寄る辺なき異世界での目覚め
この作品はリレー小説になります。執筆者は有名な方ばかりですが、誰が執筆しているのかも楽しんでいただけたら幸いです。
猛烈な空腹感でケイは目を覚ました。
いつの間に眠っていたのか、その記憶がない。それどころか、ガヤガヤと騒がしい雑踏がすぐ近くから聞こえてくる。
石畳の路上。
どうやら泥酔者が道端で御就寝してしまう様に、路上で寝明かしてしまったらしい。
「夏じゃなかったら死んでたな……。あぁ、イテテ……」
固く冷たい路上で寝ていたからか、身体のふしぶしが痛む。
冷え切った身体。筋肉が目覚めるのにまだまだ時間が必要なようで、うまく動いてくれない。
「よっ!」っと、気合一発で上半身を起こすケイ。
一瞬立ち眩み。
血が足りていないのかなんなのか、空腹感も相まってやけに体調が悪い。二日酔い――とも違うようだが。
グルリと周囲を見渡す。
「……知らない路上だ」
思わずそう呟いた。
武藤ケイは日本人だ。
日本在住の生粋の日本人。海外旅行に行ったことすらない。
だからこんな、外国――それもヨーロッパ風の街には、全く覚えがない。街ゆく人々も日本人ではない。
いや……そもそもなぜ自分はここにいる?
酔っ払って記憶を失ったことなど今まだ一度たりともなかったのだ。そういう状態になる前に、吐き気と頭痛でそれ以上飲めなくなってしまうタイプなのに! だから、酔っ払って路上で寝明かしてしまうことなどありえないのに……!
ケイは頭を抱えるほかなかった。
そもそも、昨晩酒を飲んだ記憶すらないのだ……。
「……いや、しかし……それより」
何気なく自分の腕や脚を確認して、頭を振る。
まだ、少し目眩がする。
だが、ケイにとっては目眩なんかよりも――
「……なんで子どもの姿になってるんだ?」
そのことのほうが重要だった。
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視線を落とせば、自分の白くて簡単に折れてしまいそうな、細い、細すぎる脚と腕が見える。
子ども特有の可愛らしくふっくらとした手ではなく、薄汚れ、皮膚が硬くなった手のひらが見える。
麻のズタ袋を無理やり服に仕立てたようなチュニックとズボンを身に纏い、木と麻縄で出来た粗末なサンダルをつっかけている。
ズボンのポケットにはなにも入っていない。カバンらしきものもない。眠っている間に盗られたのかもしれない。いや……元々なにも持ってはいなかったのだろう。そうストンと理解できるだけ、自分の身なりは粗末だった。
顔はわからない。だが、五感に違和感があるわけではないので、目も鼻も口も耳もちゃんと付いているだろう。
髪を一本だけ抜いてみたら、少し色素の薄い髪だった。淡い栗色か、亜麻色の髪といったところ。どうやら黒髪ではないようだ。
「見知らぬ街の見知らぬ貧乏な子どもにへんし~ん……」
おどけて一人呟いてみても、虚しく響くばかり。
貧乏なんて言葉のオブラートに包んでいるが、状況的に考えてそれ以上のものであることは、ほぼ間違いないだろうと確信しケイは顔を歪めた。
乞食、浮浪者、孤児、ストリートチルドレン。
そんな単語が脳裏に浮かんでは消えた。
日本人特有の他力本願から来たものか、ケイは空腹感に苛まれながらも、その場にしばらく留まっていた。ひょっとすると、壮大なドッキリ企画かもしれないという思いもあった。だが、当然誰からもどこからも、助けてなど貰えるはずもない。
見知らぬ街で、見知らぬ子どもに変身。
冗談でもなんでもなく、どうやらこれはそういう「現実」だった。
深くため息を吐き、ノロノロと動き出す。
腹は減っているが、日なたでしばらく過ごしたからか、なんとか身体が動く程度には回復したようだ。
「なんか食べないとな。考えるのはそれからだ……」
一人ごちて、引き摺るようにして街を歩く。
テレビ番組でしか見たことがない、ヨーロッパの古都を思わせる街並み。
前時代的な服装をした人々が道を行き交い、前時代的な石の建築がひしめき合うように立ち並んでいる。道端には汚物が風雨に晒され、鼠が群れをなして路地から路地へ渡り歩いている。汚れたボロ布を身にまとった浮浪者が路地の奥へ消える。酔っ払った男が路上に吐瀉物を撒き散らす。
道行く人々は、一様に薄汚れた服装をして、しかし誰もがエネルギッシュに見えた。武器らしき長物を携えている者が多い。板金鎧のようなものを着た者もいる。それどころか――
「亜人……?」
明らかに人間とは違った者がチラホラと見受けられた。
普段、見たことがない人種を街中で見かけた時の違和感は凄い。それと同じことで、自然と目が引き寄せられてしまう。
「……本当、なんだここ……。まるで、まるでコンピューターゲームの中の世界みたいだな」
食べ物を求めて、道端の汚物や吐瀉物を踏み引き摺り歩きながら、乾いた笑いを漏らす。
健康状態が万全であったならば、みっともなくワンワンと泣いていたかもしれない。
力無き子どもの身体で、見知らぬ街に放り出される。その圧倒的寄る辺のなさに、目の前が真っ暗になるのだった。
しばらく歩き、ケイは市場らしき広場に到着した。
「とにかく食べ物を……」
体力はすでに限界に近かった。
ケイはふらふらと夢遊病者の如く市場に吸い込まれていく。
金など持ってはいない。だが、野菜の切れ端程度なら貰えるだろう。
まして、自分のような子どもが半死半生でいれば助けてもらえるはず……。そういう打算もあった。
だが――
「あんた! レイスが入り込んでるよ! 追い払って!」
「おお! 出て失せやがれ!」
ドカァ!
