8……やらかした 快斗視点 (風音紫杏)
「俺のカノジョになってくれっ!」
そんな俺の声だけが、道場に響く。
胸の中で燻っていた想いを吐露した快感も束の間。道場に静寂が戻るころには、俺はすっかり正気に戻っていた。
皆が、啞然とした表情で、俺と笹木を見ている。
その瞳に映るものは、好奇心・呆れ・驚愕と、さまざまだ。
笹木と顔を合わせることが恐ろしいからか、俺はうろうろと視線を彷徨わせて――ふと、副部長である吉川先輩と、視線がかち合った。
きっといつものように、呆れた目を向けられているのだろう。
そうとばかり思っていた俺は、先輩の表情を認識した瞬間――息が止まったかのような錯覚を覚えた。
いつも優しげな微笑みを湛えていたその顔は、悲しげかつ悔しげに歪んでいて。
柔らかな弧を描いている筈の唇は、ぎゅっと結ばれていて。
その、長い睫毛には水滴が溜まっていて。
俺がその状況を飲み込むよりも早く、先輩は――
「っつ!?」
ガタンと大きな音を立てて、先輩は道場を飛び出した。
一瞬、追いかけるべきかと躊躇したが、咄嗟の判断でそれを止める。
俺が先輩だったら、絶対に追いかけられたくなんかねえ。
今まで気づくこともなかったし、気づこうともしなかった。
笹木に出会わなければ、きっといつになっても気づかないままだったけれど。
先輩はきっと……俺のことが、好きだ。
恐らく、これは俺の自惚れではない。
何故って?
吉川先輩は、鏡に映る俺と全く同じ目をしていたんだ。
恋する者の目。
これは、男だろうが女だろうが、変わらない。
だが、気づくのがあまりにも遅すぎた。
もっと早くに感づけていれば、もっと上手く立ち回れたのかも知れないと、思う。
――否。
そもそもこの告白だって、するつもりなんか少しもなかったんだ。
もっと笹木と話せるようになって、もっと笹木のことを知って、周りの奴らのこともちゃんと配慮して……。
だから俺は、ダメなんだ。
いっつも自分のことしか考えられなくて。
だから皆の反感を買って。
好きな奴への告白だって――
「……悪い」
笹木の顔を見ようとしないまま、俺はそれだけ呟いて、道場を飛び出した。
防具を装着したまま、がむしゃらに運動場を走って、奔って、迸る。
人目につきにくい校舎裏へたどり着いた俺は、防具をやや乱暴に脱ぎ捨て、ズルズルとその場に座り込んだ。
暑苦しい防具を着用したまま全力疾走したため、息は切れ、汗は全身から、滝のように滴り落ちる。
少ししょっぱい水滴を腕で拭いつつ、俺はぼうっと空を見上げた。
雲一つない、青色をした空。
俺にはそれが、まっすぐに剣道に向き合おうとする笹木と重なって見える。
――笹木は、俺とは違う。
いや、笹木だけじゃない。
吉川先輩も、部長……嶋川も、他の皆も。
俺なんかよりもずっと、真摯に剣道と向き合っている。
……馬鹿らしい、な。
ふっと自嘲が浮かんだ、そのとき。
「かい、と……?」
俺と同じように、防具を脱いだ吉川先輩が、居た。
弱々しい声で俺の名を呼ぶ先輩の目は真っ赤に腫れている。
「副部長……」
何故、副部長がここにいるのか。俺は、どうすればいいのか。
何も分からず、それでも声を絞り出す。
そんな俺を見かねてか、吉川先輩は、こんなことを口にした。
「なんか……ごめんね。意味わかんないよね、急に逃げたりして」
わたし自身も、よくわかってないんだよね、実は。
涙をこらえるようにして、発せられた言葉は……噓をついているようにしか、見えなかった。
何故、本当のことを言ってくれないのか。
それを言葉にすることなく、先輩の目を見つめることで問う。
どれだけ気持ちを察することができても、実際に言葉にしてくれなければ、俺も答えようがない。
笹木とキッチリ向き合いたいからこそ、吉川先輩とは、きちんと話し合いたいんだ、俺は。
そんな俺の思いを感じ取ったのか、吉川先輩は、泣き笑いを浮かべて、言葉を紡ぐ。
「もう、察してるみたいだけど……わたしは、日下部。あなたのことが好きだよ」
……ビンゴ。
その気持ちが嬉しくないわけではないけれど、自分の恋心に噓をつくことは、俺には無理だ。
そう思って、丁重に断ろうとしたところ、続けて発せられた吉川先輩の言葉で、それを遮られた。
「ああ、さっきの件がなくても、わたしの気持ちが実らないことくらい、わかってたわよ?」
わたし、そこまで鈍感じゃないからね?
そう、付け足した先輩は。
でも、と、さらに言葉を続けた。
「……どうしても、諦めきれないんだ」
ごめんね。
そう続けた、吉川先輩。
大きな瞳から一滴、涙が零れ落ちる。
俺はかける言葉を見つけることができず、ぐっと拳を握りしめた。
そんな俺を見かねてか、はたまた自身の未練を断ち切るためか。
いつも通りの呆れたような笑みを浮かべ、俺に向かって、声を飛ばす。
「行きなさい、快斗。あんな告白しておいて逃げるだなんて、許さないから!」
その言葉に背中を押されて。
俺は、弾かれたように駆け出した。
先ほど脱ぎ捨てた防具を小脇に抱えて、再び、校庭へと躍り出る。
校舎裏から出た瞬間、
「先輩!日下部先輩!」
よく通る、溌溂とした声……笹木の声が、聞こえた。
「ささ、き」
伝えたいことは、沢山ある。
それなのに、声が上手く出てこない。
そんな俺に向かって、防具を身につけたままの笹木が駆け寄ってくる。
俺にぶつかる手前で止まった彼女は、防具の下から俺をまっすぐに見据えて、言葉を口にする。
「先輩、さっきはびっくりしましたよ?いきなり、その……」
途中で言い淀む笹木。
そんな姿も、とても可愛い。
初心な彼女のことだ。
きっと、頬を紅く染めているに違いない。
なんて思ってしまうのは、俺がアホだからだろうか。
でも、今の俺には、そんなことを思う資格はない。
だから、意を決して伝えようと思う。
否、莉衣菜に、伝えたいんだ。
俺が剣道部を休み、また始めた理由を――