当の名前はそういうらしいぜ?」
ケイはゆっくりと立ち上がると、メルディンと同じく煌々と朱に輝く瞳で睨み付けた。
「そして、さっきも言った通りお前の死神だ」
「さっき、俺様に手も足も出ずにぶっ飛ばされた癖に、ほざくな!」
叫ぶと同時にメルディンは大地を蹴る。ミューの渾身の跳躍すらも一瞬で追いついて見せた爆発的な加速力。
殺った――!
拳が立ち尽くすケイの左頬をへと迫り――わずか、半歩。たったの半歩、ケイが後ろへと下がる。ただ、それだけでメルディンの、地面が陥没するほどの踏み込みから放った渾身の右拳は紙一重という隙間を残して、ケイへと届かず空を切り――。
「……んだとっ?」
ケイの左手が、伸び切ったメルディンの右腕を掴み取っていた。
「く、くそ! はっなしやがれっ!」
全身の力を振り絞って掴み取られた右腕を自由にしようと、身を捩り両足を踏ん張る。
「ぐぎぎ、がぁああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
ピクリとも、ほんのピクリとも動かない。まるで万力で締められてしまったかのように、右腕が自由にならない。
顔を真っ赤にし、凄まじい形相を浮かべるメルディン。そして、それをケイはひどく冷めた思考で見つめていた。
さっきまで圧倒的強者に見えたメルディンがとてつもなく矮小に見える。
「ああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
掴んでいた右腕を解放してやる。
メルディンが跳び退るようにして大きく距離を取った。余裕の浮かんでいた表情は消え失せ、荒い息を吐いている。
蛇目はいまだ煌々と輝かせているものの、先程までにはない焦りと恐怖の色が浮かんでいた。
ケイは唇に残る血を乱暴に右手の甲で拭い取る。切れた唇から流れ出た自身の血と、ミューの最後の口づけでついた血を――。
「くそくそくそくそくそがぁああ! 惚れた女が死んだからパワーアップだぁあ? ふざけんな! どこの三文芝居だ! おれがこんなクソガキに、クソガキなんかにっ――!」
「違う。パワーアップしたんじゃない。」
はぁ、はぁ、と息を荒げ悪態を吐くメルディンを見ながら、先程までの激昂が嘘のように静かな声でケイは呟いた。
「最初から俺の中にあったんだよ。俺はレイスの王だ。ようやくその意味が分かってきたような気がするよ、イオン」
「何を訳わからんことをごちゃごちゃ言ってやがるっ!」
再び大地を蹴ってメルディンが殴りかかってくる。が――。
――見える。
まるでメルディンの動きがコマ送りされているかのように。先程の彼の拳も今と同じように見えた。こんなに遅ければ躱すことなど、造作もない。反撃をすることだって、造作もないことだった。
何気なく右足を振り抜く。
ケイの感覚ではただ、メルディンを軽く蹴り返しただけのような感覚。
だがその蹴りは――。
「――ごぶっ!」
周囲に爆風を撒き散らし、くの字に折れたメルディンが砲弾のような勢いで吹き飛んでいく。背後の壁をぶち抜き、柱をへし折り建物をぶち抜いたところで大地に身体が叩き付けられる。二転、三転と転がり無様に四肢を投げ出した状態でメルディンは倒れ伏した。
――かひっ、かひっ。
鳩尾をとてつもない力で蹴り上げられ、呼吸が苦しい。
ただの一蹴りで、鋼のように鍛え上げられていた筈のメルディンの腹筋が完膚なきまでに破壊されていた。恐らくは内臓も一つか二つ、破裂しているだろう。
こみ上げてくる血を、咳と共に吐き出す。
わずかに残る力を振り絞り、首を上げて倒壊しかけた建物の奥を睨み付ける。
土埃舞う建物から歩み出てくるレイスの少年――。
彼は確かにメルディンにとっての死神だった。
「く、くく……ざま、ぁねぇな……せっかくこれから……たのし……く……なるってぇのに……よぉ……」
ケイは歩みを止めると、メルディンを見下ろした。レイスの目が教えてくれる。メルディンの命の灯の輝きがどんどんと小さくなっていく。
「……くそ……が……」
メルディンは血を吐きながら震える右手を持ち上げる。
最早、訪れる死は逃れ得ぬであろうに、その執念に憎しみ足りない相手であっても、ケイは思わず感心してしまった。
「た、ただでは……死な……ねぇ……」
かひゅ、かひゅとか細い息を吐きながら、メルディンが薄ら笑いを浮かべる。
「吸い取った……ち、から……は……こんな風にも……つか……え……るんだ……ぜ!」
メルディンが持ち上げた右手の先に赤い光が急激に収束し――。
「て……てめぇの、だ……いじなモン……も、こなごな、になりやがれぇっ!」
メルディンがこれまで吸い取って来た幾多の犠牲者達の命の灯を、自身の命すらも破壊の為の光――命の源流となるエーテル――へと換えて、ミューの遺体が安置されている場所へと向けて解き放つ。
イーグルの鷲の雷槌に相当する、レイスの技。
しかし――。
ケイの目は収束する力の流れを完ぺきに捉えていた。
決して長くはないが、メルディンのこれまでの言動と右手の向く先からすぐに狙いが知れた。日本で見ていたアニメや漫画という予備知識も役に立った。
一瞬で右手の方向先へと移動すると、放たれたエーテルの光を右手一本で受け止め、吸収してしまう。
メルディンが全身から絞るようにして掻き集めた残り滓のような力を、最後の悪あがきを、いともあっさりとあっけなく――。
「ば……けものめ……」
最早、悪態を吐く力も残していないのか、かひゅかひゅとか細い呼吸を繰り返すだけのメルディンへと歩み寄る。
「終わりだ」
冷たく宣告し、ケイはメルディンの頭部を踏み潰した。
執筆者:ピチ&メル
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一言「受験合格するんでしょうか?(疑)」
次回執筆者は私、星崎崑です。胃が痛い!
 




