第二十二夜「京の影、龍の胎動 ― 聞こえぬ戦の足音」
いらっしゃい。
今夜も、バー〈ゴールデン戦国〉へようこそ。
戦国の夜ってね、
刀が鳴る前のほうが、ずっと騒がしいのよ。
噂が走って、顔色が変わって、
「何か起きる」って気配だけが先に広がる。
でもね――
そういう夜ほど、
実は“戦そのもの”は起きなかったりするの。
ただ代わりに、
立場が変わったり、
名前が変わったり、
見ていた景色が、そっとずれたりする。
第二十二夜は、
血も火も上がらない。
だけど確かに、
次の時代が息を吸い込んだ夜。
失敗も、勘違いも、早とちりも、
ぜんぶひっくるめて――
「生きて動いている証」だった、そんなお話よ。
夜も、ずいぶん更けた頃だったわね。
例の若い会社員くんが、いつもの席に腰を下ろしたの。
今日はね、
グラスを持つ手が、ほんの少しだけ重たい。
ああいう日はだいたい決まってる。
自分で自分を責め始めてる日。
「ママ……
ヨシエママってさ、令和でも戦国でも、
なんか失敗しなさそうで羨ましいよ……
俺なんて、ドジばっかで……」
あらあら。
アタシは苦笑して、徳利を置く代わりに――
加賀梅酒の瓶を、ことん、とカウンターに置いた。
「アンタねぇ……
世の中に“失敗しない人間”なんて、いないのよ」
青年が、少し意外そうに顔を上げる。
「戦国ヨシエなんてね、
毎回『これ、死ぬやつじゃない?』って
内心ガクブルだったんだから」
「……え? 本当に?」
「ほんとほんと。
失敗しないんじゃなくて、
失敗しながら、誤魔化して、転びながら、
それでも次へ行ってただけ」
梅酒をロックで注ぎながら、
甘酢生姜の豚巻き・京風白味噌だれを並べる。
「今日はね、
京の夜にぴったりのお話があるのよ」
青年は、ふっと笑って言った。
「……前田利家が
“京が危ない”って言ってきた夜、ですよね?」
「そう。
あれね――
戦になりそうで、ならなかった夜のお話」
アタシは、ゆっくりと語り始めた。
◆
一乗谷の戦が、ようやく片付きかけていた頃。
久政様と賢政が、
残る朝倉・京極の後始末を進めていた、まさにその時。
土煙を上げて、前田利家が駆け込んできたの。
「ヨシエ殿ッ! 光秀殿ッ!
京にて三好勢、兵を並べております!
利尚様が……危険かと!」
あの時の利家ね、
完全に“最悪の想像”をしてる顔だった。
(……うわ。
これ、いちばん嫌なやつじゃない……)
光秀も、声を落とした。
「……三好が動いた、ということは
利尚様が拘束されている可能性もある」
空気が、一気に戦前になった。
その張り詰めた空気の中で――
一歩、前に出たのが賢政だった。
「ヨシエ殿、光秀殿。
ここから先は、父と私で引き受けます」
その目は、真っ直ぐで、迷いがなかった。
「利尚様のもとへ向かってください。
……美濃は、
利尚様を失うわけにはいかない」
(……あら)
少し前までの賢政なら、
「自分が行きたい」「自分が手柄を」
そればっかりだった。
でも今、この子は――
“誰を優先すべきか”を、ちゃんと選んでいる。
胸の奥が、じん、と熱くなった。
「……立派になったじゃない」
賢政は、ほんの少し照れたように、
静かに頭を下げた。
その時よ。
遠くから、獣みたいな声が響いたの。
「殺せ!
活かしておけば、必ずや朝倉家の仇を取る男だぞ!」
――真柄直隆。
捕縛されてなお、
殺気がまったく衰えていない。
「ヨシエ殿、
真柄直隆の処置は……」
「ああ、あの子ね」
アタシは、捕えられた真柄の前に立った。
「く……あの時の女か。
もう一度だ。もう一度、勝負しろ!」
(はいはい、元気ね……)
「真柄直隆。
あなたの剛勇は、越前の誇りよ」
真柄は、黙ったまま睨み返してくる。
「だからこそ――
ここで死ぬより、
“繋ぐ役目”をしてみない?」
一拍置いて、付け足した。
「ついでに、賢政くんを鍛えてあげて。
あの子、伸びるから。
……ちゃんと育ったら、また戦ってあげる」
真柄は鼻で笑った。
「……面白い。
ならば、考えておこう」
十分すぎる返事だったわ。
こうして私たちは、
賢政と久政様に背を預け、
京へと馬を飛ばした。
◆
京に入った瞬間――
空気が、まるで違った。
利尚様が滞在する屋敷の周囲を、
三好の兵がびっしりと囲んでいる。
槍、足軽、屋根の忍び。
(……いや、これ、普通に包囲じゃない?)
