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時は戻らず

ご無沙汰してます。あまり進展しませんが、続きをどうぞ。

 ヒールの高い靴を履いていたならば、カツン、カツン、と威圧的な音を鳴らして周囲に緊張を強いただろう、そんな堂々とした歩みで、実際はペタン、ペタン、と気の抜ける足音を立てるスリッパを履いた晴美が、それでも周囲の者共をいくらか委縮させながら、転がったサークレットを無造作に拾い上げた。


「……隷属……ねぇ?」


 銀環を弄びながら、引き攣った顔の面々をぐるりと見渡し、口角を引き上げる。


「いきなりアポ無し許可無しで食事中に呼びつけた挙句、無知と混乱を承知で付け込んで騙くらかして、命令拒否できない状態まで落とし込もう…って腹だったわけね。ヤだわ、ちゃんちゃら可笑しくてヘソで茶が沸けそう」


 軽い口調でありながら、たっぷり、はっきり、わかりやすく含められた侮蔑。そして全てを見透かしたような冷笑……晴美はたちまち、周囲の刺すような視線を一つ残らず掻き集めた。

 怒りと屈辱で赤く染まった顔を、さらに険しく歪める厳つい騎士。呪い殺さんばかりに、暗い眼差しでじっと晴美を凝視する魔術師。

 この日、人類の未来を左右する大事な場に集められた者達は、選び抜かれた精鋭であり、一人残らず由緒正しき家柄の、高貴な血筋の者達だった。生まれながらのエリート。ゆえに、いかに力を持っていようとも、神の祝福を受けていようとも、どこの馬の骨とも知れない一介の平民風情が、無礼な態度を取って許される存在ではないのだという自負があった。

 …なぜ彼らは、相手が勇者だというのにこうも上から目線で、勇者とそれに連なる者を最初から見下しているのだろうか?

 その答えは、勇者をお伽噺に出てくる英雄のような、清廉潔白の聖人まがいに思っている民衆には到底理解できないだろうが、そもそも彼らレザリス王国の支配層には、大昔から召喚主として勇者と近くあったが為に、勇者が英雄や救世主、はたまた神の遣わした使徒といった、人を超越した存在だという認識がなかった。勇者とて、ちゃんと血の通った人間であると、代々の勇者との接触で理解していたのだ。

 ならば同じ人間として、共に戦う仲間として誠意を尽くせばいいものを、しかし彼らのいう“人間”には、順守すべき絶対の上下と優劣があった。その基準となるのは、血筋だ。

 由緒正しき家柄の血、王家の流れをくむ血……これらを宿した者こそ、何よりも優秀で優先されるべき、高貴で至高の存在であると、彼らの青い血には刻み込まれているのだ。であるから、平民は種族こそ同じ人間だが、彼らにとって彼らと同列の存在ではなく、彼らに使われるべき、いくらでも代用の利く消耗品という認識であった。

 こうした血筋に寄る価値観によって、人間であり地位もない勇者は、人類を…いや王国を繁栄させる為の道具に過ぎず、直接この道具を使うのは王族だが、道具ごときが彼ら高貴なる血筋に逆う事などあってはならないのだと、彼らは思うのだ。

 不届き者の無礼な女を、今にも手討ちにしてやろうかと、レザリスの精鋭達が殺気立つ。

 これに対し、ひいっ! と情けない悲鳴を上げて逃げ出したのは、七瀬家の長男、冬吾だ。彼はあたふたしながら食卓を回り込むと、テーブルの陰に隠れ、顔の上半分だけを怖々と覗かせた。「何してるんだ?」と横の鉄男が不思議そうな声をかけるが、返事はない。心なしか歯の根の合わない様子で、すがるようにテーブルにしがみ付いた冬吾の恐怖に揺れる視線は、敵意を剥き出しにした武装集団――ではなく、彼の姉である女子大生に釘付けとなっていた。


「残念だったわねぇ? 冬吾だけだったら、そのお綺麗な顔でお手軽に騙せたんでしょうけど……私の目の黒いうちは、そううまくいかないわよ」


 ぱっと見たところ、体格も腕力も圧倒的に己を上回る男達からの、視線の暴力、無言の威圧に、ただ一人さらされるか弱い女子……という、泣いて怯えて逃げ出しても可笑しくない状況だが、にもかかわらず晴美はそんな彼らなどまるで眼中にないといった態度を貫き、一歩も退かず、媚びず、そこにただ一人立っていた。その姿はいっそ清々しく、誰の目にも無謀と映ったが、確かな力強さが彼女のたたずまいの中にはあった。

 「やだ、晴美ちゃんたら、かっこいい」という母の言葉を背に、晴美は猫のように目を細めた。狙いを定めるように見つめた先にいるのは、頼りなげに立つ美姫、フェリスティアーナだ。

 美しい相貌を儚げに曇らせたフェリスティアーナは、晴美と目が合うと、突然の思わぬ事態に困惑した様子で目を潤ませ、しかし一度瞑目すると、今度は毅然と顔を上げて、晴美の鋭い視線を正面から受け止めた。


「――ハルミ様、それは誤解でございます」


 後ろ暗い所など何もないと言わんばかりの堂々たる姿、そして健気であり真摯な姿勢は、あらぬ疑いをかけられる事も、美しき姫に降りかかる試練の一部であると、途中から見た者があれば思い込んだだろう。誰もが彼女の潔白を魂で感じ取り、その言に耳を傾けて彼女を肯定する。まるで筋道の決まった物語の挿絵のような一幕の中で、この場の主役たるフェリスティアーナは、誠心誠意言葉を尽くそうと唇を――


