第二十夜 「“育てる”という苦い仕事」
いらっしゃい、今夜も“バー〈ゴールデン戦国〉”へようこそ。
ここはね、ふだん強がってる大人たちが、そっと本音を置いていく場所なのよ。
カウンターの木目は静かに光って、グラスの影が長く伸びてね……
人の心のざらつきも、あたしの昔話も、ぜんぶここで溶けていくの。
第二十夜のテーマは“育てる”という、あまりにも苦くて重たい仕事。
自分が正しいと思うほど、相手とぶつかっちゃうし、
優しくしたいのに強く言わなきゃいけない時もある。
でもね、育てるってのは、結局“自分が成長する痛み”でもあるのよ。
今夜は、浅井賢政って若武者がその痛みに気づいた夜のお話。
あたしが六将補佐として、光秀と一緒に小谷へ向かった日のこと──
うふふ、肩の力抜いて、ゆっくり聞いてってねぇ。
夜が落ちてくると、この店はやさしい影を伸ばすんだよ。
カウンターの木目が静かに光って、客の悩みがぽとりと落ちてくる。
その夜も、そんなひとりがいたのさ。
背中を丸めた若い会社員。
声はしっかりしてるくせに、目だけが迷子みたいで。
「ママ……部下ってどう育てればいいんでしょう。
優しくしすぎると甘えるし、強く出ると離れちゃう気がして……
どうやって向き合えばいいのか分からなくなるんです。」
ああ〜、来たわね。
人間関係の中でもいちばん苦い、あの悩み。
“育てる側の痛み”ってやつよ。
アタシは彼の前に、背の低いグラスをそっと置いた。
「《赤ワイン酢のサワー》。
見た目より優しい味なのよ。
最初にちょっと酸っぱくて、後からふわっと甘いの。
人と同じさ。表に出るもんだけが全てじゃないのよ。」
その横に、小さな皿をひとつ。
「《焼き湯葉の山椒味噌》ね。
湯葉って薄いのに、焼くと“芯”が出るの。
人の芯も、育てると光るもんよ。」
青年はグラスに触れたまま、小さく息をついた。
「僕……焦ってたのかもしれません。」
「焦るのは、育てようとしてる証拠だよ。
戦国の頃にもね、同じ悩みを抱えた若武者がいたの。
自分より若い者を導くのって、ほんっと難しいのよ。」
アタシは琥珀色の液体を揺らして、
静かに指先でグラスの縁をなでた。
灯りが小さく瞬くと、あの時代の空気がふっと店に落ちてくる。
アタシと光秀と賢政の三人が、援軍として小谷へ入ったときよ。
山の影は濃く、空気は湿っててね……
“戦の前の国”の匂いがしたわ。
迎えに出てきたのは浅井久政様。
「斎藤よりのお力添え、心より感謝いたす。」
穏やかで柔らかい物腰。
昔から変わらない、あの“水のような人”って印象よ。
……が、その隣の賢政は違った。
「そんな挨拶より、まずは戦の準備を整えてください。
父上の“交渉”には、これ以上付き合っていられませんので。」
(うわ……出たわ……
この子ほんっと、火力と理想で生きてるタイプ……
父親の前でその言い方、できちゃうのが若さよねぇ……)
久政様は淡々と返す。
「賢政。武は心の乱れを映す。
まずは客人を迎える態を学べ。」
「迎える相手を、間違えているとは思いませんか?」
それだけ言って踵を返し、光秀に向き直る。
「光秀殿、兵の視察に行きます。
父上の前では何も進みませんので。」
(あ〜〜はいはい、完全に思春期武将ね……
でもこういう拗らせ男子、嫌いじゃないのよ……)
光秀が困った顔で追い、アタシもついていく。
そのとき、背後に残った久政様が、小さくつぶやいたのよ。
「……あの子が、いつか“見るべきもの”を見られますように。」
その声が、やけに胸に刺さった。
(……この父親……
“弱い”なんてとんでもない。
息子が迷わぬように、ずっと地面をならしてる……
ああもう、胸が痛いったら……)
小谷城の廊下はね、石垣の匂いがするの。
しんと冷たい空気に、足音がカツンと響くのよ。
でも、そのしんとした空気をぶち破るのが、賢政。
「父上は交渉ばかり……
あれでは浅井は飲み込まれるだけです。
利尚様のもとなら、もっと鋭く動ける!」
(はいはい、義尚様フィルターね……
若い男子ってほんと、理想を誰かに貼りつけがち……)
光秀は苦笑して返す。
「賢政殿。あなたの焦りは分かるが、
戦は“父への反発”で勝てるほど甘くない。」
「反発ではありません。浅井を強くしたいだけです。」
(……言い方よ、言い方!
