(3)
新しい学校は引越してきた「水槽」からコリアタウンを挟んで反
対側にあった。「在日」の生徒も多く居たが、話に聞いていたよう
な生徒同士のいがみ合いはなかった。受験競争からとりあえず解放
されたおれは、すぐに軽音楽部に入った。それは、母が出勤した後
の水槽で夜中に独りでギターを弾いていると、隣の水槽で寝ていた
タコから文句を言われたからだ。仕方なくギターを弾く場所を探し
ていたら軽音楽部の入部案内が目に止まり、さっそく入部すること
にした。放課後は音楽室が自由に使え、それぞれ気の合う者同士が
ユニットを組むことはあっても、全員がそろって活動することはな
かった。部員は20人余り居たがそんな理由で出てくる者はその日
によってまちまちだった。部長の男は在日だった。彼は本名を名乗
っていたので疑いようがなかった。2年生だったが歳はおれより2
コ上だった。留年したらしい。一年生の部員の男子生徒が教えてく
れた。さらに、彼の父親はなんでも市内に数軒のパチンコ屋と、コ
リアタウンには焼肉屋まで経営しているらしい。それもその男子生
徒が教えてくれた。しかし、新学期が始まって1週間以上経っても
部長は部活に顔を出さなかった。彼が留年した理由が何となくわか
った。つまり彼はあまり学校が好きではなかったのだ。ある日、お
れはすでに部活のみんなと顔見知りになって、片隅でギターを弾い
ていると、真っ黒に日焼けした見知らぬ男が背中越しに譜面を覗き
込んで、
「尾崎豊か?」
と言った。ギターを止めて振り返ると、
「部長のアンや、よろしく」
たぶん夏休みの間日陰を避けて暮らしていたに違いない彼は、おれ
より2コ上だったが精悍な顔つきからもっと年上に見えた。そして
男子高生特有の成長期のブタのような臭いがしなかった。おれはす
ぐに女を知ってると思った。思春期の高校生にとって最大の関心は
女のことしかなかった。交際禁止の進学校から転校することになっ
た時に、真っ先に頭に浮かんだことは女とヤルことだった。
「あっ!ふっ、ふっ古木です。はっ初めまして」
「ごめん、邪魔したな」
「いえ、そんなことありません」
「あのー、ここは自由にしてええからな」
「はい」
「ただ一つだけ決まりがある」
「えっ?」
「ここでは敬語を使うな」
「はい」
「ええか、年上やとか年下やとか関係ない、自由や。俺はアンちゃ
んって呼ばれてるけど、別に呼び捨てでもでもかまへん。決まりち
ゅうのはそれだけや」
「はっ、はい」
どうやら「自由」というのは彼の口癖のようだった。それにしても
上下関係にうるさく礼儀に厳しい民族の血を受け継いだ彼が、敬語
を使うな、と言うとは思わなかったので、すぐにはその真意が解ら
なかった。たとえば、タメグチでしゃべって後から思いもよらない
反感を買う破目にならないか、そんなことを考えていたら、
「アンちゃん、ちょっと」
と、例の男子生徒が彼を呼んだ。彼は、
「それじゃあ」
と言って、掌を差し出して握手を求めた。そして、
「自由にしいや」
そう言い残して向こうへ行った。おれは、先輩後輩の序列を無視し
て彼を呼び捨てにすることに躊躇いながら、それでも「アンさん」
と呼ぶのも、少しでも関西で暮らしたことのある人なら分かると思
うが、どうしても「何言うてはりまんねん」と言たくなる。ところ
が、「アンちゃん」という呼び方には「兄ちゃん」という意味があ
って、年上の彼をそう呼ぶことに違和感がなかった。おれは彼を「
アンちゃん」と呼ぶことに決めた。それにしても、人の呼び方ひと
つにしても序列を意識しなければならないことが鬱陶しくてやり切
れなかった。それは、まるで弱い犬が強い犬の前で腹を見せて腹従
を表わすかのように、敬語や礼儀という道徳は専ら序列の下の者だ
けに求められる。それは自分が親父の前では何一つ逆らえなかった
ことを思い出させた。しかし、上下関係を意識した敬語による会話
から自由な意見が語られるはずがない。われわれの会話は意見を交
わすためにするのではなくて、ただ上下関係を確かめているだけで
はないか。もしも、敬語や礼儀が道徳であるなら上下関係に拘らず
誰もが等しく従うべきではないか。ところが、それらは専ら立場の
弱い者だけに強いられる。たぶんアンちゃんは、敬語や礼儀に億面
もなく従う者の胡散臭さを敏く感じ取っているのかもしれない。
アンちゃんは、コリアタウンがある繁華街の一角に建つマンショ
ンの部屋に一人で暮らしていた。もちろんそれは親から援助されて
いたからで、彼が「自由」で居られるのも親のお陰に違いなかった
。
「遊びに来えへんか?」
しばらくして、ある日、部活を終えてアンちゃんと話しながら校門
まで来た時、彼はおれを自分の部屋に誘ってくれた。水槽に帰って
も独りっきりだったので断る理由はなかった。玄関がオートロック
の5階建てでまだ新しいマンションだった。5階の5部屋あるフロ
アの一番奥の部屋だった。あとで分かったことだが、そのマンショ
ンもアンちゃんの父親が経営する会社のものだった。部屋に入ると
奥のサッシ戸まで見通せる仕切りを取っ払ったフローリング張りの
広い部屋だった。そして片方の壁一面にはLPレコードやそのころ
広まり始めたばかりのCDがズラ―ッと並べられていた。アンちゃ
んはおれをソファに座らせて、冷蔵庫から缶ビールを2本持って来
てテーブルの上に置いた。そして、CDにリメイクされたばかりの
ボブ・ディランやビートルズなどの音楽を聴かせてくれた。それま
で受験の邪魔になると敢えて耳を塞いでいた自分にとって衝撃的な
カルチャーショックだった。彼らの歌に織り込まれたメッセージは
、これからどう生きて行けばいいのか悩んでいた自分に一つの啓示
を与えてくれた。それは、
「自分自身であれ」