5.謝罪の朝
翌朝、顔面に激しい蹴りが入り、俺は目が覚めた。
もちろん隣で気持ちよさそうに眠る彼女の足である。
「いった……あ、破片が刺さってる」
昨晩、破片を放置したまま寝ていたせいか、朝から頭が痛い。
ベッドには有田焼の破片が散らばっている。
佐賀の皆さんごめんなさい。
枕に散らかる破片を片付け、時計を見た。
「今、何時だ? おお、九時か、そうか……ん? 九時!?」
授業初日から完全に遅刻だ。
どうやら十二時間近くも寝ていたらしい。
俺は急いでお腹を出したまま寝ている彼女を起こそうとしたが、全然起きない。
仕方なく放置することにして、素早く制服に着替え、新しく支給されたネクタイを締めて部屋から出た。
すると廊下の奥にある部屋らしき場所から物音が聞こえ、興味本位でドアを開ける。
「やあ、おはよう」
「あ、おはよう……ございます……?」
氷室先輩から穏やかな笑顔で朝の挨拶をされ、反射で挨拶を返す。
だが、先輩も遅刻ではないのか。
「あれ、今日って休みでしたっけ?」
「違うよ」
「え、でも僕たち一応、同じクラスですよね。何でこんなにのんびりとしてるんですか……?」
この学園は学年で分けるのではなく、受ける授業、実力に合わせて、個々に授業が違う単位制のはずだ。
ただし、トライアルはみんな一緒らしいが。
「僕たちには授業がないから。いや、正確にはやってくれる教師や教室がないからなんだけどね」
「ええー!?」
衝撃の事実だ。
それでは三年間どうして過ごせばいいんだ?
「朝ご飯はパンとスクランブルエッグとサラダでいいかな?」
「イチゴジャムで!」
「ごめん、きらしてるや。バターでいい?」
「じゃあ、それでお願いしまーす」
ここはどうやら食堂で、氷室先輩は親切にも朝ごはんの用意をしてくれるらしい。
腹が減っては戦ができぬ。ということで、悩むのは後回し。
幸せ気分で席に着くと、白井先輩がやってきた。
「うむ、おはよう。昨日はよく寝れたのか?」
「おはようございまーす。まあ、寝坊しちゃいましたからね」
「そうか、昨日は何やら騒がしかったからな」
どうやら昨夜の騒ぎが隣室にも聞こえていたらしい。
壁も薄そうだし当然だな。
思い出したら名産品でぼこぼこになった額が痛み、そっとさする。
全国の皆さんごめんなさい。
「ところで、白井先輩。ずいぶん汗だくですけど、朝っぱらから何したんすか?」
「日々の特訓だ。教室を取り戻すために、もっと強くならないとな」
白井先輩の言葉に俺は目を瞠った。
思わず氷室先輩を見ると、苦笑だけが返ってくる。
(取り戻す? って、氷室先輩はないと言っていたけど……、最初からないんじゃなくて誰かに取られたってことか? いったい誰に……?)
「さあ、できた。僕のお手製、焼き魚定食だよ」
パンやスクランブルエッグはどこへいった?
とは思ったが、美味しそうなので細かいことは気にしないことにした。
おそらく、ここではそんなものなのだろう。
「陽斗君、彩葉ちゃんを起こして来てくれるかな?」
「彩葉? 誰っすか、そいつ」
「私の名前ですよ」
突然背後から声が聞こえ、振り返るとそこにはルームメイトの彼女が俺を見下ろしていた。
いや、座ってる俺に対してあんまり目線は変わらないけどな。
そういえば、名前を訊いていなかった。
「おはよう、彩葉ちゃん。ちょうど陽斗君が起こしに行こうとしていたとこだよ」
「そうですか」
それだけ言うと、朝の挨拶もなく、彩葉はいきなり焼き魚を手で持ち、頭からかぶりついた。
非常に豪快である。
「お前、彩葉って名前なんだな」
「はい、望月彩葉。それが私の名前です」
「俺は日暮陽斗。よろしくな。上よりも下の方が短いから彩葉って呼んでいいか?」
「別に、それでいいですよ。……むしろ、そっちの方がありがたいです」
(ん? どういうことだ……?)
