71話 七国の英雄杯
見渡す限りに続く広い海。
朝靄と宵闇が逢瀬する時間に俺は目を覚まし、共有バルコニーで一人ロードス島の景色を堪能していた。
「ふぃー最高っすわ」
極上の果汁水を片手に、何を考えるでもなくボーっと過ごす。
オルデンナイツ王国内でも屈指の規模を誇る漁港には、日も登らぬ早朝から多くの漁師たちが動き出していた。
そして太陽が顔を出せば、燦々と照り付ける陽光を水面が反射し、まるで数多の宝石が浮かんでいるようだった。
貿易船なんかを取り扱う商人や水夫たちがあくせく働き始め、港は活気に満ち溢れる。
「ふぃー労働者を見下ろすのきもちぇ~」
俺はそう口にしてみるも、何か物足りなさを感じた。
こう……心にぽっかりと空いた虚無感みたいなものがぬぐい切れない。
眼下の人々は、自分の人生を賭けて仕事に没頭している。
少し前までの俺だったら『やりたくもないお仕事ごくろーさんっす。俺はダラダラ自由に過ごせる勝ち組目指すぜうぇーい』って感情しか浮かばなかった。
しかし今は何か違う。
何かこう……頑張ってる人々を見て、じゃあ俺には何があるのか? と空しい気持ちになっていた。
だらだらゆったり過ごしたいのは本音だ。
でも周囲の人間を見ると、何かに必死になるのも悪くないと思ってしまった。
ヘリオは多忙を極めるスケジュールの中で、ストクッズ領内や騎士団の管理をやりくりしているが……なぜかいつも誇らしげな顔で俺を見つめてくる。
そしてシロナは12歳とまだまだ遊びたい盛りの子供なのに……毎日、活き活きと剣術に励み、騎士団の練兵指揮を取り、最近は軍学術なんかに没頭して楽しそうだ。
尊敬する父上だってそうだ。
その背には多くの従業員や民の生活がかかっており、決断の連続をこなす日々は計り知れない重圧を背負っているはず。
それでも嬉々として領地運営に絡め、大商会の規模拡大を目指す姿は見ていて憧れそうになる。
マナリアも最近では自分の魔法屋さんを作るためにストレーガ伯爵に直談判しているらしく、その準備に夢中だ。
店を一から作るのか、物件を借りるのか、内装はどうするか、商品のラインナップはどうしようかとストクッズ大商会にも相談に来ている。
あの姫騎士ですら『王国をもっと面白い国にいたしますわ! それには全世界から優秀な人材を集め、あらゆる分野で王国が世界の最先端を行くのです。ネルさんもぜひ私の秘密結社に——』とか訳わからん情熱を抱いてた。
言わずもがなディスト王子だって『全世界☆巨乳育成計画』に全力を注ぎ、その魂を燃やしている。巨乳のためならどんな犠牲も厭わない姿勢で、俺を牽引してくれるのだ。
パワード君だって先の『海の宴』で飲みながら語った時、『俺様よお! 海よりもでっけえ漢になって、このロードスを! 民を守り抜いてやんだ! そのためにはネル、お前には負けねえぜ!』と剣術や魔術の議論を熱く交わした。
そしてミコト姫は大和皇国を復活させるために、ありとあらゆる手段を模索している。ただただまっすぐに、自分の生きる意味がそこにあると信じて疑わずに進み続ける雄姿は……かっこよく、美しいとすら思ってしまう。
みんなまだ13歳になりかけの子供だぞ?
