65話 辺境伯子息の悩み
俺様の名はパワード・ハイネケン・ロードス。
ロードス辺境伯領の次期当主だ。
父上に将来を見据え多くを学んでこいと言われ、王立学園で過ごした最初の二ヵ月は刺激に満ちていた。
「やあやあ、粗暴な大猿くん。キミは今日も汗臭いねえ。貴族の風上にも置けない泥臭さに辟易するよ」
「ドーエム侯爵令息……」
ネルが自領の政務やらで学園を休学した途端、絡み始めてきた野郎だ。
「みなもそう思わないかね?」
「剣ばかりに明け暮れては、脳みそまで筋肉でコリ固まってしまうかもしれませんわね?」
「ドーエム侯爵令息のありがたいお言葉ですわよ」
「上級生からアドバイスがいただけるなんて、幸せなことですのよ?」
ドーエム侯爵令息の取り巻き連中は俺様を嘲笑する。
実は先週の三学年合同の模擬戦で、多くのギャラリーの前でうっかりドーエム侯爵を軽くボコっちまったのが原因だな。
いや……普段から訓練を共にしてるネルと比べて、予想外に弱っちくてよ……初手の力加減をミスったのは認める。
だけどちっせえ奴だぜ。
まあ奴らは三学年で俺様より学年が上ってのもあって、あまり強気な態度は出さないようにしている。
それにロードス辺境伯領とドーエム侯爵領は地理的にも隣接している。
戦争が勃発した時は、ちょうどうちの背後にあたるドーエム侯爵領を通して援軍や物資の補給が行われるわけで……特に戦時の初動はドーエム侯爵領の支援が要になりやがる。
そんで辺境伯家ってのは元々、伯爵位を賜った血族だ。
本来であれば家格は侯爵家よりも下だが、辺境伯家は特殊で外敵との交戦で真っ先に矢面に立たされる。
戦時中にいちいち中央にお伺いを立ててから行動してたら、何もかもが遅くなっちまって取返しのつかない事態に陥る可能性がある。
だからこそ辺境伯家は多くの権限を持っていて、その権力は侯爵家をも凌駕するっつう話だ。
それにうちは元々、オルデンナイツ王国の出身じゃねえ。
かつては島国ロードスを治める王家だった。その関係もあって辺境伯の中でも最上位の立場にある。
ドーエム侯爵令息からしたらその辺も面白くねえんだろうな。
ったくよお、父上にはドーエム侯爵派閥の機嫌はなるべく損ねるなと言いつけられていたが、ご本人様に嫌われちまうたあな。
「おい、大猿くん。なんか言ったらどうだ? 敵を吹き飛ばす訓練に夢中で、喋る知性も吹き飛ばしたのか?」
「失礼……ドーエム侯爵令息の金言を胸に刻んでいたもんで」
「はん。キミはなんだか鈍いねえ。そうだ、先輩として貴族の洗練された所作を教えてあげようかな」
「ご教授いたみいる。だが、あいにくと俺様は魔剣演習場で訓練の予定が——」
「しのごの言わずに食べろよ、後輩猿」
ドーエム侯爵令息は俺様の言葉を遮り、唐突に床へビチャリと湿ったパンを落としやがった。
しかもそれを指さし、俺様に食べろと言ってきやがる。
「床に落ちた残飯を食べれたら、野猿から飼い犬に昇格だ」
「…………」
「ほら、どうした食べろよ。少しでも貴族の振る舞いに近づきたいのだろう?」
「……それで気が済むのなら」
俺様は床に落ちたパンを口に入れる。
うえぇぇ……湿ってべちゃべちゃしやがるし、味も最悪で嗚咽しそうになっちまう。
「野猿が本当に食べたぞ! ぷはははははっ、これは傑作だあ。いいよ、いいよ、そんなに僕の飼い犬になりたいなら、先日の模擬戦での無礼は許してやるよ」
自領が危機に面した時、これぐらいの屈辱で支援してくれんなら安いもんだぜ。
それからドーエム侯爵令息の嫌がらせは度々続いたが、夏季休暇になると顔を合わせずに済んだもんで少しは気が楽になった。
俺様はロードス辺境領に戻って、父上の傍で内政や海賊どもへの対処を学ぶ……はずだった。
「パワード。お前には失望したぞ?」
「父上……?」
