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レイスの王  作者: 星崎崑・桂かすが・みかみてれん・理不尽な孫の手・鼠色猫・わい・赤巻たると・ピチ&メル
10/18

へし折られる意思

リレー二周目一人目 鼠色猫さんです。

文量多めに書いてくれたので、分割しています。

二周目の順番は、くじ引き的な方法でシャッフルしました。

 拳に、人体を殴りつけた感触を味わいながら少年――ケイは想像以上の自分の身体能力に驚きを隠せないでいた。


 迷いを打ち消し、走り出した瞬間から体の軽さは感じていた。

 ただ、それはあくまで精神と肉体が目的を同じくしたことによる、ある種の感覚的なものであるとばかり思い込んでいた。だが、今しがたの一撃を前にそんな考えは吹き飛んだ。


「明らかに、前と違う。体が軽いなんてもんじゃない。重さを感じなかった」


 走る体の軽さを羽のようとたとえることがあるが、今のケイの肉体はそれに勝る。羽どころか、自分自身が風になったような感覚だった。

 今はそれが、イブリースを飲み干したことによる肉体の変調だと理解している。

 彼の悪魔との戦い――それは守るべき二人との出会いだけでなく、二人を守るための力を無力な自分にもたらしてくれていたのだと。


「う……うぅ……」


 ケイに殴り飛ばされて、地面に倒れ込んでいる年若い騎士服の人物が呻いている。

 手加減する余地がなく、思い切りに横っ面をぶん殴ってしまった。盛大に口の中を切ったのか、唇の端から血がにじんでいるのが見えたが、命に別条はなさそうだ。


「それにしても、さっきのはなんだったんだ?」


 黒い影、ともいうべきわけのわからない姿を回想し、ケイは首をひねる。

 揺らめく影は怯えて足を引きずる少年を追い詰め、まるで重なるように彼の肉体に沁み込んでいった。ケイの目からはその光景だけでなく、明滅する少年の命の輝きが、真っ黒いおぞましい色に覆い潰されるのがはっきりと見て取れたのだ。


 生命力が弱まっていくその感覚を、ケイはネズミで何度も掌の中で確かめてきた。あの悪魔――イブリースを吸い殺したときにも、規模は違えど同じだけのものを。

 だからこそ直感的に、ケイにはそれが危険な信号であることがわかった。故に、


「問答無用で殴りかかったけど……あれで倒せた、と思っていいのか?」


 拳が命中した瞬間、ケイは声にならない影の絶叫を聞いたような気がした。

 少年の体の中で膨張しつつあった黒い影は、その拳の威力の前に砕け散り、今はその残滓すらもケイの目には捉えられない。

 精神体、エネルギー状の存在、ガス状生命などという単語が脳を掠めたが、


「そんなことは今は後回しでいい。殴れば倒せる。今、必要なのはそれと、あいつらが敵だって確信だけだ。あれが、ファントムって奴だと思っていいだろうな」


 ミューが口にしていた、ファントムの奇襲は防げないといった情報。

 なるほど、件の連中全てがああした実体を持たない生命体であるのだとしたら、大仰な都市の防壁などなんの意味も持たない。むしろ、中で奴らが暴れ回ったとしても、門扉以外からは外に逃げ出せなくなる単なる檻へと姿を変えるだろう。


