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第三話 大暴落到来

 どんどんどんどん。

 音が聞こえる。

 どんどんどんどん。

 はじめは幻聴かと思ったが鳴り止む気配はない。どうやら誰かが俺の家の扉をノックしているらしい。


 どんどんとうるさい。昨晩はほとんど寝ていないから俺は疲れているのに。昨日のコース料理でお腹いっぱいだから丼って気分でもないのに。薄暗い部屋の中で寝ぼけまなこをこすりながら、隣ですやすやと眠るアキナを見た。昨晩アキナは俺とレストランで食事をした後、そのまま俺の家に来て泊ったのだ。

 昨日は楽しかったな。疲れは残っているが充足感に満ちている。アキナの表情を思い出すだけでドキドキしてきた。


 寝顔も可愛い。可愛すぎて扉の音に対する怒りすら消えていく。アキナの髪にそっと触れてからゆっくりと体を起こして、起こさないように忍び足で玄関に向かった。

 扉を開ける。

 目の前には冒険者学校時代の同級生であるトーリエがいた。トーリエは冒険者用の軽装を身に纏っていた。


 トーリエはどういう訳か息を切らしているし、モンスターと戦闘中に何かあったのだろうかな。俺以上に順風満帆な人生を送っているトーリエに何かがあるとは思えないし、俺に戦闘能力とか期待しないで欲しいのだけど。


「なんだよ……」

「おいハルト、昨晩の掲示板見たか!」

「見てないよ。なんかあった?」


 トーリエは俺の肩に両腕を置いて真っ直ぐ見つめる。


「わざわざこの多忙を極める俺が直接来てやったんだ。いいか落ち着いて聞け。カメリアで内乱が起きた」

「は?」


 寝起きだから頭が働かない。隣国で内乱が起きたところで何が大変なんだろう。


「おいおい寝ぼけているのか? 分かるだろ。スライムの結晶の市場取引価格が暴落したんだ。市場での取引価格が一晩でマイナス二十パーセントだ。結晶神話はもう終わりだよ。もしハルトの手元にまだ換金してない結晶があるなら早く売った方がいい」


 耳を疑った。

 市場で取引されている商品なのだから価格は変動することもあるだろうが、一晩でマイナス二十パーセントなんて聞いたことない。


「嘘だろ?」

「嘘じゃない。ハルトも知ってるだろ? スライムの結晶は主にカメリアの富裕層に高い需要がある。これまでカメリアは政治的にも経済的にも安定していたし、値上がりを見込んでカメリアの富裕層以外からも投機的な理由で買われていた。だが今はどうだ?」


「内乱が起きた」

「そうだ。内乱が起きたことで、カメリアの富裕層が戦に備えスライムの結晶の一部を売って現金化した。そしてスライムの結晶が値下げに転じたことで値上がりを見込んでいたカメリア以外の商人も一斉に売った」


「でもそれならカメリアが内乱を抑えれば結晶価格は再び上がるよな?」


 カメリアほどの大国が内乱を抑えられないとは思わない。


「上がればな。だが現に下がっている。外国のことだから俺も内乱の細かい戦況は分からないが、内乱が収まると思っているなら実情を俺たちより知っているカメリアの商人が買い込むだろうから、多少は下がるにしても二十パーセントなんて暴落しないんじゃないか?」

「じゃあ市場はカメリアの崩壊を織り込んでいるのか?」


 自分で言っておきながらあり得ないとも思う。カメリアが簡単に崩壊するとは思えない。だってカメリアは世界有数の大国でこれまでずっと成長してきた国だから。だか、トーリエは冗談とは対極のひどく真面目な顔で俺に向かって言う。


「どうなんだろうな。だが最悪の事態は想定した方がいい」

「最悪の事態か」


 具体的に何を言おうとしているのかは分かる。トーリエは俺が独自の技術で結晶持ちのスライムを判別して、スライム狩りを専門としていることを知っているから。

 それは即ち、スライムの結晶が貴重な宝石からただの石ころに成り下がること。もっと具体的に言うと俺の収入減がなくなるということだ。


「ハルトー、お客さん?」


 部屋の奥から気の抜けた声が聞こえる。どうやらアキナが目を覚ましたようだ。

 トーリエは身を屈めて俺に耳打ちをする。


「ハルト、昨晩はお楽しみのようだったな」

「まあな」


 アキナは可愛い。冒険者学校でも話題だったから当然トーリエも知っている。

 アキナのことを考える。もしもスライムの結晶がこのまま暴落して、一生価格が戻らなかったとして、俺の稼ぎは人並み以下となる。


 そうなったらアキナは変わらず隣にいてくれるだろうか。恋人としてアキトの隣に並びたいと思う人は俺よりたくさんいて、その中で俺よりハイスペックな人は決して少なくないだろう。そんな不安は大きくなっていくばかりだが、俺にはどうすることもできず、トーリエは小声で続ける。


