84話 何か問題でも?
私はヘリオ・トロープ。
ネル・ニートホ・ストクッズ様の傍仕えです。
最近ではストクッズ騎士団の団長代理といった、大変名誉ある任も仰せつかっております。
「いいよなあ、団長代理殿は若様のお気に入りで」
「大層な血筋でもないくせに、俺らに命令できるなんてよ」
「出自は商家の帳簿番だろ?」
「俺も早いうちから若様に取り入ればよかったぜ」
ストクッズ騎士団は実力重視の編成で、平民からの登用も多い。
通常、騎士団とは多数の騎士が兵士を指揮して各隊の連携を取ります。指揮系統は騎士をトップに、準騎士、兵士、従士となります。そして我らがストクッズ騎士団は、平民出の兵士が非常に多いのです。
しかしそんな中でも生粋の騎士家生まれの者もいます。
彼らは正真正銘の騎士の親によって、幼少より鍛え抜かれたので腕は確かです。その実力が認められ、旦那様を通じて王家より騎士爵を叙爵された名誉貴族でもあります。
つまり、身分で言えば私より高い。
なので直接的な命令違反をする者はいないけれど、時々こうやって嫌味を言われるぐらいには不満に思われています。
「ほらほら、くだらないこと言ってないで。僕と鍛錬するよ」
そんな彼らを相手にしないのが副団長のシロナです。
「シッ、シロナ副騎士団長ッ!?」
「たたたたッ、鍛錬します!」
「ど、どうかお手柔らかに……!」
ちなみにシロナは奴隷騎士という特殊な身分で、私より位は高い。
しかし主の意向に絶対に逆らわない奴隷紋を刻まれた騎士は……本来であれば忠誠を誉とする騎士たちにとって侮蔑の対象です。
なぜなら奴隷のままの騎士は、その忠誠を疑われているに等しいからです。
旦那様を通じて王家より奴隷騎士の身分を授かったシロナですが、その身分は本人が強く望んだものです。
シロナ曰く、『奴隷のままだったら、何があってもネル先生との繋がりは断たれないもん』と豪語していました。
そんな裏事情を知らぬ者が彼女を謗る場面もありました。しかし、そんなものはシロナの圧倒的な武と、日頃からネル様に忠を尽くす姿勢の前では意味がなしません。
恐怖政治とまではいきませんが、彼女が黒いものを『白』と言えば全員が『白です』と言うぐらいには訓練されています。
正直に言えば、皆には少し酷だと思っています。
なぜならシロナは尋常じゃない鍛錬量を騎士団の皆にも課すので……自然と彼らも地獄の特訓メニューに引きずられています。
まあ、おかげで末端の兵士ですら、他領の騎士を凌駕する者もいるぐらいストクッズ騎士団は精強となりました。
「みな、シロナ副団長の言う通りだ。ヘリオ団長代理は若様にその実力と能力を認められ、我らがストクッズ騎士団を任されておる。旦那様もお認めになっておるのだから、やいのやいの言うんじゃない」
「……ミュンヘン副騎士団長がそう言うなら」
「わかりました、ミュンヘン副騎士団長」
現在のストクッズ騎士団には副団長が二人います。
そのうちの一人がミュンヘン・オラス副騎士団長で、長年ストクッズ騎士団長として騎士団を支えてくれた老骨でもあります。
彼の言葉は反発心のある騎士にも届きます。
私のような若造がネル様に代わってストクッズ騎士団の運営をできているのも、彼の協力が大きいのです。
「いつもありがとうございます。ミュンヘン副団長殿」
「なに、次代を担う若人の背中を押すのも先達の務めよ。やがては団長代理殿もふさわしき身分を得よう」
「私はネル様の傍仕えですので、ゆくゆくは筆頭執事になりたく存じます」
「おいおい、冗談じゃろう? さっさとわしを引退させてくれ。老後は趣味の絵画を描くのに没頭したいんじゃ」
「それはそれは優雅な隠遁生活ですね。ですがまだまだ私もシロナも未熟ですので、ミュンヘン副団長殿にはお世話になりたいと思っております。どうか、私たちと共に」
「くはははっ、老人をコキ使いよって。ずいぶんなラブコールじゃのう」
気持ちのよい古参騎士は、同じく古参の騎士たちをまとめながら訓練場へと歩いて行った。
そのどっしりと安定感のある背中を見つめ、私は自分を鼓舞する。
私が抱える問題は騎士団だけではありません。
ネル様より仰せつかった命を全うしなければ、あの偉大な御方の筆頭執事を務めるなど夢のまた夢。
自身に気合いを入れなおし、聖国より来たる【使徒戦】に向けて万端の準備を図りましょう。
「……あの御方の品格と武威を示す大役を任されたのは私なのですから」
ネル様の周囲には当然のごとく名のあるご令嬢方や聖女様、そして実力者が揃っておられます。そんな中、ネル様は私を一番に信頼し、使徒来訪の全権を任せていただけたのです。
聖国の使徒に完璧な対応を全うしてみせます。
ネル様の高潔さに微塵の疑いなど抱けないように。
そしてストクッズ子爵領がなぜ一目置かれるようになったのか、邪教徒認定などしたらどんな目に遭うのか、それでもこちらとやり合う意志はあるのか。
素直に手を取り合った方が互いのためなると……!