 絶叫と、血風が周囲に立ち込めていて、鼻を犯す臭気にケイは顔をしかめる。

 あたりには倒れる少年と同じ格好の騎士や、甲冑を身にまとった衛兵などの死体が散乱している。おびただしい血の量と、こぼれ出した内臓や脳漿。

 生命力を感知するまでもなく、それが『死』の充満する空間であることがわかる。


「――不思議だ」


 これほどの死体を前にすることなど、元の世界含めて初めてのことであるはずなのに、ケイは自分が驚くほど冷静にこの状況を受け止めている自分に気付いた。

 元の世界で安穏と暮らしていた自分ならば、これほどの状況を前にすれば狼狽し、恐怖から失禁して、誰にともなく命乞いしながら泣き喚いてもおかしくないのに。


「他人事みたいに客観視してる、わけじゃないぐらいの自覚はあるのにな」


 しゃがみ込み、死体を検分しながら不思議な感情をケイは噛みしめる。

 血が失われて青白くなり始めている死体は、生命があったことを忘れて人形めいてすらいた。確かにあったはずの命の輝きがなくなった、文字通り空っぽの器。

 だからだろうか、死生観を確立した今のケイに、彼らがなんの情動ももたらさないのは。


 死体を前にして、悲しいといった感情も怒りの感情も湧き上がってこない。

 胸中にあるのはただただ、静かな寂寥感とやらなくてはならないことへの使命感のみだ。

 彼らが知人ですらなく、助けるべき相手だと目していたわけでもないことを含めて、ケイは自分の感情の不動さに驚くばかり――だが、悪いことでもない。


「今の状況で必要なのは冷静さと、目的を見誤らない冷徹さだ。全部を拾い切ることなんて到底できない。できるのは、できることは、少ない。間違えるな」


 歩き出す。前へ。ここにはもう、何も用がない。

 殴り飛ばした少年を路地の端へ寄せて、落ちていたマントを上からかぶせてせめてもの目くらましに。彼を担いで連れていく余力も義理もない。

 彼が助かるかどうかは、ひとえに彼自身の運だけだ。その最初の一端にだけ、ケイが力を貸しただけのこと。


「助けは、できない。ごめん。できれば、死んでくれなければいいと思ってる」


 言い残し、顔を上げたケイは再び地面を蹴った。

 加速に地が爆ぜ、風というより暴風と化したケイの肉体が都市の大通りを駆け抜ける。そこかしこで巻き起こる戦いの気配、殺戮の奔流、生命が輝き、散っていく。

 その全てを目で、肌で、心で感じ取りながら、一心に路地を踏み砕き、唇を噛みしめながらケイは走った。


 脳裏に浮かぶのは、シャルロットとモニカ、二人の姿だけだった。

 笑顔の一つもまともに見せたことのないシャルロットが、痛々しさを押し隠して気丈に微笑むモニカが、どうしてこんなにも、自分の心を騒がせるのか。


 涙声の二人の姿が脳裏を何度もフラッシュバックする。

 崩れ落ちたシャルロットが、そんな姉を背中から抱くモニカの姿が、何度も何度も。


 いくつもの死体を見ても、凍りついたように動かなかった心に圧倒的な火がともる。

 燃え盛る火炎がケイの手足に爆発的な力をもたらし、街路を突き抜ける小さな体躯を暴風から爆風へと押し上げていく。

 熱風を巻き、歯を剥いて獣のように吠え、ケイは都市の中を吹き抜ける。


 泣き声が耳から離れない。悲痛な顔つきが目に焼き付いて消えない。生命の輝きすら曇るほどの悲しみに苛まれる、二人の心の揺らぎが胸を掻き毟って止まらない。

 この心の騒がしさはなんなのか。何故こんなにも、彼女らの姿はケイの心をかき乱してやまないのか。どうしてこんなにも、ケイは二人を思っているのか。


 それはあの『やすらぎの木』での一晩を越えて、都市へ戻る途中の道のりで、ほんのわずかな時間だけ心を交わした二人に対して、こう思ったからなのだろうか。


 ――怒った顔ばかりのシャルロットの笑顔を、見れるものなら見てみたい。

 ――なんの気掛かりも不安もなくなった空の下で、花の咲くモニカの笑顔を見てみたい。


 それが今、奪われそうだから、こんなにも自分は怒り狂っているのか。

 奪われること――奪うものであるレイスの本能が、奪われることへの絶対的な忌避感をもたらしているのか。


「――止まれ、そこのレイス!!」


 警告は、紫電の輝きをまとってケイの体を横合いから絡め取ってきた。

 雷の刺激が肌を焼くのを感じながら、しかしその本来の威力はケイの肉体になんら影響をもたらさない。躍動する四肢はあっさりと必殺の雷を跳ね除け、そのまま意に介さず行軍を続行させ続けたはずだ。

 ――その、『止まれ』という呼びかけの声に聞き覚えがなければ。


「貴様は……ッ」


「あんた、確か昨日、門のところにいた」


「やはり、貴様は昨日の……死んだはずが……おのれ、やはりあの怪しい護衛もグルだったのか!」


 口惜しい、と悔しげに歯ぎしりするのは昨日、都市の街門で一戦を交えたイーグルの一人だ。華美に飾られていた、エルモアの紋章が記された外套も今は血と土埃に汚れており、額から血を流す彼は足を引きずってすらいた。満身創痍だ。

