30話 二人だけの秘密
「アリス姫殿下のお~な~り~」
主催が顔を出すと、周囲の貴族令嬢たちは花を咲かすようにドッと色めきだった。
憧れと崇敬の中心へと目を向ければ、太陽のような輝きを放つ豪奢な金髪と金眼の美少女が優雅に歩いている。
純白のドレスを身にまとい、宝石の装飾品を至る所に散りばめていて、とにかく派手だった。
確かに絶世の美少女だとは思う。
しかし俺は『ガチ百合』をプレイしていた記憶がうっすらと蘇り、『金がかかりそうな女』『まじでコスパ最悪だったしな』といった感情しか浮かばない。
そして破滅フラグを立てないためにも、とにかく関わりたくない。
うちのパパンが俺の功績を誇張して宣伝したからこそ、姫騎士は興味を抱いたのかもしれないが、俺が取るに足らない小物だと知れば嵐はさっさと過ぎ去るだろう。
テキトーに挨拶して、テキトーにタダ飯食って、テキトーにシロナとダンスを楽しんで帰ろっと。
なんて楽観視している時が俺にもありました、はい。
アリス姫殿下は多くの貴族令嬢がいるにも拘わらず、俺の隣にいるシロナを見た途端こっちにズンズンと近づいてきた。
「貴女は……」
おいおいおいおい勘弁してくれよ。
普通、主催ってのは重要人物から『来てくれてありがとね~』的な挨拶を順々にしていくものじゃなかったのかよ。
これじゃあ現在、アリス姫殿下が最も重要視してる臣下は俺ってことになっちゃうじゃんか。
ほらほら変な注目を集めちゃってるじゃんか。
ただでさえ、ベアン伯爵令息やディスト王子のアタリが強いってのに勘弁してくれ。この姫騎士は気でも狂ったのか?
「貴女は剣闘大会で『流星のシロナ』と武勇を示した奴隷騎士ですわね?」
ん?
この声、どっかで聞いたことある?
なんかとっても生意気だった印象が残ってるぞ?
「発言を失礼いたします。姫殿下の仰るとおりでございます」
「まあっ! あの時の! でしたら横にいらっしゃるのが……名乗りを許しますわ」
「はっ。お初にお目にかかります。私はネル・ニートホ・ストクッズでございます。このような栄誉ある場にお招きいただき恐悦至極にございます」
よし。
自己紹介もしたしおべっかも済ませた。
さっさと他の人に挨拶に行こうな姫騎士。
まずは同じ王族のディスト王子に挨拶すべきだろうが。
王子より俺に興味津々みたいなムーブはマジでやめてくれ?
「そのお声は……!」
ん?
なぜか硬直してる?
おいおい勘弁してくれよおおおお……どうして瞳を爛爛に輝かせて俺に迫ってくるんだよおおお。
俺なんか所詮は下位貴族、男爵家の息子だろおお。
由緒正しい名家ぞろいの中で姫殿下が俺にかまうとか、他の貴族たちの視線が痛いんだよおおお。
あいつなにもん? って視線がグサグサと突き刺さってんだよおお。
中には嫉妬の入り混じったものも感じるし……うわあ、ディスト王子とかつまらなそうにめっちゃ睨んでる。
『上手く姉君に取り入ったな、ゲスが!』とか思ってそうだよ!?
俺何にもしてないっす! マジで!
ほらあああベアン伯爵令息とか、今にもはちきれそうな血管が額にビキビキ浮き上がってるぞ!?
