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儒魂  作者: ケケロ脱走兵
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(2)

 親父が鉄拳を振るった甲斐があってか、おれはなんとか志望校の


門を潜ることができた。親父は「よくやった」と言ってくれたが、


「これは大学進学のための途中でしかない」と言い、「これからが


本当の競争だ」と励ました。おれは、高校は大学進学のための「途


中」であり、大学進学は一流企業に就職するための「途中」で、一


流企業で働くことが恵まれた出会いによって幸せな結婚生活が始ま


り子を産み育て、それらは豊かな老後を送るための「途中」だとす


れば、そして老後とは死ぬための「途中」ならば、結局おれの人生


はすべて「途中」で終わってしまうのだと思うと嫌になった。


 合格の喜びに耽る間もなくすでに次のレースは始まっていた。入


学式のあとそれぞれの教室に別れて担当教師を待っていると、隣の


生徒が話し掛けてきて、すでに一学年の授業は全て予習してしまっ


た、と言うので、「ほんだら遊べるね」と返すと、


「あほっ、入試に専念するためやないか」


と、たぶん彼はおれのように三年間も学校に通うつもりはないのか


もしれない。出遅れたという思いはすぐに焦りとなって現れた。そ


の焦りに追い打ちをかけるように授業に着いていけなかった。とく


に国語がツマらなかった。中年の女教師は依怙贔屓がひどく、おれ


は残念ながら依怙にも贔屓にもされなかった。彼女は、新しい課程


に入るたびに席順に教科書を読み継いでいく「よみとり」というも


のを始めた。読み誤ったり躓いたりするとそこで読むのを止めて次


の者が後を引き継いで読んでいく。何でも彼女がお気に入りだった


中勘助という作家が書いた「銀の匙」という小説に出てくるらしい


。実は、おれは親父の「狂育」の所為だと思っているが、そのころ


吃音(どもり)がひどかった。だから最初の授業で「よみとり」の説


明を聞いた時には絶望的な気分になった。そしてその日の授業でさ


っそく順番が回ってきた。極度の緊張の中で一行目を読んだだけで


吃ってしまい、つまりそれまでだったが体裁を取り繕うとしてもう


一度始めから読み直したのが間違いだった。今度は始めから吃って


しまいついには意地になって読み返していると行かず後家の中年教


師が、


「なにを真っ赤な顔してキッキキッキ言うてるの」


と抜かしやがった。するとクラスのみんなが一斉に笑った。おれは


恥ずかしさが憤りに変わって、もしもその日で世界が終るとすれば


、あの女教師の鼻面を親父顔負けの怒りの鉄拳でボコボコニしてや


りたかった。それから、もう「よみとり」のある日の授業だけは欠


席した。ちっ、ちっ、ちっ、ちくしょう!いつか「声に出さなくた


って読みたい日本語」を書いてやる。


 ちょうどその頃、流行っていた尾崎豊の歌が頭から離れず、いつ


しか口ずさんでいると歌を唄う時だけは吃らないことが判って、す


ぐにギターを買ってきて彼の歌を唄うようになった。その歌は社会


の束縛に抗って、飼い馴らされた大人になることを拒みつづけた若


者の大人社会に対する苛立ちに満ちていた。26才という若さで逝


ってしまったがその死を聞いた時も驚いたりはしなかった。なぜな


ら彼は「卒業」の曲の中で実際に「この世界からの卒業」と唄って


いたからだ。彼は退屈なこの世界に耐えられなかった。それは、楽


しみにしていたお祭りに行った子どもが、気に入った露店が見つか


らないまま参道を抜けて真っ暗な裏道に出た時の落胆のようなもの


かもしれない。ただ、生きるということが死との闘いであるとすれ


ば、彼は惜しまずに生きたと言えるのではないだろうか。おれは、


彼の歌によって見失っていた自分自身を見つめ直すことができた。


 中学ではそれなりに一目置かれていた自分も、進学高の教室では


文字通りクラスが違った。授業でさえ付いて行くことさえ出来ずに


一学期の成績は散々だった。すぐ親父の怒り狂った顔が脳裏に過っ


たが、もう黙って従うつもりはなかった。おれには尾崎豊がいた。


ところが、その親父は夏休みになってもまったく家に戻って来なか


った。そして、親父の所在を尋ねる電話が真夜中であろうと憚るこ


となく掛ってきて、ついに母はキレて電話の接続コードを切ってし


まった。テレビでは連日のように銀行の不良債権問題などの経済ニ


ュースが報じられ、それは取りも直さず親父が身を置く業界がきび


しい状況にあることを物語っていた。だからといっておれにはどう


することもできなかった。夏休みも終わりに近づいた頃、みんなが


寝静まった深夜に、突然身を忍ばせるようにして親父が帰ってきた


ことがあった。そして二階のおれの部屋のドアを少しだけ開けて小


さな声でおれの名前を二度ほど呼んだ。おれは成績のことをとやか


く言われたくなかったので寝たふりをしているとあきらめてドアを


閉めた。それが親父との最後だった。朝になって恐る恐るダイニン


グに降りると、キッチンにいた母が、


「おとうさん、()はらへんよ」


フライパンの端で殻を割って中身をその中へ落としながら母が言っ


た。ジュ―ッと音を立てて玉子が焦げる匂いが漂った。


「おとうさんの会社な、潰れたんやて」


母は親父の会社が潰れたことよりも、目玉焼きの黄身が潰れたこと


の方を気にして「あっ」と叫んだ。朝の日射しが新築したばかりの


キッチンの磨りガラスで弱められ、ぼんやりとした明かりがダイニ


ングテーブルの足元まで届いて無機質な床を際立たせていた。沈黙


の中でトースターが「チン!」と鳴った。テーブルの上に出された


目玉焼きは「サニーサイドアップ」と名前を変えた。まるでビニー


ルのようなそれを口に運びながら、何もかもが「途中」のまま終わ


ってしまったと思った。それでも気分は明るかった。もう親父に縛


られずに暮らしていけると思うと解放感さえ覚えた。それは「途中


」にはない「結果」がもたらす明るさだった。


 母は、兄が卒業するまではどうしても仕送りを続けなければなら


ないので、おれに二学期が始まる前に学費のかからない公立高校へ


転校してくれないかと頼んだ。兄が卒業さえすれば就職して自活す


るようになるので、そうなれば次におれの進学の学費を賄うことが


できると説明した。おれは母の提案をあっさり受け入れた。勉強に


着いて行けないので学校を代われと言われたら反発も生まれるが、


学費が払えないからと言われたら何の恨みも残らなかった。責任は


自分の能力の所為ではなく家庭の所為に転化することができた。た


だ、兄は卒業しても就職氷河期のために就職が決まらずフリーター


のような仕事を続けている。


 転居と同時に転校の手続きをすませた。親父が居なくなって、そ


れまでおれを縛りつけていた禁忌が意味を失い、それまで封印して


いた本能が蠢きはじめ、もうこれからは自分の意志だけに従って生


きていこうと思った。


          

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