 が、男はその瞳に敵意と殺意をともし、憎悪を舌に乗せてケイを睨みつけている。


「グランド殿の仇だ! 今度こそ、貴様を地獄へ送ってやる!」


「そんなケガして強がってる場合じゃないだろ。それより、シャルロットとモニカの二人はどこにいる? エルモアの聖館ってのはどこにあるんだ?」


「――ッ! 誰が貴様のような悪辣な輩に口を割るものか! あのお二人はグランド様のご遺児……エルモアの守るべき誇りだ! 断じて! 貴様らレイスに、ファントムに! 暁の復讐者などの、慰み者にはさせんぞ!!」


 口汚く罵る男の目は血走っていて、すでにケイの言葉に耳を貸す姿勢にない。

 鷲の雷槌は通じないことを理解したらしく、長剣を引き抜く。鈍い血で曇った輝きを構える男に、ケイは両手、両足を開いたスタンスで身構える。

 その姿勢に男は眉を上げたが、ケイはまるで「かかってこい」とでもいうように無防備な姿勢をさらしたままだ。侮辱と受け取ったのか、男の顔が憤怒に染まる。


「――きええええええい!!」


 裂帛の気合を叫び、男の体が足をケガしているとは思えないほど機敏に跳躍した。

 真っ直ぐに飛び込み、真上からの斬撃でケイの体を割る動きだ。怒りに身を任せているかと思いきや、腕を畳んだ振りはコンパクトで、刃の先端の重さで放たれる斬撃は軌道と速度を含めて容易く避けられるものではない。


「な――!?」


「悪いけど、あんたに構ってる猶予はないんだ」


 が、その斬撃をケイは容易くかわした。

 身をひねり、斬撃を掠らせるほどの至近で回避。先端を地につける刃を踵で押さえて、反対側の膝が男の顎を真下から強烈に跳ね上げる。

 苦鳴を上げてのけ反る男の体を、着地したケイが襟首を掴んで地面を引き倒した。目を回す男に馬乗りになり、動きを封じながら掌で男の顔を覆う。

 ――レイスに命を掴まれていると、そう悟った男の動きが硬直したのがわかった。


「質問に答えれば殺しはしない。シャルロットとモニカの二人はどこだ。エルモアの聖館と、どの部屋にいるかまで含めて洗いざらいぶちまけろ」


「だ、誰が貴様のようなものの脅しに屈するものか……あ、はぁっ!?」


 強情を張る男を脅すために、『少しばかり』命を吸い取ってみせる。

 手足を痙攣させて、視界を塞がれた男は自らの命の蝋燭が短くなる事実を実感したはずだ。そんな男にさらに声を低くして、ケイは重ねて問いかける。


「二人がどこにいるか、答えろ。それ以外のことを喋るな」


「し、死んでしまえ……貴様らレイスに呪いあれ! エルモアの裁きが必ず貴様を……っ!?」


「普段ならあんたみたいな覚悟、嫌いじゃないよ。普段で、相手が俺でなければ」


 加減を加えながら、ケイは男の体から生かさず殺さずで生命力を吸い取っていく。痙攣し、泡を吹き、幾度も意識を失いかけながらも、男は口を割ろうとしない。

 素直にその気力を賞賛しつつも、内心でケイは臍を噛まずにはいられなかった。


 時間をかければかけるほど、二人の生存は危ぶまれていく。

 かといってなんの情報もなしに都市の中を走り回っていても、闇雲に時間を浪費して同じ結果を招くだけだ。男のエルモアへの忠誠心を甘く見ていたのも痛い。あるいはそれほどまでに、レイスに屈することをよしとしないほど差別意識が根強いともいえるが。


「世界観に恨み言こぼしてても変わらない。クソ、どうしたら……」


「おいおい、楽しそうなことしてんじゃぁねぇの。俺らも混ぜてよ」


「――――!」


 瀕死の男の上で考え事をしていたケイは、唐突に背後から届いた声に慌ててふりかえった。

 視線の先、荒れ果てた街路を挟んだ向こうの通りに、三つの人影が現れている。

 声をかけてきたのは、その三人の先頭を歩く青年だ。くすんだ灰色の髪を伸ばし、首の後ろで一つに縛った二十代前半ぐらいの青年。細い、蛇のような粘つく威圧感を放つ目つきが特徴的で、ケイは自然と自分が体を強張らせるのがわかった。


