77話 戦友の涙
俺様の名はパワード・ハイネケン・ロードス。
次期ロードス辺境伯領の当主だってのに……やべえ、なんなんだよこりゃあ……。
俺様は無様に膝をついていた。
すぐそばで! 戦友のネロが激しい攻防を繰り広げてるってのに……!
何にもできずにただただ圧倒的な何かに押しつぶされそうで、それに耐えるのが精一杯で、今まで鍛えぬいた筋肉が無力に震えるばかりの醜態をさらしていた。
ちらりと周囲を見りゃあ【海の四大魔女】たちですら、動けずに地面に伏してやがる。
俺様より経験豊富な彼女たちがあのザマじゃあ、俺様だって仕方ねえ。
なんて、そんな風に……!
思えるわけねえんだ!
俺様はネルの隣で共に戦う! 戦友でありたいと願っただろう!
今まで、それだけのために筋肉という筋肉を鍛えぬいたはずだろうがああ!
「————【一騎当千】!」
ネルがバカでけえ黒騎士とやり合うってんなら、俺様は黒騎士を操ってる天使に狙いをつけてやる。
「おらあああああ!」
「あれれ? きみ、【神意】に耐えてる……?」
俺様の磨きに磨きぬいた拳を天使の綺麗な顔面にぶちこんでやる。
だが、もう少しってところで奴はその姿をくらませやがった。
勢いあまった俺様は無様に地面に転がりながらもどうにか体勢を整える。そして奴がどこに消えたかを探すも————
「ぐぅぅぅぅッ痛ッ!」
不意に左肩から激痛が生じた。
まるで焼きごてを押し付けられたような、そんな感覚に意識が持っていかれそうになる……が、瞬時に俺の身体は訓練通りの動きをこなす。
何百、何千と繰り返してきた『ダメージを受けた際には止まらない、次の一手を受けない』ための回避行動を無意識のうちにこなす。
「へえ……【神意】は君の存在を許さなかったのに、抗えたんだ」
天使野郎は余裕があるって言いてえのか、追撃せずにひどく穏やかな顔で見下ろしてきやがる。
ちっきしょう……あいつの動きも見えなければ、自分が何をされたかも理解できない。
ただわかるのは、俺様の左肩から下が……焼き焦げたように消失しちまったことだけだ。
大丈夫だ、火傷のおかげで出血はひどくねえ。
まだやれる。
「パワー!? 大丈夫か!? 【全能回復】、【全能回復】、くっ、ちょっと待ってろパワー!」
「ハァッハァッ……」
ネルは俺様の腕を回復しつつも黒騎士と……そして天使野郎を相手に立ち回っていやがる。
「神意——【不在】」
「————【花曇り、天風しのぐ、盾降る夜】」
神出鬼没な天使と怪力の黒騎士に対し、ネルは夜の闇を広げた。
ネルが生み出した暗がりの中でも、つんざくような衝突音が無数に響くのは重い攻防が続く証だろう。
そして俺様は……今、ネルの足手まといにしかなってねえ。
ぐっ……。
これほど悔しいことはねえだろ!
いや、前々からわかっていた。わかっていたが直視したくなかっただけだ。
いつかネルに置いていかれると、こういう日が来ちまうってわかっていた。
それでも俺様は……!
俺様にできる精一杯を……!
「————【巨像の城塞】!」
周囲の建築物を巻き込んで己が意思を貫く。
俺様がネルの拳になる。
俺様がネルの敵を打ち砕く。
俺様がネルの隣で立ち続ける!