陰キャのアタシに刺さるのよ、そのトゲ……)
アタシも堪えきれずに言ったの。
「え、えっと……賢政……
ちょっと噛みつきすぎじゃない……?」
賢政はアタシを見向きもしない。
「ヨシエ殿こそ、六将補佐として来たのでしょう。
ならば“勝つ道”を示してください。」
(ひ〜〜!
“あなたにできるの?”って顔してるじゃないの……!
陰キャ、即死するやつ!!)
その夜。
アタシたちは久政様の側近が集まる一室の前を通りかかったの。
襖の隙間から、小さく声が漏れた。
「京極には“朝倉が浅井を見捨てた”とする偽書状を送れ。」
(……ほぉ……
この人、やるじゃないの……)
「朝倉には“斎藤が五千で浅井を救う”と流せ。」
(五千て……盛ったわねぇ……)
「美濃が動くまで、賢政を小競り合いに出せばよい。
勝たずとも逃げずともよい。
“浅井の若”が戦う家と示せればそれでよい。」
(……ああ……
この人、息子の見栄も弱さも全部わかって支えてる……
誰よりも“育てよう”としてるじゃない……)
そのとき――
背後で足音が止まった。
賢政だった。
襖の影に立ち尽くし、言葉を失っていた。
怒りじゃない。
悔しさでもない。
――自分が何も“見えてなかった”と気づいた顔。
「父上……
そうやって……浅井を……」
光秀は静かに彼の肩へ手を置いた。
「若い頃には、父の姿はよく見えぬものです。」
アタシも言ったのよ。
「ねぇ……あんたさ……
父親のこと“弱い”って決めつけるの、早すぎじゃない?」
賢政は答えなかった。
でも、その沈黙こそが――答えだった。
ここからよ。
あの子が本当に“浅井の後継ぎ”になる物語は。
「……でね、賢政って子はさ」
アタシは指先で氷を転がした。
コロン、と軽い音がして、青年は顔を上げる。
「父親をね、ずっと“弱い”って決めつけてたのよ。
でも本当は、表じゃ穏やかに見せながら、
裏では息子の未来までちゃんと計算してた。」
青年は息をのんだ。
「見えないところで……支えてくれてる人もいるんですね。」
「そうよ。
部下でも家族でもね。
“見えてる姿だけ”で判断してる間は、育てるのって難しいの。」
アタシは微笑む。
「賢政はあの夜、
初めて“守られていた”って気づいたの。
その痛みがね――人を大人にするのよ。」
青年は深くうなずいた。
「……僕も“できないやつ”って決めつけていたのかもしれません。」
「うん、その気づきがもう、育てる側の顔になってるわ。」
空になりかけたグラスの底を見つめて、アタシは言った。
「さて。
第二十夜はここまで。
“育てる痛み”に気づいた若武者の夜話、楽しんでくれた?」
カウンターの灯りが、もう一度ふわりと揺れた。
読んでくれてありがとねぇ。
今夜は、あたし自身にも刺さるテーマだったわ。
人を育てるって、本当に難しいのよ。
強すぎると折れちゃうし、優しすぎると甘えちゃう。
賢政みたいに理想だけで走る子には、
“痛み”っていう現実の重さを知る時間が必要なの。
でも、痛みを知った子ほど強くなる。
それは戦国でも現代でも変わらないわ。
もしあなたにも、
「この子どう扱えばいいのよ……!」
って悩む相手がいるなら、今日のお話が少しでも支えになれば嬉しいわ。
さて、グラスおかわりしてく?
次の“第二十一夜”も、ちゃんと用意しておくからね。
また来てちょうだい。
バー〈ゴールデン戦国〉で、あたしはいつでも待ってるわ。




