ハッピーバレンタイン!
よくあるバレンタインのお話であります。たぶん。
僕の彼女は学年一の美人で可愛くて明るくて優しくて頭が良くてスポーツ万能で!
非の打ち所がない、を体現してる人だ。
それに比べ僕は彼女の正反対を地で行く人間だ……非の打ち所だらけ。
いや。
裏表がなくて優しい人、とは言ってくれた。
中肉中背、ド近眼でコンタクトを上手く入れられないずっとメガネ野郎。何一つ人と比べて誇れるものがない。
特別何があるわけでもない普通がいいのだと言ってくれた彼女は何かに疲れているのかもしれない。人間、万能すぎると悩みも多いのだろう。僕が思いつくことなど一生ないようなものなんかが。
凡人な僕と付き合うことが彼女にとっていいことであるのならば、僕は彼女の力になれたらいいなと思う。
僕だってそうめでたい人間でもない。いつか離れていってしまうことはわかっている。
高校卒業までのあと一年。彼女の心が穏やかであるよう、センエツながら支えてあげたい。
そして、付き合い始めて初めてのバレンタイン!
二年生に進級したばかりの頃に彼女に告白されたのだ。
一年の頃から彼女は有名人で、あまりにもその万能ぶりに男が誰も近寄ろうとしない高嶺の花すぎる人だった。優しい人だからいつも男女関係なく人が周りにいるのだが、そこに下心全開な奴はいなかった。
僕はというと、その眩しい輪を遠くから眺めているだけ。輪に入る用事もなかったし。彼女とまったく接点がなかったのだ。一年二年同じクラス、というだけの関係。
なのに、今現在こういうことになっている。
周りから何と言われているかは知ってる。
たまにはああいうので息抜きしたいんだろう、とか。優しいから泣き付かれて今だけ付き合ってやってるんだろう、とか。本命はひょっとしたら別にいるのかもしれないよね、とか。
しかし案外僕は図太いらしく、気にならなかった。そこそこお行儀のいい学校なのかボコられたりすることもなかったし。
というわけで僕はこの放課後、彼女と空き教室で待ち合わせをしている。
すると。
「ゴメンね、待たせちゃった!」
息を切らして彼女が教室に走り込んできた。そんな姿もまた綺麗とは本当にこの人は何なんだろうとは思う。
先生からも信頼が厚いのか用事を頼まれることも多く、一緒に帰るときは僕がいつも待っていた。僕も彼女も帰宅部だから放課後の時間なんて腐るほど余ってるし、十分二十分待つことは苦じゃない。
「いや、大丈夫。本読んで待ってたし。そもそもそんなに待ってないよ」
僕の学生カバンにはいつも文庫本が一冊入っている。いつでも読めるように。僕は無類の本好きだと思う。教科書より握っている時間は長い、きっと。
「そっか、でもごめんね。今日は特別な日なのに」
そう言って彼女は僕の前の椅子に座った。
「これ!」
机の上に置いた小さな紙袋から一つ箱を取り出し、僕の前にすすすっと両手で差し出した。
「もらってください!」
訊かずともわかる、チョコレート。
か、それに準じたもの、であるはず。僕は甘いものが苦手だ。もちろんそれを知ってるから。
「ありがとう。実は母さん以外からもらうのって初めてで。やっぱりドキドキするね」
丁重に差し出された小箱を受け取る。
これまでは、甘いもの苦手だから結局買ってきた母さんと姉さんが食べて終わるんだけど。今回はどうしようか。
「あのね、甘いもの苦手でしょう? だから食べやすいように甘くないように作ってみたの」
「えっ、手作り?」
「うん」
これは……口にしないと悲しくなるやつだ。
「でもお料理苦手だから美味しくできたかちょっと不安で……」
甘くないように、と気を遣ってくれたものに食べないという選択肢はない。
「その気持ちが嬉しいよ。僕だって料理できないし」
よほど自信がないのか、小ぶりな箱を開けると、更に小さな丸いチョコレートが一つ入っていた。
「いただきます」
不安そうな瞳の彼女の前で口の中に躊躇せずチョコレートを放り込んで咀嚼した。
「!!!!!!!!!!」
んぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ!
言葉にならない。口の中にチョコレートが入っているからもあるがそれだけではなく!
絶対口を開けたらダメだ!
でも口の中が燃えるようで痛くて痛くて痛くて!
開けたら吐き出してしまう!
何としても飲み込んで美味しいと一言………!
