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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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踏切にて

掲載日:2026/06/27

「全身ひどい打撲傷だったってさ」

 学校からの帰り道、カズマは口を開いた。

「え?」

 ぼーっとしていた私は彼の方を見て聞き返す。

「トモ子。」と彼は付け加えた。

「ああ。」と気の無い声を漏らす。

 トモ子が死んだ。学校からの帰り道の踏切で快速電車に轢かれた。自殺だったらしいが、その場を目撃した人はいなかった。

 彼女が何に苦しんで死んでいったのか、私には見当もつかなかった。明るい子で、いつもニコニコと笑っていて、悩みがあるようには見えなかった。

 しかし、そういう人間こそ、ともすると突発的な要因によって誤った選択をしてしまう、ということもあるのかもしれない。

「痛かっただろうな」

 カズマは独り言のように呟いた。あるいは、本当にただの独り言なのかもしれない。彼の視線は私を捉えてはいなかったから。

「なぁ、もしかしたら……」

 その時、一匹の蝉が上空を飛び過ぎ、電柱にぶつかってジジッと不快な音を立てた。それに気を取られて彼の言葉を聞き逃したが、あえて聞き返す気にもなれなかった。

 季節は夏だ。今日で定期考査が終わり、あと数日で夏休みに入るというのに、気分はひどく落ち込んでいた。

「トモ子は、どうして死んじゃったのかな」

 赤い郵便ポストの横を通り過ぎた時、ぽつりと呟いた。彼はしばらく何も答えなかった。

 少し気まずくなって、目を伏せて古くなったローファーを見つめた。三年間履き潰した革靴は、ずいぶん柔らかくなっている。

「何かあったなら、俺たちに話してくれればよかったのに」

 彼の声は弱々しく、夏の暑さのために溶けているようにも思えた。

 ひどい暑さだ、額の汗をぬぐいながら思った。昔、暑さに発狂して自殺した人間がいるらしい。包丁を振り回した後、自分の咽喉に突き刺したそうだ。

 もしかしたら、と考えてすぐにその愚かしい考えを振り払った。

 しばらく二人は何も言わなかった。蝉の鳴き声が、なんとなくこの酷暑に苦しんでいるみたいに思えた。その音に圧迫されて、ひどく窮屈な感じがした。

 そして一軒の駄菓子屋を通り過ぎた後、彼は立ち止まった。

「俺、腹が空いてるんだ」

「今?」

「今」

 少し呆気にとられた。今日は朝から食欲が一向に湧かず、昼も弁当を半分以上は残していた。今だって、胃の中で弁当の中身がそっくりそのまま残っているような気がする。

 彼は通り過ぎた駄菓子屋へ戻って、その中へ入って行った。私は中に入る気にもなれず、庇の真下のベンチに腰掛けた。

 目の前は田畑ばかりだ。畦道には農作業をしている人影が見える。その他に人影は見えない。

 何処にも焦点を合わせずにぼーっとしていると、次第に視界が緑と青の二色に分断されていく。それが、次第に一つに混ざり合って、最終的には私もその中に溶け込んでしまう。

 その時、引き戸の開く音がして我に返った。彼は駄菓子の入った小さなビニール袋と二本のラムネを手に店から出てきた。そして、私のすぐ隣に腰かけてラムネを渡してきた。

 全く気分ではなかったが、好意を無碍にするわけにもいかなかったから、仕方なく受け取った。

 栓を開けて、中のビー玉を取り出すと中身を半分ほど飲み干した。暑さがほんの少しだけ安らいだ。それから、取り出したビー玉を見つめた。

 透明の球体は私の顔を反射していた。光を屈折させ、顔を醜く歪めている。

 しばらくそれを弄んでいたが、なんだか急に気味が悪くなってスカートのポケットにしまった。

 カズマは横で何かを食べていた。その食べかすが地面に落ちて、蟻が集まってきている。その光景が、なんだか不快に思えた。

「ユリも何か食べろよ」

 彼は駄菓子の入ったビニール袋ごと手渡してきた。私は片手でそれを制止する。

「いい、お腹空いてないから」

「でも、昼だって全然食べてなかっただろ?」

「帰ってからお弁当の残りを食べるからいい」

 それでも彼は執拗に駄菓子を勧めてきた。それに何の意味があるのか全く分からなかったが、しぶしぶ袋を受け取った。そして中から一番小さな白いチョコバーを一つ手に取って袋を返した。

