4私の日常……? 莉衣菜視点 (夕日色の鳥)
「よ、呼びに来た、って先輩は来たばかりなのに大丈夫なんですか?」
嶋川部長や吉川先輩に怒られるんじゃあ……。
「来たばっかだからだよ。
心も体も温まってる奴らに水を差すわけにはいかない。
だから、俺もランニングで体を温めがてら笹木の様子を見てくるってことで片がついたわけ」
「そう、だったんですね……」
私のことを心配、してくれたんだ……。
「ご心配おかけしてすみませんでした。
私は大丈夫ですので先輩はもう戻ってください」
私はふいと後ろを向いて再び走り出そうとした。
しまった。
なんだか冷たい言い方になっちゃったな。
本当は先輩が心配してくれたことがとっても嬉しいはずなのに、イライラもやもやしてしまっていた自分を見られたくないような気持ちになって、なんだか突き放したような言い方をしてしまった。
「まあ待てよ」
「せ、先輩!?」
走り出そうとした私の腕を快斗先輩ががっと掴む。
掴まれはしたけど、ぜんぜん力は強くなくて、とっても優しく触れてくれていた。
籠手を外した剣道着は袖が少し短いから、先輩の手が私の肌に直接触れている。
顔が一気に紅潮した。
ち、ちがう。これはそういうことじゃないよ。
これは、ほら、あれだ!
いっぱい走って急に止まったから、一気に体が熱くなる、ナントカナントカってやつ!
そう! きっとそう!
「ちょっと話そうぜ。
ほら、そこに座ってよ」
先輩は私の動揺になんて気付いていない感じでそう言うと、私の手を引いてグラウンドと校舎を隔てる小さな石段に腰をおろした。
うちの学校は校舎から校庭に降りる時にこの石段を降りるのだ。
サッカーの試合なんかの時はここが観覧席になったりもする。
隣に私がちょこんと腰を降ろすと、先輩はようやく掴んだ腕を離してくれた。
もう掴まれてないのに、先輩に掴まれていた所が熱く感じるのはなんでだろう。
「……で、なんでイライラしてたんだ?」
先輩は私が座るなり、さっきのことを単刀直入に尋ねてきた。
オブラートに包んだり、他愛もない話から入ったりはしない人みたいだ。
私は正直、その方が助かる。
あんまり回りくどいのは苦手だから。
「……その、あの、えっとぉ」
回りくどいのは苦手とか言っておきながら、私は自分の言いたいことがすぐに言えなかった。
先輩のことを悪く言われて頭に来た、だなんて言えないよ。
「笹木……」
「え? わひゃっ!」
私がなかなか言い出せずにいると、快斗先輩は私の頭にポンと手をのせてきた。
え!? この人は急に何を!?
「せ、せ、せ、先輩っ!
な、なんですかっ!?」
先輩は私の頭にのせた手をぐりぐりと動かし、髪をわしゃわしゃしてきた。
さっき腕を掴んだ時の優しさはどこへやら、今度は首がぐわんぐわんなりそうなぐらいの強さだ。
でも、ぜんぜん痛くはないし、嫌な感じもしない。
それどころか、むしろ……。
私はせっかく引いてきた顔の熱がまた一気に上がるのを感じた。
「俺のために怒ってくれてたんだろ?
ありがとな。笹木」
「あ……はい」
先輩は全部お見通しだった。
私の同級生たちの文句なんて聞こえてなかったはずなのに、私の気持ちを察してくれたのだ。
きっとその上で、私のことを追い掛けてきてくれたんだ……。
「……ご迷惑おかけしてすみませんでした。
勝手に怒って、部活の場を乱してしまって……」
先輩はこんなに広くて優しい心で私のもとに来てくれたのに。
きっと、後輩の自分への文句なんてぜんぜん気にしてないだろうに。
私って、心のせまい奴なのかな……。
「……おい笹木」
「ふひゃいっ!?」
先輩は今度はうつむいた私のほっぺを両手でむにんと引っ張ってきた。
「おお! なかなか柔らかいな!」
「ひぇんぱい、ひゃにひゅるんでひゅかぁ」
先輩は楽しそうに私のほっぺをぷにぷに引っ張っている。
いや、はしゃいでないで離してくださいよ~。
もう私の心が限界なんだけどぉ~。
「……笹木」
「ひゃい?」
先輩は私のほっぺをぷにぷにしたままで話し始めた。
「イライラしてしまったことは気にするな。
人のために感情を動かせる奴は良い奴だ。
おまえは俺のために怒ってくれた。
俺はそれを嬉しいと思った。
それでいいじゃないか。
もし、まだイライラとかもやもやがあるんだったら、それを剣道にぶつけろ。
吉川なんかは、そんな邪な気持ちで剣道に向き合うな! とかって怒りそうだけど、俺は感情ののってない剣の方が良くないと思う。
どうせ感情をぶつけるなら、おもいっきり剣にのせてやれ!」
「ひぇんぱい……」
「大丈夫。
おまえが良い奴だってのは、俺がよく分かってるからな」
「……ひゃりがとう、ごじゃいます」
先輩はそこでようやく手を離してくれた。
ちょっとほっぺがひりひりしてる気がするけど、それ以上に心がぽかぽかしていた。
さっきまで胸にくすぶっていたモヤモヤがいつの間にかなくなっていた。
「……で?
おまえはさっきからそこで何をしてんだ? 唯華」
「え?」
快斗先輩が急に顔の向きを換えてそんなことを言ったので私もそちらに顔を向けると、そこには私の親友の唯華の姿があった。
「あ、え、えと、その、2人が話してるのを見かけて、ちょっと声をかけようと思ったんだけど、なんか良い雰囲気だったから、お邪魔しちゃあれかな、って思って~」
え? 待って。
唯華、あなたいったいいつから見てたの?
もしかして、私が真っ赤になってるとことかも、全部見てた?
え? マジ?
「はぁ。
そんなスケッチブックを広げて、ペンを持ってか?」
「あ、あはははは」
唯華はバレたかと言わんばかりに頭をぽりぼりかいてた。
「え? 待って!
今の描いてたの!?」
「ご、ごめんね、莉衣菜さん。
あんまり良い表情してたから」
やめて!
それ以上言わないで!
「はぁ。
ったく。唯華は相変わらずだな」
「ご、ごめんね。
快斗くん」
……え?
「ほら、笹木。
もう戻るぞ。
あんまり遅くなるとまた吉川にどやされるぞ」
「あ、は、はい!」
「莉衣菜さん、部活頑張ってね」
「う、うん。ありがと」
あれ?
快斗先輩って、唯華のこと名字で呼んでなかったっけ?
それに、相変わらず、って……。
それに唯華も……。
「おーい!
笹木、急げ~」
「は、はーい!
じゃあ、またね!
唯華!」
「うん、またね」
すっきりしたはずの胸に新しいもやもやが生まれた気がした。
私はそれを振り払うかのように快斗先輩の背中を追い掛けたのだった。