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人は、きのうを知ることができてもあしたを知ることはできない。
知ることは覚えることから生まれる。だから、きのうのことを覚え
ることができてもあしたのことを覚えることはできない。つまり、
人はあしたのことを語っているつもりでも、実は、きのうのことを
語っている。
我々の知性は、未来について語っていても、実は、過去の記憶を
変換しているに過ぎない。しかし実際は過去と未来は違う。過去は
変えられないが未来は変えられる。いくら過去を変換しても新しい
未来は生まれて来ない。我々が未来を語る時も、知性はアーカイブ
から過去の編集された映像を流し始め、表象化された記憶が甦り、
実は、過去を語ってしまう。しかし、未来が過去よりも明るいなら
ば、我々は過去の記憶に執着してはならない筈だ。知性だけに頼っ
て未来を語っても過去への回帰を繰り返すばかりで閉塞した状況は
何も変わらない。新しい未来を拓くには知性だけではない新しい何
か、方法なのか能力なのか、感性なのか或は運動なのか、それとも
アッサリ狡い知性など投げ出してしまうか、過去を辿るように未
来に戻ってしまっては、新しい仮定や試みが生まれるはずがない。
「我々とは何か?」という問いしても、知性に委ねればひたすら
古を遡り、それでも明解な一論に辿り着けない
まま二論が残る。つまり、道理の下に存在があるのか、
否、それとも逆なのか。更には、国が存在するから人の暮らしがある
のか、それとも人が存在するから国が創られるのか。
権利と義務はどちらが優先されるか、個人の自由と社会の秩序はどち
らが重いか、秩序とは自然に存在するものか、それとも人が作り出し
たものか等々。知性がいくら過去に訊ねても真偽を得ることなど出来
ない。それにも関わらず、族閥を偏重し身分秩序に拘るこの国の「自
虐」道徳は、その由来を原始道徳である支那の儒教に求め、というの
はその原則は全て「力は正義」「早いもん勝ち」なのだ、結果、人々
は卑しいまでに謙り「何故そうしなければならないか?」を説かれ
ないまま犬のように腹従させられて人格を蔑ろにされる。権力に
媚び身分に諛い序列に従うことを強いる自虐道徳に惑溺した閉塞
社会から、新しい未来を切り開く若者が生まれてくる訳がないではないか。
我々に決定的に足らないのは、足元だけしか灯さない記憶だけを辿った安
っぽい知性に委ねられた人間関係を、その上から照らし出して俯瞰させる、
太陽のような理性だ。
「アメリカなんて簡単だよ」
何時かシカゴはそう言った。
「何で?」
「誰が創ったかって直ぐ解かるもん」
「ああ、神でないことだけは確かやな」
「そう、アメリカはアメリカ人が創った」
「それでもピューリタンの伝統は残っているやないか」
「あるね、確かに。それでも神様だ聖人だっていう怪しいのはまあ
存在しないから」
「日本人は棄てられんのや、そういう伝統みたいなもん」
「コレクターなんや、きっと」
「あっ!そうか、伝統文化のコレクターオタクなんや」
「たしかに国中足の踏み場もないほど伝統で溢れかえってる」
「同じ東洋人でも中国人は権力者が代わったら前の文化は全て壊し
てしまうって、司馬遼太郎が書いてたけどなあ」
「それ解かる、あっちにもいっぱい居たけど、奴らセルフィッシュ
やってアメリカ人にも言われてた」
「アメリカ人にそう言われたら本物やで。中国人は宗族主義やから
な。確か孫文も国家意識が生まれないって嘆いていた。」
「へーっ、あんた読書家やね」
おれとシカゴは長い休憩を終えて再びライブを始めることにした。
「やる?」
と、おれが聞くと、シカゴは、
「やるよ!せやかてまだ一円にもなってないで」
そうだ、おれ達は衣装まで揃えて出資してまだ一円の収益も上げて
いなかった。
真夏の舞台を照らし続けた太陽は、そのエンディングが迫ってい
るにも係わらず澄んだ秋空に励まされて日差しを強め、頂点に昇っ
て少し休んでから降りはじめると、俄かに人出も増えはじめ、人気
のストリートパフォーマーは多くのストリートオーディエンスに囲
まれて汗を垂らしながら自分のライブを熱唱していた。
「やるか!」
と、おれが言うと、シカゴは、
何も言わずにギターを取った。そして得意のブルース・スプリング
スティーンを歌い始めた。すると、離れて様子を窺っていた馴染み
の娘らが痺れをきらしたように集まって来た。彼が歌い終わると、
おれは左腕を彼の方に向けて、
「紹介するわ、今日デビューしたばかりのシカゴです!」
すると、彼女達は拍手をしながらもローディング中のCDのように
身動ぎせずただジーッと彼を見ていた。彼女らの頭の中に何がイン
プットされようとしているかはおおよそ見当がついた。シカゴのシ
ュッと通った鼻筋や何処までも伸びる長い脚、更にはネイティブな
発音の英語の歌に彼女らは股間を緩ませるに違いない。そして、
おれの見当どおり、シカゴというコンテンツをダウンロードした彼
女達は彼の歌声に酔い痴れて、好奇心のポインタで彼のアバターを
なぞっていた。気が付くと天然の照明は天守閣の向こうに落ちよう
としていた。二人とも時間を忘れて歌い、小声で話せないほど喉を
広げて唸っていた。そして、ギターケースの賽銭箱には信者からの
有り難いお賽銭が唸っていた。シカゴとおれは掌を合わせてそれを
拝んだ。こうして彼の城天デビューは先ずは大成功に終わった。




