53話 勇者の師
僕はストクッズ騎士団副団長シロナ。
ネル先生が留守の今、ストクッズ男爵領の人々の守りを任された者だ。
でも、それなのに……僕は、僕は、大きな犠牲を出してしまった。
「キャハハハハッ! 喰い尽くすんだよ! 今夜は満月! 人間に、女に、子供に、かぶりついてやりなあ!」
月明かりと共にそいつらは突然わいたと、血塗れになった領民はそう言っていた。
奴らは【人狼】。
月光を浴びると強靭な狼の肉体を手にする種族。
上半身は異様に肥大化し、小さな個体でも2メートル超えの筋骨隆々の大男に変貌する。
素早く、狡猾で、そして獰猛だ。
そんな【人狼】がいつの間にか、ストクッズ男爵領の街に潜伏していたみたいで……しかも何百もの【牙の狼】が領民たちに襲い掛かり、中には【古き大狼】なんて化け物も何頭か見かけた。
そして極めつけは今、僕の目の前で暴れている狼女だ。
狼耳にもふもふの尻尾はモフリルちゃんみたいに可愛いし、顔だって美少女のソレだし、パッと見は愛嬌がある。
でもこれまで何人もの人間が容赦なく噛み殺されてしまった。
「ストクッズ騎士団! あいつは僕がやる! だから、だからみんなを! 他の魔物から守ってほしい!」
「「「了解しました!」」」
僕が到着する前に先陣を切ってくれた騎士たちのほとんどは大怪我を負っているか、すでに息を引き取っている。
ストクッズ男爵領には全部で5つの村と2つの街がある。
男爵領にしては広大で、子爵級にも引けを取らないなんてヘリオは言ってたっけ。
とにかくそのうちの街が一つ『冒険心の街』が、壊滅的な打撃を受けてるんだ。
もう一つの街『商いの道』はヘリオや旦那様が守りを固めているようだけど、あちらも何者かの襲撃を受けているらしい。
「狼女! なぜこの街を襲う!」
「キャハッ、そんなの決まってるワオォォォォォオンッ! 勇者の気配が匂う、臭う、くさい!」
勇者……もしかしてネル先生のこと?
絶対的な英雄であるネル先生の評判を聞きつけて襲い掛かってきた?
「させない————【無尽の流星剣】!」
「グルゥゥゥッ——【大狼の爪嵐】」
狼女は目にも止まらぬ速さで、その鋭い爪で僕の剣を弾く。
だけどネル先生に仕込んでもらった僕の連撃は、無限に夜空へ降り注ぐ流星群みたいな剣術だから。
いけるよ。
押し切れる。
「グルルッ!? この娘ッ……【月との駆け引き】!」
あともう少しのところで僕の刃が彼女の喉もとに迫る。その刹那に敵が雄叫びを上げると、僕の身体は重力に引っ張られるように引き離されちゃった。
それでも攻撃の手を緩めないよ。
「咎人に突き立てろ————【十字架の剣】!」
とっさに剣を振るえば、純白の十字架がいくつも狼女めがけて突き立とうとする。しかし彼女は素早い身のこなしで群がる十字架を躱していく。
「グルルゥッ、うちだけじゃ無理。勇者がこんなに強いなんてッ……ワォォォォォオオンッ!」
「何を勘違いしてるか知らないけど————【光槍の大葬儀】!」
狼女に殺到する断罪が、上空より何十本の光槍となって降り注ぐ。
さらに僕は距離を詰めてトドメを刺しにかかる。
「おやおや、物騒なお嬢さんだこと」
しかし僕の剣は、黒い紳士服を身に纏った美人のステッキによって受け止められてしまう。ただのステッキ……じゃない、仕込み杖?
