4.適応能力の高さ
「まだ着かないのかよ……」
歩き始めてかれこれ三時間。もう夜だ。
この学園はあまりにも広すぎる。
ただパンフレット情報によると、この人口島は学園だけでなく、数え切れないほどの施設があるらしいが。
全てにおいて、マイナスだった俺は、クラスが“トライアル”――つまり、最低辺のクラスに決まった。
あの時に当て逃げされていなければ、まず遅刻しなければ。後悔がずっとある。
(そもそも俺の魔法は……)
などと考えていたら、目の前にようやく光が見えた。
やっとたどり着いたのかと思いきや、どうやらそこはゴミ処理場だった。
(あれ? ここじゃ……?)
きょろきょろと周囲を見回しても、やっぱりゴミの山しか見えない。
ここまで歩いてきて、迷子とか……と半ば泣きそうになってしまった。
「おい、あんちゃん! こんな遅くにここで何してんだよ?」
突然聞こえた親切な問いかけ。
まるで救いの神かと思う声の主は、ガテン系のヘルメットを被ったおっさんだった。
おっさんだろうが、神だろうが、この迷子状態から脱出できるなら何でもいい。
「えーっと、この芽吹荘って所に行きたいんすけど……」
「はっはっは! お前トライアルか! そりゃー災難だな!」
おっさんは声高らかに大笑いしている。
しかもどこかで似たような人を見た気がした。
「あんちゃんの行きたいところならな、そこの山道を入って上った先にあるぞ!」
おっさんはゴミ処理場のすぐ隣にある山を指さして答えてくれた。
が、その答えは絶望に近い。
まだ山道を歩かないといけないのかよ。
だがしかし、ここで文句を言っても仕方ない。
ひとまずはおっさんにお礼を言って、俺は再び山を上り始めた。
そしてついに――。
「着いた……。ここが芽吹荘か……汚ねーな」
目的地にようやくたどり着いたが、文句しか出ない。
見た目は洋館――幽霊屋敷と言ってもいいほどのぼろいアパートだった。
塗装ははがれ、門扉はぎいぎいと音を立てて風に揺れている。
寮名らしきものが書かれた看板は傾いていて、庭は緑豊かで――要するに雑草だらけだ。
しかし、いつまでもここにいるわけにはいかない。
「ごめんくださーい」
玄関まで足を踏み入れ、声をかけても返事はない。鍵もかかってない。――いや、そもそも鍵がない。
セキュリティはどうなっているんだと思ったが、このまま待つのも無駄な気がして、俺は中に入った。
ところが、建物内は意外と綺麗だった。
玄関を入ってすぐに談話室がある。
その右側には扉があり、真ん中には階段、どうやら三階まであるらしい。
靴箱の上の掲示板に貼られた――剥がれかけた室内地図で確認すると、一階と二階の左側には廊下が続いており、廊下の右手側に五つほど個室があるようだ。
そして廊下奥にまた他と違った扉があった。
(まあ、こんなものか……)
重い荷物をどさりと置き、これからどうしたものかと思案する。
と、そこに今朝聞いたばかりの声がした。
「おめー、こんなとこに何か用か?」
声の聞こえたほうを見ると、そこには朝と変わらず面倒そうな顔をした寝屋川先生がいた。
口には煙草をくわえている。
廊下に大きく『禁煙!』と貼ってありますが?
「あ、お前……!」
「ん……? 私を知ってるのか?」
「もう、忘れたのかよ!」
先生は朝会ったばかりの俺の存在をすでに忘れているらしい。
「あぁ~、あの足が震えてた」
「震えてねーよ。どんな印象だ」
「生まれたての小鹿だよ。って、あれ? お前ここにいるってことはもしかして……ぷっ、お前、トライアルかよ」
「うるせー! しょうがねーだろ、色々あったんだから!」
「え? 言い訳とかすんの? 見苦し~い」
マジでいっぺん締めあげようかと思ったが、ここは俺が大人になるべきだ。
だが次は先生だろうと容赦はしない。
「寝屋川先生、どうしたんですか?」
玄関先で騒いでいたことに気付いたのか、二人の男子生徒が一番手前の個室から出てきた。
問いかけてきたほうは長身で、もう一人はあまり背が高くない俺よりも低かった。
「寝屋川先生、もう就寝時間です。静かにしてもらえませんか」
厳しく告げた背の低いほうが、非難の目を先生に向けた。
俺にもその気持ちはわかったが、まだ八時過ぎである。そこは突っ込みたい。
「おや、もしかしてもう一人の新しくここに入る子かな?」
長身のほうが俺に話しかけてくる。
もう一人とは対照的に雰囲気はおおらかだな。
「僕の名前は氷室零司。今年で三年になる。そしてこっちが……」
「白井拳。二年だ。よろしく」
手を差し出してきた白井先輩と思わず握手をしたが、やっぱり俺よりも背が低いことが気になってしまった。
いや、男子はまだこれから伸びることだってある。俺だってこれからだ!
