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私が毒を盛りました

作者: じゃく

伯爵令息が亡くなった。


その瞬間を目撃したその日、私は自室から出られなくなった。





ことの発端は伯爵令息と私の婚約が決まった日に遡る。


私こと、第4王女アリスティナは不平不満を漏らしていた。

第4王女である私が降嫁するのは構わない。というより仕方ない。でも、限度というものがある。

王家の人間が伯爵家に嫁ぐだなんて有り得ない。


選択肢は他にもあるはず。公爵や侯爵、他国の高位貴族だっていい。


確かに伯爵家は優れている。国で最大級の領土を誇り、その土地で様々な特産品を生産し、隣国と接する国境を管理している。


優れた領地を経営する手腕は見事であると感じていた。


だから、王家としてもより強固な繋がりが欲しいということは理解している。


でも、それとこれとは話が違う。


よりによって私が両家の縁のためにたかが伯爵家に嫁ぐだなんて許せない。

しかも、相手は伯爵家の次男で特に特徴のない顔をした平凡な男である。


そもそもこの縁談を申し込んだのが、伯爵家の次男だという。それも許せない。


伯爵家の次男風情が、王女の私と釣り合うとでも思っているのだろうか。


それに快く許可を出したお父様もお父様よ。そこに私の将来を思う気持ちはないのかしら?!


明後日に控えている顔合わせ、その場をめちゃくちゃにしてやったら、縁談を白紙にしてくれるかしら?それくらいしか方法が思いつかないわ。


そして、私は一つ決意した。





顔合わせ当日、私は不機嫌ながらも支度を整え、馬車に乗り、伯爵家へと赴いていた。


真紅なドレスに身を包んでも負けずに輝くブロンドの髪。少し釣り上がった目尻は勝気ながらも、整った顔立ちで多くの人を魅了する。まさに、絶世の美女である。


それほどの美貌の持ち主だからこそ、伯爵家の次男程度との婚約に嫌気がさしているのだ。



「王女殿下、到着いたしました」


隣の席へ乗り込んでいた侍女に声をかけられて、とうとう着いてしまったかと覚悟を決めて馬車から降りた。


降りた伯爵家の前では太陽の光が反射するような真っ白な服に身を包んだ伯爵令息がいた。


馬子にも衣装なんて言葉があるけど、あれは完全に服に着られてるわね。


「アリスティナ様、ようこそおいで下さいました!ささ、我が家を案内いたします」


そう言って差し出された手を取ってエスコートしてもらう。曲がりなりにも婚約者である。エスコートを拒否することはできない。


私が渋々手を取っていることに気づく様子もなく上機嫌に歩いている。

ヒールがあるとはいえ、今の身長は私とほぼ同じ。本当に平凡だわ。


案内してもらった客間にはすでに、伯爵と伯爵夫人二人で待ち構えていた。


「いやぁ、本日はお越しくださり誠にありがとうございます。まさか、アリスティナ様が婚約をお受けしてくださるとは、伯爵家一同感謝しております」


「いいえ、いいのよ。伯爵の功績を考えれば、王家としてもより縁を強めたいと思っておりましたわ...」


次男がこんなに平凡じゃなければね。


おっといけない、うっかり心の声まで口にするところだったわ。

何をとっても不満が口をつきそうになる。


「ささやかながら、本日はディナーを用意しています。ディナーまで少し時間がありますので、愚息とともに庭でも散策してはいかがでしょうか?王宮ほどではありませんが、自慢の庭です。王女様にもご満足いただけるかと思います」