光秀が低く唸る。
「……まずい」
利家は歯を食いしばった。
「突破しかありません!」
「言われなくても行くわよ!」
三人で、そのまま突っ込んだ。
ドンッ、と扉を開けた、その先で――
利尚様がいた。
六角義賢様がいた。
そして、見知らぬ二人。
四人で、
ちゃっかり酒を飲みながら、談笑してた。
(…………は?)
光秀は、口を開けたまま固まってる。
利家は、震える声で。
「よ、ヨシエ殿……
戦になるって報告だったはず……!」
「利家ッ!!!
どこが戦よ!! 宴じゃない!!」
利尚様が、満面の笑みで手を振った。
「おお、ヨシエ! 光秀!
よく来たな!」
(……完全に誤解して突撃したわね……)
アタシと光秀は、同時に土下座。
「す、すみませんでしたァァァ!!」
◆
「まあ、座れ。事情を話そう」
利尚様は、そう言って――
一人の男を示した。
「こちらは、将軍
足利義輝様だ」
(……は?)
慌てて頭を下げると、
義輝様は穏やかに言われた。
「そんなに畏まるな。今日はお忍びだ」
その佇まいは、
太陽みたいに温かく、
大樹みたいに揺るがなかった。
(……この方が、剣豪将軍……)
隣の御仁が、くつくつと笑った。
「わしが三好長慶じゃ。
随分と手荒い挨拶じゃの」
――一気に、背筋が冷えたわ。
◇◇
三好が兵を並べていたのは、
斎藤ではなく――畠山勢への備え。
「派閥が固まれば、
必ず壊しに来る者がいる」
義輝様は、静かにそう語った。
そして――利尚様。
「私は、
義輝様より官位を賜り、
一色家の名跡を継ぐ」
さらに。
「相伴衆に任ぜられ、
……偏諱も頂くことになった」
(……ああ)
美濃で育った若龍が、
京の空で、静かに身をうねらせ始めてる。
これは、まだ戦じゃない。
でも――
次の時代が、確実に胎動した夜だった。
◆
話を終えると、
青年は梅酒のグラスをくるくる回して、笑った。
「……なんだ。
失敗しても、意外と大丈夫なんですね」
「そういうこと」
アタシは、瓶を軽く叩く。
「強い人ってね、
失敗しない人じゃないの。
失敗しても、また行ける人」
青年は、豚巻きを一口。
「……俺も、もうちょい気楽に行きます」
「それでいいのよ」
梅酒の香りが、ふわっと広がった。
「戦国でも令和でも、
“聞こえない戦の足音”は、
だいたい、そんなところから始まるんだから」
◆今夜のお酒とおつまみ
◆加賀梅酒
甘くて飲みやすいのに、
気づけば酔いが回る一本。
――静かな布陣と、突然の出世を重ねて。
◆甘酢生姜の豚巻き・京風白味噌だれ
一見こってり、後味は軽やか。
“京”という舞台の、上品で危うい味。
読んでくれて、ありがとうね。
今夜はね、
誰かが斬られたわけでも、
城が落ちたわけでもない。
でも、
ヨシエも、光秀も、利家も、賢政も、
ちゃんと“やらかして”、
ちゃんと“次の場所”へ進んだ夜だった。
失敗ってね、
止まる理由じゃないの。
動いていた証拠なのよ。
勘違いして、早合点して、
土下座して、恥かいて――
それでも前に進めたなら、
それはもう立派な戦果。
もしあなたが今、
「また失敗したな」って肩を落としてるなら、
今夜の話、ちょっと思い出して。
大丈夫。
龍は、音を立てずに生まれることもあるんだから。
さて、グラスは空いた?
次の夜――
名が変わる者、立場が揺れる者、
その全部を見届ける準備はできてるわ。
また来てちょうだい。
バー〈ゴールデン戦国〉で、
アタシはいつでも待ってるから。