「おらあああああああ!」
標的はつかみどころのない天使じゃなく、巨大な黒騎士だ。
こいつなら動きだって捉えやす————
そうだ、俺様は……痛みと悔しさですっかり熱くなりすぎちまった。
あの黒騎士はネルとやり合えるぐらいのスピードがあったと。
黒騎士は俺様の瓦礫の拳が届く前に、その剛剣で以ってことごとく粉砕した。
俺様はこの戦いにふさわしくないと。
俺様のちんけなプライドを粉々に砕くように。
ただただ、瓦礫の残骸であるお前は黙っていろと。
「ぐあああっ!」
そんな風に思わせるぐらい黒騎士の一撃は重く、そして猛々しかった。
ネルはこれを何度も何度も受けていた。
だが俺様じゃあ、一撃くらっただけで瓦礫の鎧は全てブチ壊された。
「パワー、みんなを連れて逃げろッ!」
俺様が恐れていた言葉がついに、ついにネルの口から出させちまった。
こんな日が来ないために、今まで必死にやってきたってのに……!
「おう……! 死ぬなよ、ネル……!」
心はお前と共に戦いたいと叫ぶ一方で、今は一秒ですら惜しい戦況だ。
俺様の判断が一瞬でも遅れたらネルの不利になりかねない。
悔しさで唇を噛みちぎり、プライドを噛み殺す。そして、すぐさま倒れている【海の四大魔女】を担ぐ。
「ネル……すまねえ……!」
おそらくネル一人じゃ、あの天使野郎は倒せない。
ここであいつを置いてく意味を俺様は正確に理解している。
それでも、もしかしたら、ネルなら俺様が増援を呼んでくるその時まで、持ちこたえている可能性があるかもしれねえからっ!
わかってる、わかってるさ。
ここまで来るのですら前人未踏の領域で、俺様たちでも数時間とかかった。
今から全力で帰って、ストレーガ伯爵令嬢や王子殿下を呼んでも……間に合わねえのは理解している!
そこでハッと気づく。
そうだ、ストレーガ伯爵令嬢なら或いはネルの影からすぐに————
「大丈夫だ、パワー!」
ふと振り返る俺に、『早く行け』と言うネルの足元に影はなかった。
いや、あるにはあるがひどく薄くて……揺らいでいる? まるで影そのものがもがいているような……?
そんな、どうしてストレーガ伯爵令嬢は影から出てこれないんだ!?
まさかこれも天使野郎の【神意】ってやつが関係してるのか!?
ダメだ、やっぱり置いていけない。
たとえネルの足手まといになろうとも、ここで一緒に戦えなけれりゃあ何が戦友だよ!
「私はストイックにネロッテ!」
再び頭に血が上りそうになった俺を、ガツンと叩いたのはネルの発言だった。
ネルの野郎!?
こんな時まで配信札のことを気にして!
キャラを通すつもりなのか! 命をかけてっ!?
どこまでストイックな野郎なんだ!
ち、っきしょうが!
それでいて……配信札を気にするぐらいの余裕があるってわけだな!?
ああ、わかったぜ。
「てめえを信じるぞ……! 生きて戻ってこいよ!」
「心配するなって! 早く帰ってゆっくり寝ろって! 私ハー! ネテイルダケダカラー!」
それから俺様は【海の四大魔女】を背負いながら、全速力でダンジョン【海獣の大口】を逆戻りした。
しばらくすると魔女たちも普段の調子に復活したんで、道中のスピードは増した。
ネルはああ言ったけど、やっぱり不安はぬぐえない。
あの天使野郎と顔を直接合わせた俺様だからわかる。アレは異常だ。
どうか、どうか間に合え。
間に合ってくれよ……!