「そうでしたのね。折角ですし見させていただこうかしら?」


「では、ご案内いたします!」


馴れ馴れしくも再び差し出してくる手を断ることができればいいのに。

仕方なく手を取る私は、表情が強張らないように尽力した。




人って面白い生き物ね。一度嫌ってしまうとその仕草、一挙手一投足が全て汚らわしく見えてしまう。

庭に咲き誇る花々を説明している伯爵令息の横顔を見ながら、全然違うことを考えていた。


雲ひとつない晴れ渡った空に、赤、黄、橙、色鮮やかな花が茂る庭。にこやかに話す伯爵令息の心を表しているようで、少しムッとする。

心の声を噯にも出さず、ニコニコと相槌をうつ。


でも、こんな時間も後少し。ディナーになれば彼は醜態を晒すことになるわ。

この後の予定を頭にイメージしながら、ディナーまでの時間があまりにも長く感じる。


私ったら緊張しているのね。こんな事するなんて初めてだから。時間が近づいてくるたびに、本当に実行していいのか、少しだけ迷いが生じているわ。

でも、私の将来のためにも必要な犠牲よ。


私の中にある仄暗い気持ちに蓋をしてやり過ごした。





そんな苦行の時間が終わり、やっと食堂へと案内された。


「お庭はお気に召しましたかな?」


「ええ、とても素敵でした。鮮やかな花々が咲き乱れて、見ているだけで心が晴れやかになりましたわ」


「それはそれは僥倖でございます。さて、ディナーも本日のために特別なものを用意しましたので、ご期待ください。と言っても、王宮ほどではないでしょうが」


はっはっはっと笑って卑下する伯爵に「そんなことないですわ」なんて返しながら、運ばれてくる料理を見ていた。運ばれてきたのは銀食器に乗せられたスープだった。


手に汗を握っている。この私が緊張しているというの?


「さて、では頂きましょう」


伯爵の合図を待ってから、みんなカトラリーを手にした。

私もみんなと同じようにカトラリーを手にした。手が震えそうになるのを抑えるのに必死になっている。


伯爵令息が食べる頃かと思い顔を上げると、目が合ってしまった。


「どうかされましたか?遠慮せず食べてください」


勧められたからには先に食べるしかない。音をたてないように静かにスプーンで掬う。湯気が立つほど熱いスープだが、冷ます時間すらもどかしくそのまま飲み干す。魚介たっぷりのスープなのに、口に入れた瞬間に広がる香りを全く感じない。きっと美味しいであろう味もよく分からない。とにかく不自然にならないようにスープを飲み干した。ごくりと飲んだスープが喉を通り越して胃にたどり着く感覚を感じる。


「とても美味しいわ。皆さんも冷めぬうちに食べましょう」


私の一言で、ほっとした様子を見せた伯爵家の面々はみんなスープを口にし始めた。


伯爵令息も同じようにスープを掬った。スプーンから垂れそうなスープの雫をお皿の端できり、スープを少し冷ます。


そして、伯爵令息はようやくスープを口にした。スプーンを傾け、啜っている。口の中でゆっくりと味わうように舌の上で転がしてから、嚥下する。ごくりと喉仏が下がり、飲み干したことが確認できた。


よし、食べたわ。あとは少し時間が経てば。


尚も自分の食事には手をつけずに伯爵令息の様子を眺めている。

伯爵令息の眉間に皺が寄るのを見逃さなかった。


早速効いてきたかしら。


伯爵令息は次にお腹を抑えだした。


私は頬が緩みそうなところをぐっと堪える。侍女は指示していた通り、うまいこと料理に下剤を混ぜれたようね。

さあ、早くお腹を下しなさい。そして、醜態を晒しなさい。まだ表立って婚約が発表されてない今なら、お父様にその醜態を知らせれば白紙にまでもっていけるわ。


「...うっ...?!」


「ん?どうした?」


「いや、少しお腹が...がはっ...!!」


「おい、どうした?!」


お腹を抑えていた伯爵令息が血を吐いた。それまで心の中で愉快そうに見ていた私は違和感を覚えた。下剤だけでどうして血を吐くの?


「...うっ...あ゛ぁ...あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁ...」


苦悶の表情をしながら喉をかきむしる。声にならない声をあげて苦痛を訴える。


「おい、大丈夫か!?...医者だ!医者を呼べ!早く!」


どういうこと?!私が盛ったのはただの下剤よ?!どうして!!