「平民出の私を……貴族位を持つ方々を指揮せよとご任命なされた、ネル様のご慧眼に一寸の狂いはないと示すために……!」
そう思えば【常闇の婚約者】と囁かれるストレーガ伯爵令嬢にも、臆せず段取りを共有でき、問題がある点は遠慮なく指摘できました。
聖国の【破壊聖女】であらせられるアナスタシア様にも、ストクッズ子爵領のやり方を捻じ曲げずに主張し続けました。
そしてジャポン国の【革命姫】であらせられるミコト姫にも、度重なる協議を得てネル様のイメージ戦略を練りに練りました。
全てはこの日のために。
全ては我が主! 我らが誇るネル・ニートホ・ストクッズ様のために!
私は鍛えに鍛えたストクッズ騎士団を率いて、いざ来訪者と向き合います。
そしてストクッズ子爵領の出迎え役代表として、恭しく一礼をしてみせます。
何度も練習し、磨き抜かれた私の所作は貴族子弟らに負けぬほどの優雅さと品格を極めていると自負しています。
最敬礼で以って、聖国からの来訪者をお迎えいたしましょう。
「これはこれは【神聖ハイリッヒ帝国】が【第九使徒シモン】様。神殿騎士の皆様。我らストクッズ子爵領の民は、貴女様のご来訪を心より歓迎いたします」
いざ【第九使徒シモン】と相対すれば、なるほど。
確かに驚異的な実力者ですね。
聖法衣から漏れでる覇気は並大抵のソレではありません。
とはいえ、私は常日頃から才能の塊である化け物を見ているので、微塵の動揺もありません。
ただ、冷静に、冷徹に第九使徒シモンを見据えます。
ハシバミ色の長髪を三つ編みに結んだ第九使徒シモンは、澄んだ薄金茶色の瞳をこちらに向けてきます。
こちらを値踏みするような視線に堂々と背筋を伸ばします。
なるほど、なるほど。アナスタシア様ほどではないせよ、人民が神聖視するレベルには眉目秀麗な美女ですね。
「ほう、邪教徒の疑いがかかっているわりに泰然としておられますな、ストクッズ子爵令息。お初にお目にかかる、私めは神に仕えし【第九使徒シモン・ヴィレルモ・ベアトリーチェ】でございます」
何を勘違いしたのか、あろうことか第九使徒シモンは私をネル様と勘違いしました。
では、どちらが格上なのか、しっかりと示させてもらいましょう。
貴様如きにカイネ・ニトール・ストクッズ子爵様が直接出迎えるわけないと。もちろん、ご子息であらされるネル様も同様です。
これが当然のことなのです。
たとえ、その背後に屈強な神殿騎士を300人ほど引き連れていようとも。
「失礼、何か誤解があるようですね」
私はネル様が邪教徒である点と、私をネル様と勘違いした点を二重に指摘し、そして語気を強めて宣言します。
「私はヘリオ・トロープと申します。ネル・ニートホ・ストクッズ様の傍仕えでございます。またストクッズ騎士団の団長代理を務めさせていただいております」
「な、なんと……ヘリオ殿は騎士でしたか……」
明らかに不満そうに眉を歪めるシモン。
そこに一人の神殿騎士が彼女へ近寄り、何やら耳打ちをしました。
「なっ……失礼ながらヘリオ殿。貴殿は騎士ですらない、平民であるとか。何かの間違いでしょうか?」
「いえ、真実でございます。我が主は身分の貴賤なく、役割をお決めになりますゆえ。まさに神に愛されし器の大きな御方です」
「それは……王権神授説に基づき、神が人の地位を任命するのと同様に……貴殿の主が神に近しい人物であると言いたいのかね?」
「いかように捉えていただいても構いません」
「……平民では話になりませんね。神聖なる使徒の出迎えに、平民などを寄越すストクッズ子爵やその令息の愚鈍さも」
我らが主の侮辱に、背後で殺気が沸き立ってしまいます。
私を含めたストクッズ騎士団が放っているのです。そして、それは私たちのやり取りを見守る民衆も同じです。
最初は聖国からの一団が来訪したと浮足だって見物していた民も、今では敵意が見え隠れしています。
わざと反抗的な態度を引き出すために、我らが主を侮辱したならそれなりに利口……小賢しいのでしょう。
使徒の一団に反抗的な態度を取れば、粛清の名の下に邪教認定しやすくなります。
ですが、我々はこの日まであらゆる準備をしてきたのです。
