黄色いカーネーション
あれから一夜明けた。初めての姉妹喧嘩は、恐ろしいほど家が静かになった。
朝食時にはマーガレットしか顔を出さず、アイリスは部屋に籠ったままだった。
「昨日は悪かったね、あんなことになってしまって。僕が早く気づけていれば……」
「父さんは悪くないわ。あの場であんなことを言ったのが悪いのよ。朝食にも顔を出さないなんてどうかしてるわ」
あの後、アイリスは悪びれもしなかった。姉妹喧嘩なんて珍しい、と周囲は言った。
もし、アイリスがいたらその話をしようと思っていたマーガレットは、余計に怒りが募った。
朝食の後、アイリスにわけを聞こうと部屋の前まで行くと、話し声が聞こえた。
(父さんの声だわ。珍しく怒っているわね、何を話しているのかしら)
「どういうことなんだか答えたらどうだ!?生まれ変わっても性根は変わらない様だな」
(……?生まれ変わる?何のことかしら。お伽話でもないのだから……)
「失礼ね、どうせ、知った後ではあの話をしても聞かないでしょう?……あの頃のこの地は確かに酷かったわ、でもね、あの頃は不正や横領は一つもなかったのよ!皆、首を切られるのが怖くてね! 」
声は確かにアイリスなのに、いつもと全く違う話し方だった。
「そんなことはいいだろう!どういうつもりなんだと聞いているんだ!答えろ!レジーナ・ハサエルシア! 」
オスカーの怒鳴り声をマーガレットは初めて聞いた。が、それよりも驚くべきことがあった。
(レジーナって……二十年前に死んだ悪女じゃない。レジーナは、アイリスに生まれ変わったってこと……?)
「うるさいわね、大声で言わなくても聞こえるわよ。そんなに大声では、聞こえなくていい相手に聞こえてしまっているのではないの? 」
まるで、ドアの向こう側を見透かしているようなその言葉に、マーガレットは動揺し、その場で尻もちをついてしまう。
「ほぅら、誰かいたじゃない」
アイリスの言葉にオスカーがドアを開けると、誰もいなかった。
マーガレットは咄嗟に走り、ドアから死角となる角でぐるぐると考えていた。
「メグじゃないことを祈りたいわね」
2時間ほど経ち、アイリスは部屋にあった本を全て読んでしまった為、書庫に行こうと部屋を出た。廊下を歩いていると、曲がり角でマーガレットに会ってしまった。
「あっ…………あの、昨日……」
「楽しかった? 」
「は……?どういうこと? 」
アイリスはマーガレットの言っていることが分からなかった。でもひどく怒っていることはよく分かった。
「あなたから見た私なんて何にもできない子供でしょう!?そんなこともできないのって思ってたでしょう?馬鹿にしてたんでしょう! 」
畳み掛ける様に怒るマーガレットにアイリスは気圧された。
「な、何……そんなわけないじゃない……まさか、聞いていたの? 」
何のことだか理解できずに動揺していたが、それに気がつくと一瞬で青ざめた。マーガレットは俯いてさらに続ける。
「みんなに可愛がられて、頭がいいってちやほやされて、みんなを騙して!噂通りじゃない!どうして生まれ変わってきたの!?死んだままでいればよかったじゃない! 」
そこまで言った時、まずい、とアイリスの方を見た。アイリスは、諦めた様に哀しそうに笑っていた。
「まぁ……こんなのって。本当に、呪いのような生ね」
そのまま、マーガレットの側を通り過ぎた。
このままでは埒が明かない、と思ったアイリスは、街へ一人で出掛けようと思い立った。
「ついて行ってもよろしいですか? 」
「ごめんなさいね、今日は一人で行きたいのよ」
アンナが心配したが、大丈夫だと断った。それなら髪を梳かせてほしいというので言う通りに椅子に座った。昔……レジーナであった頃は、よくこうしたものだった。細くて絡まりやすい金髪を絹のようだと言ったことはあの時からずっと覚えていた。
「……貴女が褒めてくれた髪ではなくなってしまったわね」
「以前とはお顔も違いますし、今は今でとてもお似合いだと思いますよ。羨ましいです。私の髪質ではこうはいかないので」
マーガレットの栗色の癖毛は、アンナから受け継いだものだった。明るくて優しさが容姿にも表れる。
「これが誰に似たのかが重要ね。今の顔嫌いよ。一般的に言えば整っているんでしょうけど、彼に似ているんだと思うと心底恨めしいわね」
「まぁ……私のかわいいかわいい娘のお顔をそんな風に言わないでくださいな」
「貴女といい、メグといい、男を見る目がないわね」
街に行くと、普段通り人で賑わっており、ふらふらと屋台などを見ながら周っていた。アイリスは、ちらりと刺繍糸を見て、そういえば白の糸がなくなっていたと思い出した。
(ああ、ハンカチに使ったのね……緑色も少なくなっていたかしら)
買おうかどうしようか迷って、ひとまず一周しようとその場を離れた。人混みに酔ったので少し人気のない場に移動した。
その時、ゴンッ、と鈍い音がして、そこでアイリスの意識は途切れた。
アイリスが目を覚ますと、薄暗く冷たい床に座っていた。身体の身動きが取れない。縄で縛られている。
「やあ、嬢ちゃん、起きたかい? 」
「何の真似かしら? 」
「とある人に頼まれたんだが、報酬がすこぶるよかったんでね」
「なるほどね……」
確か、彼は最近世間を騒がせているスラム出身の悪党の集団の頭だ。二十年前の荒廃した地ではこんな悪党もいなかった。オスカーの善政で飢えるものは居なくなったが同時にこういう者も出てきたというのは随分と皮肉なものだ。彼らの依頼人は……オスカー関連なら話は別だが、最近自身が恨みを買った人物といえば、思い当たる節がある。
「まあ随分と舐められたものね」
四時間が経ち、アイリスが帰ってこないことにサンダーソン邸は騒ぎとなっていた。探しに出ていた使用人が帰ってきたが、何処にも見当たらなかったという。
「旦那様、もう警察に頼みましょう」
オスカーは、少々悩んでいた。彼女が自主的に出て行ったのではないかと思ったからだった。最早彼女は因縁の相手である。探す理由が見当たらなかった。
「……ごめんなさい、私が、私が酷いこと言ったから……怪我してたらどうしよう、変な人に襲われてたらどうしよう、もし……リィに謝らないといけないのに……! 」
ヒステリックに泣き叫んだのはマーガレットだった。その言葉で、オスカーはマーガレットのためにアイリスを探すことにした。
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次が最終話です。
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