2.めげない
(ど、どうしようか……)
入学早々、置き去りにされてしまった俺は途方に暮れていた。
遅刻……いや、遅刻どころかこのままでは学校にも行けない。
周囲を見回してもまったく人の気配はなく、どうしようかと悩んでいるところにいきなり声をかけられた。
「お前、ここで何してるんだ?」
突然現れたように見えたおばさんは、声をかけたものの、やめとけばよかったと後悔しているような面倒臭そうな顔をしている。
ダメな大人だな。だが、きっと学校の職員だろう。
「いや、あの……遅刻してしまって。置いていかれたみたいなんすけど、どうしたらいいっすかね?」
「さあ?」
「さあ? って!」
何でこんなにもやる気がないんだ。
半分寝ているようにも見えるおばさんは、ここの職員じゃないのか?
「で、何? 連れていってほしいの?」
「まぁ……」
「仕方ねーな。連れてってやるか……ちっ」
「今、舌打ちしただろ!」
なんでこんなについてないんだ、俺。
女子生徒にはぶつかるし、遅刻するし、死んだ目のおばさんに舌打ちされるし……。
それどころか、俺の頭から流れる血に関してはまるっきり無視かよ。
きっと話題にすると面倒だとでも思っているんだろうな。
「そういや俺、入学式出ていなかったから、これからのこととか色々と教えてくれませんか」
「パンフレット」
「いや、見ましたけど」
「そういうことだ」
「どういうことだよ!」
思わず突っ込まずにはいられないくらい、このおばさんは面倒くさがりだった。
激しく非難の目を向けると、おばさんはまた舌打ちをする。
「ちっ! しゃーね、わかった。着くまでの間、教えてやるよ」
俺の澄んだ瞳にほだされたのか、おばさんは諦めて説明してくれるようだった。
とりあえず腕につかまれと言われてその通りにすると、煙草と酒のにおいがきつくて臭い。
が、我慢をして説明を聞く。
「まずな……着いたぞ」
「おう……って、はやっ!」
周囲の景色は山から一変、どこかの校舎内らしき場所に変わっていた。
校舎内はかなり近未来的でもあり、どこの学校にもあるような普遍的な感じでもある。
ただし、今は生徒の姿はない。
パンフレット通り海も見える。
ここは日本の南に浮かぶ巨大な人口島――櫻島。
島の形が桜のように見えるから櫻島と呼ばれるらしいが、鹿児島の桜島と間違えないためにか漢字は違う。
「ん、ここが、これからお前が通う“春野学園”だ。さあ、行ってこい」
「ちょっと待てぇぃ! まだ学校名しか聞いてねーよ!」
「いいだろーが、お前が一人で震えてるのを見て拾ってあげただけでも。あとは一人で生きていけ。お前はまだ若い。やろうと思えば何だってできるさ。さあ、行ってこい。振り返ったらダメだぞ」
「捨てられた子犬か!」
適当なことを言って、おばさんは力強く背中を押してくるが、どうにも酒臭い。
「こんな、右も左もわからないいたいけな男の子をあんたは置いていくのか!」
「どこがいたいけだって?」
俺も引かないがおばさんも引き下がらない。
とにかくおばさんはここから立ち去りたいのだろうが、このまま逃がせば俺が困る。
何せ、ここからどうすればいいのかわからないんだから。
「あなたたち、ここでなにをやっているんですか? 新入生はもうすぐテストが始まる時間ですよ」
睨み合う俺たちに向かって、まだ若い女性が声をかけながら近づいてきた。
先輩だろうかと俺が思っていると、おばさんがとんでもないことを言う。
「学園長。もう入学式は終わったんですか?」
「が、学園長!? 若っ!」
まさかの学園長かよ。
身長は俺より低く童顔なせいで、若く見えるのか?
「ふふ、まだピッチピチの二十二歳ですから。お姉さまって呼んでもいいんだぞ?」
やっぱり若かった。
だが、ぱちりとウィンクまでする姿は少々無理がある。
二十二歳で学園長とはすごいが、お姉さんと呼ぶつもりはまったくない。
「お、お姉さんとは呼んでくれないんですね……。そうですか……」
なぜか俺の気持ちを読んで、しゅんと落ち込む姿は可愛い。
やっぱり呼んでもいいかもと思うくらいには。
初々しい雰囲気の彼女は、年齢からしても学園長になったばかりなのかもしれないな。
「さてと、“春野学園”にようこそ! 私は学園長の九条春。そう、ここは“春の学園”。つまり、私の学園なんだぞ?」
「……テストって何するんすか?」
「え、思いっきりスルー!?」
再び不自然なウィンクをした学園長に付き合っていても無駄だと判断した俺の態度にショックを受けたらしいが、それでも学園長は咳払いをして真剣な表情になった。
どうやら今のはなかったことにするみたいだ。
「え、えっと、テストっていうのは、知力、体力、そして魔力! あとはコミュニケーション能力とか、その他色々測って……その結果でクラスを決めるんです。はい」
たどたどしい説明は本当に学園長なのかと疑いたくなる。
なぜ急に元気がなくなる。自信なさすぎだろ?