「唐辛子をチョコに練り込んで丸める時に真ん中にも入れてみたんだけど……」
はあ!?
あ、いや、お料理苦手だからこの人、ええ、うん、ああ、し、仕方な……やっぱり無理……。
僕はカバンからいつも持って歩いている水筒を震える手で取り出し、申し訳なく思いながらもお茶を目一杯口に入れ、チョコレートもろとも飲み干した。
「目が充血してる……汗と鼻水も……」
彼女は僕にティッシュを握らせてくれた。
「あ、ありがとう……」
味見をしてみたのかと訊くのは失礼だろう。
「辛すぎだったね、ごめんね」
辛すぎというか、甘みを抑えるためのその材料のチョイスが正解なのか検討してほしかっ……。
「それでね、もう一つ作ってみたの。こっちは辛くないやつ」
「え゛」
彼女再び紙袋から同じ箱を取り出した。
……少なくとも唐辛子は入ってないはず。期待してもいいのだろうか。次を出してくるということは、さっきよりは自信があるのかもしれない。
「いただきます」
心を殺して、いや、何があっても冷静でいようと誓ってチョコレートを口に入れた。
あまり大仰に騒いでは申し訳ない。せっかく心を込めて作ってくれたというのに。唯一の弱点なのだとしたら、そこは自信を失ってしまわないように優しく微笑うのが僕の役目だ。
「…………んんんんんんんんんんぅん」
に、にが……い………ま、まず………。
苦いなんてどころではない。この苦味は胃薬のなんともいえない、何を調合したらそんな味になるんだ的な……の十倍、かもしれない……。
い、いや、待て、かすかに、酸、味、が……?
辛味より苦みの方が何十倍も吐き出してしまいたくなる、らしい……。
「レモン汁と、チョコレートの甘みで胃が痛くならないように胃薬も粉々にして入れてみたの」
「……………」
何か言うにはまず口の中を何もない状態にせねば……。
僕は水筒を男らしく煽った。食べ合わせというか、そういうの、関係ないんだろうか……。緑茶の苦みと胃薬らしい苦みとごちゃまぜになって、口の中のもろもろは胃へ落ちて行った。
「眉間にしわが寄ってるけど、苦かった?」
「えーと、うん、少し」
「あはは、やっぱりお料理ダメだね……ごめんね」
立ち直りが早いのかからからと笑う彼女に、僕はまあその方がいいと思った。下手に落ち込むよりはずっといい。
「だから、普通のチョコレートも用意してみたの」
ま、まだ……あるんだ……。
出てきた小箱はやはり今までのものと同じで。
「これね、市販の板チョコを湯煎して型に流しただけだから甘いと思うんだけど……」
いや、その方が、多分、いい。絶対、いい。
箱の中のチョコレートは本当にハートの型に流し込んだだけの飾りもないシンプルな板チョコだった。
僕は小さなハートチョコを頬張る。割らずに一口で。
「!」
………ごめん、美味しい。甘いものは苦手なはずなのに、このチョコレートは美味いと思った。優しい甘みが口の中に広がる。すべてをなかったかのようにしてしまう甘さだが、それが今は嬉しい。
こういう現象、なんか名前あるんだろうな。知らないけど。
「ありがとう。甘いけど美味しいよ」
僕の言葉に、彼女は輝くような、女神のような微笑みを見せてくれた。
「食べてくれてありがとう!」
「お嬢様、上手くいきましたか?」
純朴青年が帰った後、一人残った私に後ろから声をかける者がいた。同じ制服を着ているが、三年の学年章を襟につけている。
「おそらく」
「いつあちらへお連れするのですか?」
「そうだな、明日、一緒に帰る約束をしている。その時に」
一年近く。
大事に大事に育てた澄んだ魂はこれ以上にないほどに艶やかだ。
もともと綺麗な魂だった。見つけた時に心が震えるほどに。だからそれをさらに少し磨いただけのこと。
そして最後の仕上げが今日だった。
極上の魂。
私が磨いて慈しんで育てた魂。あの青年も良く応えてくれた。
「魂は父上に、身体は兄上に」
あちらの世界で床に臥せっている王にはこの上ない良薬になるだろし、新しい身体が欲しいと言っていた王子にも満足してもらえるはず。
「お嬢様には何も残りませんが?」
「大丈夫だ」
ホワイトデーにはきっと心のこもった贈り物をくれるはずだが、その日が来ることはない。
終
お読みいただきありがとうございました