「……食べろよ」

 チョコバーをポケットにしまう私を見て、彼は不満そうと呟いた。

「溶けちゃうだろ」

 ため息を一つ吐いて、再びチョコバーを取り出した。中身は少し溶けていた。それを口に放り込むと、立ち上がってゴミ箱に包装を捨てた。

 なかなか嚥下する気になれずしばらく口の中でチョコを咀嚼していると、ねばねばとした触感がして不快感を覚えた。それをラムネで無理やり流し込む。

「そろそろ行こう」

 彼は袋に入っていた駄菓子を全て平らげていた。どこにそんな食欲があるのか不思議でならない。親友が死んだ翌日だというのに。

 ……カズマがひどく冷淡な人間に思えた。


 二人は立ち上がって、再び帰路に着いた。一昨日まで三人で帰っていた道とは違う。無意識のうちに、私たちはいつもの道を避けていた。

 いつもの帰り道の踏切で、彼女は死んだのだ。中学からずっと三人で通っていたあの場所で。

 しばらく殺風景な景色が続き、道の先に踏切が見えた。その時、だしぬけに彼が言った。

「なぁ、いつも三人で一緒に帰ってたよな」

「うん」

「でも、昨日は別々に帰った」

「うん」

「もし、昨日俺がトモ子と帰ってて」

「……うん」

「踏切であいつを突き飛ばしたって言ったら、どう思う?」

「は?」

 私は足を止めた。彼はそれに気づいていないのか、先へ進んでいく。そして、蝉の声がすっと遠のき、代わりに踏切の警告音が響いた。

 遮断桿が下りて私の行手を阻んだ。彼はようやく気付いて振り返る。

 その時快速電車が目の前を通り過ぎて、踏切の向こうにいた彼は姿を消した。

 電車はものすごい速度で過ぎ去り、彼は再び姿を現す。

 遮断桿が上がりきると同時に警告音は止んだ。また蝉の声が響き始める。さきほどまでと何も変わらないはずの鳴き声。だが、そこには異様な気配があった。仄暗い水の底から聞こえてくるようにくぐもっている。

 一歩踏み出そうと足を出して、戻した。

 私は何も言わずにただ彼を見つめていた。顔は引き攣っているのだろうか。歪んでいるのだろうか、あのビー玉が反射した顔のように。

「……ごめん」

「どうして?」

「もしもの話だよ」

「……冗談のつもり?」

 彼は顔を伏せた。

「分からない」

 ユリはようやく踏切を渡って彼に追いついた。

 胃の中がムカムカする。さきほどのチョコバーが消化されないまま胃を圧迫している。

 それからしばらくは無言で歩いた。彼はいつもより大股で歩いていて、ついて行くのがやっとだった。

 踏切を抜けて緩い勾配に差し掛かった時、ふと思いついた。

「ねぇ。」と、なんとか声を絞り出す。

「あの踏切、見に行こうよ」

 足を止めた彼は、訝るように私を見つめた。

「なんで?」

「お願い」

 自分でも目的ははっきりとは分からなかった。だが、そこへ行けば自分の中で何か踏ん切りがつくような気がした。

 彼はしばらく黙り込んだ後、こくりと小さく頷いた。その表情は曇っている。何か隠し事をしているみたいに。


 彼女が飛び込んだ踏切は、さきほどの踏切を東に進んで二十分ほどの所にある。

 歩いている途中、何度かカズマを横目で見やった。一見、彼はいつも通りだが、だいぶ混乱しているようだ。この暑さで発狂してしまったのかもしれない。だって、普段の彼はあんな冗談を言う人じゃないから。

 目的の場所に近づくにつれて辺りは物々しい雰囲気に包まれていった。暑苦しいのに、どこか薄ら寒いような妙な感覚がした。

 しかしそのチグハグな感覚とは裏腹に、その踏切には制服を着た警官がいるばかりで、いつもとほとんど何も変わっていなかった。

 拍子抜けだった。彼女は張り詰めた緊張の線が解けていくのを感じると同時に、世の中はなんて冷たいものだろうと考えた。

 トモ子が死んだその翌日には、いつもと変わらない「生活」がそこにある。誰かがいなくなっても、それでも「生活」は続いていく。それはきっと、私たちも同じことだろう。

 顎に滴る汗を拭って暑さに茹で上がった脳みそをめぐらせた。

 心の中では、トモ子が死んだ理由は何となく分かっていた。

 私とカズマとトモ子は小学校の頃から仲だった。何をするにも一緒で、三人とも同じ高校に入学し、同じバドミントン部に所属していた。大学も同じ東京の大学に進学しようと決めていて、今年の夏は三人で図書館に籠って勉強する予定だった。

 しかし、この春に私とカズマが付き合ったことで、トモ子は疎外感を覚えていたのだろう。たとえ付き合っていたとしても、彼女を仲間外れにするつもりなんてなかったのに……。