「何か、気になることでもあるのか?」
「いや、別に……」
身長を気にしていたのがばれたのか、白井は不機嫌そうに問いかけた。
それを適当にかわして、俺も自己紹介をする。
「俺の名前は日暮陽斗。今日からよろしく」
「僕たちは先輩だぞ! しっかりと敬語で話せ!」
当然といえば当然だが、厳しい。
そこに先生が割って入る。
「じゃあ、あとはよろしく」
と思ったら、先輩たちに丸投げして玄関横右側にあった部屋に入っていった。
おそらく先生――寮母の部屋なんだろう。
「あの人はいつもあんな調子なんだ。すぐに慣れるよ」
(ええ、知ってます。よく知ってますとも。しかも、もう慣れかけているような……)
申し訳なさそうに言う氷室先輩には笑顔で応えるだけにした。
口は災いの元だ。
「は! もうこんな時間ではないか! すみませんが、僕はお先に失礼します。おやすみなさい!」
「白井君は早寝早起きなんだ」
また申し訳なさそうな氷室先輩に、同じようにまた笑顔で応えるだけにした。
白井先輩は先ほどの部屋に入っていく。
「詳しいことは明日の朝にでも話すとして、とりあえず君の部屋に連れていこう。僕と白井君は101号室だから……順番に行くと、四人目だから……君は102号室だね」
「え? 隣なんですか?」
「ああ、寝屋川先生がね、面倒だから全部詰めるんだよ」
やっぱり締めてやる。
そう心に誓った俺には気付かず、先輩は説明を続けた。
「元々芽吹荘には、僕と白井君の二人だけだったんだけど、今年は二人も入ってくれて嬉しいよ」
「てことは、俺以外にもトライアルになったやつがいるってことっすか……」
「そうだよ。でも、楽しいところだから、すぐに気に入ってくれるはずだよ。はい、ここが君の部屋。そしてこれが鍵」
先輩はどこからか鍵を取り出して渡してくれた。
どうやら個室には鍵があるらしい。
「鍵穴は壊れてるけどね」
「って、意味ねえ!」
思わず声に出して突っ込んだ俺に、先輩は怒ることもなくくすくす笑った。
本当に穏やかな人だ。
「じゃあ、また明日の朝。今日は疲れていると思うから早く寝たほうがいいよ」
そう言って先輩は101号室に入っていった。
その背中を見送った俺も、意味のない鍵を握り締めて荷物を持ち上げ、部屋へと向かった。
(ふー、やっとゆっくりできる……)
血は止まっているが、傷は痛む。頭だけでなく、体中が痛い。
もう一人の新入生――ルームメイトはすでに部屋にいるんだろう。
仲良く出来るかななんて、新入生によくある心配をしながら部屋のドアを開け、俺は固まった。
「あ……」
さっそくルームメイトがいた。――下着姿の女子が。
彼女は赤ん坊のような肌に、綺麗なショートカットの髪。顔は幼いが、下着は大人っぽい。それなのに残念ながら貧乳だった。
「ブラの必要性を感じないな」
瞬間――。
ドカッ!
額にこけしが飛んできた。
やっぱり口は災いの元だ。
「いてぇぇぇ!」
「何をするんですか、変態」
「まだ何もしてねえよ!」
ドカッ!
「いてぇぇぇ! 何でこけし!?」
「まだってことは、何かする気満々じゃないですか」
「子供に手を出すわけないだ――」
ポカっ!
「いてぇぇぇ! ごめん、俺が悪かったって! って今度は達磨かよ!」
「まったく、あなたは馬鹿なんですね?」
「くそ……何で、女子と同じ部屋……」
コン、グニュ
「だから、痛いんだよ! しかも何で二発? 今度は赤べこと……何だこれ、え、これ何……? こわ……」
せっかく止まっていた血が、開いた傷からまた流れ始める。
「では、私は寝ます。あ、そこがお風呂で、この上がベッドです」
「あ、どうも……じゃなくて!」
彼女はロフトへと上っていった。
色々と突っ込みどころがありすぎて、何から手をつければいいのかわからない。
なぜ女子と同室で、なぜ全国の名産品が飛んでくるのか、なぜ彼女はこの状況を受け入れてるのか。
「……風呂入って寝よ」
疲れきっていて、俺は考えることを放置した。
俺は昔から適応能力が高いと自負している。要するに無駄な抵抗は本当に無駄だ。
明日にはきっとこの状況も受け入れられるだろうし、疲れた体も全回復しているはずだ。
普通の人なら頭が混乱してパンクする出来事だって、昔から受け入れてきた。
施設では色々あった――いや、ありすぎたんだ。
「いてて、投げすぎだろ……。うわ、血が噴き出してきた。止まらねぇ!」
お湯で温まった体は血行がよくなり、よく血が出る。
それをタオルで押さえながらパジャマに着替え、ロフトへと上がった。
そこには彼女がだらしない格好で寝ていた。
まさかベッドまで女子と一緒とか施設でさえありえなかったが、諦めて隣に横になる。
「はぁ、結局ここにきても子供と寝るのか……」
パリ-ン!
今度は有田焼をぶつけられ、眠りについた。