「ちょっと、護衛の木偶!」
「うるせえ! 喋ってる暇があったら先を急げ!」
「あんた! これを見なって!」
全力で疾駆するなか、アビルダの野郎が【視聴札】を手渡してくる。
そこにはさっきの天使野郎と黒騎士、そしてネルが押され気味でもギリギリ応戦している姿が映っていた。
そしてアビルダが何を指摘したのか理解した。
黒騎士の隣には、新たに騎士がもう一体出現しようとしていた。
それは燃えるような赤い鎧を身につけた巨躯なる紅騎士で、思わず俺様は絶望しそうになる。
今ですらネルは限界なのに、もうこれ以上は持ちこたえるなんて厳しすぎる。
そんな俺の予測は当たり、ネルは天使野郎と黒騎士、そして紅騎士の猛攻に呑まれて散った。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお……!?」
俺は泣くしかできなかった。
ただ、全力でネルが生かしてくれたこの命を無駄にしないよう……敵から少しでも遠ざかるために、無様にみっともなく泣きながら走り続けるしかなかった。
◇
ふぅー。
最高級宿のベッドはさすがに寝心地がよく、【夢遊探索】が強制的に解除されても寝覚めはスッキリしていた。
「早く【夢遊探索Lv2】のレベルが上がらないかなあ……今のままだと本体の全力の50%ぐらいしか引き出せないんだよなあ」
それも加味した上で、ラッパ吹きは少なくとも今の俺と同等レベルに思えた。
ならばシロナとパワード君、そして王子殿下あたりを強化すれば複数で襲われても対処できるだろう。
望ましいのは笛吹き一人に対し、こちらが複数での強襲だな。
なに? メインヒロイン?
あんな不安定な奴らは使えない。まったく、ゲーム通りのダメヒロインズどもが。
あとは身体の自由を奪われるデバフだが、パワード君が動けていたので対処法を聞いてみよう。
おっ、何やら外が騒がしいからそろそろ帰ってきたかな?
俺は急いで高級宿の寝室から出て、パワード君や【海の四大魔女】がいないか探してみる。
すると案の定、ボロボロになったパワード君と魔女たちがいて、マナリアやギャル聖女たちに何かを必死に語る姿があった。
「ネルが……ネルがッ、すまねえ……!」
「あたいらをかばって……最後まで戦ってくれたんよ」
「あんたの婚約者にこの命は守られたも同然さ……」
「何でも言っておくれよ。あたいらにできることがあれば!」
「かたき討ちだよ! 何が何でもダンジョン内にいたクソほどやべえ奴をどうにかしないと!」
パワード君なんか号泣してるじゃないか。
鼻水なんかもドバドバ垂らしちゃってそんな大げさな。まるで俺が死んだみたいなリアクションじゃないか。
はははっ……あ。
そういえば【夢遊探索】の効果を俺は誰にも言ってなかったと気付く。
つまり本当にパワード君や魔女たちは、俺が死んだと思っているのかもしれない。
うっわ、やっべえ。
どうしよう。
そして多分、パワード君たちの話を聞くマナリアさんは……おそらく本体が部屋で寝ていたのを感知してると思う。
ちなみに天使との一戦で、最後の方は分体の影からマナリアさんの気配を強く感じたけど、所詮は分体だからマナリアさんご本人は影からコンニチハできなかったのだ。
その辺も把握してるマナリアさんだから……。
ほらほら首を傾げてますやん!
「……? あ、ネルくんなら————」
俺は全力ダッシュをかましつつ、自分にあらゆるスキルを叩き込んだ。
ちょっとした自作自演だが、俺はあたかも死闘を潜り抜けたみたいな傷を負ってパワード君たちの前に姿を現す。
「ゼェッゼェッ……パワード、それに【海の四大魔女】たちも無事だったみたいだな……?」
「はっ、えっ……ネル? 本当にネルなのがあああああ!?」
パワード君は俺に気付くと一目散に駆けて寄っては、思いっきりハグしてくれた。
やっべえ、マジできついぞこの罪悪感。
心の底からエグられる。
「あんたっ、生きてたのかい!?」
「てっきりあたいらは死んだと思ってたよ!?」
「どうやってあの場を切り抜けられたんだい!?」
「クソほど感謝してるよあたいらわねえ!」
パワード君の熱い抱擁だけじゃなく、美魔女なエルフ四人衆による感激の再会が火を吹いた。
バインボインにはちゃめちゃにギュッとされ、髪やら頭やらを乱暴に愛撫される。
一見かなり手荒なハグだが、全てに親愛を感じるスキンシップだった。
「……もう、我慢の限界デス……ヤる、です」
「えーっと、マナたんを怒らせるのはよくないかなって思うっち。だーかーらー、うちも参戦するって感じで☆」
おっと、第二ラウンド開始のようだ。