「ストクッズ男爵令息。私はアリス・エクエス・オルデンナイツですわ。私と踊る栄誉を与えます」
主催が来たと思えば他の貴賓たちへの挨拶をすっ飛ばし、いきなり一緒に踊ろうと言い出した。
これには周囲の貴族令息や令嬢たちの騒めきも大きくなり、驚きの表情で俺たちを見守っている。
そして困ったことに王族からの、誘いを男爵令息ごときが断ったら大問題になる。しかも相手は王位継承権第一位の姫君だから、王族の中でも非常に強い権力を持っている。
「あっ、ありがたき幸せ……」
「ではお手をどうぞ」
ぐっ。
マジでこの状況は胃が痛いぞ。
しかもチラっとシロナの方を見れば、またもや能面みたいに表情が消え失せ姫騎士をジーっと見つめている。
『ネル先生と踊るのは僕だったのに!』なんて、憤慨している心情を周囲に悟られぬよう努めているみたいだ。
とにかく俺が姫騎士の手を取ると、楽団のみなさんが優雅な音楽を奏で始めたので踊り出す。
それに合わせて他のご令嬢やご令息たちも、困惑しつつも互いにパートナーを見繕って踊り始めた。
一応スキル【舞踏会Lv4】を習得してはいるので、そんじょそこらの貴族令息より洗練した踊りを披露できるとは思うが……いきなり姫騎士相手に踊るってのは、精神的にハードルが高い。
「ふふっ。成り上がり貴族のご令息とは思えないぐらい、私を華麗にリードしてくださいますのね?」
曲に紛れて突然、姫騎士が耳元でささやきだす。
俺はビックリしつつも、そういえばアホ妹が『ダンスパーティーは各ヒロインと親密度を上げる大チャンスなのよ! ダンスに乗じて、秘密の会話を楽しむ! なんて優雅でドキドキする駆け引きなんだろ! ねっ、そう思わない!? バカ兄貴!』とか言ってっけ。
全然、同意できないな。
というかコレって貴族たちが、他の者に聞かれたくない話や情報を交える際に使う処世術ではないだろうか?
それでいて親密度や、各勢力などをそれとなくアピールできる場がダンスパーティーなのである。
はあ、めんどくさい。
なんて本心は表に出さず、キリリと決め顔で姫騎士と踊り続ける俺。
「姫殿下にご招待された身としては、多少は見れるようにと仕上げて参りました」
「よい心がけですわ。ネルさんとお呼びしても?」
「姫殿下の御心のままに」
「ふふっ。ネルさんはダンスも一流なら、剣も魔法も、商才すら一流なのですわね?」
「過分なお言葉をありがとうございます」
「……みなさんはネルさんの実力を懐疑的に見ていますが、私は違います。本日、お会いして確信いたしましたわ」
曲調が一番盛り上がる局面に差し掛かると、俺たちの踊りも一層キレが増す。
それは秘密の会話も同じで、加速度的に俺と姫騎士の応酬も増えた。
「と、言いますと?」
「少なくとも私は、ネルさんの剣と魔法の実力について真実だと見ていますわ」
「どうやら父が大げさに喧伝しているようで……お恥ずかしい限りです」
「あら? ご謙遜ではない……ネルさんはより高みを見ているからこそ、そのような発言をなさるのですわね? やはり面白い御方ですわ」
俺なんかまだまだです、と言えば姫騎士は勝手に勘違いしてくれた。
俺がより高みを目指しているから、現状に全然満足してないみたいな捉え方をしてきた。
どうして初対面の俺をここまで信用しているのかわからんけど、俺はダラダラ過ごしたいだけなんだよな~。
これだから意識高い系の姫騎士との会話なんてつまらん……いや、待てよ?
『ガチ百合』の姫騎士ってこんな感じたったっけ?
なんかもっとこう、俺寄りの人間で『つまらないですわ』的なぐーたら感? 何もかもに冷めて諦めてる印象があったような————
ま、いいや。今は返答しないとだ。
「姫殿下の御心が躍っていただけたなら何よりです。ですが楽しい踊りにも終わりはあります」
曲が終わると同時に深々と頭を下げると、姫殿下はなぜか俺の顎に指を乗せてきた。そして強制的に自分の視線と合わせるような大胆な行動に出る。
「終わりなんて始まりにすればいいのですわ?」
「へっ?」
「私、もっとネルさんとお話がしたくてよ?」
王族が二回連続で同じパートナーと踊るなんて異例中の異例だよな?
俺が困惑していると姫騎士は強引に俺の手を取り、周囲の驚愕する視線など意も介せずに、期待するような眼差しで再び秘密の会話を始めてきた。
「私とのダンスを虎視眈々と狙っている有象無象のように、権力欲に溺れる様子もないなんて……かえって気になってしまいますわ? ネルさんは淑女の気の引き方も一流ですの?」
「へっ、いえ。その、出過ぎた真似をしてはと……それに私などでは、姫殿下を退屈させてしまうのではと……危惧した次第でして」
「退屈? あらあら、やっぱり貴方ほど優秀な者でしたら、気付いていらしたのですわね?」
俺が何に気付いた?
えーっと、周囲の貴族令息たちが内心穏やかでない視線を俺たちに注いでいるとか?
