第二十五夜「永禄の政変 ― 二つの謀反、京裂く夜」
今夜の京は、
一度に二つ、嘘をついた。
忠義のふりをした裏切りと、
裏切りに見せかけた忠義。
どちらも、間違ってはいなかったのが厄介なのよ。
人はね、
正しいから刃を向けるんじゃない。
守りたいものが違ったとき、
初めて血の匂いが立つの。
永禄の政変。
京が裂けた夜は、
剣より先に、心が折れた夜でもあった。
今夜のお酒は甘いけど、
覚悟は苦いわよ。
ちゃんと飲みなさい。
夜の常連がひと段落した頃、扉がそっと開いた。
カウンターに腰を下ろした青年は、どこか重たい空気をまとっていた。
「ヨシエさん……今日は、ちょっと強いのお願いします」
わたしは氷をすくいながら、にっこりと笑う。
「強いのね? じゃあ今夜は、あんたに合わせて“静かな炎”を出してあげるわ」
黒糖ラムのボトルを取り出し、重みのあるロックグラスに氷を落とす。
黒糖をひとかけ、ビターズを数滴。
炙った柑橘の皮の香りが立ちのぼる。
「黒糖ラムのオールドファッションド。
甘い顔して、芯は強いお酒よ。あんたにぴったり」
さらに、小皿をスッと差し出す。
「おつまみはね、燻りベーコンと蕪の白味噌ディップ。
ベーコンの“煙の香り”が、今日の話と合うのよ」
青年はグラスを見つめ、ほんの少し笑みを浮かべた。
「なんか……この組み合わせ、意味ありげですね」
「あるわよ。
だって今夜の話はね――“嘘と本心、それでも守りたいもの”のお話なんだから」
氷が静かに鳴った。
「永禄の政変。京が真っ二つに裂けた夜。
あんたにも聞いてほしいわ」
◇
京に吹く風は、夏に向かう湿り気を帯びていた。
あの日、あたしは三好長慶殿の茶器を回収し、義龍様の陣へ戻っていたの。
六角義賢と義龍様は、茶器を前に険しい顔をしていた。
「……ヨシエ。
これは……何を意味する?」
「え、と……あの、その……」
(戦国ヨシエ:陰キャJK口調)
「こ、この茶器……毒が……塗られてました……っ」
義龍様の顔から血の気が引く。
「長慶殿は……気づいておられぬのか……?」
六角義賢も低く呟いた。
「三好三人衆め……宗渭、長逸、そして岩成か……!」
義龍様は拳を強く握った。
「急ぎ知らせねば。
このままでは……長慶殿と義興殿が危ない!」
この瞬間、運命は一気に走り出したのよ。
◇
そこへ、息を切らした使者が駆け込んだ。
「急報! 岩成友通と松永弾正久秀が、
三好長慶殿と義興殿の屋敷へ攻め寄せております!」
続いて、別の使者が雪崩れ込む。
「急報!
三好宗渭・三好長逸が将軍・足利義輝公の御所へ向け挙兵いたしました!」
空気が凍りついた。
義龍様は、一瞬だけ目を閉じる。
そして迷いを断ち切るように言った。
「二手に分かれる!
義輝様の御身を守るのは、我らしかおらぬ!」
六角義賢は頷き、軍勢へ指示を飛ばす。
「義龍殿、光秀殿、竹中殿!
我らは義輝様の救援に向かう!」
そして信長が前へ一歩進んだ。
「ならば、わしが長慶殿を救う。
利家、ヨシエ、義興殿は任せるぞ」
利家は槍を背負いながらうなずいた。
「承知!」
あたしは思わず背筋を伸ばした。
「わ、わたしも……っ、が、頑張ります……!」
こうして京は、一夜で二つに割れたのよ。
京は炎と怒号に包まれ始めていた。
◇
長慶の屋敷は、すでに紅蓮の色に包まれていた。
信長様は岩成友通の軍勢に行く手を阻まれ、激戦の火花を撒いていた。
「利家! ヨシエ!
お前たちは奥へ! 長慶様を頼む!」
利家が叫ぶ。
あたしはこくんと頷き、義興の腕を引いて屋敷の奥へ走った。
◆
燃える梁が天井から落ちる。
熱風で息をするだけで肺が焼けそうだった。
その奥に――いた。
長慶は座していた。背筋は伸びている。
その前に、松永久秀が刀を構えて立っていた。
久秀の頬には涙の跡。
長慶は穏やかな微笑をたたえていた。
炎の橙が二人を照らし、影を引き裂いていた。
◆
久秀は震えた声で言った。
「……なぜ、でございますか。
なぜ、かような真似を……!」
長慶は目を伏せ、静かに答えた。
「久秀よ。
まずは、そなたの心を知りとうてな。
何故、三好三人衆と手を組んだ?」
久秀は苦しげに笑った。
「彼奴らの思惑など知れたもの。
三好の屋台骨を奪い、自らの権勢にせんとするだけ。
だが私は……
私は、かつてあなた様が言われた言葉に殉じたのです」
炎が爆ぜ、天井の梁が崩れ落ちた。
「『戦がなくなれば、茶の湯に専心できよう』
あなた様はそう仰った。
私は、それを叶えるために力を貸すと決めたのです!」
久秀の肩は怒りと、寂しさと、裏切られた痛みで震えていた。
「それなのに……!
あなた様は三好政権を捨て、義輝公の幕臣となった!
あれでは、私の忠は……いったい……!」
長慶はそっと首を振った。
「久秀よ。
ならば、そなたは儂を討つつもりでおったのだな?」
久秀は黙って頷いた。
長慶は、確かめるように続けた。
「……では、なぜ毒を盛った茶器を砕いた?」
久秀の目が大きく開かれた。
「……お気づき、で……?」
「気づかぬほど、老いちゃおらぬよ」
久秀は唇を噛み、涙を落とす。
「茶の湯を穢されては……我慢ができませなんだ。
そして……あなた様が、毒に気付かぬほど
腑抜けになったと思えば……!
