第01話 輪廻のときは暮れ逝けど
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暗い深海の中に沈みこんでいくような感覚。
上から射す光は徐々に遠くなっていく。
体は動かず、水平を保ったままただゆっくりと堕ちていく。
ただただ、下に落ちていく力に引かれるように、ゆっくり、深く、暗く、沈んでいく。
流れに身を委ね、更に下へと沈んでいく。
不意に暗い周囲に映える光の粒が体の周りを踊った。
その何か分からない光の粒はただ美しく、少し眩しかった。
漂う光の粒を追い越して自分の体は更に深く沈んでいく。
落ちるがまま、沈むがまま重力に身をゆだねていれば、遥か上と言えるほどに遠くなってしまった上から射す光から目を外すとなんとなく感覚的に理解した。
ああ、そうか俺は死んだのか。
ここが死後。
輪廻の果てだ。
輪廻転生、あらゆる生き物が死んだ後に生まれ変わり次の生に向かうことを指す言葉だ。
輪廻転生という言葉からは循環するイメージがあるが、循環するにしても明確に始まりと終わりがある。
今の人生から次の人生へと切り替わる瞬間が必ずあるからだ。
自分という個を一度失い、自分ではない別の誰かになる。
そんな瞬間を享受する場所。
それがここ、輪廻の果てだ。
俺はもともと、鰐鮫覚視という名の学生だったはずだ。
身長はものすごく高いわけでは無かったが、低くもなかった。
顔だってものすごいイケメンってわけでは無かったが、不細工ではなかった。
成績は悪くもなく、良くもない。
あえて自分に特徴を上げるなら中度のオタクでアニメや漫画が好きだったことくらいだろうか。
漫画やラノベは買うがグッズやフィギュアまでは手を出してなかったから中度。
東京に受験に向かう道すがら、電車に乗り、トンネル内で地震に合い、そして生き埋めになり、助けを求めながら、餓死して死んだ。
そんな俺にも自分が終わり次の生へと向かう、その瞬間が訪れていた。
俺は先ほど上から射す光から視線を外し、自分の体を見て気がついた。
見れば自分の体が少しずつこの海の中に光の粒となって溶け出している。
先ほど沈んでいるうちに追い越してきた光の粒はきっと誰かの魂が次の生に生まれ変わる前にこの海の中を漂っていたということなのだろう。
そして多分、この海の中で生前の記憶や知識、感情や生きてきた時の罪、そんなものを全部溶かし終えたら、真っ白で真っさらな魂として次の生へと向かう。
言うなればここは魂の洗濯場所なのだろう。
魂からこの海に溶け出した記憶や知識、感情、犯した罪は時間の中で、別の何かに変わって、そして最後はこの海を構成している水のような何かと同じものになるのだろう。
それはさながら、海の汚れをバクテリアが分解していくように、もしくは太陽からの紫外線が海の汚れを分解するように。
この輪廻の果てにバクテリアや紫外線などがあるとは到底思えないから、きっと神様の力とやらで全てが浄化されていくのだろう。
そして自分の体、いや体のように見えている死んだ自分の魂もこの海で生きてきた時間を忘れ、新しい生に歩き出すのだろう。
それはそれでいいのかもしれない。
少なくともあの崩落したトンネルの暗闇の中孤独と空腹と飢えと渇きに曝され続けるよりはずっとマシだ。
そう思い覚視はゆっくりと沈んでいくその流れに身を任せた。
◆
そしてどのくらいの時間がたっただろう。
一年位たった気もするし、数秒だった気もする。
そもそもここに時間という概念があるのかも分からないが、何か聞こえた気がした。
「…………………■■■…………■■………」
そう、不意に誰かの声が聞こえた気がした。
流れに身を任せ、ただ漂っていた覚視がこの場所で初めて聞いた音。
流れに身を任せる事で、世界に身を委ねる事で、閉ざしていた目を開く。
「………………■ん……………ぅん…………」
何だろう、先ほどよりも少し言葉のように聞こえる。
いったい誰が何を話しているのだろう。
その言葉が何となく気になった。
そして一度気にしだすと、より気になってくる。
気になるにつれて徐々に周囲の温度が下がってきた気がする。
「………………ぅん……………ぅん…………」
誰だ?聞き覚えがあるような無いような声。
何だろうさらに寒くなってきた。
それにつれて沈み続けていた体に上向きの力が働き、浮上し始めた。
誰かが俺の体を引っ張りあげている?
「……………■くん……………■くん…………」
これは呼ばれている?
誰かが俺を呼んでいる。
「…………ゥークくん……………ぅくん…………」
呼んでいると思える声が明瞭になるに連れて周囲を漂う光の粒が自分の中に入ってくる。
目が醒める直前のように頭が働かない。
不意に体に感じる寒さとは全く違う暖かさが体に触れた気がした。
「ルークくん、ルークくん!」
その瞬間、急速に世界が暗転し、目が覚めた。
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寒い、苦しい。
目が覚めて最初に感じた事が、寒さと息苦しさだった。
ゲホッゲホと咳き込むと喉に詰まっていた水が口から噴き出てきて最悪の気分だったのが、目を開けて一番最初に見たのが可愛らしい少女の顔だったことだけが救いだった。
「ルークくん、ルークくん、生きてる?ちゃんと生きてるよね!」
そう問いかけてきた栗色の髪を肩よりやや長く伸ばした少女は半泣きになりながら、俺の体を揺する。
「だ、ゲホッ、大丈夫だ、生きてるから落ち着いてよアルマ」
そう答えてたのは自分自身だったのだが、答えた自分自身に驚いた。
なぜ俺はこの子の名前を知っている?
そもそもこの自分がアルマと呼んだ子はどこの誰で、そもそもここはどこなんだ?
何より、ルークと呼ばれたこの体は何だ?
そう、鰐鮫覚視が目覚めたのは、
綺麗な青空広がる田園風景の見知らぬ大地で、
可愛らしい見知らぬ美少女を前に、
死ぬ前の面影などまるでない、目の前の美少女と同じ歳くらいの、つまり10歳くらいの少年の体で、
どうやら死にかけていた境遇で、
この異世界に目覚めた。
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