 ――イブリースを取り込んで、圧倒的な身体能力を持つ自分が、だ。


「劣等種族だなんだって俺らを小馬鹿にしてたくせによぉ。いざ、こうやって守勢に回って見りゃぁこの様だよ。これでよく、これまで偉そうにしてきたもんだぜ、なぁ?」


 肩をすくめる男の馴れ馴れしい態度と口調、その立ち位置から彼が暁の復讐者の一味であることがわかった。彼から見て、レイスであるケイを仲間扱いしていることから、彼がレイスであるという事実も。

 ただそれを抜きにしても、


 ――ただ、強い。


 組み伏せたイーグルの男を前にしたとき、感じた戦闘への高揚感とは別物の感覚が背筋を駆け抜けていくのをケイは感じ取っていた。

 迂闊に手を出せば、間違いなく手痛いしっぺ返しを受ける。


「そぉんな目で見んなーって。同族だろ? 取って食いやしねぇって。むしろ俺は喜んでるぐらいだぜ? 暁の復讐者に加わってないレイスでも、こうやって暴れる機会を用意してやれば、きっちり本能に従ってくれるんだってわかってさぁ」


「……本能って」


「他者から奪って、奪い尽して、そいつを支配してやりたいって本能だよ! 当たり前だよなぁ。お前だって、都市で暮らしてくのは楽なんかじゃなかっただろ? 小馬鹿にされて、理由もなく蔑まれて、こいつらイーグルに見下されて、さぁ!」


 言いながら、蛇目の男は横に立っていた長身の男の腹に拳を打ち込む。

 衝撃にくの字に折れて、嘔吐する男の恰好はエルモアの外套を羽織っていた。つまり、その男もまたイーグルということになるが。


「なんでいいように殴られてるか不思議って顔してんなぁ? ファントム引き連れてんだから当たり前だろ? それとも、ファントムを見るのは初めてかい、同胞」


「ファントム……」


「そう、ファントム。俺らとおんなじ、『劣等種族』って奴だ。劣等、劣等ってなぁ。はは、ははは! 笑える! これ、超笑えるだろ! ははははは!」


 哄笑を上げる蛇目の男が、しゃがみ込んだ男の顔をさらに蹴りつけた。横倒しになるイーグルを足蹴にし、掌を踏み砕いて絶叫を上げさせる。

 痛みに声を上げながら、しかしイーグルの男は傷を押さえることも、蛇目の男に反抗することもできない。ケイは目を凝らし、男の生命力を感知した。そして、彼の命の灯が圧倒的な黒い影に覆い尽されているのが見えた。

 そして、先の少年イーグルの状態と今の状態を鑑みて、理解する。


「実体のないファントムは、他人の体に乗り移って操れる……!」


「そ・ゆ・こ・と。なぁんだ、いいぜ、いいね、理解が早いぜ、同胞。そんなわけで、ファントムが乗っ取ればイーグルの鷲の雷槌も何の意味もねぇ。うっかり、乗り移ったまま殺しちまうとファントムも死んじまうのが難点だが……」


 呟きながら、蛇目の男は長い舌を伸ばして死に体の男を楽しげに見下ろす。そして小さな声で「出ろ」と命令。その命令に従い、イーグルの体から影が溢れ出し、人型をまとって蛇目の男の背後に浮遊した。