俺だけ置いてけぼりな気がしてならないのだ。
「ふっ、認めよう…………俺だけなんもねえ……」
かっこつけて一人笑ってみるも、やはり空しかった。
「ふふっ、どうしたネル。浮かない顔をしているな?」
俺の独り言に反応したのはちっぱい男装姫のディスト王子だった。
相変わらずちょっと鼻につく笑みを浮かべながらも、当然のごとく俺の隣に来た。
「ネルよ。何か悩みでもあるのか?」
「殿下……いえ、ただ私には何も、本気で夢中になれるものが……見つかっていないな、と……」
「ふっ、それは『自身の生きる意味』を指しているのか?」
「そう、かもしれません……」
なんだこの思春期みたいな相談内容は。
しかもロケーションが無駄にいいんだよな。朝日に大海原に、白亜の街並みとか、青春の一ページみたいなんよ。
「ネルは僕や例の計画だけじゃ足りないのか?」
ディスト王子は綺麗な顔を少しだけ寂しそうに染めながら聞いてきた。
俺は一瞬だけ迷ったものの、正直に答える。
「はい、殿下」
「そうか……まあ、ネルほどの人物となれば、そうなのかもしれぬな」
それからしばらくディスト王子と俺は無言で、ロードス島に光をもたらす朝日を見つめた。
あ、見すぎて目が眩しいっすわ。
「僕もネルと同じように思い悩む時期があったんだ」
「さようでございますか」
まあ男装なんて強いられてる? もしくは自らの意志でやってるぐらいだから、何かしら悩みはあるのだろう。
「でもな。今はネルと出会えて、自分の生きる道ってやつを歩み出せたかもしれないんだ」
「もったいなきお言葉でございます」
「だからな、ネル。僕はお前にも僕と同じような気持ちになってほしい。お前の道を見つけられる手助けをしたいと思っている」
それが友ってやつだろう?
なんて美形すぎる顔をくしゃっとしながら微笑むちっぱい男装姫。
そこには『自分だけじゃ満足してもらえない悲しみ』と『俺のために力になりたい』って複雑な思いが混じっていた。
いや、最近思い始めたんだけどディスト王子ってマジでいい奴だよな。
「おうっ、ネル! それに王子殿下。ロードスの朝日を浴びてんのか!?」
そしてちょっとしんみりな空気を容赦なくぶっ壊すのがパワード君だ。
「おうおう、気持ちいい朝だな! んっ? ネルも殿下もどうかしたんですかい?」
「ははっ、パワード。ただ自分の道がどこにあるのかって話をだな」
「パワード辺境伯令息は今日もみなぎっているようだ」
「あったり前ですよ! ネル、何を悩んでんのか知らねーが!」
唐突にブォンッと木剣を振り始めたパワード君。
「てめえは最高なんだよ。何したってどんな道を歩んだって、最高だろうが!」
ああ、この感じ。
パワードもいい奴なんだよな。
「だからさっさと打ち合いの支度をしようぜ! 身体、動かそうぜ!?」
自分が悩んでいたのが馬鹿らしく思えるぐらいに、パワード君はパワフルだった。
◇
夜になればロードス辺境伯家で晩餐会が行われ、アリス姫殿下を初めとする面々が歓待された。
その中にはミコト姫も急遽加わっており、どうやら彼女への手紙も届いていたようで数日遅れの合流となった。
ジャポン国内が慌ただしいはずなのに、顔を出してくれたのは嬉しい。
あとパワード君のパパが、ずーっと汗をかきまくっていたのが印象的だった。さすがに王族や皇族、そしてギャル聖女もいるから緊張していたのかもしれない。
緊張しいな性格はパワード君と似ている。
そんなこんなで晩餐会のあとは、全員で高級宿にとんぼ帰りだ。
ロードス辺境伯は『ぜひ我が家に泊まってくだされ』と申し出てくれたけど、あの調子じゃ胃の調子を崩しそうだったので丁重にお断りしておいた。
するとみんなも俺のあとについてくるものだから、なんだか予想以上の大所帯になってしまっている。
「それで……ネルくんは言った、です……『ミコト姫、これでおわかりいただけたでしょうか。共に手を取り合えばこそ、このような素晴らしい武踊を舞えましょう』と。ネルくんは、優しいです……」
「優しいだあ!? あんだけぶっ飛ばしておいて、それはねえよなあ、ぶははははっ……ひっ、ストレーガ伯爵令嬢! 落ち着けって! そういう黒い稲妻はネルだけにやってええっ!?」