帰郷してすぐ父上に呼び出されてその顔を見りゃあ……ひどく機嫌が悪りいじゃねえか。
「お前の父は、何のためにロードス辺境伯領次期当主を王立魔剣学園に入学させた?」
「はっ、そんなのはわかりきってるぜ。武技を極め、しっかりした人脈を築くためだ」
「武技の方は立派になったと近衛騎士らから聞いておる。だが、人脈はどうした? 近々、うちの近海をテリトリーにしている海賊連中を招く船上パーティーにどれほどの王国貴族を招待できる?」
「あ、それは……」
「無論、ワシの伝手以外での貴族連中だ。つまり、どれほどの貴族令息や令嬢を招けるのだ? 未来のロードス辺境伯公の味方はどこにいる?」
やっべえ……。
ここの所、ネルが忙しそうなのにかまけて、今のうちに少しでもネルに追い付こうって鍛錬に必死になりすぎて失念しちまってた。
夏季休暇もまた、貴族子弟にとっちゃ社交の一時だって……。
今からでもネルに手紙を送れば間に合うか? いや、でもネルはジャポン小国で一悶着あったから大変そうだし……難しいか。
「ふん。その様子だと今年は期待できないようだな。こちらで付き合いの深い者たちを招待しておく。船上パーティーぐらいはキッチリこなしてみせよ」
「ああ……わかったぜ父上」
付き合いの深い貴族連中といえば、やっぱりドーエム侯爵令息も来るんだろうな……あんなのを父上や他の者の前でやられたら、俺様の立場が危うくなっちまうかもしれねえ。
どうするべきだ?
そろそろぶちギレて、ネルみたいに相手をボッコボコのボコにするか?
いや、ダメだ。
ネルはシンプルに敵を下すように見えて、その実態は色んな面で相乗効果を生み出してやがる。ただ武力でねじ伏せるんじゃなく、その先を見つめてんだ。
その線でいくと船上パーティーでぶちギレるのは得策じゃねえ。
海賊たちの手前、『次期当主様は気に入らなきゃ力でねじ伏せるだけのバカ』と評されるのは避けないと。
ああ、どうすりゃいいんだ全くよお。
とにかく俺はダメ元で、ネル宛に船上パーティーの招待状を送ってみた。
◇
『この卑しい豚奴隷がっ! 女王さまのムチが欲しいなら豚らしく懇願なさい!』
『ぶっひぃぃぃぃい! どうか卑しい豚奴隷の私めに! ご褒美ッ、いや折檻を! 罰をお願いしますううぶひいいいいい!』
俺は今、中年男性が年若い女性に虐め抜かれる映像を眺めていた。
これは最近、ストクッズ大商会が経営を始めた紳士クラブ『母なる女王』の隠し撮りである。
魔王ちゃん傘下の悪魔部隊に命じて、顧客のプレイ内容を録画させている。
「ネ、ネルよ……本当に、その、娘っこにムチ打ちの刑にされているこやつが……多くの『両翼の娘』族を狩り、奴隷化させた鬼畜なのじゃな……?」
「ああ、魔王ちゃん。ドーエム侯爵ご本人だ。最近はうちの紳士クラブにご執心でな。目覚めたようだ」
「目覚め……人間はかくも理解しにくいものよな……」
俺はドーエム侯爵の『女王様の豚縛りコース』の映像を眺めながら、魔王ちゃんと果実ジュースを優雅に堪能していた。
侯爵と言えば、正真正銘の上級貴族である。
そんな高貴な人物が、まさかこのような痴態に溺れていると露見したらどれほどの不名誉になるやら。
そして網に引っ掛かったのはドーエム侯爵だけじゃなく、獣人を不当に幽閉し奴隷化させるウケミント子爵や、マゾリリス伯爵の痴態もしっかり保存してある。
二人は『女王様とロウソク火遊びコース』が大好物らしい。
ちなみに彼らに店を紹介するように頼んだブターラ伯爵もドハマりしたようなので、彼にだけは特別優待券などのVIP待遇を許している。
見事なドエマーに開花した貴族たちには悪いが、これはいい脅し材料になるだろう。
もちろん俺がやっていることは盗撮だし、仮に日本だったら犯罪行為に値する。しかしここは『ガチ百合』の世界であって、記録魔法を取り締まる法整備はされていない。