黒いハットの下からチラリと新手はこちらを見て、余裕の笑みを浮かべた。そんな彼女の目は獰猛な金色の光りを帯び、微笑みを浮かべる口元には鋭い牙が覗く。
「フェンちゃん、苦戦してるガウッ? ——【百獣拳】」
「ぐっ」
不意に視界の隅から唐突に現れた獣耳少女が、その可愛らしい見た目とは裏腹に物凄く重い拳を繰り出してきた。
とっさに左腕で凌いだものの、その勢いは殺し切れずに吹き飛ばされてしまう。
「アァァァァァア? 勇者ァ、見ツケタカア?」
そして追撃はモフリルちゃんと同じぐらい大きな化け物だった。
背中に八本の腕を生やした細身の巨人が建物を倒壊させながら、僕に次々と殴りかかってくる。
その殴打一つ一つが砲弾みたいな勢いで、僕は直撃しないように身をかわすのが精いっぱいだった。
「はぁっはぁっ……」
狼女と、あともう一人ぐらいなら何とかなる。
だけど……あのレベルが同時に4人は……。
しかも周囲には続々と悪魔やら獣魔族、巨人族なんてのが増え始めていて……絶望に呑まれそうになっちゃう……。
「おいっ、シロナ副団長がっ!?」
「ダメだ! こっちも手一杯だ!」
「援護にいけねえ!」
「クソッ、俺たちは負けるのか!?」
ダメ。
膝をついてる場合じゃない。
早く立ち上がって、みんなを鼓舞しないと。
ここで僕が折れてしまったら————
「せっかく勇者殿に相まみえたのだから自己紹介をしておきましょうか」
この戦場に似つかわしくない優雅な口調で、紳士服の美人は恭しくハットを取り————余裕と気品に満ち溢れた所作で、そして不気味にお辞儀をした。
そんな彼女を皮切りに、他三人の強者たちも邪悪なオーラが一気に膨れ上がる。夜の闇が急速に広がるのを感じ、侵略者たちは堂々と名乗りを上げた。
「私は魔王軍が四天王、【悪魔の女公爵アスモデウス】です」
「キャハハッ、同じく四天王が一頭。【月に吠える姫君フェンルナ】グルゥゥ!」
「あたしも四天王がうっ! 【獅子姫レオーネ】がうっ!」
「魔王様ニ忠誠ヲ誓ウ、四天王ガ一柱。俺様ハアァ【八本脚の巨人】ゥウゥ」
4人が放つ威圧感に押しつぶされそうになる。
挫けそうになる。
剣を持つ手が震えちゃってる。
でも、こんな時に思い出すのはネル先生との日々。
暖かくて、穏やかで、驚くぐらいに充実していて。
僕なんかにはもったいないほどに心地よくて。
だからつい、こんなにも幸せでいいのかって。不意に怖くなって聞いてしまった。
「ネル先生は不安になったり怖くなったりしないの?」
いつかはこの平和な毎日も失われてしまうんじゃないかって。
そんな僕の疑問にネル先生は涼やかな笑みで答えてくれたの。
「シロナ……人はな、恐怖と戦い続ける生き物なのだ」
「え? ネル先生にも怖いものなんてあるの?」
予想外すぎる返答に僕は身を乗り出しちゃった。
ストクッズ騎士団の副団長になっても、子供っぽい仕草をする僕をしかることなく、ネル先生は静かに頭をなでてくれる。
「小さな頃は暗がりに怯え、修練に邁進すれば自分の限界に怯え、今だって進路を決める時は……いつも未来に怯えている」
破滅ルートが私を脅かす、なんてボソリとよくわからないことを言うネル先生。
だけど、確かにネル先生にも不安に思うことがあるってわかって。
あの時は少しだけ安心できた。
僕だけじゃないんだって。
「最近では、シロナやマナリアも怖くなってきてな」
「アハハハッ、ネル先生は冗談が上手いね?」
僕を笑わせ和ませてくれるネル先生が好きだ。
「…………(いやマジで。マナリアはメインヒロインだからわかるけどシロナの成長率バグってね!? マジで恐怖でしかないんだけど!)……」
何かに思いを馳せ遠くを眺めるネル先生は、まるで怖い者知らずに見えて、とってもカッコいい。
「きょ、恐怖も悪くない。恐怖があるからこそ安寧が輝くのだ……領民たちの顔を見ろ、シロナ」
街のみんなはいつも活き活きしてる。
それもこれもネル先生が食糧問題や魔物討伐に精を出してくれるからだと思う。
「安心して毎日を生きているだろう? 治安維持に尽力してくれるシロナたちのおかげだ」
「ネル先生のおかげでもあるよ?」
「フッ、シロナ。お前がいるから安心して領民を任せられる」
ネル先生がいるから僕も……安心して自分の罪と力に向き合える。
「ほら、恐怖があるからこそ安心をより大切に思えるのだ。誰かを大切にできるのだ」
ああ、そういうことか。
ネル先生は強い人だからきっとご自身への心配はない。でもあの人は優しいから、僕やマナっちを失うのが怖いのかもしれない。だからあの時、あんな風に言って……そして僕をずっと鍛えてきてくれたんだ。
ネル先生の恐怖が僕を失うことだと気付いて、僕はたまらなく嬉しかった。
同時に強い恐怖も感じたの。
僕はネル先生の信頼を失いたくない。
これ以上の恐怖なんてありえない。
だから今、目の前にどんな強敵が立ちはだかろうとも、こんな恐怖はちっぽけで。剣を手放す理由にはならない。
自分の限界を超えてみせる。
だって僕は、あの人の剣————
「魔王軍の四天王たちよ!」
僕は立ち上がり、あの人から騎士の洗礼を受けた日より……ずっと握り続けてきた剣に一層の力を込める。あの人に誇れる自分であろうと、騎士鎧のマントをはためかせ、堂々と立ち向かう。
「私はッ、ストクッズ騎士団副団長! 【流星のシロナ】である!」
僕はあの人にこの地を任された騎士なのだから。
「この地を守護する者の名だ! 冥途の土産に覚えておくがいいさ!」
————決死の覚悟で刃を振り抜いた。