シロナの能面具合が真っ青から真っ白に変化して、もう恐怖を通り越して絶望の域に入ってるとか?
「お父上に言われたのでしょう? 私に取り入りなさいと……退屈ですわよね、父君の言いなりになるのは」
姫騎士は『私も同じく退屈の同志ですわ』なんて勝手に同志扱いしてきた。マジで無理、お前の仲間、なりたくない。
「ですが私より二つも年下のネルさんが、親の意向に支配されてないだなんて……やはりご自分にはそれだけの力があると、自信の表れでしょうか?」
あの時のように、と意味のわからない発言をする姫騎士。
「ふふっ、【魔剣士ネロ】さんは、そうやって私をまた袖に振るのですわね?」
ん?
どうしてそこで俺が剣闘大会で使っていた偽名が出てくるんだ?
「本日も変わらず、私は退屈でつまらない存在でしょうか?」
え?
俺は姫騎士をつまらないなんて一言も言った覚えはな————
「また罵ってくださいませ。私に至らぬ点があるのでしたら、完膚なきまでに私を叩きのめして、それで、それでっ、またあの時の興奮を分かち合いたくっ」
なんで唐突に恍惚な笑みを浮かべて、吐息が荒くなってんの!?
いやいやいや、どうした姫騎士!?
怖いぞ!?
「お戯れを姫殿下」
「あら? 私が【触れられざる高貴】で拒むことはあっても、拒まれるなんて……やっぱり面白い御方ですわ!」
もう何が何だかわからないしパニックだよ!
なんて内心は出さず、ただただ涼しげに微笑むのに徹する。
「共に剣を交わした仲ではありませんか。どうか、アリシアとお呼びください」
こいつマジで何言っちゃってんの?
アリシアって言えば、剣闘大会で俺がぶちのめした生意気な少女騎士で——
あ。
そういえばあいつも【触れられざる高貴】を使ってて、目の前にはなぜか聞き覚えのある声の姫殿下がいて————
「【金剛のアリシア】、さん……?」
「はい、【魔剣士ネロ】さん? 二人だけの秘密ですわ?」
14歳の姫騎士は、それはそれは嬉しそうな笑顔を咲かせた。
優雅で、それでいて少女がまっすぐ恋に堕ちるような……見た者全てが、可憐だと打ちのめされるぐらいの美貌を以って俺を蹂躙してきた。
「次はどんな分野で、私を打ち負かしていただけるのかしら?」
純白の頬を朱に染め、妖艶に微笑む姫騎士。
俺はそれを見てゾッとした。
えッッッッッッ!
あのフルフェイス生意気少女騎士が、アリス姫だった!?
いや、でも名前はアリシアで、あっ、俺と同じく偽名でエントリーしてたんだ……?
ぽああああああああああああああああああああああああああああやらかしたあああああああああああああああああ!
一国の姫をボッコボコのボコにしちゃったよ!?
おまけに偉そうに大説教をかましたよな?
『おまえはつまらない』みたいなさ!?
そしてようやく俺は姫騎士の真意に気付く。
これまでの姫騎士の行動を思い返すと……これはまぎれもなく姫騎士の復讐だ。
成り上がりの男爵令息が姫騎士にえらく気に入られている演出は、他の貴族たちの妬みを俺に集中させるため……。
調子に乗ってるストクッズ男爵家が、貴族たちにハブられるよう仕向けてきたか。
これはもう宣戦布告だろう。
うわああ、相当根に持ってるじゃん姫騎士。
ただでさえ王族なんてのはプライドの塊なはず。
もうすぐ学園編が始まるし、そのタイミングで女勇者に『アイツにコロシアムでボコッボコのボコにされましたのぴえん~』なんて泣きつかれたらやばいぞ!?
スタートから女勇者に敵視される……。
あれ、待ってくれ?
俺詰んでないか?
そもそも女勇者に目をつけられる前に、王族の不興を買って粛清される可能性だってある!?
や、やべえ、かくなる上は————
俺が最終兵器、贈答品を出そうか迷っていると、新たなる闖入者が出現した。
「これはこれは常日頃から男性を寄せ付けない姉君が、まさか男爵令息に夢中とは……」
二曲目を踊り終えたタイミングで割り込んできたのは、最強悪役のディスト王子だった。
「何人たりとも触れられない高嶺の花は、もはや毒蛾にその蜜を吸われ、手折られてしまったようだ」