「第九使徒シモン様。その発言は正式な記録として残りますが、問題ありませんか?」
「平民風情が私めに何を言う? さっさと私めにふさわしい出迎えを寄越せとストクッズ子爵に言ってくるがいい。貴様の声など聞くに値しません」
今までのやり取りは全てミコト姫が率いる陰の者……忍隊が『配信札』でジャポン全国に放送しています。
「何やらコソコソと我らの様子を見ているのは噂の魔族ですかな? 早急に醜い弁明を聞きたいものです」
さすがは第九使徒なだけあって忍たちの存在には気付いているようですね。
ですが大きな誤解を持ったまま、彼女は不遜な態度で出迎え人の出直しを要求してきます。
「我が主は使徒殿が敬虔な信徒であると願っておりましたが……同時に、我らがストクッズ子爵領に邪教徒の嫌疑をかけたことで、その傲慢さをご懸念しておられました」
この発言を聞いた民たちはひどく動揺し、そして強く憤ります。
「俺たちが邪教徒だと!?」
「いくら聖国の使徒様とはいえ、悪ふざけがすぎないか?」
「ネル様やストクッズ子爵様まで侮辱したよな?」
「ふざけんな!」
「おやおや、やはり邪教徒の地は穏やかではありませんねえ。使徒である私めに、このような暴力的な態度はやはり神の意思に反しているかと」
「早計が過ぎますよ、シモン様。聡明なる我が主は先ほどシモン様がお見せになった傲慢さを懸念しておりましたので、私がお呼びしなくともこちらにお見えになるかと存じます」
「初めからそうしていればいいものを、何をもったいぶっているのですか……あなた方は異端審問にかけられるご自分の立場を理解していないようですな」
絶対の正義を信じ、自分の目に狂いはないと民衆を見渡すシモン。
その瞳は神を熱く思い、そして神の冒涜者に罰を与えんと燃えています。
しかしそんなものは、あのネル様の前では容易く消え失せるでしょう。
だって、ほら……もう歓声がこちらまで聞こえてくるではありませんか?
先ほどまで殺気だっていた民衆も、騎士団も……あの御方が近づくにつれて、自然と力強い笑顔になっていきます。
いえ、これは心の内から湧き上がる歓喜と、そして感謝でしょうか。
幼き頃よりモンスターのスタンピードから民を守り、平民出身者にも正当な実力を評価して騎士団に雇ってくれ、職に困った者へは喋るだけで食物が育つ救済事業を始めた……我らが英雄への喝采なのです。
「ネル様だ!」
「ネル様、万歳!」
「聖国がなんだ!」
「ストクッズ領の未来は明るいぞ!」
その歓声は先ほどまでの不穏な空気を一瞬で吹き飛ばし、聖国からの来訪者たちを呑み込んだ。
同時に春の温かさを感じさせる少女の美声が周囲にこだまする。
「————【我が舞に、神子の訪れ、春よ来い】」
ネル様の登場に合わせ、ミコト姫が雅な舞いを踊りながら群衆の前に歩み出ます。
優雅な花吹雪きが舞い散り、神に祝福された聖人が姿を現すような、そんな神聖さに満ちた演出がなされます。
それはあたかもネル様が歩まれる道に、豊かな花が咲き誇ると言わんばかりの、力と成長が満ちる春の訪れでした。
「あ、あれは……ジャポン小国の姫君ですか……? なぜ一国の姫君がストクッズ子爵領に……ん、あの少年の隣におわすは、聖女アナスタシア様ァ……!?」
それから魔王ちゃん様やストレーガ伯爵令嬢、トドメに護衛役のシロナが放つ覇気にシモンは全身を震わし始めます。
正直に言えば、シモンの気持ちは痛いほどわかります。
あのような化け物に囲まれて平然としておられるネル様はまさしく英雄です。
ですがネル様はナチュラルに化け物ではないのです。私にだけ見せる素のネル様は、やはり私と同じく胃を痛めながら彼女らと接しているのです。
人並みに恐怖を感じながら、そんな辛さを微塵も見せないネル様だからこそ!
私は一生を捧げたいと思うのです!
「世界に終末を呼ぶ悪しき者の刃によって、一度はその身を瀕したものの……奇跡を宿すストクッズ家は不死身。ネル・ニートホ・ストクッズ様のご降臨でございます。第九使徒シモン殿」
:おいおいおいおいネル様が生きてたぞ!?
:一律給付金の英雄が復活した!?
:ストクッズ伯爵様も死の淵から蘇ってたよな?