「ねるねるねるっち、やっば! マジうけるんですけどー☆」
「あの時の妾は、自分の未熟さに打ちのめされました」
「ネルさんに関して言えば、私も同じ想いがありますわね」
「ネルは本当にすげえんだ! すごいからっ! ストレーガ伯爵令嬢ッ、落ち着けって! あの話が聞きてえだろ!? お前さんが気絶して見逃したネルの雄姿を!」
「……話す、です」
「いやそれがよう、なんか魔族のボスっぽいやつに『頭が高い』の一言で全力土下座させたのはッ、もう伝説すぎて笑えたぜえ」
「あっ、うそ……なんかわるーい魔力みたいのが年々ふくらむなーって感じてたのに、最近パッとなくなって? 混じった? マイルドーって感じになったのねるねるねるっちのおかげだったの!? ガチ助かるんですけどー♪」
「ネルはそれだけじゃないぞ。なにせジャポンでは革命を起こしてしまったからな。国会刀弁の際に『今の大和に足りないのはエロなのだ! 巨乳なのだっ!』と大演説をかましたのだぞ! これが如何に革命的な瞬間だったか!」
「きゃははっ、さすがにねるねるねるっちもそんな馬鹿なこと言ってたら、おもしろすぎっしょガチで☆」
「ディスト……いくら私の愚弟だからといって、そういう冗談はいただけませんわ」
「……それはエコロジカルで、にゅーしんぼるう、なの、です」
「妾には……もっと深い意味がおありかと……」
なんかみんなが俺の話を武勇伝みたいにギャル聖女に語っていて恥ずかしい。
まあ最初に俺の話を聞きたいとせがんだのはギャル聖女なので、全てはギャル聖女が悪い。
俺はもちろんそんな辱めを受けるのを避け、少しだけみんなから離れて夜風に当たった。
「ふっ、さっきは喋りすぎたか?」
またまたディスト王子殿下の登場だ。
「いえ。ただ存外にも自分の話を誇張されて話されるのは恥ずかしいものでして」
「何を言う。アレでも抑えた方だぞ?」
それからディスト王子は妙に近い距離感まで詰めてきて、ロードスの灯が煌めく街並みを見下ろした。
彼女は果実水を一口飲むと、再び今朝の話題に戻した。
「ネルよ。道が見つけにくい時は、新しいことを始めるのがいいと思うぞ」
「新しい? 新事業ですか?」
「商売はすでにやっているだろう? そうだな、もうすぐ開催される【七国の英雄杯】にエントリーするのはどうだ?」
「【七国の英雄杯】……確か、アメリオ帝国で開催される大会ですよね?」
「うむ。参加国はジャポンにアストロメリア王国、我がオルデンナイツ王国、竜国に神聖ハイリッヒ帝国、そして空賊国家ウラノスの代表選手が覇を競う大会だな」
「……スポーツですか」
「すぽ、ぶら? まあいい。純粋に命を奪い合う戦闘とは違い、ルールに則って成果を競うものだ。美しさや表現力も審査されるから面白いだろう」
「……表現力ですか」
「刺激を受けるかもしれんし、新たな発見があるんじゃないか? それこそネルの目指す何かが見つかるかもしれないぞ?」
「考えてみます。ご配慮、痛みいります」
「ふっ……おっと、ネルと夜話に興じたいのは何も僕だけではなかったようだな。どれ、僕はそろろろお暇しよう」
そう言ってディスト王子と入れ替わるように俺の隣に現れたのはミコト姫だった。
今日の和装は気温の熱いロードス島仕様なのか、妙に露出の多いデザインだった。
それはそれは眩しい脇が出るタイプの長い袖が夜風にたなびき、視線が脇に集中しそうになる。
巫女装束とミニのプリーツスカートが融合したデザインは、かなりミコト姫に似合っていた。あとニーハイもよき。
「…………」
ミコト姫はわざわざ歓談の場から離れ、俺の隣に来たのになぜか無言だった。気になって見ていると、彼女は俺の視線に気づいてツンッと明後日の方を向きながら口を開く。
「す、少し、みなさんとのお話に熱が帯びたので、昂る気持ちを冷ますために夜風に当たりに来ただけですから」
確かにミコト姫の頬はちょっとばかし赤らんでおり、みんなとの会話に熱中しすぎたのかもしれない。あのメンバーだと熱い討論になりかねない話題も尽きないしな。
「こ、こほん……それで、ディスト王子殿下とは何をお話に?」
ちょっと緊張した面持ちで話しかけてくるミコト姫。