 これでイーグルは自由の身となったはずだが、


「こんだけ痛めつけられてりゃぁ、残念だけど得意の雷撃も必殺の剣技も出せないわな。どうよ。自由な体で、それでも劣等種族に足蹴にされてる気分はさぁ」


「こ、殺してやる……っ。貴様ら下賎なレイスが、ファントムが……わ、我々、イーグルへなんたる屈辱を……その死で、必ず贖わせて……」


「おー、恐い恐い。恐すぎて恐すぎてたまらねぇから……先にお前が死ね」


 言って、蛇目の男は呆気なく、呪いの言葉を吐くイーグルの男の頭を踏み潰した。

 頭蓋が踏み砕かれる音は、まるで卵の殻を割るようにあっさりとしたものだった。どろりと中身がこぼれ出し、靴裏を汚すそれを煩わしげに蛇目の男は壁になすりつける。


「とまぁ、こんな感じでやりたい放題だ。いいぜぇ、虐殺。見下した目でこっちを見てた連中を、這いつくばらせて命を踏み躙る感覚はたまんねぇよ。お前も、こっち側だろ?」


「な、何を根拠に……」


「ネズミいたぶる猫みたいな真似して、馬乗りやってる姿じゃ説得力がねぇよ。それに、お前にも俺が見えてんだろ? なら、俺にだってお前が見えてんだぜ?」


 蛇目の男の細い目が薄く開かれて、赤い輝きがこちらを絡め取る。

 射竦められたケイは体を硬直させ、そんなケイに蛇目の男は喉をひきつらせるように笑い、


「何匹、上等な種族様を吸い殺したんだか知れねぇけど、そんだけ命を溜め込んでて小さくなる必要ねぇよ。普通の奴ならそんだけ吸ったら、破裂してるか腹下してるもんだぜ」


「…………」


「だんまりかよぉ。まぁ、俺みてぇに戦果を誇らしげに語るのもかっちょ悪いもんなぁ! 小者っぽくって萎えるってかぁ? そう思われてた方が、見下し返す快感があっから俺ぁ気にしねぇけどな」


 自信を隠そうともしない蛇目の男、そして彼の言葉にケイは自分の立ち位置を見失う。

 彼の言葉を否定したい気持ちはあるが、否定し切れないのもまた事実だ。

 イーグルのレイスへの扱いに物申したい気持ちはあるし、たった二日ばかりの時間でも扱いの悪さは十分に堪能させてもらった。ミューやアクシオンが荒んだ日々に希望を見出せないことも、彼らの驕り高ぶった態度が原因ではないか。

 それに、こうして理由があってイーグルの男の命を預かってこそいるが、そうして力を振るうことに快感を覚えなかったと言えばそれは嘘になる。

 圧倒的な力で弱者を蹂躙すること。見下してきていた相手を力で圧倒し、立場を逆転させることに甘美なものを感じないわけではない。ケイは聖人ではないのだ。蛇目の男の言い分を、一から十まで否定することはできなかった。


「おい、メルディン。いつまでも道草を食ってるわけにはいかないぞ」


 と、押し黙ってしまうケイを余所に、蛇目の男が連れ立っていた青年の一人が口を開く。禿頭の人物は黒い装束を羽織っており、傷を隠しているのか顔には疲労の色が濃い。

 彼はメルディン、と名を呼んだ蛇目の男の横顔をうかがいながら、


「すでに陽動の役目は十分だ。そろそろ俺たちも本隊に合流しなけりゃ計画に支障をきたす。楽しむのも大事だが、目的を見失っちゃ話にならん」


「俺にお説教すんじゃぁねぇよ。言われなくてもそんぐらいわーぁってるってんだ。おい、お前もこいよ!」


「え!?」

「メルディン!?」


 声をかけられたケイと、禿頭の男の驚きの声が重なる。

 その二人にメルディンは渋い顔を向けながら、


「うるっせぇなぁ。貴重な同胞で、しかも戦力だぜ? 連れていかねぇ選択肢があんのかよ。お前、脳みそネズミにでも齧られてんじゃねぇの?」


「ふ、不確定の要素は計画に入れられない! わかってるだろう! もともと、都市にいるレイスたちの反逆は計画に盛り込まれてないんだ! あれば幸い、なければ仕方ない程度の重要性で……」


「だーぁーかーぁーらーぁ! 拾い物だって言ってんだろーがよぉ! 目ぇ凝らしてあのガキ見てみろや。てめぇなんざよりよっぽど使い物になりそうだぜ、バーカ」


 訴えかける男の尻を蹴り、悲鳴を上げさせてメルディンはこちらに背を向ける。禿頭の男は言われた通り、ケイをじっと見つめてから驚いた顔で「ほ、本当だ……」と声を震わせていた。


 どうやら、レイスの能力にも個人差が存在するらしい。ケイやメルディンのように、瞬き一つで通常の視点と切り替えられるものがいる一方、禿頭の男のように意識して目を凝らさなくてはいけないものもいるらしい。ともあれ、


「ついていくって言っても……どこに……」


「あー、なんつったっけ。ほら、あそこだ。えー、ほら、わかんだろ?」


「わかるわけないだろ……」


 大雑把すぎるメルディンの返答に顔をしかめながら、ケイはその場から立ち上がって彼らの言葉に従う姿勢を見せる。

 反抗しても利点が見当たらないことと、『勝てる保障』が見つからないことが理由だ。さらに付け加えれば、暁の復讐者の『計画』とやらにも興味がある。そのあたりの情報を口にさせてから、隙を見て離脱しよう。――そんな算段だった。