:親子そろって死者蘇生ってありえるか!?
:ストクッズ家は不死身かよ……
:やべえな、マジで神々に祝福されてるんじゃないか!?
:やってることも聖人君子だしな
:無償で我ら大和の民を救済すべく一律給付金を実施してくれてるし
:配信札だってそうだぞ?
:うおおおおおお我らがストクッズ!
:ストクッズの復活だ!
配信札を通して、ジャポン国の民も熱狂的なコメントを上げているでしょう。
「な、何を言っているのです……? ストクッズ子爵令息が蘇りの奇跡を……?」
そしてシモンは完全に動揺を隠せずにいました。
ネル様が一目、そのお姿を領民にお見せした瞬間から大歓喜が沸き起こっています。
しかし、使徒を迎えるこの場でそんな大衆の大騒ぎはふさわしくない。ふわしくはなくとも、大衆の意とはそう簡単に制することはできないのです。
しかし、それをやってのけるだけの準備を我々は行ってきました。
ただ、ネル様が静かに片手を軽く上げるだけで————
民は即座に膝をついてはネル様に祈りを捧げたのです。
ただただ静かに、生まれも職もバラバラの民が一斉に祈り始めたのです。
この数週間で聖女様が民に聖教の作法を教え説いた成果でもありますが、ひとえにネル様の求心力あってのものでしょう。
さらには魔族たちもチラホラと姿を現し、同じように聖教の祈りを捧げます。
「なっ……魔族が、神に祈りを……!?」
シモンはもはや目をグルグルと回しています。
一度に入ってくる情報量が多すぎたのでしょう。
しかし腐っても聖国で【第九使徒】の地位を確立した女性です。
瞬時にその姿勢を正し、錚々たるメンバーに正面から立ち向かいました。
「聖女アナスタシア様」
「やほ☆シモたん」
まずは聖女様に一礼してから、ネル様へと向き直ります。
「……そちらの御方はストクッズ子爵令息とお見受けいたします。私めは【第九使徒シモン・ヴィレルモ・ベアトリーチェ】でございます。此度は貴殿の領地に邪教徒が蔓延っているとの報を受け、異端審問のために足を運ばせていただきました」
きっぱりとそう言い切ったシモンは、主導権を取ったと錯覚したことでしょう。
異端審問とは、それほど力のある脅し文句となります。
ただし、それがただの貴族令息であれば通用したことでしょう。
シモンの言葉にネル様は、ただただ厳かな相貌で見返します。
その雰囲気は非常に重々しく、わずか12歳の少年が発していいオーラではありません。
「遠路はるばるご苦労であったな、シモン殿。私はネル・ニートホ・ストクッズである」
ネル様は敢えて敬語を使わずに、シモン殿を堂々と上から潰しにかかります。
その異例な行為に神殿騎士たちは息を呑み、シモン本人すらも目を剥きました。
しかし即座に糾弾できなかったのは、ネル様を取り巻く面々の重圧に抑え込まれたからです。
何より、厳かに洗練されたネル様の挙動が、発言を許しはしなかったのです。
「しかしシモン殿は面白いことを言う。聖女アナスタシア様がおられるこの地を邪教徒の巣窟だと?」
「やっ……それは……し、しかしッ魔族がいるではありませんか!?」
「ああ、紹介しよう。こちら、魔族を率いる魔王ロザリアだ」
魔王ちゃん様はネル様のご紹介にあずかり、粛々と祈りのポーズをしてみせます。これもまた聖女様とケンカしながら、どうにかこうにか身体に染み込ませたものです。
「今は見ての通り聖教に改宗し、彼女もまた敬虔なる信徒の一人だ。無論、魔族であるがゆえに信が置けぬのなら、聖女アナスタシア様が証人としてここにおられる」
「へ、魔族を改宗させた……? 魔王を……傘下に……?」
完全に度肝を抜かれたシモンに、ネル様は不敵な笑みを浮かべながら指をパチンと鳴らします。
すると次の瞬間には、魔王直属の部下である三天王が膝をついて登場します。さらには周囲より魔族の戦闘部隊が続々と現れ、我らがストクッズ騎士団も呼吸を合わせるように儀礼式の抜剣を行います。
訓練され尽くした一糸乱れぬ動きで、騎士団と魔族の混成武力の姿を誇示いたします。
人と魔族が手を取り合えば、これほど素晴らしい景色が生まれると。
そしてその中心には当然、この御方が在らせられます。
「——何か問題でも? シモン殿」
ああ、やはり我が主はどこまでも神々しいのです。
ヘリオトロープという花は、眩い光に向かって一途に伸び、そして咲き誇る姿が愛されています。
そんなヘリオトロープの花言葉は『献身的な愛』『崇拝』『熱望』『夢中』『愛よ、永遠なれ』です。




