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1-2 先延ばされたエピローグ

 長方形に区切られた病室には、計四つのベッドとそれぞれを仕切るためのカーテンが設置されており、玲は出入口から一番遠い左奥のベッドに目を向ける。そこのベッドを目的の人物が利用しているためだ。ベッドの横には細長い引出しと暇つぶし用のテレビが設置されていたが、玲はテレビの画面が黒以外の色彩を得た瞬間に立ち会ったことがない。暇を潰すだけであればサイドテーブルに置かれたノートパソコンを使えば放送時間に縛られることなく楽しめるのだから使われないのも当然だ。その代わりといってはなんだが、締め切られた白のカーテン越しからでも差し込んでくる西日の鮮やかな赤色に染まっていた。


 先週、面会に来た際は体調が悪かったようでずっと横になっていたので今日も横になっているのではないかと思っていたが、今日は背上げしたマットレスにもたれかかっていた。上半身を起こしている時点で体調は前回に比べて良さそうに見えた。顔色に関しては強すぎる西日のせいで良し悪しを判断することができなかった。


 「病院はきらいなんだ」


 橘の手にはいつも頭部に被っているはずのウィッグが乗せられており、ご丁寧に彼女の正面にあるサイドテーブにはブラシやスプレーなどにウィッグを手入れするための道具がいくつも置かれ、舌打ちしたくなった。面会に来た玲と鉢合わせするようにわざとこの時間帯を選んで手入れしているのだという彼女の魂胆が透けて見えていたからだ。


 「奇遇ね、私も大きらい」


 軽く微笑んでいたので玲もあいさつ代わりに微笑み返した後、カーテンの隙間から漏れる西日から逃げるように顔を背けた。その時、玲の表情は安堵で少しだけ緩んだ。橘から目を逸らせるもっともらしい口実ができたからだ。投薬治療の副作用によってむき出しになった頭皮や眠気やだるさで常にとろんとした目、不気味なほどくっきりと浮かび上がった鎖骨、中途半端な袖の長さである入院着から露出する細すぎる腕。その全てが病魔によって蝕まれていく過程を現しており、見ているだけで心苦しくなってしまう。だが、それ以上に彼女の見せる姿の全てが偽りであるという真実のほうが何倍も辛く苦しいものであった。


 「もっとマシな言い訳を期待していたのだけど……」


 露出されたままの頭皮のせいで目のやり場に困っていると感じたのだろうか、橘はクスッと笑ってからヘアキャップをつける。しかし、ウィッグの手入れ自体はまだ終わっていないらしく、膝上から拾い上げる前にサイドテーブルへと手を伸ばし、ブラシを取る。


 現在この四人部屋に入院している患者は橘ひとりであるため、他人の目を気にしてしまう行動でも堂々と実行できてしまう。頻繁に病室に訪れるような存在も玲以外にいないため、彼女を止めるものは誰もいないという彼にとっては最悪に近い環境ができあがってしまっていた。唯一である訪問者も彼女にとってはからかう対象でしかないため、返って彼女の行動を助長させているのも要因の一つだった。


 「元気そうでなによりだ」


 過去に面会に来たまま放置されているパイプ椅子に腰をおろすと、椅子の接続部分がシミシミと音をたてて軋んだ。


 「それはどういう意味?」


 「先週は君からの嫌がらせを受け損ねってこと」


 先週は二度ほど面会にやってきていたのだが、そのどちらとも体調が優れていなかったので橘はずっと眠っており、とても面会できるような状況ではなかった。そのため、玲は遠巻きから彼女の寝顔を眺めるだけでとどめ帰宅していた。携帯を使用したやり取りなども行っていないため、橘との会話は実に一週間ぶりだった。


 「気にしなくていいよ。たまには君の寝顔を見るのも悪くない。まるで……」


 「死人みたい?」


 耳を塞ぎたくなるようなタチの悪い冗談をあっけらかんと言い放ったというのに、当の本人は悪戯っ子のような目つきで笑っている。彼女の口からは聞きたくはなかった内容を躊躇いなく口にされたせいで戦慄が走り、不要な力が全身に入ってしまったせいで椅子を軋ませしまった玲とは大違いだ。 


 「さすがにそれは笑えない」


 冷たくあしらうことで橘から距離を置こうとする玲の逃げ道を塞ぐように伸ばされた細くて白い手は、知らない間に握りしめられていた拳を優しく包み込んできた。相手を励ますための行動でも、その行動を取った人物が橘だというだけで吐き気を覚えてしまう。すでに感覚など失われているのではないかと思ってしまうほど冷え切った掌に宿る逃れられない真実に直面することになるのだから、尚更だ。


 「てっきり生意気な子が好みとばかり思ってた」


 残念そうな表情を浮かべていたが、掌から伝わる不自然さが表情一つで消え去ってくれるはずもなく、喉に引かっかった魚の骨ごとく異物感を訴え続けている。不自然さに関しては彼女だけでなく、この病室のいたるところに存在していた。いつまで経っても埋まらない四人部屋。沈むことなく病室内を照らし続けている夕焼け。その全てが本来であれば終わりを迎えたはずだったあの日から止まったままだ。


 「暗い話題は体に障る」


 こんな歪な関係がいつまでも続くはずがない、過ぎた事実が変わることなどないのだと頭の中では分かっているはずなのに、いつものように事実から目を背けるために話を逸らす。苦痛であるはずの関係を手放さないために。


