(7)
「息子の部屋知ってます?」
「ええ」
「そこでいいかしら?」
「はっ、はい」
まさかアンちゃんが死んだ部屋へ呼び出すとは思わなかったが、
おれもなぜ彼がそんなことになったのかその一端でも知りたかった
ので従った。
信仰など持ち合わていなかったが、心の中で手を合わして部屋に
入った。シャンパンの空き瓶が転がっていた部屋はきれいに掃除さ
れて、まるで別の部屋のように広くなっていて、改めてアンちゃんと
一緒に居た時の乱雑さを思い知らされた。奥の部屋には白布の掛
けられた台の上に遺影が置かれてあった。おれは進んでそこに跪
(ひざまず)いて笑ってる彼の遺影に、お母さんの目を気にしながら
心のない合掌を済ました。ただそのあと悔やみの言葉など用意し
てなかったので言葉が出てこなかった。するとお母さんが、
「そこで死んでたんですよ、あの子」
そう言われて思わず怯んだ。上を覗くと隣の部屋と境に梁があった。
おれは早速アンちゃんから送られてきた年賀状を渡した。
「ごめんなさいね、わざわざ持って来て頂いて」
「いいえ、それからアンちゃんのライブのCDとビデオです」
「やっぱりそうなんや」
お母さんは年賀状を見ながらそう呟いた。
「いったい何でそんなことになったんですか?」
「あの子のものを整理していたらあなたの名前と電話番号があった
ものですから、ごめんなさいね、電話なんかかけて」
「いいえ」
お母さんはおれの問い掛けには答えなかった。いつの間にか彼女の
後ろから少女が現れた。
「こんにちは」
そう言って頭を下げた。アンちゃんから5コ下の妹がいるのは聞い
ていた。お母さんが慌てて年賀状から目を離して、
「あっ、良子です、あの子の妹です」
「こんにちわ」
おれはお母さんにそっくりの妹に頭を下げた。彼女はコンビニのレ
ジ袋から缶コーヒーを出して、
「はい、これ」
おれは軽く頭を下げてそれを受け取った。お母さんは年賀状を娘に
差し出した。そして、
「あの子、前にも死のうとしたことがあったんです」
お母さんは小さな声でそう言った。
「えっ!どうして死のうと思ったんですか?」
「それがね、よく解からんのやけど、突然そんなことを言い出して、
反抗期かもしれんけど」
「ええ」
「あれは、高校に進学したばかりの頃だったかしら、お父さんは仕
事で居なかったんですが、みんなで夕飯を食べていると、多分テレ
ビのニュースだったと思うんですけど高校生の自殺を伝えていて、
お祖父さんが『親の心子知らずだ』と言ったら、あの子、別に子供
は親の為に生まれてくる訳やない、と言ったんですよ・・・」
お母さんの話を引き継ぐと、
そうするとお祖父さんが血相を変えて怒り出して、
「お前は親を馬鹿にするのか!祖先に感謝せんのか!」
と、すると彼は、
「親には感謝はしてるが、家系に縛られて生きとうない。犬じゃあ
るまいし、自由に生きたい。もしも祖先の為に生きなアカンねん
やったら、きっと俺は間違うて生まれてきたんや。自分の思うよう
に生きられへんねんやったら、明日にでも死んだるわ!」
すると、お祖父さんは、
「何をっ!この親不孝者がっ!おおっ、死ねるもんなら死んでみい」
そこで、おれは思わず口を挟んだ。
「そっ、それで、自殺したんですか?」
「ええ」
するとそれを聞いていた妹が、
「違うよ!」
と叫んだ。
「お兄ちゃんは、前から死にたい言うてた」
「えっ!」
妹によると、彼はいつも、
「生きることは大体解かった、ただ、死ぬことがよう解からん」
そう言っていた。彼女が、
「それでも何時か人間は死ぬやん」
と言うと、
「生きてるうちに死ぬことが解からんと意味がないんや。死んでか
ら生きる意味が解かっても間に合わんやろ。それと同じや」
つまり彼は、無意識のうちに生まれてくる人間は、意識を獲得し
た後に今度は自らの意思で、もう一度生きるかそれとも生きない
かの決意をしなければならない。ところが死ぬとはどういうことな
のか全く認識できない。そこで、
「いっぺん死んでみんと解からん」
そう言って、彼はゴミ袋を被って呼吸困難に陥り、意識不明になっ
て窒息死寸前で妹に見つけられて一命を取り止めた。意識を取り
戻した彼は、
「仕方ない、生きるわ」
そう言った。その後、入院や治療の為半年あまり学校を休んだので
留年することになった。ただ、それからの彼は人が変わったように積
極的になった。
お祖父さんは、戦後の廃品回収業から身を起こして、一代で資産
を築き上げた人だった。そのワンマン経営は経済の膨張に伴って時