「さてさて、魔王ちゃんはこいつをどう料理してやりたいかな?」
「ううむ……両翼の娘らを奴隷に堕とした張本人が、なぜ奴隷のように扱われるのを恍惚と楽しんでいるのじゃ……? 不可解じゃ……まさか悪気がなかった……? 自らの快楽を広め、共有せんがために……?」
魔王ちゃんが悩むのを尻目に、俺は笑みが止まらない。
なにせハーピィの救済を皮切りに、我がストクッズ大商会は大いに飛躍するだろう。『両翼の娘』や『気高き豪翼』の空輸部隊が本格的に始動するからだ。
そうなれば各段に物流速度は跳ね上がり、すぐに痛んでしまう食料品などの輸送も可能になるわけだ。
「ネル様、失礼いたします」
「ああ、ヘリオか。どうした?」
今やストクッズ騎士団の団長代理になったヘリオだが、俺が領内にいる際は傍付きとしても働いてくれる。
「はい。ご学友のパワード・ハイネケン・ロードス辺境伯令息よりお手紙が届いております」
「どれどれ」
俺はパワード君からの手紙に目を通す。
どうやら夏休み中に、彼の父ロードス辺境伯主催の船上パーティーを開くらしく、その招待状だった。
忙しければ参加しなくても大丈夫だよ。でも来てくれると嬉しいぜと、パワード君にしては少し遠慮がちな文面だった。
横長に伸びたロードス辺境伯領は、東側が海に面している。さらにその首都は、王国領から海を渡ったロードス島にある。
パワード君から聞いた話だと、地中海みたいな美しい雰囲気で一度は行ってみたいと思っていたのだ。
ちょうどいいかもしれないな。
それに夏季休暇は貴族子弟にとっての社交シーズンでもあるわけで、俺はジャポン小国にかかりっきりで国内の付き合いを少しおろそかにしていた。
将来は安定したヒモニート貴族ライフを満喫するためにも、今から周囲との関係を良好に築いておきたい。
「うん、これを機に俺の派閥の貴族令嬢や令息にお声がけしてみるのも悪くないか」
「……ネルくん、パーティーいくです……?」
ひょっ!?
マナリアさん! まっじで俺の影から神出鬼没の登場は控えてくれませんかね!?
心臓にまっじで悪いから!
なんて文句を言って、マナリアがメンヘラこじらせて何をしでかすか怖いので……何も言わずに涼しい笑顔で受け入れる。
「ど、どうした、マナリアも興味があるのかな?」
「……はい、です」
うわあ、マナリアを誘うのは嫌だけど……俺の派閥だしストレーガ伯爵令嬢だけ仲間外れにするわけにもいかないよなあ……。
「もももちろん、誘うつもりだったさ」
「やった、です! あ、あの……」
何かを遠慮がちに言いかけるマナリアに、俺は顔面に笑みを張り付けて待機する。
「……私のお友達も、呼んで、いいですか? あの……ネルくんのお役に立つかもです」
「俺の役に?」
「はい、です……回復魔法の、スペシャリストです」
「あっ、もしかして前に俺が回復魔法のレベル上げが億劫だって言ってたから、それを気にしてくれたのか?」
「はい、です……! それにジャポンで、ストクッズ男爵が……倒れたときも、ネルくんがすごく、気にしてたから……」
「おお、マナリアは優しいな」
「そんな……!」
顔を真っ赤にするマナリアさん。
たまにはいい仕事をしてくれる、というかマナリアって一番俺のヒモスキルに貢献してる太客なんだよな。
やはり太客は太客を呼ぶ運命なのかもしれない。
「じゃあ招待状は俺しか持ってないから、現地で合流する手はずを進めようか。みんなにも一応、声をかけてみる」
「はい、です!」
ふふふ、回復魔法のスペシャリストとやらに、どうにかこうにかヒモヒモできれば楽に回復魔法が習得できるかもしれないぜ!
俺はこの時、回復魔法のスペシャリストとやらがどこのどいつだかしっかり確認するのを忘れていた。