彼が苦悶の表情でこちらを見ている。苦しそうにもがきながらも視線だけは私から離れない。


ゾッとした。全てを見透かされているかのような気がした。体が震え、鳥肌が立っているのがわかる。両肩に手を回し震える体を抑えようとするも、上手くいかない。


彼はまだ苦しそうな声をあげている。意識が朧げになってきたのか、もがいていた手の動きが緩慢としてきている。


次第に彼の目からは生気が薄れていき、声をあげなくなった。もがいていた手も指先まで動きが停止するのが見えた。

伯爵が息子の名前を叫んでいる。伯爵夫人が悲鳴をあげている。


私は生気のなくなった目と未だに目が合っている。目を開け、眉間には皺を寄せ、苦しみのあまり大きく開けた口。そんな苦しくもどこか怒りを感じるような目が、未だに私のことを見ている。

恐怖で体が動かない。まるで私の体ではないような気がする。


医者がやってきたような気がする。でも、私にはよく分からない。うまく思考が回らない。どれくらい時間が経ったのかも分からない。

呆然としているのか、愕然としているのか、憮然としているのか、それすら私には分からない。


「王女殿下、私共はここら辺でお暇いたしましょう。今はご家族だけで静かに過ごされるのがいいでしょう」


侍女に促されて、私は伯爵家を後にした。


伯爵に挨拶をしたのか、どうやって馬車に乗ったのか、それすら私には分からない。


ただただ、苦悶の表情を浮かべる伯爵令息の顔だけが浮かぶ。


侍女に促されて馬車を降りた。気がつけばもう王宮についていたようだ。


自室で鏡をみて初めて私が酷い顔をしていることに気がついた。こわばった頬、充血した目。今更ながらに、私は公爵令息の死に様をみて戦慄していたことに気がついた。


ドレスを脱がしてもらい、ネグリジェに着替えベットに入ったものの、とても寝れる気にはなれない。目を閉じれば、死に際に目のあった伯爵令息の顔が脳裏に浮かぶ。


私は今日、伯爵令息に下剤を盛ろうとした。顔合わせをめちゃくちゃにするために。今朝侍女に下剤を渡した。伯爵令息の食事に混ぜるようにと。


あれは本当に下剤だったの?あれは毒だったのでは?私が彼を殺したの?


思考がぐるぐると回る。答えが出ない。今日はとても眠れそうにない。





気がつけば日が昇っていた。一睡もできなかった。身支度を整えに侍女が入室してきた。私を見るなり驚いたような表情している。でも、今の私には全く気にならない。そんなことはどうでもいい。


どうやら食事を持ってきてくれたらしい。だが、食欲なんかない。少しだけ食べてから、食事を下げてもらう。そして、またベッドに戻り悶々と頭を悩ませる。


気がついたら夜になっており、眠りについた。でも、夢に現れるのは伯爵令息だった。

庭でニコニコと花を紹介している姿から一変して、死に様に見たあの苦悶の表情が現れて飛び起きる。

眠りについてからまだ数刻も経っていない。そんな眠れない夜を過ごした。


はて、どれくらい経ったのだろうか?あの日から何度目かの夜が過ぎたころ、侍女が用件を持ってきた。


「伯爵令息の件について、国王陛下が話を聞きたいとおっしゃっています。お疲れかと思いますが、お支度をさせて頂きます」


ぐるぐる回っていた思考が止まった。お父様への謁見。私は何を話せばいいのだろうか?