怒りが……抑えられませなんだ……!」
長慶は静かに目を閉じた。
「では、なぜ毒を飲み続けたのか、と問いたいのであろう?」
久秀は震える声で言う。
「……はい……!」
長慶は目を開き――微笑んだ。
「飲んでおらぬよ、久秀。
儂を弱らせておるのは毒ではない。病よ」
久秀の膝が崩れた。
「……病……?
では、あの弱りようは……!」
「余命は長くない。
ゆえに、三好を義興に継がせることも、
日の本を統べることも叶わぬ。
だからこそ、義輝様のもとへ入った」
「……!」
「儂の死後、国が乱れぬようにな。
久秀よ。
そなたの忠は、儂を責めたことすら、愛しいほどに真っ直ぐよ」
久秀は子供のように泣いていた。
長慶は、そっとその肩に手を置いた。
「久秀……これからは、義龍を見よ。
あの若武者なら……
そなたと儂が夢見た“戦なき世”を目指してくれよう」
炎が、二人を包むように揺れる。
◇
そこへ利家が駆け込む。
あたしは義興の腕を抱え、必死で炎の中を走ってきたんだから。
長慶がこちらを見て、やさしく微笑んだの。
「ヨシエ殿、利家殿。
……義興を頼む」
「は、はい……!
ぜ、絶対に……っ、絶対にお守りします……!」
義興は震える声で叫んだ。
「父上……!
必ず……必ずお迎えに戻ります!」
長慶は優しく笑い、首を振った。
「戻れぬから、逃がすのだ。
行け、義興。
そなたの未来は……儂ではなく、義龍が守る」
炎が二人の影を引き裂いた。
利家が義興を抱え、あたしも続く。
久秀は涙を拭い、長慶に深く頭を垂れてから背を向けた。
「……義龍殿へ伝えます。
“義輝様を、お救いせよ”と……!」
そしてあたしたちは、燃え落ちる屋敷から走り出した。
背後で、長慶が最後の覚悟を背負って立ち上がる音がした。
◆
語り終えると、青年はしばらく黙ったままグラスをゆっくり傾けた。
黒糖ラムの香りが、静かに夜へ溶けていく。
「……なんか、長慶さんって、すごい人ですね」
ぽつりと落ちた言葉は、いつもより深かった。
「嘘だと思われても、裏切られたと思われても……
それでも守りたいものがあったんだなって」
青年は、残り少なくなったグラスを見つめて微笑む。
「このお酒みたいです。
甘く見えるけど、強くて、最後にちゃんと芯が残る」
まあ、嬉しいこと言ってくれるじゃない。
「ベーコンの燻りもね、ヨシエさんの話聞いたあとだと、なんか……
本心を隠してるみたいな味に感じます」
「ふふ。お酒はね、ただ飲むんじゃないのよ。
その人の気持ちで、味が変わるの」
青年は少し照れくさそうに笑った。
「今日の話、なんか……妙に沁みました。
誰かの“嘘”も、“選んだ行動”も、少しだけ信じてみようかなって」
その言葉に、わたしはそっと頷いた。
「それがね、歴史が教えてくれる“救い”なのよ。
さ、今夜は静かに味わいなさい。
その強い一杯と、胸の奥に残った何かをね」
◆ 今夜のお酒 ◆
『黒糖ラムのオールドファッションド』
・奄美産の黒糖ラムを使用
・砂糖は使わず、黒糖とビターズだけで仕上げ
・柑橘の皮を軽く炙って香りづけ
黒糖ラムの深い甘さは、隠そうとしても滲み出る“本心”みたい。
でもオールドファッションドの形に整えることで、強く、凛と、静かに燃える味になる。
「甘さを見せたくない男の本音が、ふっと顔を出す一杯よ」
とヨシエママは言ってウインク。
◆ 今夜のおつまみ ◆
『燻りベーコンと蕪の白味噌ディップ』
・厚切りのスモークベーコン
・軽く炙って香りを立たせる
・蕪の甘味と白味噌のコクを合わせた滑らかなディップ
・黒胡椒でキレを加える
“燻り”の香りは、隠された真意や裏側を示し、
白味噌と蕪の柔らかな甘さは、ふと覗く本心の温かさ。
黒糖ラムに、そして今夜の物語にもぴったり
この夜、
裏切った者は二人いた。
でも、本当に裏切られたのは――
誰だったのかしらね。
松永久秀は、
主を斬ろうとして、
最後まで主を汚せなかった。
三好長慶は、
すべてを失うと分かっていて、
それでも国の形を選んだ。
正しさと忠義は、
同じ顔をしていない。
だから歴史は、
こんなにも苦く、愛おしい。
青年は少し、
強くなって帰っていった。
嘘を見抜く力じゃない。
それでも信じる覚悟を、手にしてね。
また来なさい。
次は、
もっと血の匂いがする夜になるわ。
グラスは、まだ温かいから。
この夜、
裏切った者は二人いた。
でも、本当に裏切られたのは――
誰だったのかしらね。
松永久秀は、
主を斬ろうとして、
最後まで主を汚せなかった。
三好長慶は、
すべてを失うと分かっていて、
それでも国の形を選んだ。
正しさと忠義は、
同じ顔をしていない。
だから歴史は、
こんなにも苦く、愛おしい。
青年は少し、
強くなって帰っていった。
嘘を見抜く力じゃない。
それでも信じる覚悟を、手にしてね。
また来なさい。
次は、
もっと血の匂いがする夜になるわ。
グラスは、まだ温かいから。




