誰も知らない話
ザアザアと降りしきる雨はとても重くて、何度も何度も転んで、足が痛くて、ぶつけた膝が痛くて、どこもかしこも痛みでいっぱいで。
でもここを離れなければと、足を動かし続けて。
雨がうるさくて何も考えられなくて。喉が渇いて仕方なくて。
そして。
「これ、あなたの?」
飴玉を転がすような可愛らしい声で、蜜のようにとろりと潤んだ瞳が見上げてきた。
その手の中には錆びたペンダント。
千切れそうなチェーンに歪んだロケット。
「よく見えないけれど、これあなたの本当のご家族よね?」
細い指先が写真を撫でる。
その瞬間腹が燃えるようだった。
何故かはわからないけれど、その細い指先が触れているのが我慢できなかった。
「怒らないで。落ちてたのよ。それにしても素敵な写真だわ!妹さんもいるなんて聞いていないわよ」
そうコロコロと笑う彼女の笑顔はいつも通りで、でも少し気まずそうで。
「妹さんは、いまどこにいるの?」
何故かとても喉が渇いて仕方ない。
雨が嫌いだ。
雨は気分を憂鬱にさせる。
昔そう言った時に彼女は黄金色の瞳をはためかせ
「わたしは好きよ。だって雨は嫌なことを隠してくれるもの。泣きたい時や誰かに怒りたい時もね」
そう無邪気に笑っていた。
春風のような柔らかい彼女の笑顔が好きだ。
栗色の長い髪の毛も飴玉みたいな声も黄金色の瞳も。
初めてここに来た時、憔悴し切っていた俺を支えてくれたのが彼女だ。
「無理して話さなくていいのよ。誰にでも言いたくないことはあるわ。話したくなったらでいいの」
窓の向こうは錆色で、湿った土の匂いが風に溶けている。
まるで誰かが泣き出しそうな、そんな直前のような危うさがあった。
「あの日俺は妹を捨ててここに逃げたんだ。」
誰かが泣いてる気がした。
雨が窓にぶつかる。
「もう限界だと。邪魔だと言って。妹は衰弱していたのに。父親に言われていたのに。守れと。なのに。」
誰かが泣いてる声がする。
雨が窓にぶつかる。
「…話してくれてありがとう。」
大丈夫。そう繰り返す彼女の黄金色の瞳から、一粒涙が落ちた。
「…妹さんのこと、嫌いだった?」
喉が震える。
栗色の長い髪の毛
湿った土の匂い
煌めく丸い瞳
ザアザアと降りかかる雨
子猫のような甘えた声
「…嫌いなわけがない」
彼女は窓の外に目線を送り、そして空を見た
「じゃあ、愛してる?」
いつの間にか握りしめていたペンダントがカチャリと音を立てる。
「ああ」
見上げた雨上がりの空は青く太陽の光に煌めいていて、誰かが甘えた声で笑った気がした。




