57話 姫君との旅行
「…………」
「……」
ジャポン小国行きの馬車の中には重い沈黙が立ち込めていた。
目の前にはミコト姫と侍女が一人。そしてこちらの座席には、俺とヘリオが座っている。
ミコト姫はずっと不自然すぎるぐらいに車窓を眺めるばかりで、俺には目もくれない。そんな様子に侍女は気まずげに、そしてヘリオは怒りを抑えこんでいた。
うーん。
とっても息苦しい。
とはいえ、ここで俺が何か話題を振るのも……皇族であるミコト姫のあからさまな拒絶から、無理に話しかけるのは無礼に値する。
はあ……胃が痛い。
これも全ては『若人同士で語らうこともあろう』なんて、余計な気を回した父上の采配のせいだ。
あーあー……実はこういう事態を見越して、ディスト王子もジャポン小国旅行に誘ったのになあ。
ミコト姫も俺なんかより、王族同士の方が何かと会話しやすいかなって。
もちろん二人より三人の方が気楽だし、俺が喋る内容を考えるターンも少なくなる。
でも思ったよりディスト王子ってばスケジュールがキツキツで、調整するのが大変なのだとか。
結局、俺より数日遅れでジャポン小国に来るらしいから、それまではミコト姫と地獄の時間を過ごすことになりそうだ。
「ネル様も外を御覧になってください。ジャポン小国の景色が堪能できます」
ミコト姫の俺に対する無碍な態度にヘリオは我慢の限界だったのか、ついにお付きの身分でありながらこの場で発言してしまった。
しかし、ミコト姫も侍女も咎める素振りがないので、俺は小さな息を吐いて外を見る。
「初夏だというのに桜がまだ咲いているのか……ジャポン小国の植生には大いに興味がそそられるな……」
ふと外を見れば桜が満開に咲き誇っていた。
しかしその花弁の色は桃色ではなく、淡い金色の輝きを放っている桜だった。
下品で派手な黄金ではなく、あくまで優しい雅さに溢れた金色だ。
「……やはりジャポン小国は美しい」
和風の建築様式や和装の人々が歩く姿は、元日本人の俺からするとやはり郷愁の念に駆られる。
この懐かしい光景や匂い、豊かな色彩には荒んだ胃も和む。
ついつい日本文化への愛が俺の表情を緩ませ、ストレス姫の存在を一時だけ忘れさせてくれる。
「ス、ストクッズ男爵令息は……」
おっとしかし、俺の独り言にまさかの反応を示したのはミコト姫だった。
彼女はなぜか頬を赤らめながら、視線をそこかしこに彷徨わせている。
具合でも悪いのか?
「わ、わらわの皇国にご関心があるのですか?」
「ええ、もちろんです。ミコト姫にジャポン小国の文化をご教授いただける栄誉を賜れたら嬉しいのですが」
「ひゃいっ……!」
「しかしお加減が悪いご様子ですし、またの機会にした方がよろしいですか?」
「ひえっ! あ、いえ……わ、妾も、その……ストクッズ男爵令息についてお聞きしたいことがありますので……!」
お。
もしかして政治的な内容か?
父上がちょこちょこジャポン小国の内政に口出ししてるらしいし、息子の俺から控えるように言ってくれとか?
聞けばジャポン小国は、10年前のアメリオ帝国との戦争に大敗してから苦境の中にいるのだとか。
外国貴族の父上にすら頭が上がらないのだから、非常に弱体化しているようだ。
「ストクッズ男爵令息は……い、いずこで【四季神術】を学びになったのですか?」
しかし俺の予測に反して、ミコト姫の質問は俺そのものに対する質問だった。
そういえば模擬戦で彼女をボッコボコのボコ……指導した時に【四季降り剣術】や【四季神術】を披露したっけ。
確かに彼女の疑問は当然だろう。
ジャポン小国の【武士】や【巫女】にしか伝わらないスキルをどうして俺が扱えるのか。
元々、『ガチ百合』でも『和』系統のスキルは大和皇国編のアプデが来てから実装されたものばかりだし……うーん、ヒモスキルの恩恵で貴女から習得しました、なんて口が裂けても言えるはずない。
「以前よりジャポン小国の文化には興味がありましたので、文献などから読み取りました」
「……独学、ですの!?」
俺の答えにミコト姫はひどく驚愕していた。
あっ、これじゃあ俺が天才みたいな演出になってしまうと気付き、急いで訂正する。
「ぼ、冒険者の中にジャポン小国出身の『武士』などもいましたので。その者からジャポン小国の文化に触れる機会に恵まれました」
「師の名をお聞きしても?」
「あ……いえ、特定の者に師事を仰いだわけではなく……模擬戦などで学んだ、とでも言いましょうか……」
この世界に来て『和』系統のスキルを行使したのは、ミコト姫との模擬戦が初めてだし、ギリギリ嘘ではない?
「でしょうね……我が国の『武士』たちが外国の者に、刀術や四季神を口伝するはずありませんもの。では、ストクッズ男爵令息は我が皇国への愛ゆえに、ほぼ独学であそこまでの領域に……?」
「あははは、買い被りすぎです。確かにミコト姫との模擬戦の際はあのような武踊が舞えましたが、貴女様の刺激あっての物種です。とっさに我が王国の力と、貴国の和が融合したら……う、美しい武踊になるかと思いついた次第でして……」
「あの場でとっさに……まごうことなき天才です、ね……それもまた日頃のご研鑽あって成しえたことでしょう」
ぐっ。
口を開けば開くほど苦しい方向に行くのはなぜだろうか。
俺はヒモニートになりたいだけの小物だ。
だから『天才』なんて過度な期待を持たれたくない。身分相応にダラダラしてたいんだ。
今回、ジャポン小国に来たのだって寿司ざんまいしたいだけなんだ!