「おっと、その前にだ」


 同行しようとするケイを振り返り、メルディンがその口を嗜虐的な笑みに歪めた。

 ゾッと、背筋を冷たい舌に舐られるような感覚にケイは幾度目かわからない硬直。そのケイの目の前で、文字通りにメルディンの姿が消えた。そして彼は、


「ちゃぁんと、吸い殺しておかねぇと♪」


「あぁぁぁぁぁ――!!」


 ケイが押し倒し、そのまま放置しようとしていたイーグルの男の命を吸い尽していた。

 命の灯が色を失い、突きつけられたメルディンの指先を伝って彼の全身へと流れ込む。ところが、彼の命の強奪はそれだけにとどまらない。

 伸ばされたメルディンの指先から、命を吸い尽された男の体が崩れ去っていく。生命力の枯渇は彼を死体へ変えるだけに飽き足らず、死体を構成する余力すらもその肉体から奪い尽し、枯らし尽くし、消滅させた。


「ごっそさん。あー、クソマズイ。碌な人生と最期じゃねぇなぁ、おい」


 塵も残さず消失した体。身につけていた衣服だけが彼の存在の名残で、それすらもメルディンの足で踏みにじられて汚される。文字通り、命を蹂躙された形だ。

 どくん、とケイの胸の中で大きく、鼓動が鳴った。


「悪いな、坊主。ああなったらメルディンはこっちの意見なんざ聞きやしねえ。まあ、悪いようにはしないつもりだ。今は俺たちと一緒に……」


「さっき、どこに行こうとしてるって言ってたんだ?」


「――?」


「さっき、あのメルディンって人がちゃんと教えてくれなかったじゃないか。あんたたちはいったい、この都市のどこに向かうつもりだったんだ?」


 疑問を浮かべる男に、ケイは努めて平静な声で問いかける。それを受けて、禿頭の男は「ああ」と合点がいった顔つきで頷き、


「計画の肝だな。エルモアの聖館だ。そこに運び込まれたって話の、エルモアの至宝『ルクシュの宝玉』に用があるんだ。そこまでの騒ぎは全部、単なる陽動さ」


「そっか。エルモアの聖館か……」


 言いながら、ケイは拳を固める。

 疲れ切った顔で計画をぽろぽろとこぼした禿頭の男に、感謝と謝罪を内心で告げた。


 ――あんたたちの目的も、義憤も、理解できないわけじゃない。


「けどさ」


「うん?」


「――あの二人を危険な目に遭わせようっていうんなら、あんたらは俺の敵なんだ」


 次の瞬間、気を抜いていた男の顎をケイの拳が全力で突き上げていた。

 衝撃に男の体が木の葉のように舞い上がり、直近の建物の壁に激突――回転する体が壁を破壊しながら勢いを殺せず上昇し、ついには天井を突き破って空に上がる。

 血と瓦礫をぶちまけながら、悲鳴も上げられない男が数秒の間を空けて地面に着弾。土埃をもうもうと街路に立ち上げて、大の字になって転がった。


「――――」


 その奇襲を前にして、メルディンが無言でケイの方を睨みつけた。

 一瞬、その視線の色に気圧されそうになりながら、腹に力を込めて臆病を振り払う。と、そうするケイの肉体を、ふいに不可視の圧力が絡め取った。


「これは……ッ!!」


 自分の体に、自分でない何かが忍び込んでくる気配。

 そこに至り、ケイは自分がファントムの存在を失念していた事実に気付く。宿り主を失ったファントムは持ち場を求めてさまよっていたが、敵対行動に出たケイを目にして即座に憑依対象と判断。その肉体の制御を奪おうと、精神を浸し、侵しにかかる。