「そしてクラス……って、どこに行くんですか、寝屋川先生?」
「えっ、ちょっと便所に……」
ここまで連れてきてくれたおばさんは寝屋川という名前らしい。
が、今のは絶対に逃げようとしていたよな。
(まあ、もう別にもうどうでもかまわないけどな……)
大切な説明は学園長自らがしてくれたので、もはや用済みである。
ただ残念なことに、学園長にとってはそうではないらしい。
「おい、寝屋川。お前試験官だろーが! さっさと試験会場に行け!」
二十二歳の女性に、おばさん――寝屋川先生が怒られている。
それよりも学園長のキャラが変わりすぎじゃね?
「寝るならベッドがいいんだが……」
「いや、寝るなよ!」
つい突っ込んでしまった俺に、寝屋川先生は視線を向けふんぞり返る。
「お前な、何を言ってんだよ。うとうとしながら眠いのを我慢するより、堂々と眠ったほうが男らしいだろ?」
「はあ? 先生は男じゃなくて、おばさんじゃん」
「おばさんじゃねーよ。私はまだ二十八だ」
「えぇ!? 見えねー」
「ぶっ倒すぞ」
なぜか寝屋川先生は開き直ったが、言っていることはめちゃくちゃだった。
ここで男らしさは関係ないはずだ。
しかも衝撃の事実まで知ってしまった。
確かによく見れば、二十八歳に見えないこともないような……?
ただ人生に疲れてるのか、けだるさが凄い。
「いいからさっさといけよ、ババア!」
今度は学園長が大きな声で怒鳴りつけたが、やっぱりキャラが違う。
「黙れ、ちび。あ、痛っ……」
学園長に思い切りすねを蹴られて、寝屋川先生は逃げるように消え去っていった。
(マジ大丈夫かよ、この学園……)
まだ始まってもいないのに不安に思うばかりだが、とにかくあんなダメな大人にはならないようにしっかり勉強しようと、心新たに誓った。
すると、学園長が俺のほうに向き直り、にっこり笑う。
ここにもいた。ダメな大人が。
「えっとぉ、ごめんね。さっきの話を続けるわね」
元のキャラに戻った――いや、どっちが素なのかはわからないが、とにかく学園長が再び話し始める。
「んー、とにかくテストを受けて、自分に合うクラスが決まる。そのための実力テスト。わかった?」
「はあ、まあ」
「この学園にはたくさんの学部があるから、その中で自分に合った学部、実力に合ったクラスにしっかりと振り分けられるの。ちなみに、全生徒上位三十人は“エクセリア”という特別なクラスがあって、色々な特権が手に入るから、そこに入れるように頑張ってね♪」
「まあ、俺は頑張りますが、今さら学園長にそのキャラは無理だと思いますけど」
「うるさいな~、わかっていますよーだ。寝屋川のせいで、私の信者が減っちゃったわ」
「いや、信者も何も、初対面だし」
何はともあれ、学園長は俺のことを応援してくれた。
あくまでも、俺の怪我には触れないが。
そこで二人ともテストの時間が迫っていることに気付いて慌てた。
「やばっ! ちょっと、早く私の腕につかまって!」
「お、おう」
急いで言われた通りにすると、あっという間に場所が変わる。
どうやらまた瞬間移動をしたみたいだ。
「さあ、着いたわよ? ここがテスト会場なんだけど、たぶんこの教室はまだ席が空いてるはずだから……どの席に座ってもいいからね」
「色々ありがとうございました」
「あら、意外と礼儀正しいじゃない」
「俺だってやればできる子なんです」
基本的に俺はいつもタメ語で、中学の時もよく先輩や先生に怒られた。
だが、めげない、まげない。それが俺のモットーだ。
「ごめん、ごめん。……そういえば、君、名前は?」
立ち去ろうとして、学園長は今さらなことを訊いてきた。
ドアに手をかけていた俺は振り返って名乗る。
「俺の名前は日暮陽斗。 “エクセリア”に入る男だから、覚えとけよ、学園長」
「へ~日暮、ね。じゃあ、“エクセリア”に入ることを楽しみにしているわ」
お世辞なのか本気なのか、期待の言葉を残して学園長は立ち去った。
半分冗談だが、半分は本気だ。
(いや、冗談ってのはなしだ。絶対に俺はやってみせる)
強く決意を固めて、一度大きく深呼吸をする。
そしてドアを開け、教室に入っていった。