「ジャポンといえば寿司が楽しみです」
「ストクッズ男爵令息は寿司がお好きなのですか?」
無理やり話題を変えるも、ミコト姫は意外にも食いついてきてくれた。
「(この世界では)まだ食べたことはありませんが、噂に聞くと魚の旨味を凝縮したものだとか」
「ふふっ……食いしん坊なところも愛いですね」
不意にミコト姫は口元を袖で隠し、楽しそうに笑った。
え?
いつもどこかツンツンしている和装の美少女が唐突に柔らかく笑うので、俺は思わず驚愕してしまった。
あまりにも不意打ちだ。
そんな違和感に彼女自身も気付いたのか、すぐさまさっきの発言はなかったみたいに取り繕う。
「い、今のは違くてッ……大和では『寝る子は育つ、食べる子育つ』といった格言がありまして、深い意味はなくてですね。そ、そうです。ストクッズ男爵令息があまりに幼子のような発言をされたので、鼻で笑ってさしあげました」
「は、はあ……?」
なんかよくわからないこと言ってんな。
まあいいや。
「ス、ストクッズ男爵令息はっ! 我が皇国には何度、訪問されたので?」
「今回が初めてですので、とても楽しみにしております」
「で、では……妾が大和を案内してさしあげます。こ、これはストクッズ男爵家とは長いお付き合いになりますから、今後も貴方が大和を訪れた時にっ、粗相のないよう仕方なく! 見てあげるだけですからね?」
「ありがたき幸せ」
うーん、ミコト姫ってもしかしなくともチョロい?
ちょっとジャポン小国を褒めれば、ツンデレみたいな反応をしてこないか?
まっ、所詮は『ガチ百合』の隠しヒロインの一人だしこんなもんか。
この時の俺はミコト姫との関係が、表面上でも仲睦まじく見えるのがどういうことなのかを深く考えずにいた。
◇
妾は命。
『大和皇国』の第二皇女です。
なんと、なんと、夏季休暇はあの御方と共に母国へ帰国することになりました。
そして今、目の前に麗しの殿方がいます。
「…………」
「……」
はしゃいではダメです。
大和撫子としてはしたないです。
いくら意中の殿方と一緒の空間にいて、こんなに近い場所を共にするとしても……!
でもでもお胸の高鳴りと、お胸の先端のうずきが止まりません……!
「…………」
「……」
皇国に到着すれば、妾は多くの臣下の前で自身の成長を見せつけなければいけません。
妾の一挙手一投足を、敵も味方も見ているのです。
ですからきっと……今、この時だけが妾にとっては、彼と気兼ねなくお話できる唯一の箱庭なのでしょうね。
誰にも見られない、ささやかで大切な一時。
彼と一緒にいられる時間が一秒でも惜しいのに……妾はうまく喋れません。
「……やはりジャポン小国は美しい」
ですがあまりにも、あまりにも彼が優しいお顔で大和を見つめるものですから。
普段の鋭い彼の目つきも好きですが、我が皇国を本気で愛でる表情に引っ張られ……彼をもっと知りたいと心の内がついついこぼれてしまいました。
「ス、ストクッズ男爵令息は……わ、わらわの皇国にご関心があるのですか?」
それから妾たちはぎこちないけれど、確かに互いを少しずつ知ってゆきます。
彼はとてもジャポンや妾に興味津々で、『武士』から多くを学び取ろうとしていて、寿司が楽しみだと可愛らしいところもあって。
幼少の頃より、妾は大和皇国の皇族として生きて参りました。
それを嫌だとも苦しいとも思ってはおりません。
ですが……彼の前では皇族の妾でなく、妾を見てほしいと願ってしまう。
ただのミコトとして、ただ一人の人間として……彼の学友として触れていたいと。
あの無礼すぎる出会いから、かような気持ちを抱くだなんて誰が予想できたでしょうか。互いに多くの生徒たちの前で糾弾し合ったのに、今ではこうやって少しずつ歩み寄っています。
今思えば……妾と彼の出会いは運命だったのやもしれぬと、そう感じずにはいられないのです。
「ストクッズ男爵令息は知っておりましたか? さ、桜は恋の季節を運ぶと」
「ええ、存じております。ミコト姫は【演舞春式】を得意とされておりますが、やはり恋萌ゆる季節は心も身体も踊り出したくなりますね。さすれば次回は【演舞夏式】とのコンボで————うんぬんかんぬん——」
きゃっ、遠回しにまた妾の武踊が見たいだなんて……!
「————【演舞秋式】のキノコ系統の弱体化にまつわる効果も試してみたく————うんぬんかんぬん————ミコト姫はどう思われ……あれ、ミコト姫?」
きゃっ、遠回しに妾と共に武踊を舞いたいだなんて!
夏至祭のグランドフィナーレでは踊れませんでしたし、彼がそこまで言うならやぶさかではありません。
ふぅ、彼との心地よい時間はすぐさま流れてゆきました。
もうすぐ妾は大和皇国を復活させる皇族へと戻らねばなりません。
もはや敵も味方も入り乱れる皇国で、一人の少女でいられる瞬間など一秒たりともありません。
これが最後なのでしょう。
ですから彼からもらったささやかな時間を、妾は一生の思い出にして————
「到着しましたね、ストクッズ男爵令息。約束通り、我が皇国をご案内いたしましょう」
妾は背筋を伸ばし、戦場への一歩を踏み出します。
莫大な財力を誇るストクッズ男爵家のご長男が、第二皇女のそばにいる姿を周囲に見せつけるのです。
想い人すら大和皇国の復活材料にする……そんな浅ましくも醜い妾を、どうかお許しください。




