弟の苦悩
ピンポーン
一人には広すぎる家にインターホンの音が響く。モニターで来訪者を確認すると、見慣れた顔が映った。双子の兄貴だった。すぐさま僕は返事をする。
「はい」
兄貴の強ばった声が聞こえてきた。
「あのさ僕だけど、今忙しい?この前頼まれたやつ届けに来たんだけど」
そうか、ついにこの日が来たのか。今日はとても天気がいい。死ぬならこんな日がいいと思ってたんだ。
「全然!待ってたんだよ。適当に上がって上がって」
兄貴をソファーに座らせて、お茶を持って行く。兄貴と話すのもこれが最期だから、と思ったけど、話すことが思いつかない。結局ただの世間話になってしまった。まあ、そんなに改まって話す間柄でもないだろう。兄貴もそれどころじゃなさそうだ。
表情は硬く、喋り方はぎこちない。手も震えていて、お茶が飲みにくそうだ。見ているとちょっと笑えてきてしまう。
兄貴には、悪いことしたな。こんな損な役割を押し付けて。でも、兄貴しか頼れる人はいないから、許して欲しいな。
・・・
僕は自分で言うのもなんだけど、他人とは比べ物にならないくらい頭がいい。世間ではよく"十で神童十五で才子二十過ぎればただの人"なんて言うけど、僕は小さい頃から今日までずっと天才と持て囃されてきた。
でも、天才なんて全然いいもんじゃない。神様がいたら、文句言ってやりたいくらいだ。こんな頭にしやがって、って。
昔は、自分のことを誇りに思ってた。この才能は、世界中の人を幸せにするためのものだって思ってた。だから、自分の時間削って、たくさん勉強して、研究して。でも、僕が頑張れば頑張るほど、成果をあげればあげるほど、嫉妬の目は強くなって、嘘を顔に貼り付けた大人ばかりが近づいてくる。プレッシャーと、カップ麺のゴミと、コーヒーの空き缶だけががどんどん積もってゆく。どんな努力も「天才だから」で片付けられて、誰も僕を見てくれない。それでも、笑顔になってくれる人がいるなら、誰かのためになるのなら、そう思って踏ん張ってきた。
寝て、研究して、また寝て、研究して。そんな毎日を繰り返す。だんだん自分が誰かわからなくなってくる。ロボットみたいに働く日々。でも、これが僕の義務だと思っていた。これでいいのだと思っていた。身も心もすり減っていた。
そんなある日、僕は知ってしまった。僕の研究が兵器の開発に使われていることを。そしてそれが、実際に誰かを殺していることを。
誰かを救うためのものが、誰かの命を奪っていた。それを知った時、取り繕って、誤魔化して、何とか形を保っていた僕の中の何かが、音を立てて崩れる。目の前が真っ暗になる。この世界に、神に、そして自分自身に絶望した。立ち上がる気力は残っていなかった。そのとき、電話が鳴った。電話は兄貴からだった。
「もしもし」
かすれた声で電話に出る。
「もしもし、僕だけど。急に電話して悪いな。でも、なんかすごく気になったんだ。電話しなきゃいけない気がして。最近どう?無理してないか?美味しいご飯食べて、ちゃんと寝てるか?」久しぶりの兄貴の声に、涙がこぼれた。僕はどうして、今まで忘れていたんだろう。生まれてからずっとそばにいた、僕の片割れ。生まれた時間は少ししか違わないけど、いつも僕を支えてくれた、頼もしい兄。兄貴は昔とちっとも変わってなくて、それがすごく嬉しかった。
ああ、彼ならきっと僕を救ってくれるだろう。きっと全て受け入れて、許してくれるだろう。そんな気がした。
「兄貴、僕を殺して欲しい」
ぽつりと呟く。
「僕のせいで、沢山の人が死んでしまった。僕は生きていてはいけない。僕はもう生きていくことに耐えられない。だからお願い。僕を殺して」
感情がどんどん溢れてくる。僕は今までの思いを全部吐き出した。顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、嗚咽の混じった声で、全部全部吐き出す。兄貴は、じっと聞いていてくれた。
何時間か経過し、僕が落ち着いてきた頃、兄貴が返事をする。
「わかった。お前を殺すよ」
・・・
兄貴が泣きそうな顔で、僕に一歩近づく。ああ、これでお別れか。僕の兄が兄貴でよかったよ。本当にありがとう。
僕は微笑んで最期の時を迎えた。