「じゃあ俺は行くから。とりあえず伝えたからな。この先のことは考えておけよ」

「……分かってるよ」


 カメリアでの内乱。スライムの結晶価格の暴落。

 現実を受け止めきれずに、俺は力なく頷くことしかできなかった。

 首筋から嫌な汗が垂れる。

 トーリエは俺の前から去っていったが、俺の体はメデューサにでも睨まれたみたいに動かなくなった。


「どうしたの? 怖い顔をして」


 アキナの声で我に返る。


「いや、なんでも」


 必死に笑顔で取り繕った。カメリアでの内乱は大ニュースだ。きっとアキナが職場である冒険者ギルドへ行けば嫌でも耳に入るだろうし、又聞きしただけの情報をあえて伝える必要もないだろう。というか俺自身としてもまだトーリエから聞いただけでは未だに半信半疑である。

 だってほんの少し前まで経済評論家もカメリアの政治家もみんな同じようにカメリア経済の先行きは明るいと論じていたのだ。


「てか誰だったの?」

「トーリエだよ」

「うっわー。懐かしい名前。それでなんて?」

「たまには一緒にモンスター狩りに行こうって誘われた」


 嘘をついて誤魔化す。


「へー、それでやるの? トーリエ君とだと高難度ばかりで危なくない?」

「いや、断った。どうせどんなモンスターが相手でもほとんどトーリエが倒して俺は悲しくなるだけだからな」

「あはは。まあそうだよね」


 トーリエのすごさはアキナもよく知っているからか、アキナに疑う様子はない。まあ、あながち嘘ではないからな。俺とアキナは冒険者学校でトーリエと出会った。

 初めてだった。

 同世代で剣術も魔術も一切勝てる気がしないって思ったのは。そして自信をなくした俺は正攻法で冒険者として大成することを諦め、スライム狩りの技術を極めたのだ。


 俺とアキナが十六歳の頃、冒険者学校を首席で卒業したトーリエは国一番の冒険者パーティーに就職。そしてその一年後に退職して独自の冒険者パーティーを結成。今では「若手パーティーのホープ」だとか「オワコン国家で唯一の希望」とか言われている。


 そんなすごい男が身近にいたのにアキナは俺を選んでくれたんだよな。嘘をついた罪悪感が胸に突き刺さる。それを振り払うように俺はアキナから目を逸らした。


「じゃあ朝ご飯にしよっか。昨晩のお礼に私が作るよ」


 アキナは俺に背を向けてキッチンに向かう。

 アキナの動きに合わせて黄金色の長髪が揺れていた。

 改めて思う。


 俺はアキナが好きだと。

 失いたくない。

 絶対に。

 そう思ったら自然と俺の足はアキナに向かって歩き出し、両腕は背後からアキナを抱きしめていた。ほんのりと甘い香りが鼻孔をくすぐる。昨晩は同じ洗髪料を使って同じ布団で寝ているのにどうしてここまで違うのだろう。


「あ、えっ……どうしたの」


 アキナが驚きの声をあげる。アキナの耳はじんわりと赤くなる。俺の体も熱くなった。


「いや、つい……だめだった?」

「ううん。いいよ」

「アキナ……好き……」

「私も……」


 アキナはゆっくり体の向きを変えて俺と向かい合う。視線を合わせる。それから俺たちは顔を近づけ、瞳を閉じて、唇を重ねた。

 アキナの表情は分からない。

 心臓がバクバクと音を立てているのはアキナとキスしているからかなのだろうか、それともスライムの結晶価格の暴落のせいだろうか、その答えも分からない。俺はこの先も恋人として隣にいられるのだろうか。考えても分からないことばかりである。


 唇を離して、ゆっくりと目を開ける。

 幸せそうな表情をしたアキナが見える。


「……大好き」


 俺は再びアキナを抱きしめた。


「……ありがと。ずっと一緒にいようね」

「うん。ずっとアキナと一緒にいたい」


 アキナを抱きしめる腕に力がこもる。

 大丈夫。これまで順風満帆だったのだ。今回だってきっと上手くいく。たかだか内乱程度でカメリア経済が崩壊するはずないのだ。



 トーリエの一報から二か月が経った。当初は俺の予想と同様に内乱はすぐに鎮静化するという見立てが多数派だったが、予想に反して掲示板に表示されるカメリア内乱の戦況は日に日に激しさを増していた。それに伴い、日に日に下がるスライムの結晶の市場取引価格。わずか二か月で内乱前の高値から三分の一となった。そして最悪なことにまだまだ下げ止まる気配はない。

 俺の収入が激減したにも変わらずアキナの態度が特に変わらないことだけが唯一の救いだがこれもいつまで続くだろうか。

 ため息が漏れる。

 今さら低賃金で駆け出し冒険者と一緒に働くのも悔しいし、俺に大国のを内乱を治めるような力もない。

 無力感に打ちひしがれながら月日だけが流れていった。


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