「卒業まで三人一緒だと思ってたのにな」

 カズマは言った。私は訂正する。

「ううん、卒業した後もね。三人で同じ大学に行こうって話、してたでしょ?」

 その時、彼は少し間を置いて言った。

「……お前、東京には行けないって言ってなかったか?」

「」

 私は黙りこんだ。蝉の音が遠のいていく。

 しばらく無言で踏切を見ていると、その先に見覚えのある顔を見つけた。そんな事ありえない、と何度も自分に言い聞かせたが、この目に映る人影は間違いなくトモ子だった。

 その目はじいっと私を見つめている。何を訴えるわけでもなく、何を言う訳でもなく、ただ見つめている。その虚ろで無機質な瞳が、さきほどのビー玉のようにも見える。

 心臓が少し浮き上がるような妙な感覚がした。ビー玉に映った自分の顔を思い出す。あの醜く歪んだ顔を。

「もしかして、トモ子。トモ子には……私があんな風に見えていたの?」

 私は一歩後ずさりした。体の中から何か抜けていくような浮遊感を覚える。暑さに火照っていた体は既に冷え切っていた。トモ子はなおも私を見つめている。

「どうした?あんな風って?」

 カズマは横から声をかけてきた。私はトモ子を指差した。彼はその方向を向いたが、何も見えていないようだった。

 私にだけ見えている。死んだ親友の姿が。

 何が言いたいの?何を伝えたいの?黙ってないで何か言ってよ、心の中で叫んだ。

 その時、トモ子が動き出した。よたよたとした足取りで、こちらに向かってくる。時折よろめいては、ぐうっと体制を立て直して、ゆっくりと近づいてくる。

 彼女が近づいてくるにつれ、段々とその姿が鮮明になってくる。履き潰したローファーはボロボロだ。高校指定のスカートから覗く素肌にはつうと一筋の血が垂れていた。

 前腕がひどく曲がっていて、痣だらけだった。

 その時、彼の言葉を思い出した。

(全身酷い打撲傷だったってさ)

 トモ子の顎は外れていた。上顎と下顎が全くかみ合っておらず、まるで横から強く殴られたように見えた。ぱっくりと空いたその口の奥には空っぽの穴が見える。

 全身が粟立つのを感じた。

「来ないで……」

 呟くように言った。その声は夏の暑さに溶けていくように空気中に消えてしまった。それでもトモ子は近づいてくる。

 その時だった。踏切の警告音が鳴り響いて、遮断桿がゆっくりと降下した。行手を阻まれたトモ子は、線路上にぽつんと立ち尽くした。彼女はじっとこちらを見つめて、顎の外れた口で何かを呟いた。

「こ……いで」

 そして、快速電車が目の前を通り過ぎた。その瞬間、鈍い音が聞こえて彼女は思わず耳を塞いだ。電車の轟音が耳の中で反響し、次第にその音が遠のき、遮断桿が戻っていく音が聞こえた。

 再び目を開けると、トモ子の姿は無かった。

「おい、大丈夫か?」

 カズマの声が聞こえた。

 辺りを見渡す。トモ子の姿はない。いつも通りの「生活」があるばかりだ。私はようやくほっとした。

「うん、ありがと」

「体調悪いのか?」

「ううん、大丈夫」

 そう言うと、パッと笑って見せた。その時、急な空腹感に襲われた。私は片手に持っていたラムネの中身を飲み干すと、ポケットからビー玉を取り出して、線路脇の茂みに投げ捨てた。

「ああ、お腹すいた。何か食べて帰ろ」

 私の急激な変化に、カズマは戸惑っているように見えた。

「食欲ないんじゃないのかよ?」

「急にお腹がすいちゃったの」

「……そうか」

「また駄菓子屋に行く?」

「いや、俺はいいや。さっき小遣い使っちゃったし」

「そっか」

「じゃあ、またな」

「もう帰るの?」

「ああ、用事思い出したから」

「そっか、じゃあしょうがないね」

 カズマは踏切を渡ると、小さく手を振って消えていった。私はだんだんと小さくなるその背中をずっと見つめていた。


 私は公園のベンチに座って弁当の残りを食べていた。昔はよくトモ子と弁当の中身を交換したものだった。三人で中庭のベンチに座って、膝にはこんな風にランチクロスを広げて。

 カズマは東京の大学に進学するのだろうか、私をおいて?それとも、トモ子がいなくなったから、ここに残るのかな。

 明滅する薄汚れた蛍光灯を眺めている時、私はふっと思い出した。

 ああ、あの時トモ子が言っていた言葉は「来ないで。」だった。

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