流に乗り、パチンコ屋を皮切りに不動産や飲食店、一時はゴルフ場
にまで手を出していた。ただ、今回のバブル経済の破綻によってそ
れらの多くを失い、それを機に事業を息子に引き継いで引退した。
とは言っても、経営を任されたアンちゃんのお父さんは、彼の承諾
が無ければ自分で何一つ決められない肩書きだけの社長だった。
以上は、漏れ伝わってくる風聞に関心を寄せて集めた噂話だが、
もちろんそれ以外に、口さがない世間では眉をしかめる人となり
を敢えて吹聴する者も少なからずいた。その中で気になったのは、
真偽は量りかねるが、アンちゃんのお母さんは日本の人だというこ
とだった。
「あれはイカサマ商売や」
アンちゃんはパチンコ屋を嫌っていた。その矛先は、係属や身内の
繁栄しか願わない狭義の序列に拘る儒教道徳へ向けられた。
「俺たちはパチンコ玉なんや。儒教道徳という箱が無かったらバラ
バラになってしまうんや。個性や意思を削られ礼儀や敬語に浸けら
れて、気が付いたらツルッツルのパチンコ玉にされて、自分の力で
は生きられずに、頭を下げて箱の中に戻っていくんや」
アンちゃんの言葉を思い出したが、それは今の日本の現状とも重
なった。誰もが箱の中ばかり見て、箱の外を見ようとしない。我々
は箱の中でしか生きられないのだ。儒教道徳の最大の欠陥は身
内の秩序ばかりに拘るその排他性にある。我々の理想は過去に
こそあって、過去に理想を求める限り未来は破滅への道でしかな
い。未来に希望を求めるならば過去ばかり振り返って後ろ向きに
歩いてはいけない。そして我々が儒教道徳に洗脳されたパチンコ
玉である限り、従って日本は元より韓国も中国も、更にアジアさえ
決して一つにはなれないだろう。
突然、妹の良子ちゃんが、
「お兄ちゃんが好きやった曲、弾いてくれへん?」
「ごめん、ギター持ってきてへんわ」
「お兄ちゃんのがある」
そう言って遺影の台に立掛けてあるギターを持ってきた。
「何がええ?」
弦のチューニングをしながら聞いた。すると彼女は、
「イマジン!」
彼がライブの最後に必ず歌う曲だった。
「良子ちゃん、そんなん好きなんか、よしわかった」
おれはアンちゃんの遺影の前に座ってギターを弾いた。
Imagine there's no Heaven な、 思わへんか、
It's easy if you try あの世なんかあれへんって
No Hell below us ただ空があるだけやって
Above us only sky な、思わへんか、みんな
ただ生きてるだけやって
Imagine all the people
Living for today...
Imagine there's no countries な、思わへんか
It isn't hard to do 国なんかなかったら
Nothing to kill or die for 殺しあうこともないし
And no religion too 神さんなんかいらんし
Imagine all the people そしたら、みんな
Living life in peace 楽しく生きれるって
You may say I'm a dreamer 夢みたいって言うけど
But I'm not the only one 俺だけちゃうって
I hope someday you'll join us 皆がそう思えば
And the world will be as one 世界はそうなるって
Imagine no possessions な、思わへんか
I wonder if you can 何も無いってスゴイって
No need for greed or hunger 取ったり失くしたりせずに
A brotherhood of man 誰もが仲良くなれるって
Imagine all the people な、思わへんか、
Sharing all the world 世界は誰のもんでもないって
You may say I'm a dreamer 夢みたいや言うけど
But I'm not the only one 俺だけとちゃうって
I hope someday you'll join us みんながそう思ったら
And the world will be as one きっと世界はそうなるって
「IMAGINE」by JOHN LENNON 「な、思わへんか」byアンちゃん
妹も、そしてお母さんも一緒に歌ってくれた。そして、
遺影のアンちゃんも笑いながら一緒に歌っていた。