なんかとびました?
本当の意味で恐怖が掻き立てられるのって、未知だと思うんです。先の見えない、何が起こるか分からない、それが恐怖を引き起こすトリガーになっているのではないかと思います。
朱美の言っていることは本当だった。
この筍、死んでから少ししたらあの禍々しい色彩が嘘のように抜け落ち、綺麗な俺の見たことある筍になったのだ。
どんな手品だよ。
朱美に貫かれた場所と、顔はしっかりと残っているが、それでも大収穫と言える。
大きさも、前の世界の筍の三倍くらい?はあるから、相当食い応えがありそうだ。筍のサイズなんてそんなに気にしたことがないからあれだけど、これって大きい方なのかな?普通サイズというのを知らないから、まぁ、このくらいの大きさなんだなぁくらいにしか感じない。
それよりも驚いたことと言えば、朱美の糸の性質というか、この糸の凄いところは、糸の強度を自由に操れることだ。
貫いたことにも驚いたけど、筍の死骸を根の部分から糸で切り取ったのは素直にびっくりしたよ。のこぎりみたいに何度も刃の部分を動かすことなく、両手で張った糸を前から引くだけで、筍がバターを切るみたいに綺麗な断面図を残しながら切れていったからね。
「皮の部分も普通の皮に戻ったみたいだね」
「そうね。死んでからもあのままだったらとても食べれたものじゃないわ」
「確かに」
それにしても、このほんの少しだけ開けた場所にこいつがいるっていうのを朱美が把握しているってことは、朱美は思った以上にこの森の地形を把握しているってことなのかな?
「食料も確保したことだし、戻りましょうか」
片手で筍の死骸を持ち、その場で反転する朱美。俺は朱美の背中しか見えないからあれだけど、なんか、まだ若干冷たい感じがするんだよね。
「ここってそんなに危険なの?」
少しだけ、朱美の雰囲気が柔らかくなったような気がした。
「警戒しておいて損ということはないのよ?無防備に安心できる場所なんてどこにもないわ」
納得です。意識が足りなかったのかもしれないね。スラちゃんや朱美がいるだけでこんなにも安心感に包まれてしまっている自分が少し情けないよ。
何分、他人に対しての興味というのが薄いせいで、疑うとか信頼とかの度合いが曖昧なんだよ。自覚できるくらいには他の人間に何か特別な感情というものを抱いたことがないし、興味が湧かないということに関しての疑問というのも持たなかった。
ここが俺という個人と周囲の人間との絶対的なズレなのかもしれない。
あれ?なんだか視界がぼやけてきたような……?
(愛ってなんですか?
私は誰かを本当の意味で信頼しているんですか?
期待しているんですか?
それとも失望しているんですか?
死にたいんですか?
死にたいんです。)
……声が聞こえた、ような気がした。
何かを愛そうとしていたような気がした。
何かに期待していたような気がした。
何かに失望していたような気がした。
死にたいような気がした。
死にたいんだ。
「やめなさい」
声がかけられた。
誰かに問われているような、責められているような、誘導されたような、でも最後に、自ら答えたような、そんな不思議な感覚。
ぼやけていた視界が、ゆっくりと鮮明なものへと姿を取り戻していく。
五感を取り戻していく。
そして、頭と上半身に何かの感触を感じ始めた。
「ん?」
頭には朱美の手が、上半身にはさっき以上のスラちゃんの触手が優しく巻きつけられており、こちらを見る朱美の眼が、心配そうに歪められているのが分かる。
「やっぱり、あくまでこちら側に近いというだけで、中途半端で危険な立ち位置なのかもしれないわね」
そんなことをつぶやく。
「……何か、あった?」
覚醒しきれていない、ボンヤリとした頭で問いかける。
「結愛は……そうね、少しだけ疲れてしまったのよ。油断したくない状況というのもあったから、スラにも少し手を貸してもらってね」
そういえば、今は普段よりもあまり感じないな。
嬉しいはずなんだけど、ボンヤリしているせいでいまいちテンションが上がらない。
何で急にこんな感じになったんだろう?あれかな?筍のせい?
その可能性は捨てきれないな。もしかして、あいつ直接人体に害を与えるような毒はないけど、こっちの精神に干渉してくるような何かを持っていたとしたら、それにやられてしまったと言えなくもないよな。
もしそうなら、そのまま言ってもいい気がするけど、俺に気を使ってる?それとも全く別の要因があったりするのかな?
