第二夜「信の章 ― 義龍、光秀と出会う」
いらっしゃい、バー〈ゴールデン戦国〉へようこそ。
今夜はね、愛と義のあいだで揺れる父と子――
そして、その狭間で震える“あたしの心”を聞いてほしいの。
うふふ、涙に似たお酒を片手に……さぁ、語りましょうか
バー〈ゴールデン戦国〉の灯りは、昨夜より赤く、まるで血と恋が混ざったように妖しく揺れていた。
カウンターの向こうで、ママ・ヨシエは紫の口紅をそっと引き直し、艶っぽく笑ったの。
向かいの青年は、昨夜よりいくらか顔色が良い。
「ヨシエさん、昨日のお話……義龍様って、本当に優しい人なんですね」
ヨシエは、指でグラスの縁をこん、と叩く。
「あらん、当然じゃないの。けどねぇ……優しいだけの男に国は動かせないわ。
今夜はね、義龍様が足りなかった“信”を手に入れる夜のお話。
智よりも武よりも、人を信じ、人に信じられること――
それがどれだけ人を変えるか、見せてあげる」
「“信じる”…か」
青年は緊張気味にワインを持ち上げる。
「今夜のお酒は、ボルドー産『シャトー・ラフィット・ロートシルト』。
渋くて芯があってね……まさに“信念”の味よ。
おつまみは燻製チーズ。ちょっとクセあるけど、夜の物語にピッタリ」
ワインの香りが立つと同時に、ヨシエの声が低く響き、店の空気がぐっと過去へ沈む。
――――
◆ 戦国・美濃国 1547年
利尚様(二十二歳)。
まだ“うつけ者”だの“酒好き”だの、言われ放題だった頃よ。
父は成り上がりの名将・斎藤道三様。
家中の噂はひどいものだったわ。
「利尚は母の血で気位ばかり高い」
「放蕩息子め。女と酒に溺れておる」
──バカ言ってんじゃないわよ、とアタシは何度思ったか。
利尚様が夜な夜な通う“酒場”は、実は民の声が一番聞こえる場所。
散財だと言われた買い物も、飢えている町人の腹を満たすためだったの。
でもね、当時の明智光秀は、そんな利尚様をまるで信じてなかったの。
光秀は真面目で堅物、正義感の塊みたいな男。
だからこそ「利尚様は殿(道三)の足手まといだ」と思い込んでいた。
ある日、利尚様が城を軽やかに抜け出していくのを見て、光秀は道三様に直訴したの。
「殿、利尚様はまた城下へ。お止めなされませ。民に侮られまする」
それに対し、道三様はニヤッと笑ってこう言ったの。
「光秀、お前、自分の目で確かめてまいれ」
こうして光秀は、アタシと一緒に利尚様の後を追うことになったわけ。
「お侍様、こそこそ見張るより、あたしがさっさと案内するわよ」
「……お前、利尚様に心酔しているな」
「ふふん、信じる男に惚れない女なんていないのよ」
――――
利尚様は、古い茶屋の裏で子どもたちに団子を配っていた。
「字を覚えるんだぞ。寺に行けば学べる。
知恵は武器だ。騙されぬための盾にもなる」
あの優しい声。
アタシは、胸の奥がきゅうっとしたわ。
光秀は息を呑んだ。
(これが……“うつけ”だと?)
その瞬間、茶屋の陰から荒くれ者が飛び出してきた。
「利尚のせいで税が上がったんだろ! 偽善者め!」
刃物を抜いて突っ込んでくる。
光秀が抜刀しようとした、その一瞬――
利尚様は静かに前へ出て、その手首を掴んだ。
「怒りをぶつける相手を間違えるな。
俺を斬る覚悟があるなら……まず飢えた子の腹を満たしてからにしろ」
民を思う熱さと、己を責める静かな優しさ。
その両方が混ざった声だったわ。
男は泣き崩れ、利尚様はその肩を抱き寄せた。
光秀はただ立ち尽くしていた。
――これが、“信じる”ということか。
――――
◆ 稲葉山城 その夜
光秀は、深々と頭を垂れた。
「これまで利尚様を誤っておりました。
愚かは、この光秀にございます」
利尚様はふっと笑ったの。
「よせ。俺は民に教えられただけだ。
……これからは、お前の知恵が必要だ」
光秀は初めて、利尚様という男を“信じた”の。
忠義ではなく、人として。
アタシはその姿を見て、心の中で小さく祈った。
(利尚様……ようやく、味方が一人できましたね)
――――
バーの灯りが現在へ戻り、青年は目を見開いたまま。
「……“信頼”って、そういうことなんですね。
誰かが本気で見てくれたら、人は変われるのか」
ヨシエは赤ワインをくるくる回して微笑む。
「そうよ坊や。
取引先や上司の顔色より大事なのは――
あんたが誰を信じて、誰に信じられるか。
人生の財産って、そこなのよ」
青年は静かに頷いた。
「……なんか、勇気が出ます」
「それで良いのよ。じゃ、次の夜は――
利尚様が初めて“戦”で輝くお話。
血も、愛も、信も、ぜ~んぶ混ざる夜になるわよ?」
ヨシエは妖しく笑い、グラスを置いた。
赤いワインの中で、戦国の炎がゆらりと揺れた。
――――
今宵のお酒
シャトー・ラフィット・ロートシルト(フランス)
重厚で芯があり、飲むほどに心が試される一本。
利尚様と光秀の“信頼”の距離にぴったり。
おつまみ
燻製チーズ
クセがありながら噛むほど深みが出る。
利尚様と光秀の“信”が、ゆっくり溶け合う夜の味。
はぁ……戦の話って、血の匂いがするけどね。
その中に、ちゃんと“人の心”も息づいてるのよ。
利尚様と道三様――あのふたりの間に流れた想いを、
あたしは今でも忘れられないわ。
次の夜は、“信じること”が絆になるお話。
ねぇ坊や、今夜の涙が乾いたら、またおいで……