あれからずっと考え続けているが、未だに思考はまとまらない。それでも侍女たちはあれよあれよという間に身支度を整えていく。


「王女殿下、お気を確かに。先日はお辛いことがありましたが、殿下が気負う必要はありません」


侍女の一人がフォローしてくれる。でも、違う。私は下剤を盛った。悪意をもって。その中身が実は毒だったとしか考えられない。


着替えを済ませて謁見の間へ向かった。一人で向かうのも不自然だったので、一人の侍女を連れて行った。適当に選んだ侍女は先日伯爵家へと同行した侍女だった。


扉をノックしてから私は入室した。侍女を扉の側に控えさせてお父様の前で膝をつく。


「先日は辛い思いをしただろう。顔色を見れば分かる。あの日以降、碌に寝れておらぬのであろう?そんなところ悪いが、何があったか聞かせてくれぬかの?」


玉座に座る国王とその側に控える宰相。この場にはこの二人と扉に控える侍女しかいない。


私は先日起きたことについて、ありのままに全てを話した。

私が下剤を盛ろうとしたこと以外は。


「そうか突然苦しみ出したのか。食器は銀で相違なかったのだな?」


「えぇ、間違いなく銀でした」


「そうか」と言いながら唸り始める国王。隣にいる宰相の表情も険しい。

銀食器で発見できない毒は聞いたことがない。新種の毒に戦慄しているのだろう。


「毒を盛った犯人はその場で見つかったのかの?」


犯人という言葉に体が硬直するのを感じる。震え上がった体を鎮めるように、生唾を飲み込んだ。


「...私が毒を盛りました」


気がつけば私の口から言葉が漏れていた。この罪悪感に身を冒し続けるとこが耐えられなかった。

この縁談が心の底から嫌だったこと。醜態をさらさせて婚約を白紙にしようと思ったこと。当日、侍女に下剤を渡して料理に仕込むように指示したこと。タイミング的にも下剤が毒だったとしか、考えられないと思っていること。全てを余すことなく打ち明けた。


私の頬を涙が伝っていた。おかしい、伯爵令息が亡くなった時には何も流れなかったのに、今になって涙が溢れてくる。

人の命に涙を流さず、自分の手が汚れたことに涙を流している。

私は自分のことしか考えられない、卑しい心の持ち主だったのか。


私の独白で静まり返った。最初は驚愕に目を開けていたお父様も今では腕を組みながら深く考え込んでいる。


「下剤を仕込んだ侍女はどこにいる?」


「扉の前に控えている者です」


「発言を許す。其方は下剤をもらったのか?」


「中身が何かは存じ上げませんが、白いの粉の入った瓶をお預かりしました」


侍女が偽りなくその日の出来事を口にする。


「....では、其方が伯爵令息の食事にその粉を混入させたのか?」


お父様がごくりと喉を鳴らす音が聞こえる。私は断罪の瞬間が恐ろしく、顔を上げることができずにいる。


「いいえ、私はそのようなことはしておりません」


その言葉を聞いた私はがばっという音が聞こえそうなほどの勢いで侍女の方へと振り返った。


「確かに殿下から怪しい粉を食事に入れるようにとの指示を受けてお預かりしました。ですが、実際に入れるかは別問題です。たとえ殿下の指示であっても私は殿下の汚点を作り上げるような真似は致しません」


その言葉に私は受け止めきれないほどの安堵の気持ちが込み上げてくることを感じた。

溢れた分が涙となって滴っていく。一度流れ出した気持ちは止まることなく、涙と共に溢れ続けた。


私は殺していない。その事実だけで私には十分だった。



落ち着くまでにしばらく経ってしまった。年甲斐もなく、お父様の前で涙した私は羞恥に顔を染めた。


「では、伯爵令息の死に娘は関係ないということじゃの」


再び話し始めたお父様の顔を見ると目元に涙を浮かべていた。私にはそれが何の涙かはわからない。でも、私を心配してくれていたことが嬉しくて少し心地よく感じた。


こうして私の無実を知り、少しずつだが私は普段の生活を取り戻し始めた。




伯爵令息の死因が判明したのは彼の死から1週間ほどたった日だった。彼はどうやら肺に持病を抱えていたらしい。そこにアレルギーのエビが使われたスープを飲んだことが原因とのことだった。


私を招くために王宮にも引けを取らない腕のシェフを臨時で雇っていたそうだ。普段のシェフなら把握しているアレルギーも臨時のシェフは把握できておらず、エビを使用してしまったとのこと。


アナフィラキシーショックと肺の持病によって彼は呼吸困難に陥り、命を落としたというのが医者の見立てであるそうだ。


この事件は多くの貴族たちに注目された。銀食器にも反応しない毒があるのかと不安の声が上がった。


でも、死因が毒じゃないと知ってすぐに興味は薄れていった。




それから5年の月日が経った。


世間では彼の死はとうの昔に忘れられている。それでも私は忘れることはない。

毎月彼の命日には必ずお墓を訪れている。別に彼のことは大して知らないし、大切な人でもない。

あの日卑しい心の持ち主だった私が生きていて、純粋な笑顔で庭を紹介していた彼は死んだ。「死」を目前に体感した私の考え方は変わっていった。

卑しい心の持ち主だと気づいて受け入れるようになった。


これまでよりも親しみやすい王女として生を謳歌している。


私は何度目になるか分からない命日の今日も変わらずお墓の前で手を合わせる。

あの世ではあんな苦しい表情をしないで済みますようにと祈りを込めて。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


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