……俺の考えすぎかなぁ……。
どのみち、この頭じゃまともな思考は望めないし、一旦置いておくかな。
それにしても、朱美から何か言われたような気がしたけど、あれはなんだったんだろう?まぁいいか。
「どれくらいボーっとしてた?」
「そんな長くないわよ?」
「そっか」
もう巻きつく必要は無いような気がするけど、スラちゃんは離してくれないし、そこまで感じるわけでもないし、このままでいっか。身体も怠くてあまり力が入らないしね。
「もうすぐで着くから、少し休んでなさい。スラが落とさないようにしっかり巻き付いてくれるから大丈夫よ」
朱美は俺の瞼が重いことに気が付いているのか。本当、色んなところに目が届くよなぁ。
なら、お言葉に甘えて少しだけ眠らせてもらおうかな。
眠りはすぐに訪れたよ。
(この眠りが永遠であればいいのに)
……。
…………。
………………。
何かに揺さぶられてるような気がする。
ゆっくりと瞼を開けた。
真っ暗な視界が急に色褪せてきて、その眩しさに思わず眼を細める。
眩しすぎるっての。手で日光を遮り、胸の谷間からこちらを見ていると思われるスラちゃんに挨拶した。
「おはよう」
『起きた!起きた!』
相変わらず元気良くてかわいいなぁ。うん、ちょっと動くのやめようか。感度がバリバリ戻ってきているから。
「身体はどう?着いてからも気持ちよさそうに寝てたから、横にしておいたわ」
身体の調子は……うん、どこも怠くない。むしろ、リラックスできていたのか、スッキリしているような気がする。
朱美の言うとおり、俺の身体はスラちゃんが持ってきてくれていた大きな葉っぱの上に寝かされていたようだ。
「楽になったよ。心配かけてごめんね」
「心配なんてしていないわ。その程度でくたばるような、軟な身体じゃないと思ってるし」
本当かよ。
起きて早速だが、お腹がすいた。……さっきよりも空腹感が治まっているような気がするのはなんでだ?
寝ているときに何か食べたのかな?いや、二人?が見てくれていたんだから、そんな奇行に走るようなことはないはず。
走っても止めてくれない可能性は無きしも非ずだけどね。
まぁいいか。
「筍食べよっか」
「そのまま食べるの?」
「いや、ちょっと熱処理したいかな」
朱美が死骸を持ち上げながら聞いてくるけど、色が普通になったとはいえ、顔は完全に消えていないから生は厳しいっす。
「燃やすの?」
「焼くんだよ。燃やしたら炭になるよ」
「へぇ」
興味はあるけど、なんでそんな手順を踏むのかまでは理解できないって顔してるな。俺的にはなんでこんな気色悪いものを生で食べようと思えるのかが非常に疑問ですよ。
「とりあえず火を起こすから、薪を集めに行くよ」
「そこら辺の燃やさないの?」
「乾燥していないと火の付きが悪いんだよ」
こういった知識には穴があるんだよなぁ朱美。哲学的な知識がありそうな感じなのに、こういうサバイバル的な知識には疎いって、それだけ生活に不必要だったってことなのかな。
「色々あるのね」
「色々あるんだよ」
お、そんなこと言ってる間に薪見っけ。
……やっぱここって薪になりそうな乾燥した木が少ないよ。
「ねぇねぇスラちゃん。これ見つけてこれる?」
たった今見つけた薪をスラちゃんの前に差し出す。
スラちゃんって、頭が普通にいいから、薪とかも見つけて持って来れそうな気がするんだよね。
『これ?任せて!』
薪の触り心地を軽く確かめただけで、スラちゃんは森の中に消えて行った。
もしこれでいい薪を持ってきてくれたら、スラちゃん警察犬よりも圧倒的に優秀になっちゃうんじゃない?
「これならスラに任せておけば大丈夫そうね」
「そうなの?」
「そのために頼んだのでしょう?」
「そうなんだけどさ」
そこで朱美が軽く噴き出した。
こいついきなり笑いやがった。なんか今ツボに嵌るポイントあったかな?
「自分で送り出しておいて心配になるって面白いわね」
あ、そういう?
「送り出したからこそ心配になるもんじゃないの?」
「信じて送り出したなら、心配する必要ないんじゃない?」
……まぁ、一応そう捉えることもできるのかな。
「……帰ってくる確信はしてるよ」
「ならそんな寂しそうな顔しなくてもいいんじゃない?」
「してる?」
「分かりやすいのよ、結愛は」
寂しそうにしてましたかね?