なぜか違和感を覚えたが、施設育ちのせいか、下の名前で呼ぶほうが慣れているので、それ以上は気にしなかった。
それにしても美味しそうに食べる彩葉を見ていると、同じように食べたくなって、俺も焼き魚を手で持ち、かぶりついた。
施設だったら、とめおばあちゃんに張り倒されてるな。
(……って、うまっ!)
「おい、二人とも、箸を使え! それに、望月彩葉! 何だ、そのだらしない格好は! は、恥ずかしくないのか!」
かなり露出度の高いパジャマのままの彩葉を見て、白井先輩は注意しながらも顔を赤くしている。
純情だな、先輩は。
「あ、ほうだ。昨日はすふぃふぁせんでした」
白井先輩の苦情は無視して、なぜか彩葉は俺に謝った。
確かにあれだけ名産品を投げ全国の人を敵に回したんだ、謝罪も当然だよな。
「昨日の名産品のことか? 別にいいって、俺も悪かったし。とりあえず口の中のもん、全部飲み込めよ」
「あぁ、それもそうなんですが……昨日の朝にぶつかってしまってごめんなさい。……ふぅ、これでちゃんと言えました」
「って、あれもお前かー!」
あれから俺のツキのなさを考えると、元凶は全てこいつだろ?
彩葉自身はすっきり満足という顔をしているが、俺にとっては怒りが再燃してしまった。
「俺にぶつかったこと気付いてたのに、無視したのかよ」
「はい。今まで数々の人にぶつかりましたが、あんなにぶっ飛んだのは初めてで、つい覚えてました」
「いや、ドヤ顔されても腹立つんだけど。しかも数々って……。お前にぶつからなければ、俺はこのクラスじゃないんだよ!」
「いや、そもそもあなた遅刻してましたよね?」
「おぅっつ」
冷静に突っ込まれて、一気に怒りが冷める。
もっともではあるが、俺だって言いたい。
「お前も遅刻ぎりぎりだったよな?」
「だから?」
残念ながら俺の突っ込みはノーダメージで返ってきた。
玉砕である。
「私は間に合いました。それにあの道幅ならあなたは避けれたじゃないですか。あなたがどんくさいだけですよ」
「小さかったから視界に入らなかったんだよなー」
ちょっとカチンときて、嫌みで返す。
彩葉は小さいことを気にしてるはずだった。
昨日のやり取りでそう判断した俺の読みは当たったらしい。
「140センチはありますから……!」
「四捨五入してだろ? 本当は?」
「ひゃ、139、てん……6センチ……でも、朝は140センチです……!」
成長の早い子供たちと住んでいたから、俺は微妙な差にも気付ける。
身長が詳細にわかるのは施設に長くいた俺の特技と言ってもいい。
昨日の仕返しとばかりに、もう少し子供扱いしてやろうと思った時――。
パリーン!
美濃焼を思い切り頭から受けた。
意識が飛んだ。
「最初からこうすればよかったですね。…――氷室先輩」
「ん? 何かな?」
「どこか人を埋めても気付かれないとこってありますか?」
「埋める気なのか!?」
「この辺ならどこに埋めてもばれないよ」
「氷室先輩! 何を教えているんですか!」
彩葉と氷室先輩の会話に白井先輩が突っ込みつつ、解決策が見つかったことで、彩葉は実行に移した。
こうして俺は誰にも見つからない山中に埋められたのである。
そしてこの日より、彩葉に平穏な日々が訪れたのであった。
―おわり―
「って、終わらせるなよ!」
「え、ゾンビですか……怖いですね」
「おい、怒るぞ。てか何で誰も止めなかったんだよ!」
山中に穴を掘り、そこに美濃焼と一緒に入れられて土をかけられる寸前、俺は意識を取り戻した。
まあ、意識の片隅でこいつらの会話は聞こえてたが。
それにしても、彩葉はまるで俺が悪いとばかりに冷ややかな態度だ。
氷室先輩や白井先輩も一応は止めようとしたと言っているが、一応ではダメだろう。
俺はこれからもこのメンバーで過ごさなければいけないのか……。
多少の不安はあるが、適応能力にだけは自信があるから何とかなるか?
そんなこんなで、俺の魔法学校での生活が始まった。