 自分が自分でなくなっていく感覚。手足が冷たくなり、思考がまるで吹雪にでも見舞われたように凍りつき、視界に自由が利かなくなっていく。

 心の炎が急速に熱を失い、力の抜ける四肢の動きが徐々に他人に乗っ取られるのがわかる。理不尽で、抗いようのないファントムの魔手。

 男たちに反抗しようとした自分の意思が、急激に考えなしの馬鹿な行いだったように思えてくる。小さく、消えかける自分が情けない命乞いの声を上げるのがわかった


 ――誰か、誰か、消えてしまう。助けて、こんなはずじゃ、死にたくなんて。


『誰か……助けて……』


 ――その声は命を諦めかけたケイの心を深く、優しく傷付けて鼓舞していった。


「――――!!」


「へぇ……」


 立ち上る炎の意思が輝きを放ち、ケイの肉体は不可視の手枷を焼き切って解放される。

 ケイの体を乗っ取ろうと、暗闘していたファントムが声にならない絶叫を上げ、心中で爆発するケイの心の躍動にその影を呑み込まれ、四散して消えた。

 抗う暇すら与えない、圧倒的な生命の輝き――それが、ファントムを一瞬で焼き尽くしたのだ。


「すげぇな。そこそこ、ファントムの中でも上等な奴を連れてきてたんだぜ? それを、意地っ張りだけで消し飛ばすとか……ははは! お前、最高じゃん!」


「黙れよ! あんたたちを……あんたを、エルモアの聖館に行かせるわけにはいかない!」


 本当ならば、ケイはこう考えてもいたのだ。

 彼らの目的地がエルモアの聖館であるのなら、彼らに従うふりをして同行し、聖館の場所を確かめる。あるいは隙を見て奇襲し、戦力を減らすことも可能だったかもしれない。

 だが、ケイの中の本能の部分が警鐘を打ち鳴らしたのだ。


 この男を、メルディンを、決して、聖館へ連れて行ってはならないと。

 シャルロットとモニカの二人の側へ、この男を近づけることはあってはならないのだと。


「……その言い方からすると、なに? お前ってひょっとして、知り合いでもエルモアの聖館にいる感じ? ってか、イーグルに知り合いでもいるっての?」


「答える理由が、ない!」


「それってぇ、答えたも同然だぜぇ?」


 ひきつるような笑い声をこぼして、メルディンは暴力的な目でケイの全身を眺める。舐めるような視線に、ケイは半歩身を引いて身構えた。


「いいぜ、楽しみが増えた。半死半生のお前を引きずって、エルモアの聖館まで行ってやんよ。行って、そこでボロクズみたいなお前を見て、泣き喚くイーグルがいるかもしれねぇってんだろ? それ、超面白い見世物じゃん。レイスに足蹴にされるイーグルだけじゃなく、お友達のレイスがやられて泣き喚くイーグルが見れるとか……なにここ、天国?」


「今からお前にとって、ここは地獄で。俺はお前の死神だよ」


 身を低くして、前傾姿勢になるケイの口上。

 それを聞いて、メルディンが傑作とばかりに顔を上げて喉を見せた瞬間、全神経を注いだ足先を爆発させて、地を爆ぜさせるケイの体が弾丸のように跳ねた。

 歯を剥き、両手を振り上げ、渾身の力を込めてメルディンに飛びかかる。


 ケイの戦闘力をメルディンは目にしていない。イオンの肉体の体は小さく、手足は短い。十代前半の体は出来上がってすらおらず、相手に実力を見誤らせ、見下させるには十分な下地が整っている。

 故にケイは初撃に全てを注ぎ込み、力でねじ伏せる道に勝機を見出した。


 最初の一発、奇をてらったそれでメルディンを叩き伏せ、その肉体から命を絞りかすになるまで引きずり出す。決死の状況で、イブリースに対して行ったものと同じ戦法だ。

 いざ同じだけの決死の状況で、選ぶ選択肢が以前と同じことに進歩のない自分を笑えない。だが、今回はそこに件のイブリースの力も加わっている。

 これならば――、


「お、おぉぉぉぉぉぉ――!!」


 叫び、吠え猛り、ケイの両手が無防備なメルディンの首を狙う。

 打撃し、押し倒し、問答無用で命を蹂躙する――。


 その決死の覚悟は、


「残念だが、俺はそれを知ってるんだな、これが」


 届く――確信の寸前で、メルディンの姿が消えた。指先が虚空を空振り、ケイの体が驚愕と失望でわずかに泳ぐ。そして、


「おいたするガキには、お仕置きだぞ♪」


 後ろにひねられる両腕が容赦なくへし折られて、ケイの喉が絶叫を張り上げた。

執筆者:鼠色猫

一言「受験、頑張ってるそうです(棒)」

http://mypage.syosetu.com/235132/


分割しています。明日まで待て、しかして■■せよ。


二周目は投稿間隔が少し不定期になるかもです。

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