 「それならもっと明るい話をしましょう。そうね、そろそろ終業式でしょ? ねえ、私を置いて進級する気分はどう?」


 膝の上に置いていたウィッグを拾い上げてから橘は意地悪く笑う。手にしたウィッグの裏地を頭上で広げ、ゆっくりとおろしてから位置を微調整をする。納得のいく位置を見つけたのか、満足そうな笑みを浮かべてからサイドテーブルに置かれたブラシに手を伸ばす。ようやくウィッグを被ってくれたことに玲は安堵を覚えたのだが、気分が晴れることはなかった。むしろ、彼女の見せる嘘にまみれた一挙手一投足が彼の心を今日も蝕み続けていた。


 「まだ二月だから……」


 昔から入退院を繰り返しているせいでろくに学校に通えていない相手を前に学校に関する話題を広げられるはずもなく、歯切りの悪い言葉を返す。


 橘との出会いは小学生のころなので付き合いは意外と長い。当然、彼女が口にしそうな内容の候補についてはいくつか頭に浮かんでいた。その中には今回のような学校に関する話題も含まれていたのだが、うまく返せるような言葉はいまだに見つけられずにいた。見つけられないという表現は正確ではない。的確な答えを探す行為そのものを拒んでいたといったほうが正確だ。彼女ひとりをこの時が止まったような病室に置き去りにしたまままま自分だけ時の流れに乗っているという事実に後ろめたさを感じていたからだ。


 「私のこときらいになった?」


 「まさか、もう慣れっこだよ」


 口ではそう言いながらも、きらいになれたらどんなに楽だろうかと考えてしまう本音を押し殺し、力なく笑う。


 「場の空気も和んできたところだし、そろそろ本題に入りましょうか」


 嫌味を口にしつつサイドテーブルを指差す。テーブルの上には充電器が繋がっていないノートパソコンの他に本が二冊置かれている。指先はパソコンではなく、本に向けられていた。


 「ああ、もちろん。次はなにを借りてこればいい?」


 面会に来る理由の中には橘に会うため以外に、本を渡すのも含まれていた。退屈で単調な入院生活の気晴らしとして玲は、定期的に図書館から借りてきた本を彼女に貸し出していたのだ。借り物である以上は返却する義務が生じると同時に返却期限が設けられるため、定期的な本の回収が必要であり、少し手間だと感じることもあるが、利点もある。それは、不毛な関係から逃げ出さないように体のいい言い訳を作ることができるからだ。


 「メルヴィルの白鯨が読みたい。白い鯨って書いて白鯨」


 「さすがに白鯨ぐらい知ってるよ」


 白鯨船に乗船してた作者の実体験を基に書かれた白鯨という小説はアメリカ文学を代表する作品であり、世界の十大小説のひとつと称されるほどの作品だ。本を読む習慣のない玲ですら題名はおろか、内容の大まかな流れすら知っているほどだ。だからこそ、橘の心境に何らかの変化が生じているのではないかと勘ぐってしまう。普段は日本人作家の書く小説ばかり読んでいる。それも最近のものばかりだった。たまに古い作品を頼まれる時もあったが、現代文学と呼ばれる年代のものであり、本数自体も決して多くはない。そんな彼女が唐突に海外作品を読みたいと言われたら、いやは応でも意識してしまう。ただの気まぐれとして片づけるには変化も大きすぎた。


 「海外の作品なんて珍しいね」


 「環境や時代、国が変われば考え方や価値観も変わる。見聞を広めるにはピッタリだとは思わない? それに世界的に有名な作品には有名である理由が必ず存在する。それに触れてみたくなった」


 「課題みたいな理由だね。そういうのを自発的やろうとする読書家の心情が僕には分からないよ」


 「そうね、私も自分の気持ちがよく分からない」


 そう言った橘は今にも泣き出しそうなほど悲しげでその理由が何となく分かっていた玲はどう反応するのが正解か分からず、いつもの癖で視線を下げてしまう。沈黙が続けば続くほど話し出すのが難しくなるというのに、まるで糸で縫いつけたかのように唇は固く結ばれていた。


 沈黙に耐えかねた橘が口を開こうとしたその瞬間をまるで狙いすましたかのように淡白なメロディーが静まり返っていた病室内に鳴り響く。コートのポケットにしまっていた携帯が着信を受信したのだ。着信相手を確認するため携帯を取り出そうとした際にちらりと橘の顔を覗いてみると、浮かべていた笑みが少しだけ悲しげだった。


 「また、バイト先から?」


 「ああ」


 視線を携帯に向けたまま静かに頷いてから付き慣れてしまった嘘を吐く。橘の顔をもう一度覗き見る勇気のなかった玲は、顔をさげながら立ち上がる。返却用の本を回収するためにテーブルを見てみると、本はすでにテーブル上にはなく、代わりに橘の手から差し出された本が視界に隅にちらりと映る。目を逸したままこの場から立ち去ろうとする玲を許すつもりはないようだ。


 「またね」


 真っ白な指が本から離れた時に下唇を軽く噛んでから囁くよな声で言う。それは橘が嘘をつく際の癖であり、玲にとっては見て見ぬフリをする合図でもあった。

他作品の題名や著者名を思いっきり書いちゃってるけど著作権的に大丈夫かな……。


2023年9月3日

設定を変更したついでに内容を少しだけ見直しました。

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