入り口で雑貨屋を営んでいる夫婦に見つかった途端、ケイは思い切り蹴り飛ばされた。
軽い――刮げ落としたように肉付きの悪い身体は、羽の様に宙を舞った。植え込みの上にガサリ落ちる。
硬い石畳の地面に落ちていたら死んでいてもおかしくないほど、容赦のない一撃だった。
ケイは痛みを感じるより、その圧倒的な無慈悲さに頭が真っ白になった。
状況を説明する時間さえ与えない、容赦のなさ。
まして、子どもに対して――
「クソッ。あの親父マジかよ。……顔は覚えたからな。いつか復讐してやる……。いててて、あー、くそ……」
痛む左腕を擦りながら身を起こす。辛うじて打撲程度で済んだようだ。
しかし、市場に入れないとなれば、食堂裏の残飯でも漁るしかない。すでに空腹感は限界値を突破しつつある。速やかに行動し、なにか腹に入れなければ、明日の朝日は拝めそうにない。
「ほんとムカつくわよねー、グリゴラの奴。……ねえ、だいじょうぶ?」
気付くと、ケイの隣に小学生か中学生くらいかの少女が座っていた。
くすんだ赤毛に、とび色の瞳、白い肌。
ケイと同じように、粗末な麻の服を着ている。だが、ケイと比べれば肌の血色もよく、肉付きも悪く無い。
髪にもちゃんとクシを入れているのであろう、身なりは粗末でも清潔感があった。
唇には薄く紅を引き、歳に見合わぬ色気を醸しだしている。
「……君は?」
思わず尋ねる。
自分と同じように粗末な身なりの子ども。
知らない子どもだが、初対面とは思えぬ馴れ馴れしさだ。それが子ども特有のものか、それとも自分の知り合いなのか、ケイには判断が付かなかった。
「いやぁね、イオンったら。私のこと忘れちゃったの?」
「なにそれ、クラシックなナンパ?」
「ナンパ? あはは、レイス同士でナンパしてどうすんのよ。私はおじさん専門よ」
そうして、子どもとは思えぬ妖艶な仕草で、唇に指を添え微笑む。
おじさん専門の意味はよくわからないが、とりあえず彼女は自分の知り合いで間違いないらしい。情報収集といこう。
彼女は「イオン」と呼んだ。おそらくそれは固有名詞だろう。つまり自分はイオンという名前で、彼女とは知り合いで、この街で暮らしている――ということか。
「……よくわからない……。えっと、それで、君の――名前はなんだっけ?」
「ええ~、冗談やめてよ。本気? ほんとにこのミュー様のことを忘れた?」
「ミューさま……」
もちろん聞き覚えのない名前だ。
そうでなくても、自分のことを様付けで呼ぶような人とは、関わり合いになったことがない。
「あ、ははは。ちょっとお腹が空き過ぎて記憶が飛んじゃったみたいでさ。ミュー。レイスってなに? いや、それよりなんか食べる物持ってない?」
「ミューさま! でしょ?」
「はい。ミューさま、お願いします!」
情報収集もいいが、空腹がいよいよヤバイのだ。下手をしたらミューの柔らかそうな二の腕に齧り付きかねないほどだ。
ミューは胡乱げにケイ――イオンを一瞥すると、ヤレヤレと首を竦めた。
「うーん? まるで別人みたい。本当にイオン? 『他の生物の犠牲の元に成り立つ命ならいらない~』なんて痩せ我慢してたのに。あーあ、イオンが死んだら私が吸い尽くしてやろうと思って、少し楽しみだったのになぁ」
「俺ってずいぶん哲学的だったんだねぇ……」
「てつがく? なんか小難しいことばっかり言ってるよねー。ま、それで死にかけるような大馬鹿だったけどー」
「でも、今は生きてる。本当に死にそうなくらい腹が減っているよ。……いや、マジでそろそろヤバイかも。食べ物プリーズ……」
「あのイオンが、このミュー様に食べものをねだるなんて! あはっ、アクシオンに自慢しよ」
ミューはころころと魅力的にその表情を変え、それはこの粗野で粗雑な街の中に咲く、一輪の花のようだった。
ケイも、もともと子どもは嫌いではない。
なんとなく和んでいると、「なに見てんのよ!」と睨まれてしまった。
ミュー様こわい。
「イオン、その様子じゃもう10日は食べてないでしょう? じゃ、このミュー様がちょちょっと穫って来てあげるから。……感謝しなさいよ」
「……えっ? とってくるって……」
「すぐ戻るわ!」
そして、スキップするような軽やかさで、市場ではなく路地裏に消えるミュー。
「とってくる……って、なにか物騒な響きがあったけど、大丈夫なのかな、あの子……」
「家から食べ物を取ってくる」というニュアンスではなかった。どちらかと言えば、盗ってくるとか、捕ってくるとか、あるいは獲ってくるという響きで――
「おまたせー。はい、召し上がれ」
本当に五分ほどで戻ったミューが満面の笑顔で差し出したのは――ネズミだった。丸々と太った生きたネズミである。
ケイは途方にくれた。
執筆者:星崎崑
一言「参加者全員ブロリー。ただし俺以外。マジヤバイ」