表情は変わってないような気がするんですけど。
難しいことは考えるのやめましょうね。分からないものは分からないんですから。
「……スラちゃん帰ってくるまで暇だね」
「そうね、もう一着くらい服作っておきましょうか」
「また作るの?」
「いくらでも作るわ」
有言実行するんだろうな。
若干げんなりしたところもあったりしたが、それでもまぁいいかなと思えた。
「また顔が赤いわよ?」
「うるさい」
元の場所まで戻りつつ、湖に目を移す。
「そういえば、この湖の中に魚が居たんだけど、それは食べないの?」
「魚ねぇ……それは美味しいのかしら?私が今まで見てきた魚っていうのは、どれも腐りかけの凄い臭い汚物って印象なんだけど」
「どんな状況で見たのさ」
だから魚を取るという選択肢が無かったわけか。
魚好きなんだけどな。でも、この世界の魚が食べられるのかどうかは分からないし、筍ですらあれだったのに、魚まで俺の知識とかけ離れた見た目してたらもう耐えれないよ。
俺の常識っていうのは、ここでは全く通用しないんだなって改めて気づかされるね。
「……ここの魚って、危険なの多かったりする?」
違うんだ。別に、急に現実と理想のギャップに恐怖を持ったとかじゃないんだ。もしかしたら、ある程度事前に知れること知っておくだけでも、実物を見たときの驚きが薄れるんじゃないかとか思っているわけじゃないんだ。現実逃避がしたいわけじゃないんだよ。
魚が結構好きだったからさ、断ち切れるならここで未練を絶っておきたいのよ。
というわけで、未練タラタラな雰囲気を出しつつ、朱美さんに尋ねているわけですよ。
「たまに危険なのいるけど、この湖の魚は分からないわね。見た感じ、危険そうな雰囲気は感じないから、食べようと思えば食べられるんじゃない?」
これは、前向きに検討してもいいということなんでしょうか?
「一気に明るくなったわね……そんなに魚が好きなの?」
「結構好きだよ。どっちかというと、肉よりも魚派だね」
朱美の糸なら強靭な釣竿にもなりえるだろうし、もしかしたら、銛突きならぬ糸突きみたいな芸当ができるかもしれない。
希望が見えてきたぞ。
肉よりも入手しやすいとなったら、わざわざ危険を冒して食料を調達する必要も無くなるかもしれないしね。
釣りとかなら、獲物が大きすぎる場合、すぐに糸を切ることもできるだろうし、楽できるとなると、全力でそれに走ろうとする人間の鑑だね。
「妄想に夢中なのもいいけど、一応、まずは筍の味とかも確認した方がいいと思うわよ?もしかしたら、結愛にとっては、この筍がすごくおいしいものかもしれないしね」
「それもそうか。まずは食べられるものに貪欲に行きたいね」
「食べるのが好きなのね」
「あんまり多くは食べられないけど、美味しいものは好きだよ」
食事のことになると、会話は弾むね。やっぱ、人間の五段階欲求における最低次元の欲求の一つ、食欲っていうのは偉大だと思う。
「私もこれからは少し食べものに興味持ってみようかしらね」
「いいと思う。朱美は私よりも手先が器用だし、料理の腕とかすぐに抜かれそう」
実際の話、朱美が料理屋とかを営んだらすごいことになりそうだ。朱美の出す糸が万能すぎるんだよね。
「なら、これからたくさん教えてもらおうかしら」
「ハードル上げるの止めようよ」
もし腕が前の世界の時よりも錆びていたらどうしてくれるんだ。
近くの茂みから音がする。なんとなくではあるが、敵意とかは感じなかったため、スラちゃんだと確信できた。
「って、またすごい量持ってきたね」
スラちゃんの触手に束ねられた薪は、数日間は燃料に困らない程度には多かった。
この森のどこにそんな量の薪が落ちてるんだろう?
スラちゃんは万能だね。
『いっぱい!いっぱい!』
「うんうん、スラちゃんは本当にすごい子だね」
自慢げなスラちゃんの頭?を撫でる。
スラちゃんの色が少しだけ濃くなったような気がする。これは照れてるんですね分かります。
「これでもう料理できるの?」
「調味料とかはないからね。焼くことしかできないけど、生とは全然味が変わるんじゃないかな?」
生で食べたことないけど。
さて、粗方準備は終わったし、異世界初の調理でもしてみますか。
少しずつ、少しずつ歯車は狂っていきます。修理をせずに延々と回り続けられる歯車などあるはずが無く、定期的にメンテナンスが必要となります。
人の精神も同じです。
未知という、常識の通用しない、見えない圧がかかり続けると、自覚できなくとも、心には大きな負担がかかってきます。
一つ一つは大したことがないとしても、塵も積もれば山となる。
つまり、そういうことです。




