第十三夜 『上洛の兆し ― 金と信と影の策』
ねえ、戦が終わったあとの世の中ってね――
意外と、いちばん怖いのよ。
刀じゃなくて、言葉と金で人が動く時代。
誰を信じて、誰に裏切られるか。
その“見えない戦場”で笑える人だけが、生き残るの。
あの頃の義龍様も、ようやく戦の炎を抜け出して、
“上洛”なんて夢を見始めた時期だったわ。
けどね、夢を現実にするには、
信頼と銭と……ちょっとした悪知恵が要るのよ。
今夜はそんな、“策”が主役の夜のお話。
金の匂いと、信の重さが交錯する――
まるで、駆け引きのグラス越しみたいな夜を、味わってちょうだい。
「最近、チームをまとめる仕事が増えたんですけど……」
青年がカウンター越しにぼやいた。
「上からは命令が降りてくるし、下は納得してくれないし。
間に挟まれるばかりで、動けないんです。」
アタシは氷を転がしながら笑った。
「中間ってのはね、どの時代でもいちばん疲れる場所よ。
でもね――うまくやる人たちは、“信頼”と“金”の使い方を知ってたの。」
青年が不思議そうに首を傾げる。
「今夜のお酒は、白ワインのソーダ割り(オペレーター)。
おつまみは焼き帆立のバター醤油和え。
軽やかだけど深みがある――政治の夜にぴったりの一杯ね」
アタシはグラスを傾けながら、そっと語り始めた。
「義龍様たちが“上洛”を決めた頃――」
***
熱田での戦いに勝利した義龍様と信長様は、尾張を平定し、
ようやく息をつけるようになった頃だったの。
六角義賢様が義龍様をいたく気に入り、
尾張・美濃・近江・伊勢の四国連合を組むことになったわ。
将軍家への上洛を見据えた、前代未聞の同盟よ。
その夜――観音寺城の一室に、四家の代表が並んでいたの。
重苦しい空気を割って、義賢様が静かに口を開いた。
「この上洛の儀、我が六角が将軍家へ義龍殿を推挙する。
すでに公家衆への根回しは済ませておる。」
浅井久政様がうなずいて言う。
「六角殿の後ろ盾あってこその同盟。
浅井は北近江の守りを固め、義龍殿の背を支え申す。」
そこへ信長様が、すっと割って入ったの。
「尾張もまた、美濃の旗下として動く覚悟にございます。
ただし――京へ上る道には今川と一向宗、二つの障壁がございます。」
義龍様は腕を組んで唸ったわ。
「うむ、まさにそこが悩みどころだ……」
その時、アタシ――いや、ヨシエは、
控えの間から思わず前に出ちゃったの。
「えっと、それ、裏の金脈で何とかなるかもです!」
場が一瞬、凍った。
でも、義龍様は目だけで“話してみろ”って合図をくれたの。
「い、伊勢の商人たちを使いましょう!
今川方の家臣の中には、独自の取引で財を得てる人も多いんです。
そこに“裏の金脈”を流せば、義元公の威光は静かに削げます!」
信長様が口の端を上げた。
「ほう……つまり、今川は自分の金で自分を縛るわけか。」
「そ、そうです! えへへ。
でね、もうひとつの障壁――一向宗は、“戦”じゃなくて“心”で割るの。
近江門徒と尾張商人派、信仰の形をめぐる論争をちょっと煽れば……
自然と、内輪揉め、発生、ですっ!」
浅井様が感心したように息を呑んだ。
「宗を割る……か。使うのではなく、割るとは見事な理よ。」
義龍様が微笑み、静かに言った。
「よい、ヨシエ。任せた。」
「はいっ、義龍様! 伊勢と近江の金の道、完全サポートしますっ!」
アタシはぴしっと一礼した。
あの時の光景、いまだに目に焼き付いてるわ。
義龍様の横顔は、もう“戦国の若獅子”じゃなく、“新しい時代の導き手”だった。
***
同じ頃、駿河では木下兄弟が義元の前にいた。
「六角・斎藤・織田の連合――おもしろくありませんな」
兄の藤吉郎がいやらしく笑い、
弟の小一郎が続ける。
「義元公、朝倉を動かしましょう。
六角に遺恨を持つ者たちが京極を通じて北陸におります。
“金の縁”で結べば、圧は京まで届く。」
義元が満足げに頷いた。
「うむ、そなたらに任せよう。」
でも、その兄弟の目は、まるで別のものを見ていた。
冷たく光る、あの視線――。
(……斎藤義龍。お前の作る“新しい歴史”なんざ、俺たちが壊してやる)
***
「――ってわけでね、青年。」
アタシはグラスを軽く掲げた。
「人を動かすのは、力でも刀でもないの。
“信じさせること”、そして“お金の流れ”。
その二つを見極められる人が、本当の“上司”になれるのよ。」
青年はゆっくりうなずいた。
「つまり、中間の立場って……誰よりも調整役、ってことですね。」
「そう。
でもね、上からも下からも板挟みになるのは、信頼されてる証拠でもあるの。
あんた、ちゃんと見られてるわよ。」
青年が照れくさそうに笑い、アタシもグラスを置いた。
今夜のお酒とおつまみ
白ワインのソーダ割り(オペレーター)
さっぱりしているのに芯のある味。
交渉や駆け引きの夜にぴったり。
口当たりの軽さの裏に、確かな意志を感じる一杯。
焼き帆立のバター醤油和え
帆立の旨味と焦がしバターの香りが絶妙に絡み合う。
“甘い策”と“塩辛い現実”を噛み締めるような一皿。
人を動かすのはね、力でも肩書きでもないの。
“信じさせること”と“金の回し方”。
この二つをわかってる人が、どんな時代でも勝つのよ。
義龍様は義を信じて、信長様は夢を信じて、
そしてあたしは――ね、ちょっと金の匂いで道を整えた。
だってさ、理想だけじゃ、京までは登れないでしょ?
でも、策を巡らせれば巡らせるほど、影も濃くなるの。
駿河の兄弟、木下藤吉郎と小一郎――
あの二人の動きが、次の嵐を呼ぶ。
戦の時代が“知恵の時代”に変わる、ほんの境目。
今夜はそんな夜に、白ワインの泡みたいな策略を浮かべながら、
静かに、でも艶やかに――乾杯しましょ。