「かまととぶってんじゃないわよ。あと、気安く呼ばないでちょうだい。虫唾が走るわ」


 ――開く前に、そのまろい頬が、ぴくりと引き攣った。

 凍り付いたように固まった表情を鼻で笑い、晴美は敵対者と認識した周囲の騎士達、魔術師達を、有象無象を見るような目で睥睨へいげいした。


「……大体ねぇ、『困ってしまったのであなたを誘拐しました、助けて下さい』ぃ? 何寝惚けた事抜かしてんのよ。他力本願にも程があるわ。まず自分達でなんとかしようとした? 死ぬほど、血反吐を吐くほど、ボロ雑巾になるほど頑張った? まぁ、そのきれいな格好見れば、アンタ達の自助努力がどの程度のもんか、教えてもらわなくても知れるけどねぇ…。百歩譲って、助けを求めるのが有りだとしても、何の縁も所縁もない個人に頼ろうなんて、アンタ、困ってるっていう状況を本当にどうにかする気、あんの? ないんじゃないの? 世界の平和なんて、どう考えてもサラリーマンと主婦と学生に求めるもんじゃないでしょ。何、頭の中に花畑でも詰まってんの? 栄養全部そっちに持ってかれちゃってんの? 花咲き乱れちゃってんの?? …本当にやる気があるならねぇ、隣国とか同盟国とか、そういう大きな組織に求めなさいよ。ってゆーか、どこの世界に自分を誘拐した奴らのお願いを聞くお人好しがいるってのよ。どんなに混乱してたってねぇ、大事な契約の前には、契約書の端から端の小さな文字までしっかり目を通すってのはお約束。契約以前に、身元のはっきりしてない輩はお断りなのよ。……それで、アンタ達は何者だっけ? あ、誘拐犯だったわね。やぁだ、誤解なんかしてないわよ。アンタ達が凄くタチの悪い誘拐犯で、詐欺師で、傲慢な極悪人だって事は、よーく理解してるわよ? うふふ、そっちこそ誤解せずにお分かり頂けたかしら。つまり誰もアンタみたいなド腐れ女の言う事を鵜呑みにしないって事よ。一昨日来やがれスットコドッコイが」


 立て板に水どころか瀑布の勢いでここまで言い切り、最後を吐き捨てた晴美は、笑顔だ。一見すると、余所行き用の愛想の良い笑顔に見えるが、生まれた時からの付き合いである実弟にはわかった。

 姉はキレている。

 それも年に数度あるかないかの、マジ切れだ。


「……珍しいなぁ。晴美が本気で怒るなんて」


「それはアレよ、鉄っちゃん。ほら、私達、毎週欠かさず見てたドラマの途中で、こんな所に誘拐されちゃったでしょ?」


「ああ、それでか。いやぁ~、懐かしいなぁ……あの子が中学生の時だっけ。僕が掃除機かけた時にビデオデッキのコンセント抜いちゃって、予約してたドラマが録画できてなくて、物凄く怒られたんだよねぇ……あの時の般若顔は、今でも忘れられないよ。その後も、しばらく根に持たれたしな」


「うふふ、怒った晴美は怖いのよぉ~」


 こっそりひっそり仲睦まじく囁き合う定年前の中年夫婦は、目の前で繰り広げられている一触即発のやり取りを、まるでブラウン管越しに見ているかのようだ。冬吾はこの時ほど、両親ののん気さを羨んだ事はなかった。

 異世界トリップや転生物の小説なんて一度も読んだ事がないだろう二人だから、非現実的な現状を、まさか夢オチだとでも思っているのだろうか? だが、「ほこり被っちゃうから、残りのお野菜まとめちゃうわよ」「そうだね。お腹も落ち着いたし、食器も片付けようか」と有言実行している内容が嫌に現実的なのは、どういう事だろう。

 そっと視線を戻してみれば、家着姿の女子大生の前にたたずむドレス姿のお姫様は、数々の暴言を叩き付けられて顔面蒼白だ。蝶よ花よと育てられただろう深窓の姫君には、いささか刺激と衝撃が強すぎたのだろう。だが気のせいか、冬吾は彼女から、身に覚えのある気配というか、言葉にしがたい威圧感のようなものを感じ取っていた。それは、そう……例えるなら、今、目の前でマジ切れしている晴美が身にまとっている空気と、酷似したものだ。そう認識すると、向かい合って逸れる事のない、それぞれの笑っていない目も、そっくりな気がしてくる。おかげで冬吾は、周囲の剣呑な空気を読まずに悠然と立つ晴美と、静かにたおやかにたたずむフェリスティアーナとの間に、ぶつかり合う火花を幻視した。なぜ晴美からの一方的な火花ではなく、丁度二人の真ん中辺りで拮抗しているのか。冬吾は本能的に、考えるのをやめた。


「――お待ちください、姫君」


 その時だった。

 ほとばしらんばかりの怒気と殺意で、熱いとも息苦しいとも感じられる異様な空気の中、場違いに涼やかな男の声が上がり、フェリスティアーナの背後に控えた魔術師の一群から、一人の男が進み出た。

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