つるりんな脇がヒラヒラと惑わしにかかってくるので、俺はつい率直に答えてしまった。
「道の話を。いえ、私はこれから一体どのような道を歩めばよいのか……端的に言えば迷子の相談ですね……」
「……ネルさんも妾と同じように迷う時があるのですね。いえ、ネルさんだからこそ、きっと妾には計り知れない想いがおありなのでしょう」
いや、別にディスト王子やミコト姫やパワード君みたいに立派な大志を掲げているとかそういうのではない。
「シンプルにやりたいことがないって感じですかね」
「やりたいこと……」
そこでミコト姫はピクリと反応した。
何やら熟考した末に、再び言葉を紡いでくる。
「そ、その……ストクッズ男爵令息は……え、えろー? や、きょにゅーなるものが本当に今の大和には必要だとお考えですか?」
「へっ?」
唐突すぎる話題転換に動揺してしまう。
そういえばあの失言に関して、パパンの葬儀やあれこれでミコト姫に言及されていなかったな。
「い、いえっ……妾もあの国会刀弁で、初めてそなたの発言を聞いた時は動揺しましたが……後に冷静になって深く思慮を巡らせると、ストクッズ男爵令息はいつも正しかったと思い至り……今の妾には理解できない何かがあるのではないかと、そう思った次第です」
だから今、面と向かってあの言葉の真意を聞いてきたわけだ。
顔面を羞恥で真っ赤に染めながら、プルプル震えるスーパーロングツインテ皇姫爆誕。エロとか巨乳とか言ってるのうける。
やっべ。うけてる場合じゃない。
なんて答えるべきか。
正直に本音がぽろっと出たと言えばいいか?
いや、仮にも隠しヒロイン相手に……セクハラ発言はマズイよな?
そもそもミコト姫は真剣に大和皇国のことを案じている。それをエロだ巨乳だのと発言するのはよろしくないだろう。
えーっと、うーんと、適当にひねり出せ!
「何事もバランスの調整が大事なのです」
「バランスの調整ですか?」
「エロ……すなわちエコロジカルとは『自然環境と調和している様子』を現し、まさに和の真髄でありましょう。しかし昨今の大和は、誰かの欲望が、誰かの勢力が、誰かの思惑が強すぎるのです。調和は乱れ、歪になり崩れかけています」
「なるほどです。春家も夏家も秋家も冬家もまた……民の希望も含め、バランスが大切ですと……」
「いかにも。そこにはキョニュウ、つまり巨大なニューシンボルゥが必要なわけです。象徴的な存在ですね? 現在の大和ではお二人でしょうか?」
ミコト姫とツクヨミ姫だろう。
ちなみに二人の父君である和皇陛下は、10年前の戦争でご逝去されている。
直系の皇族は現在、二人のみである。
「ではストクッズ男爵令息もエローやキョニューが必要なのですね?」
「そ、それは……」
「大和は今、混迷の時代を迎えております。そしてストクッズ男爵令息も迷われています。ですのでエローやキョニューを欲しているのでは?」
「まあ、確かに……?」
「そして不思議なことに、今の妾にも」
「ミコト姫にもですか?」
「はい。そなたの言う通り……妾の欲望が、妾の勢いが、妾の想いが強すぎるのです。調和は乱れ、歪になり、崩れかけています」
なぜかミコト姫は息を荒くしながら近づいてくる。
しかし互いが触れそうな距離になると、恥ずかしそうに動きを止めた。
「先ほどそなたが口にした言葉……わ、妾に証明してもらえませんか?」
「えっ?」
ミコト姫はよくわからんことを言い出し、なぜか自らの胸を突き出すポーズをとった。
「そなたはバランスの調整が大事だと、そう仰りました。わ、わらわの二つの象徴がおかしくなってしまいそうで、わらわの理性が崩れてしまい、そうでっ」
それでもそなたに触れられていると思うと外せなくて、と意味不明かつ妙に艶めかしい声で懇願してくるミコト姫。
「だ、だから……二つの、きょ、キョニューをエローしてくださいませ……!」
「えっ……?」
えーっとさっきのテキトー会話的に言うなら、巨大な象徴を自然と調和させてくれってこと?
「最近……お胸がその、前より大きくなり始めて……今のままのブラではキツイのです……先端も圧迫されて……また前回みたいにそなたに、その……調整していただけませんか?」
「エッッッッッッ」




